第9話

 天魔たちの意識がこちらへ注がれる。


 ああ、それで良い。相手を間違えないでくれよ。


 僕が二歩目を踏み出した瞬間、天魔たちが動き出す。前方と左右からそれぞれ一体ずつ、合計三体が僕に襲いかかってきた。


「三体程度で!」


 確かに天則式てんそくしきは多数の相手をすることに適さない。だけどそれは向いていないというだけで、必ずしも複数の相手と戦えないという意味じゃない。


 僕は地面を蹴り出して左から向かってくる馬型の天魔へと近付く。瞬時に縮まった距離をさらに詰め、天魔の首へ掌底を加えながら天則式を発動した。


「天則式・共工きょうこう!」


 左手人さし指の爪に式様しきようが浮かび上がる。揮発した触媒が天魔の身体にまとわりつき、僕の指を通じてねじ込まれた力が天魔の体内を駆け巡った。


 懐に潜り込んだ僕をその大きな口でかみ殺そうとしていた天魔の身体が固まる。糸を切られた操り人形の如く動きを止めると、勢いのまま僕の傍らを通り過ぎていった。視界の端で天魔の体が力なく倒れこむ。


「ひとつ!」


 一撃で一体を屠りさえすれば、何体に囲まれようと問題はない。同時に二体を相手できないのなら速やかに一体ずつ倒せば良いだけだ。


 僕が振り向いたところへ突進してくる二体の天魔から立ち位置をずらす。ろくに考えもなく襲いかかってくる天魔はそれだけで縦に並んでくれた。ほんのわずかな時間とはいえ、一対一の戦いを二度続ければそれで良い。


「連式・二角獣――鷲獅子!」


 右手親指と左手人さし指を使い、天則式を連続して発動する。二本の指に浮かび上がった式様が短い時間の間に連続して浮かび上がった。触媒が黒と緑の二色に輝きながら尾を引くようにその軌跡をなぞる。


 右手を握りしめて親指の第一関節を曲げ突き出すと、それを向かってくる天魔の眉間へ打ち込んだ。カウンター気味にそれを食らった天魔が、体重を感じさせない勢いで吹っ飛ぶ。


 間を置かずにやってくる次の天魔へ左手の人さし指を横に一閃。首に小さな傷を負った天魔はビクリと身体を跳ねさせると、断末魔も上げずにその場へ倒れ伏した。


「これで三つ!」


 天則式者としては異端、あるいは異質。

 同時に天則式を発動することはできずとも、わずかな時間差で複数のそれを発動することは不可能ではなかった。もちろん理屈で可能だからといって簡単に実現できるとは限らない。この技術は僕が独自に編みだしたものだ。少なくとも僕の知る限り、この技を使いこなしている人間は他に存在しなかった。あのサーラですら「無理!」と匙を投げたくらいなのだから。


 これができなきゃいくら強力な力を持っていようが、大量の式様を身に刻んでいようが、天則式者が二十体近い天魔を相手にひとりで戦うなんて自殺行為でしかないだろう。逆に言えばそれができる僕だからこそ、ひとりでこの数の天魔と渡り合えるということだ。


 三体の天魔を屠った僕を警戒するように周りを残った天魔たちが取り囲む。残った天魔の数は十五体ほど。


「おいでよ。全員ちゃんと相手してあげるから。非力だと見下してたはずの人間にたたき伏せられる屈辱を味わいたいなら、ね」


 通じるわけもない挑発に天魔たちが反応する。言葉はわからなくても態度や声色でこちらが馬鹿にしたことを理解したのかもしれない。


 十体以上の天魔が一斉に襲いかかってくる。普通ならいくら天則式者でも絶体絶命のピンチだけど、僕の相手をするにはどうにも戦力不足だった。


 腰に提げていた剣を鞘から抜く。両刃の剣はかすかに赤く色付き、濡れたように鈍く輝いている。


「天則式・朱雀!」


 右手の甲に浮かび上がる複雑な式様。その手に持っていた武器が呼応するように身じろぎした。


 天則式を使って戦うとは言っても、全く武器を携帯しないわけじゃない。天則式は確かに強力だけど普通は連続して発動できないし触媒が切れれば発動自体ができなくなる。だから護身用に戦士と同じような武器を身につけているのが常識だ。


 だけど僕の握る剣は普通の武器とは少し違う。式様を通じ、力を注ぎ込むことで切れ味を増す特殊なひと振りだ。目の前にいるような下っ端の天魔なんて物の数じゃない。


「悪いけど、僕の朱雀は遠慮がないよ」


 向かってくる天魔をなでるように僕は両刃剣を振るった。軽く傷を与えただけで天魔たちは身体をガクガクと震わせて膝をつく。既に脅威じゃなくなった天魔は放置し、僕は次々と襲いかかってくる敵を斬り伏せる。


 僕の持つ剣はひとたび天則式【朱雀】の力を得ると、天魔の天敵と化す。暴れる刃は天魔の身体をやすやすと斬り裂き、僕の周囲に四肢を切り落とされた天魔や身体の上下が生き別れになった天魔を積み重ねていった。


 直接相手の身体に叩き込む天則式と違い、式様を通じて武器に力を与える天則式は持続力に優れている。


 相手に直接天則式を叩き込めば一撃の威力は非常に高い。だけどその一方で次の天則式を発動するまでの間、天則式者は天魔に対抗する手段を失う。天則式が多数の敵を相手にした戦闘に向いていないのはこのためだ。


 だけど武器を天則式によって強化する時は事情が異なる。一撃必殺の威力はなくなってしまうが、それでも強化された武器は天魔に対して非常に有効な攻撃手段だった。なにより武器に対して注がれた天則式の力は継続する。どれだけ長い間使えるかは天則式者の力量次第だが、僕の場合は一度の天則式発動でコップに入れた熱湯がぬるま湯になるくらいの時間は維持できた。


「ウォォォーン!」


 襲いかかってきた天魔を全て斬り捨てると、一体だけ様子見をしていた天魔が声を張り上げる。既に僕の周りには息絶えた天魔の骸が横たわるだけ。残る敵はあいつだけだ。


 直立した狼のような身体を持ち、先ほどまでの雑魚天魔とは桁違いの存在感を主張するそいつは、手に握った曲刀を何もない足もとへ振り下ろす。その行為はまるで「俺はそいつらとは違うぞ」と主張しているようだ。


 実際アレは僕がさっきなで切りにしたような下級の天魔とは違う。人型に近い姿をしているのが何よりの証拠だろう。天魔はその力が増すにつれ人型に近付いていく。同じ狼型の天魔でも下級なら狼本来の姿が色濃く残り、中級の場合は狼のなごりを残しつつも人型に近くなる。そういう意味ではアレの強さも一目瞭然というわけだった。


 体長は僕の五割増しといったところだろうか。たとえ武器を持っていなくてもあの太い腕で殴られれば人間など簡単に壊れてしまいそうだ。


 悠然とした足取りで天魔が近付いてくる。

 天則式によって強化した武器はまだ当分は使えるだろう。僕は剣を片手に前へ出た。


「早くみんなのところへ合流したいんでね。悪いけどさっさと終わらせてもらうよ」


「グルルルル!」


 余裕綽々の僕が気に入らないのか、天魔はうなり声をあげるなり一気にその距離を縮めてきた。突進の勢いそのままに曲刀をふるって僕の身体を袈裟斬りにしようとする。


「そんなので!」


 いくら僕が天則式者でも、さすがに真っ正面から斬りかかってくる単純な攻撃を食らうわけがない。一歩横にステップして天魔の一撃をかわし、お返しとばかりに剣を横薙ぎに振るう。


「ガルゥ!」


 僕の剣が空を切った。

 まあそうだよね。『この程度』っていうのはお互い様だ。人型に近い中級の天魔、加えて俊敏性の高い狼タイプなんだから、何の工夫もない一撃がかわされるのは当然だ。


「でも悪いけど、ゆっくり遊んであげるつもりはないんだ」


 足の甲に刻んでおいた式様を使って天則式を発動させる。相手の命を奪うための天則式ではなく、自分の身体能力を強化するための天則式だ。

 僕の足が弾けんばかりの活力に包まれた。効果は上々、準備はオッケー。


「行くよ!」


 掛け声と共に僕の足が腐葉土を蹴る。


「グワァ!?」


 天魔の目が驚きに見開かれた。


 一瞬にして相手の懐へ飛び込んだ僕は迷いなく剣を突き出す。

 しかし敵もさるもの。反射的に片腕で首を庇い、致命傷を防いできた。


「ガァァ!」


 僕の剣が天魔の腕に突き刺さる。喉元までは届かなかったけどそんなことは関係ない。どうせこちらも剣だけで終わらせるつもりはなかった。


「グガアアァ!」


 憎しみのこもった目で僕を射抜き、天魔は曲刀を振り上げる。


「がら空きだよ」


 片腕は僕の剣に貫かれて使い物にならず、もう一本の腕が振り上げられた今、天魔の身体は一瞬だけ無防備な状態になっている。その一瞬さえあれば僕にとっては十分だ。


「天則式・青竜!」


 左手の甲に刻んでおいた式様を通して天則式を発動する。さえぎるもののない天魔の心臓部へ手を伸ばし、叩きつけるように掌打を送り込んだ。


「グォ……ァ!」


 その瞬間、天魔の身体が見えない柱へ縫い付けられたかのようにピタリと止まった。

 僕の左手を介して送り込まれた天則式が天魔の中で激しく回る生命の根源を弾き飛ばす。力尽くでかき乱された天魔の身体はあるべきものを失い、生物としての役目を終えて単なる肉の塊へと変わった。

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