第3話
「おっひるー、おっひるー、おっひるごはーん!」
妙なメロディーに乗せて僕の横でサーラが歌う。おそらく即興で作っただろう自作の曲なのに、不思議と完成度が高いように感じるのは気のせいだろうか。
あれから前線都市に戻ってきた僕らは犠牲になった仲間の弔いをすませると、偵察任務に戻った。十日間の任務を終えてようやく休暇が許されたので、今日は仲間のひとりであるテミスを連れてサーラと三人で前線都市の街中に出てきている。野営続きでろくな物が食べられなかったから、久しぶりにおいしい物を食べたくなるのは人として当然のことだ。
「ねえ、サーラ。恥ずかしいから歌いながら歩くのはやめてくれない?」
僕を挟んで反対側を歩くテミスがサーラへ控えめに文句をつける。
「えー、だって嬉しいと歌いたくなるでしょ?」
「それは貴方だけよ。普通の人間は往来で人目も気にせず歌ったりしないわ」
呆れの感情を含ませて、ややかすれ気味の声がサーラに向けられた。
僕とサーラがこの前線都市に来てから出会ったテミスという人間は、長い金髪と緑色の瞳、それに均整の取れたスタイルもあって黙っていればとても美しい少女だ。
だがそれは見た目だけの話。本人には何の責任もないことだが、口を開けば生まれつきの低音ハスキーボイスが見た目とのギャップを否が応にも際立たせてしまう。本人もそれは気にしているらしく、その声をからかった男どもはひとりの例外なく彼女の剣によって叩きのめされている。
「じゃあ何食べる? わたしあそこの焼きツナギがいいな!」
「『じゃあ』じゃないわよ。人の話を涼しい顔でスルーするのはやめなさい。ちなみに私はあっちのシチューが良いと思うわ」
小言を口にしながらもしっかりと食べたい物を主張するあたり、なんだかんだと良い性格をしている。
「だったら両方とも食べよ! テミスは好きなシチューが食べられるし、わたしは焼きツナギとシチュー両方食べられるからふたりとも勝ち組だね!」
「ねえノア。サーラは何を言ってるの?」
「気にしないで。僕も意味がわからない」
サーラが自由すぎるのはいつものことだから気にするだけ無駄だと思う。この子は昔からこうだったし。
どのみちサーラの食に対する執着は誰にも止められない。辺境の貧しい村で育ったくせにやたらと美食にこだわりがあるのは違和感しかないけど、今のところ人に迷惑をかけているわけじゃないし、時折僕が想像もしなかったような新しい料理を生み出してくれるから悪いことばかりじゃない。
「ね、ね。どっち先に食べる? お肉もシチューも両方おいしそうだよ!」
「そんなのどっちでも良いわよ。貴方が先に食べたい方で良いんじゃない?」
「うーん……、お肉も食べたいけどシチューも捨てがたいし……」
そんなに悩むようなことだろうか? 僕としてはよほどまずくない限り、お腹が膨れればどっちでも良いんだけど。
「いや、両方食べるんだから捨てがたいも何もないでしょ」
テミスも呆れ顔だ。いつものことだから、また始まったくらいに思っていそうだが。
「むぅ……。そうだ、コインで決めよう!」
腕を組んで悩んでいたサーラはポケットから一枚の硬貨を取り出すなり、何の迷いもなく指で空に向けて弾いた。
その瞬間、周囲を歩いていた人間がギョッとして距離を取った。人々は信じられないものを見るような目で宙に浮いた硬貨を一瞥した後、すぐさま目をそらす。
慌てて場を立ち去る者、サーラに非難の目を向ける者、何も見ていないとばかりに顔をそらす者。様々だ。
「ちょっとサーラ、何やってるの!」
テミスが大慌てでサーラの手をつかむ。
「何って、コイントスだけど」
「硬貨の裏表で決めるなら何も投げなくて良いじゃない! 板の上で回転させれば良いでしょ!」
「だって指で弾いた方が早いもん」
「そういう問題じゃないのよ!」
サーラの弁解にテミスは眉を吊り上げる。
テミスの言い分はもっともな話だ。硬貨を宙に弾くなど、世間一般的には許されない行為と考えられている。何も硬貨だけの話じゃない。それは『空』という存在が生き物にとって侵してはならない禁忌の領域だからだ。
昔から空は神の領域だと信じられている。
神は僕らに大地と海を分け与えてくれたがその一方で空を侵すことを禁じた。それは人間だけじゃない。魚も獣もすべて陸上や水中を生息域とするものばかりで、空を飛ぶものはこの世に存在しない。瞬間的に地面から足を離して跳ねることくらいなら禁忌を犯したことにはならないとされているが、それも意図的に繰り返すと周囲から白い目を向けられる。
飲み水ひとつとってもその考えは影響を及ぼしている。川や湖の水を汲んで使うことは問題ないとされるが、雨水を直接口に入れることは忌諱されるからだ。よほどの緊急事態でもなければ雨はいったん器に溜めてから使うというのが常識だった。
それをどこまで厳格に守るかは人によって違う。一切の妥協を許さずそれを他人にも強いる人間がいる一方で、他人の目がなければそこまで気にしないというマナーの延長上で考えている人間もいる。
僕個人としては後者に近いだろう。そこまで目くじらを立てる程のことでもないと思っている。とはいえ、表立って禁忌を犯すつもりはないけど。
ただ、僕の目から見てもサーラは無頓着すぎる。いくらなんでもこんな衆人環視の中で禁忌を犯すとか、普通はあり得ない話だ。テミスが怒るのも当然だった。
「そんなに怒るとせっかくの美人さんが台無しだよ、テミス」
「なっ……! は、話をそらさないで!」
さらりと褒められたテミスが顔を赤くする。
テミスがいくらサーラを責めたところで結局あしらわれるのが目に見えている。サーラの方は無意識でやっているみたいだけど……。
ひと言で表現するならかみ合わないといったところだろうか。
テミスのサーラに対する小言はうやむやになって終わることが多い。真っ直ぐな性格のテミスにはサーラの相手が向いてないのだろう。
「だめだよサーラ。そりゃあ僕だって禁忌だからと頭ごなしに言うつもりはないよ。でもサーラの行動ひとつで他の人に迷惑をかけることだってあるんだ。僕はまあ家族みたいなものだからいいけど、テミスをそれに巻き込むのは良くない」
「うー、……わかった。お兄ちゃんがそう言うなら……」
いろいろと破天荒な面を持つ妹ではあるが、だからといってまわりの人間に迷惑をかけてまでわがままを押し通すような性格じゃない。こうして諭してやれば聞く耳は持っている。じゃなきゃ僕だってとっくの昔に距離を取っていただろう。
「ごめんね、テミス」
「……わかってくれれば良いのよ」
サーラはテミスに頭を下げて謝ると、次の瞬間には先ほどのことなどなかったかのように振る舞い出す。
「じゃ、どっち先に食べようか?」
「はぁ……。もう貴方の好きな焼きツナギからで良いわよ。ノアもそれで良いわよね?」
ため息をつくテミスの顔からは『問題を起こされるくらいならさっさと好きな物を食べさせて大人しくしてもらった方がマシ』という考えが読み取れる。
「ああ、構わないよ」
テミスにこれ以上迷惑をかけたくもないし、どっちみち焼きツナギだろうがシチューだろうが僕としては腹が膨れれば良いんだから。
「やったー! お肉お肉!」
跳ねるような声と共に喜び勇んで露店へ突進していくサーラを見た後、僕とテミスは顔を見あわせて互いに苦笑した。
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