第104話 家族を食べさせていくこと
そんなわけで、復職後1ヶ月は隔日で勤務をした。週3回、午前診、午後診の診察をしたので、週に6コマ、月で26コマくらいであった。診療所からその条件で支払う給料を提示されたが、結局その金額なら、税金を引かれると、給料はマイナスになってしまった。仕事をして、診療所にもお金を払う。まるで大学院生のようだ。
大学院生なら、学ぶところもあるのだろうし、学位もくれるだろう。もちろん診察の勘を取り戻す、という点では学んでいるのだが、働いて、しかも税金の不足分とはいえ、働いているのにお金を診療所に支払う、というのは厳しいなぁ、と感じたのは確かである。
翌月からは産業医のアドバイスを受けながら、週に1日、通院のための休日を確保してもらい、それ以外の曜日については、午前診、午後診、夜診を行なうようになった。週に5日、土曜日の夜診は源先生が継続されているので、週に14コマ、一か月で62コマ外来を担当するようになった。その状態で、給料の手取りは20万円弱であった。医師の転職サイトなどで検索すると一コマ3万円(時給約1万円)程度のpayが標準であった。そう考えると、常勤であるとはいえ、ずいぶん安いもの(20万÷60コマ=約3000円、一コマ3時間程度なので、時給は約1000円くらいか?)である。
「給料については前年の医師給与総額を、診察した患者さんの数で按分して算出しました」
との理事長との弁。確かに、源先生の方が私よりたくさんの患者さんを診ていた(質についてはあえて言わない)のは確かであり、診療所への金額的貢献割合より多めに給料をもらっていたことに申し訳なさは感じていた。
もちろん、非常勤医師の場合は診察一コマ当たりいくら、という形で給与を算定するのが一般的なので、提示された給料は上記の通り、常勤医であることを考慮しても理不尽に安価な給料だと思った。しかし、提示された給料の算出基準がそうである、ということについては理解した。
お金には反映されない、不適切な治療をされた患者さんが私の外来に来られた時などに診療所も守るために頑張ったサポートや、患者さんの急変時の対応、非常に紛糾した理事会の中で、就業規則に記載してある「健康の会事務局手当」も支払われないまま、「健康の会」の事務局を引き受け、1年半以上尽力したこと、1年半近く、理不尽な医師当直兼事務当直として、何の手当も付けられることはなく、人件費の削減に貢献していた(安く便利に使われていた)ことなどは全く考慮していないこともよく理解した。
私も、私の妻もいわゆる「貧乏人の子供」なのだが、私が自分のお金についてはどんぶり勘定なのに対して、妻は、きっちり予算を立てて予算通りに執行することを喜びとする、お金については非常にきっちりした性格である。
なので、私が研修医のころから、生活費については一定の金額を設定し、その予算内でやりくりをし、貯金を作ってくれていた。もちろん、現時点でも予算を立てて、生活を組み立ててくれているのだが、残念ながら、この給料では現在の生活費に到底満たない。
つまり、ここでいくら働いても、生活を維持できないということである。診療所には義理があり、源先生に強い恨みがあるわけではないが、家族を養っていけないとなれば、そこにいつまでもいるわけにはいかない。
子供のころから家族全員がお世話になり、私自身が子供のころからあこがれていた場所であった診療所。この場所を守るため、自分の力の範囲でかなり理不尽な要求にも応えてきたつもりであるが、非常に残念で寂しいけれども、このような待遇で仕事を続けることはできないと思った。
私は家族を養うために働いて収入を得なければいけない。なので極めて残念であり、無念でもあるが退職することを決意した。
上野先生には医学生の6年間、本当に助けていただいた。上野先生と妻のおかげで私は医師になることができ、今の生活を築くことができているのである。そのご恩を忘れたことはない。
しかし、その一方で、義務年度を務めあげれば、貸与されていた学費、あるいは返還すべき学費が無料になる自治医科大学や防衛医科大学校がある。あるいは某医療法人の奨学金についても、その義務年度は、貸与期間の1.5倍、すなわち6年間学んで、9年間所定の義務を果たせば返済義務はなくなるのである。それを考えると、診療所に来てから10年になろうとする私は、世間の基準に照らせば、上野先生へのご恩をお返ししたことにはなるだろうと思った。
上野先生のお世話になりながら、先生がおられなくなるとすぐに去っていった数名のスタッフとは違って、上野先生がいなくなっても、私は私の心がつぶれるまで、診療所に尽くした。電子カルテ導入の際も、最も手がかからなかったのは私である。事務当直と医師当直を同時にこなせたのも私だけである。源先生や北村先生の判断ミスなどを懸命に修正し、時には強力に介入して患者さんの命を守ったのも私である。診察した患者さんの数は源先生より少なかったかもしれないが、私は誠意をもって全力で頑張った。
上野先生には大変申し訳ないけど、私は家族を守るために診療所を離れることを決意した。
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