第98話 消防車での救急搬送
まだ、上野先生がお元気だったころ、上野先生の訪問診療中の患者さんだったOさんご主人。末期腎不全の状態だったが、ご本人は人工透析を断固拒否。年齢的にも適応ではなかった。腎機能がほぼ廃絶に近い状態だったので、うっ血性心不全もすぐ起こすような状態であった。
最初に主治医を担当したのはいつだっただろうか?深夜帯、ご自宅から奥様が、
「息苦しくてゼーゼーしています」
と連絡があり、当直医だった私が
「すぐに救急車を呼んで、こちらに来てください」
とお願いした。しばらくしたら電話があるだろう、と救急隊からの搬送連絡を待ったが、普通なら15分かからずに搬送依頼の連絡が来るのだが、全く音沙汰がなかった。
「もしかして、CPA(心肺停止)で他院に搬送されたのか?」
と心配になってきたころ、消防隊から連絡が届いた。
「市内の救急車がすべて出払っていて、患者さんのところに行けなかったんです。遅くなってすみません。今からそちらに搬送していいですか?」
「お待ちしていました。搬送を待っています」
と電話で伝え、搬送を待つことにした。
それから10分ほどだったか、救急車とは異なるサイレンの音がしてきた。
「近くで火事か、何か事件があったのかなぁ?」
と思っていると、サイレンの音が消えた。現場は診療所のすぐ近くである。
「なんだ?なんだ?火事でも起きたのか?」
と、待機していた救急搬送口から外をのぞくと、1台の小さな消防車がこちらに走ってきていた。助手席には、明らかに消防隊とは違うおじいさんが。
「すいません。救急車が出払っていて、消防車で搬送しました」
と消防隊より報告が。助手席に乗っていたのは、Oさんだった。
「ありがとうございます。お疲れさまでした」
と伝え、救急搬送者用ベッドにOさんを移す。医師の仕事を20年近くしているが、消防車で搬送された救急患者さんはこの方だけだった。よほどその瞬間、市の救急隊は忙しかったのだろう。
来院されたOさんの胸部レントゲンを撮影する。立位は困難なので車イス坐位で胸部レントゲンを撮影したが、坐位で撮影したことを考慮しても、明らかな心拡大と、両肺野の透過性低下を認めた。両下腿浮腫は著明、坐位で頚静脈は下顎角を越えて怒張し、呼吸性変動を認めなかった。少なくとも、うっ血性心不全の原因の一つは、volume overloadだった。
ただ、外来処方薬で利尿薬は処方されていたが、末期腎不全のため、十分な尿量は得られていないようだった。上野先生の患者さんであり、私を主治医として入院指示を書いた。
腎臓では、糸球体と呼ばれるフィルターで、血液の老廃物を濾し出し(原尿)、原尿は、糸球体から近医尿細管→ヘンレのループ→遠位尿細管→集合管→腎盂へと流れていく。正常な腎臓なら、原尿のうち、99%はこの経路で再吸収され、残りの1%が尿として排泄される。
今は、尿量を増やす利尿薬は大きく分けて、ヘンレのループに効くもの(ループ利尿薬)、遠位尿細管に効くもの(サイアザイド系利尿薬、K保持性利尿薬)、集合管に効くもの(水利尿薬)に分けられるが、当時は集合管に効く利尿薬は存在しなかった。その当時(今も?)、最も効果の強いものはループ利尿薬であり、うっ血に対しても、まずループ利尿薬で過剰な水分を排出する、という対応をする。なので、ループ利尿薬であるラシックス(フロセミド)を臨床最大容量の200㎎/日で投与。ベースとなる輸液は、生理食塩水のNa 154mEq/Lもつらいし、Naの少ない3号液では K 20mEq/LとKがたくさん入っているので、これも末期腎不全の方には使いにくい。本来であれば5%ブドウ糖液に入れたいのだが、5%ブドウ糖液500mlの点滴液が当院にはなかったので、やむなく1号液500mlにフロセミド20mg 10Aを混注(大きな病院なら、100mg/Aの大きな注射液があるのだが)。
そして、遠位尿細管の再吸収をblockするためにフルイトラン 0.5Tを投与。低カリウム血症予防と、心不全で活性化しているレニン―アンギオテンシン―アルドステロン系をblockするためにスピロノラクトンの内服も開始してもらった。
そこまでがっつりと利尿薬を使うと、結構尿が出始め、四肢の浮腫、胸水貯留も改善してきた。Oさんも「息が楽になってきた」とのことだった。
Oさんは、入院治療も嫌がっていたので、上野先生と相談。ある程度水が引け、うっ血の症状が無くなった時点で、自宅退院を調整。軽快退院とした。
その後はまた上野先生の訪問診療で経過を見ていたが、超高齢の方で、心臓も腎臓も悪い、となればなかなか予後は厳しい。自宅では厳しい塩分制限や水分制限も難しい。数か月後に、また状態が悪くなり、上野先生から
「Oさん、また浮腫がひどいから、保谷先生、入院で診てもらえますか」
とのお話があった。
「はい、先生。ご家族の都合が合えば、入院はいつでも大丈夫ですよ」
とお答えした。
ケアマネージャーさんなどと調整し、その2日後、Oさんは、あまりご本人の気乗りしないまま再入院となった。
治療は同様に利尿剤で対応。ご本人は薄味の減塩食に食傷気味だったが、これについてはいかんともしがたい。今回も何とかしっかり利尿がつき、浮腫も軽減してきた。
そろそろ退院調整かな、と思っていたある日、こまめに面会に来ていた奥さんが体調不良を訴えた。
お昼過ぎに診療所にお見えになられた奥さんを見かけ、私が
「こんにちは。いつも暑い中、大変ですね。ありがとうございます」
と声をかけると、奥さんが
「先生、ちょっと相談していいですか?私、30分ほど前から、なぜか右手の力が入りにくくなっていて・・・・」
とのこと。これは一大事である。病棟のロビーの椅子に座っていただき、診察を行なう。両手の握力を確認するが、明らかに右が弱い。
「奥さん、利き手は右ですよね?」
「はい、そうです」
との返事。上肢Barre兆候を診ると、明らかに右上肢が落ちてくる。明らかな右麻痺である。
「奥さん、確かに右の力が入っていないようです。今からカルテを出してくるから、僕が機械を動かして頭の写真を撮りましょう」
と伝え、急いで外来に降り、CTの機械を立ち上げた。奥さんのカルテを事務スタッフに出してもらい、時間外対応の印を押してもらい、主訴と身体所見を記入する。CTの指示箋を作成し、CT室に持っていく。機械のウォームアップが終わると、奥さんに下りてきていただき、頭部CTを撮影した。画像には、小さなものだが、左に被殻出血を認めた。
「奥さん、小さいけど、脳出血を起こしてます。脳神経外科の病院に救急で受診してもらいますね」と伝えた。
本当はご家族にも来ていただきたいのだが、ご家族である息子さんは中国地方にお住まいらしい。奥さんは脳出血発症後も血圧の上昇は目立たず、意識も清明、抗凝固療法も受けておられない。出血悪化のリスクは低く、意識も清明であり、状況を考えても奥さん一人で受診してもらわざるを得ない。
そんなわけで、転院先をすぐに調整、Oさんのケアマネージャーさん(当院の職員)にも状況を伝え、大急ぎで紹介状を作成し、救急車でS病院に搬送した。幸いなことに、その後症状の悪化はなく、右上下肢の不全麻痺もほぼ目立たなくなり、1週間ほどで退院された。その後少し時間をおいて、Oさんの退院調整を行い、再度自宅に退院とした。
その後も、しばらくはご自宅で生活していたOさんだが、いよいよ身体が持たなくなり、3回目の入院となった。3回目の入院では、利尿剤ももうあまり効かなくなっていた。Oさんは
「病院では死にたくない」
と強く希望していた。しかし、奥さんも病み上がりで、自宅での療養は困難だった。どうしたものかと悩んでいた。
息子さんは遠方だったが、
「父の最期は私が看ます」
とおっしゃってくださった。中国地方への大移動となるが、息子さんにお願いし、ご自宅近くの往診を行なっているクリニックをこちらに知らせてもらい、こちらからそのクリニックに電話で連絡し、状況を説明した。そのクリニックで往診していただけるよう態勢を整え、紹介状も作成した。そして息子さんのお迎えで退院され、自家用車で息子さんのご自宅に奥さんともども引き取られていった。
Oさんが退院してから2週間ほどたったある日、そのクリニックから返信が届いた。Oさんは、息子さん宅で1週間ほど過ごされ、静かに旅立たれた、とのことであった。
それから時がたち、上野先生も旅立たれた数年後、中国地方の病院からの紹介状を持って、Oさんの奥さんが私の外来にお見えになられた。その間、何があったのかは不明だが、奥さんは元の街に戻ってこられたようだった。
その後、2年ほど私の外来に通われた。経過中、小脳出血を起こされ、今度はそれなりの後遺症を残されたが、それでも診療所に通っていただいた。何があったのかはよくわからないが、奥さんがこちらに戻ってこられたことには、大変驚いた。
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