第7話
そうこうして前線都市から出撃した僕らの部隊は、周囲を警戒しつつ物見から報告のあった地点へ向かって行った。普段陽気な仲間たちもさすがに今は口を噤んで静かに足を前に動かしている。物音に耳を澄ませながら、森の中を貫く獣道に沿って歩き進めたところでミリアさんが口を開いた。
「そろそろ予想会敵地点だ。注意しろよ」
先頭を歩いていたミリアさんがそう呼びかけてからすぐのことだった。突然森の木々を抜けて悲鳴が聞こえてきた。
「ひいいぃ!」
僕らの耳に届いたのは若い男の声だ。
「どこだ!?」
「左前方です!」
すぐさま声の出所を把握した仲間のひとりがミリアさんの問いに答える。
「行くぞ!」
迷いも見せず判断を下したミリアさんを先頭に、僕らの部隊は声のした方へと向かう。
「行商人か!」
すぐに声の主は見つかった。二頭の馬をひいた若い男がひとり。格好から推測するにどうやら行商人らしい。
問題はその周りを囲んでいる天魔たちだ。どうやら物見が発見した天魔の集団とたまたま行商人の青年が出くわしてしまったらしい。数は十体ほどと少ないが、戦う力を持たない行商人にとっては十分な脅威だろう。僕らの部隊がこの場にいなければ人知れず土へ還っていたことは間違いない。
だが少なくとも今この場には僕らがいる。少なくとも僕らの部隊は十体程度の天魔に後れをとる事はないし、もともと迎撃を目的にやって来ているのだから当然戦うための準備も万全だ。
「かかれ!」
ミリアさんの号令が合図となった。
戦士たちが吶喊し、天則式者が支援のためその後ろへ続く。相手の天魔もこちらを向くなり、襲いかかってきた。こちらを脅威とみなしたのだろう。
囲んでいた行商人から天魔たちの注意が逸れた。
「ノア、君は行商人の守りにつけ!」
「僕も戦闘に参加してさっさと片をつけた方が良いんじゃないですか?」
「鉄のヤツもいないし、あの程度ならノアがいなくてもどうとでもなる。それよりも民間人の保護が優先だ。他の集団が増援にやって来る可能性を考えろ」
「わかりました」
別に役立たず扱いされたわけじゃない。僕の実力を十分に評価してくれているミリアさんが護衛として的確だと判断したのだから、その期待に応えるのが僕の今やるべき事だ。
実際今回の敵には特別強そうな天魔もいないし、他の仲間たちだけでも犠牲を出さず勝てるだろう。戦えない行商人を守るために人員を割く必要があるなら、その人数を最小限にするため僕ひとりを当てるというのは悪い選択じゃない。
「大丈夫ですか?」
行商人のもとへと駆け寄って声をかける。
「あ、ありがとうございます! 助かりました!」
行商人にしておくのはもったいないくらい立派な体つきの青年が、怯えと喜びを混ぜ込んだ表情で答えた。
「どこか怪我は?」
「け、怪我はありません。でもこいつが怯えてしまって……」
長く青髪を後ろ縛りにした、どことなく頼りなさそうな面立ちの青年だ。その紅眼に不安げな感情を浮かべながら馬をなだめていた。
荷を背負ったままの馬が二頭。きっと彼の相棒なのだろう。一頭の方は落ち着かない様子を見せながらもまだ大人しいが、もう一頭の方がパニックを起こしているようで見るからに危なっかしい。
軍馬の訓練も受けていない馬が、人間と天魔の戦いに巻き込まれて冷静でいられるわけもないから当然と言えば当然だろう。むしろパニックに陥っていないもう一頭の方を褒めるべきだった。
「どうどう! 大丈夫だよデール、大丈夫だから落ち着いて!」
「危ないですよ!」
暴れる馬を落ち着かせようと行商人の青年が手を出そうとするが、いくら慣れた相棒でもパニック状態の馬に近付くのは危険すぎる。
「あっ!」
混乱しているせいで行商人が主人だと理解できないのか、手を伸ばした青年を振り切って馬があさっての方向へ駆け出してしまった。
「待って、デール!」
反射的に馬を追って行商人も走り出す。
「ちょっと!」
慌てたのは僕の方だ。護衛対象が馬を追ってひとりで行ってしまうなど、予想外のことだった。
残されたもう一頭の方も心配だけど、それよりも優先すべきは行商人の方だろう。
チラリと戦況を確認すれば、戦いそのものは味方優位に進んでいる。問題なく勝てそうだ。
「このまま大人しくしておいてくれよ」
意味が伝わるかどうかなんてわからないけど、残った馬にそう伝え残し、僕は行商人の後を追った。
結構な距離を馬は逃げたらしい。味方の姿も見えず、戦いの音も届かなくなるほどの距離を進んでようやく行商人に追いつくことができた。
「ほら、もう大丈夫だから。落ち着いて」
馬の方も戦場から離れたおかげで落ち着きを取り戻したらしく、大人しく行商人のとなりに立っている。
「突然走り出さないでください。心配しましたよ」
「す、すみません……。ついとっさに」
「まあ、無事で良かったです。ここも安全だとは限りませんので、仲間のところへ戻りましょう」
「え? でも戦場に戻るのは……。ここなら天魔もいないでしょうし、安全なんじゃあ……?」
「いえ、天魔の集団はあの一団だけじゃありません。僕らが確認しているだけでも四つの集団が前線都市に向けて近づいて来ているんです」
「ええっ!?」
主人の声に反応して馬が驚く。
「僕らがあの場所にいたのも天魔を迎撃するためです。他の天魔たちにも迎撃の部隊は向かっていますが、天魔の集団が確認された四つだけとも限りません」
「そ、そうだったんですね……。わかりました、怖いですけど残した馬のことも気になりますし。戻ります」
「ええ、そうしていただけると――」
行商人の青年が納得してくれて良かったと思ったその時、僕は周囲の異変を嗅ぎとる。このまま部隊に戻ってすんなり終わりというわけにはいかないようだ。
「どうしました?」
僕の言葉が不意に途切れた様子を見て行商人の青年が問いかけてくる。
「どうやら簡単には戻れないようです」
これだけ戦場から離れたにもかかわらず、異常な静けさが周囲に漂っている。さっきまで周辺で鳴いていたはずの小動物たちはどこへいったのか、その声が一切聞こえなくなっていた。
「え? それはどういう――!」
再び問いかけを口にした青年がその理由に気付いて言葉を失う。僕らの前に二十体ほどの天魔が姿を現したからだった。
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