第8話

「て、天魔がこんなに……」


「ミリアさんの危惧した通りだったか」


 まあ、増援ではなくこういう形で出くわすことになるとは思わなかったけど。


「ど、どどどうすれば!?」


「大丈夫です。あなたは僕が守ります。ただ、馬と荷物は諦めてください」


「そんなっ」


 戦って勝つだけなら問題はない。でも誰かを守りながらとなれば、さすがに自信を持って一切の被害を受けないと言い切るのは無理だ。まして護衛対象のひとつがこちらの言葉を理解できない馬となればなおさらだった。


 一対一の戦いなら僕だって誰にも負けるつもりはない。しかし天則式はどこまでいっても単体の敵と戦うことを想定した戦闘技術であって、複数の敵を相手取って戦うのには向いていないのだ。


 この場にいるのが僕だけなら一体ずつ確実に倒していくだけですむ話だけど、今は行商人の青年とその馬がいる。僕が天魔の相手をしている間、彼らは危険にさらされ続けるということだ。目の前の天魔はさっき遭遇した集団の二倍、おまけに一体だけ桁違いに強そうなのがいた。


「あなたと馬の両方を守りながら戦うのは無理です」


 だから僕は正直にそう伝える。


「わ……かりました」


 苦しそうな顔で行商人が頷いた。彼にとってあの馬は長年苦楽を供にした相棒だろう。やむを得ないとはいえ見捨てるという選択肢が受け入れがたいのは当然だ。


「僕が合図したら仲間たちのいた方向に向かって全力で走ってください。天魔たちは僕が抑えます」


「君ひとりで? それはさすがに……」


「僕は天則式者です。もともと戦うために前線都市に来た人間ですから、気にしないでください。それに勝算はあります」


「わ、わかりました。……すみません」


 申し訳なさそうに行商人が謝罪を口にする。

 謝るのはこっちの方だ。仕方がないとはいえ彼に馬を諦めさせたのだから。


「良いですか? 三つ数えたら走ってください。後ろは気にしないで」


「……はい」


 天魔たちはまだこちらの様子を伺っている。圧倒的な数の違いが彼らにその余裕をもたらしているのだろう。

 とはいえいつまでもそのままでいるわけはない。集団の左右にいた天魔がジリジリと広がりながら半包囲の形を取っている。


「一……、二……」


 緊迫した空気の中、僕が三つ目を数えようとした時、突然後ろから聞き慣れた声が届いた。


「お兄ちゃーん!」


「サーラ?」


 振り向いた僕の目に映ったのは、木々の間を真っ直ぐこちらへ向かってくるサーラの姿だった。

 向こうの戦いに片が付いたのかとも思ったが、どうやらやって来ているのは妹ひとりだけらしい。まさかミリアさんの指示を無視してやって来たんじゃないだろうな?


 突然登場した乱入者の存在は天魔の方へも動きを生じさせる。それまでジリジリと左右に広がるだけだった天魔たちが一斉に襲いかかってきた。


「しまった!」


 予想外の展開に行商人を逃がすタイミングを失い、僕は舌打ちする。


「ひいぃ!」


「僕の後ろから離れないでくださいよ!」


 仕方なく行商人の青年を庇い、向かってくる天魔を迎え撃とうとした僕の後ろから猪の様な勢いで飛び出す黒髪の少女。


「サーラ!」


「任せてお兄ちゃん!」


 両刃の剣を片手にサーラが猿型の天魔へと突っ込む。

 ボトリと天魔の腕が一本斬り落とされた。返すひと振りでその首を落としたサーラは、続いて襲いかかってきた豹型天魔の眉間をひと突き。一撃で致命傷を負った天魔がその場に崩れ落ちる。


「左から来るぞ!」


 死角となるサーラの左背後から別の猿型天魔が襲いかかろうとしていた。それを叫んで伝えると、サーラはひらりとその攻撃をかわして後退してくる。


「他のみんなは?」


「まだ戦ってるよ」


「勝手に来たのか?」


「ミリアさんにはちゃんと許可取ったから大丈夫」


 となりへやって来たサーラへ短く状況を確認する。どうやら部隊の仲間はまださっきの敵と戦っている最中のようだが、サーラだけが先行して援護に来てくれたらしい。ミリアさんの許可があるというのなら問題もないだろう。


 先ほどの戦いを見てサーラのことを侮れない相手と感じたのか、天魔たちは再び慎重な姿勢を見せている。増えたと言ってもこちらは三人。しかもひとりは非戦闘員だ。あちらにしてみればまだまだ余裕のある状況とみているのかもしれない。


 でもサーラが来てくれたおかげでこちらもずいぶん余裕ができた。少なくとも僕ひとりで天魔との戦いと護衛対象の保護を両立させるという難題は回避できたわけだ。


「サーラ」


「なあに?」


 サーラがいれば行商人の護衛を任せられる。そうすることで僕は天魔との戦いに専念できるし、ここで食い止め続けさえすればその間にサーラと行商人は味方のところへたどり着けるだろう。天魔をここで釘付けにするくらいなら僕ひとりでも十分可能だ。


「ここは僕に任せて、サーラは彼を連れて部隊まで戻るんだ」


「お兄ちゃん、そういう死亡フラグみたいなこと言うのはやめてよ」


 それを端的に伝えると、サーラはよくわからないことを口にして咎めるような表情を見せる。といっても本気で咎めている感じではなく、落胆に近いような表情だった。具体的に言うとテミスがサーラによく向けている表情だ。

 というか死亡フラグってなんだ?


「僕があの天魔たちにやられると思ってる?」


「そうは思ってないけど、……せっかく助けに来たのに」


「うん、ものすごく助かってるよ。サーラが来てくれたおかげで彼を安全に逃がせるんだからね。僕ひとりだと彼の安全は運任せになるところだったし、サーラ以外だったらひとりで護衛なんて任せられないよ」


「本当?」


「ああ本当だ。サーラだから安心して任せられるんだ。だから頼めるかな?」


「わかった、わたしに任せといて!」


 相変わらず僕の妹がチョロい。でも今はそれで助かった。このまま一緒に戦うというのも選択肢としてはありだけど、彼の安全を最優先に考えればできるだけ早く部隊に合流してもらった方が良い。


「ということでここからはサーラが護衛を引き継ぎます。この子と一緒に元の場所へ戻ってください」


「君はひとりで残るんですか?」


「先ほども言った通りです。サーラが護衛につくのでさっきよりもあなたの危険はかなり少なくなりますからご安心を」


「いや、君の方が問題だと言っているんですが」


「僕に関してはご心配無用です。あの程度の天魔なら何度か殲滅したことがありますから」


「……わかりました。戦いについては私も素人ですし、君の言うことを信じることにします」


 この異常事態にも少しは適応してきたのか、多少余裕が生まれたのだろう。行商人の青年は僕の身を案じてくれている。その表情からはこの場に僕ひとりを置いて行くことに対する罪悪感のようなものが感じられた。


 しかしそうは言っても他に有効な手立てがない以上、仕方がないことだと理解しているといったところだろうか。代わりにその口から出てくるのは商人らしい心配りの言葉だった。


「無事に前線都市まで帰れたら、ぜひお礼をさせてくださいね。入手の困難な触媒など、ご入り用ならツテを頼って探させてもらいます」


「わかりました。期待させてもらいます」


「私の名はラウフといいます。君は?」


「僕は天則式者のノアです。この子は妹のサーラ。こう見えて実力者ですのでご安心を」


「ええ、それは先ほどの戦いを見ていればわかります」


 あっという間に目の前で天魔を二体屠ったところだ。さすがによほどの阿呆でなければサーラの実力を疑う人間はいないだろう。


「ではラウフさん、後ほどお会いしましょう。サーラ、ラウフさんを頼むよ」


「任せて」


「うん、任せた」


 気負いのない返事を受け取ると、僕は最後にサーラの頭をひとなでして天魔たちの方へゆっくりと振り向く。


 背中越しにジリジリとふたりが後退っている気配がする。天魔たちが襲いかかってくれば、その瞬間に駆け出すつもりだろう。もちろん天魔たちにサーラとラウフさんの後を追わせるつもりはない。ふたりに向けられる視線をこちらに引きつけるため、僕はこれ見よがしに音を立てて一歩前へ出た。

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