第93話 高齢の方の孤独

 Cさんは、古くからのかかりつけの患者さん。ずっと上野先生にかかっておられたが、上野先生がおられなくなり、私の外来に来られるようになった。私の外来に初めて来られた時には、もう90代の女性だったが、かくしゃくとしておられ、見た目には80代前半の方だった。


 「初めまして、保谷です。ずっと上野先生に診てもらっていたのですね。これからよろしくお願いします」

 と挨拶をして、いつもの通り、

 「最近、体調はいかがですか?」

 とopen questionから診察を始める。


 Cさんはいつも

 「動物って、文字通り、動くものでしょ。人間も動物だから、『動かないと』と思って、散歩をしたりしています」

 とおっしゃっておられた。

 「おっしゃる通りです。Cさんの年齢で、元気でお散歩できる、というのはそれだけで、健康の視点で見ると『優等生』ですよ」

 とお伝えしていた。診察が終わるときにいつも、

 「先生、生活で何か気を付けることがありますか?」

 と聞いてこられた。かくしゃくとした90代の方に、不健康な40代の私が何か注意することがあろうか。

 「いえ、Cさんは健康的な生活をされていたので、この年齢までお元気で来られているのです。特別なことは不要です。これまで通りの生活を続けてください」

 とお伝えして、診察を終えるのが常だった。


 Cさんが私の外来に初めて来られた時、血圧が180台と高かった。自宅での血圧測定をお願いしたが、自宅でも180台で推移されていたので、少量の降圧剤を開始し、血圧は140台で安定した。Cさんの年齢を考えると、それで十分だと考えた。


 何度目かの診察の時に、Cさんは娘さんと一緒に受診された。娘さんは厳しそうな表情をしておられた。上野先生から主治医が私に変わったので、私を値踏みに来られたのだろうか?


 Cさんとはいつものようにお話しし、いつものように身体診察を行なった。そして、一緒に来られた娘さんに

 「初めまして。内科の保谷と申します。今日は娘さんも一緒にお見えですが、何かご心配なことがあるのですか?」

 「いえ、今、母の身体はどんな状態なのか、教えていただきたくて一緒に来ました」

 とのこと。前回の受診時に、

 「次回、血液検査をしましょう」

 と本人にお伝えしていたので、

 「今日は血液検査を予定していたので、血液の確認をさせてもらいます。結果は次回にご説明する予定です。お身体の状態がご心配、とのことなので、今日は胸のレントゲンを確認し、後ほどご説明します。Cさんは90代ですが、非常にお元気で、ご家族から見ると、これが当たり前、というように感じられると思います。しかし、ご高齢の方は85歳くらいでほぼ半分の方が亡くなられます。90歳くらいだと、生きておられるのは同世代の2割弱、95歳だと1割にも満たないです。生きている方がそれだけ、ということで、その中には寝たきりの方やひどい認知症の方もたくさん含まれていて、それも併せてその数字だ、ということをご理解ください。

 なので、Cさんのように、認知機能も日常生活に問題ないレベルで、ご自身で身の回りのことができる、ということは、同世代の方で比較すると、たぶん東大や京大に入学できるより低い割合だと思います。Cさんは神様から選ばれた人です」

 と、説明した。レントゲンを確認したが、特に心拡大はなく、肺野にも異常所見を認めなかった。胸部写真の結果を、ご本人、娘さんに説明。


 「胸部レントゲンも、心臓の拡大もなく、異常な影もないように思います。今、日本人で一番多い死因は「がん」ですが、90歳を超えると、仮にがんが見つかっても、手術をしたりするとかえって身体が弱ります。抗がん剤は基本的には「毒」なので、抗がん剤治療をすると身体が持ちません。なので、もしがんが見つかっても、「何もしない」ということが高齢の方では一番寿命が長くなります。見つけても何もしない、ということであれば、しんどい思いをして胃カメラなどの検査をする必要もありません。今日のように半年に一度程度、血液の検査を確認する、という形で経過を見ていき、何か症状があれば、それに対して対応していきます。

 心疾患や脳血管障害は何の前触れもなく発症します。高齢であればあるほどそのリスクは高くなりますが、これについても、90代の方であれば、取り立てて何かをしたから、そのリスクが下がる、ということはありません。どちらも今の時点で最大のリスクは『高齢である』ということです。なので、今の生活を続けていただくことが大切なことだと思います」

 と説明した。娘さんも説明には納得されたようで、

 「よく分かりました。これからもお願いします」

 と言って、帰っていかれた。


 その後も、Cさんは毎月受診してくださった。いつものように診察して、いつものようにお話を伺った。Cさんは時に、

 「年を取って寂しいのは、仲の良かった人たちがどんどん亡くなっていって、私だけが取り残されたように感じていることです。デイサービスに行っても、自分より若い人がほとんどで、それなのに私と同じくらい元気な人は少なく、それも寂しいです。時には、自分の子供のような年代の知り合いが先に旅立つことがあり、それはとても辛いです」

 と仰られた。お気持ちはよく分かる。ものすごく重い言葉だと思った。若造である私には、Cさんにかける言葉がなかった。


 「Cさん、それはとても寂しいですね。お釈迦様は「生老病死」を、人間が逃れることができない4つの苦しみ、と説かれていますが、Cさんがお感じのことも、お釈迦様がおっしゃられた通りのことなのでしょうね」

 とお答えしていた。

 「生きること、歳をとっていくこと、病を得ること、死を迎えることの苦しみ」に直面している人に応えるためには、私は仏教徒なので、仏法のお力を借りざるを得ない。そんなことで、Cさんの言葉を聞くことも、大切な診療行為であった。


 その後も通院を続けてくださったが、やはり年とともに徐々に気力が衰えていくのだろうか。Cさんは、

 「最近は、何となく気力が落ちてきたように思います。前にもお話ししたように『動物やから動かなあかん』と思ってるんですけど、なんか動くのもおっくうになってきました」

 と仰られるようになってきた。

 「Cさん、動ける範囲で動けばいいのですよ」

 とお伝えした。デイサービスも利用されており、運動量はそれなりに維持できているのだろう。気落ちしているのは少し老年期の抑うつがあるからだろうか。しかし、投薬するほどのものではないだろうと考え、お話を傾聴することにした。


 そんなわけで、Cさんは、私が退職するまで、私の外来にお元気で通ってくださった。私が退職するときには、もう90代後半。気力、体力の減退は感じておられたが、それでもお元気で過ごされていた。いつも診察の終わりには、

 「先生、生活の上で何か気を付けることはありますか?」

 と聞かれていた。


 「Cさん、この年までお元気でお過ごしなのは、普段の生活が適切なことの証明です。これまで通りの生活を続けてくだされば、それで十分だと思います」

 と、いつもと同じようにお答えしたことを覚えている。

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