第105話 COVID-19の流行
私が休職中に、厄介な感染症が流行し始めた。年末頃に中国で流行し始めたウイルス性肺炎。急激な経過を取り命を奪っていく疾患だ。科学としての医学の進歩を感じるのは、病気が発見されて、数週間のうちにウイルスが同定されたことだ。「コロナウイルス」が病原体とのこと。
私が医学生の時はウイルス学の授業で「風邪症候群」を来すウイルスの仲間として、ライノウイルスやRSウイルスと同時に習った程度である。私の医学生時代には、致死的な人間のコロナウイルス感染症は知られていなかった。
コロナウイルスの扱いが変わったのは、確か私が医学生の頃だったか、初期研修医になろうとする時期だったか、もう記憶は定かではないが、中国南部で原因不明の重症ウイルス肺炎の流行が報道され始めた。この時も、病気が流行を始めて間もなく、(確か1週間ほどで)原因がコロナウイルスであることが同定された。それまでに報告されたことがなかったこのウイルスはSARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)ウイルスと命名された。世界的な流行が懸念され、隣国である日本へのウイルス侵入が強く懸念されたが、無症候性感染がなく、ウイルスの排出が発症と同時期から始まることから、感染のコントロールが容易であり、SARSウイルスの流行はコントロールされた(とはいえ、数年は注意していた。初期研修医時代に、上海から帰国後1週間の50代男性が肺炎で入院されたときは、起因病原体が同定されるまでは、個室管理で、診察時はN95マスクを着けていた(結局その患者さんは、肺炎球菌肺炎と診断がつき、治癒し、元気で帰宅された)。
その後、中東でラクダと人間に感染し、死亡率の高いウイルス性肺炎を引き起こすMERSウイルスが同定され、これもコロナウイルスであった。一時、韓国でMERSの流行があり、この時も、日本へのウイルス侵入が懸念されたが、ラッキーなことに日本でのMERSの流行は見られなかった。
しかし、この新しいコロナウイルスは、SARSウイルス、MERSウイルスとも異なっていた。研究が進むにつれ、ウイルスの性質、疾患の特徴が徐々に明らかになり、
「これは非常に厄介だ。まるで生物兵器の様だ」
と町医者の私でも頭が抱えるほどだった。「生物兵器説」も当時は流行しており、それが正しいのでは、と思うほどだった。
というのは、SARSウイルスは感染が成立すればほぼ100%発症し、ウイルスの排出も発症後から、ということが分かっているので、発症した患者さんを隔離治療すれば感染の拡大は防げるのである。しかし、この新しいコロナウイルス(のちにウイルス名はSARS-CoV-2、そのウイルスで発症する疾患はCOVID-19と名付けられた)は、感染しても、無症候性感染で終わる場合、いわゆる風邪症候群(鼻汁、咳嗽、咽頭痛、軽度の発熱など)で治癒する方も多く、重症化し、致死的な経過をとる方は一部であること、また、発症前からウイルスを排出するので、有効な対策が取れないのである。尾身 茂氏はSARSの流行時でWHOの中心となって感染コントロールに活躍された方であるが、氏の発言で今も心に残っていることがある。
「人類が、治療薬もワクチンもない致死的な感染症と闘うときには、19世紀の医療に戻らざるを得ない。それはいわゆる『隔離』である」
と仰られていたが、COVID-19はこの「隔離」が困難、あるいは意味をなさないのである(無症候性感染のため、本気での隔離、とするには完全にロックダウンをし、すべての社会活動を停止させなければならないが、現実としてそれは不可能である)。
その後のCOVID-19の流行、それに伴う問題はみなさんご存じのとおりである。
私が診療所に復職後は、まずCOVID-19を疑う患者さんをどう対応するか、ということが大きな問題だった。幸いなことに、当時の診療所は、上野先生が作られた「旧館」と日常診療で使っている「新館」があり、疑い患者さんを旧館で診察することで完全に動線を分けることができた。これは診療所にとっては極めてラッキーなことであった。
復職後は、不織布マスクの不足など、物品不足には悩まされたが、地域の保健所と連携を取り、疑い患者さんは旧館に案内し、必要があればPCR検体を採取することができた。検体は保健所に連絡し取りに来てもらい、結果はご本人と診療所に報告されていた。なので、我々は、積極的ではないにしろ、COVID-19疑い患者さんを診察、検査することが当初からできていた。もちろん、新規感染症であっても、困っている患者さんをできる限り診察していこうとする姿勢は、上野先生、そして後を継がれた源先生の思いが形になったものであり、私も診療所の医師として、適切に、積極的に、流行の初期からCOVID-19に対しても診療を行なっていた。
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