第91話 出たとこ勝負

 上野先生の訪問診療を受けていた患者さんのひとりに、Yさんがおられた。小脳出血+心肺停止蘇生後低酸素脳症の方だったように記憶しているが、上野先生からしっかりと引継ぎを受けていないのでよく分からない。カルテも非常に分厚くて、4冊近くに分冊されていた記憶がある。カルテ内容を確認するのも大変で、一度通読しただけなので、記憶があやふやである。


 上野先生が診ておられたころは、しばしば発熱し、当直帯に自転車を飛ばして診察に行ったことが何度かあった。血管の細い方で、看護師さんは採血に苦労していた。点滴路の確保などはさらに困難だった。胃瘻を造設されておられたので、私の緊急往診時は内服薬の抗生剤を処方していたが、処方するたびに下痢をする、とご家族が困っておられた。


 Yさんは60代だったように記憶しているが、遷延性の意識障害があり、気管切開、人工呼吸器管理、胃瘻造設をされていた。非常に重介護の方であり、大柄な方でもあったが、奥様のケアが行き届いているのだろう、褥瘡を生じたことは亡くなられるまで一度もなかった。


 上野先生がご病気になられ、私が訪問診療に伺うようになった。引継ぎがほとんどなされていない、とは言っても、実際問題として、現状のYさんに新たに何かを行なうことはほとんどない。


 主介護者の奥様に、前回の訪問診療からの様子、変わったことなどがないかを確認し、バイタルサインを確認。気切カニューレを交換し、時には胃瘻を交換、必要な薬を処方する、ということを行なっていた(どの訪問診療でも、大体こんな感じのことをしている)。


 上野先生が診ておられたころは、結構な頻度で発熱されていた。Yさんのお宅は細く入り組んだ道のあるエリアの中にあり(ということは、古くからの歴史ある家、ということ)、車で行くには大変ストレスのかかるお宅なので、Sさんのお宅からの緊急往診依頼の時は、前述のように自転車で向かうようにしていた。かつては「発熱した」との呼び出しがしばしばあり、私もよく自転車を飛ばしていたが、どういうわけか、私が担当医になった途端、発熱しなくなった。訪問診療に付き添ってくださる看護師さんからは、

 「上野先生の時は、気切カニューレ交換の時は、血まみれになって交換していたけど、保谷先生はほとんど出血もなくスムーズに交換されるから、そういったものも影響しているのではないですか?」

 と言っていただいた。


 担当医が私に代わって半年以上たったころだろうか、Yさんの四肢、体幹に原因のよく分からない膿疱が出現するようになった。スキンケアはきちんとされており、皮疹は四肢、体幹に分布しているので、感染性のものではなさそうだった。皮膚科の教科書を見たが、膿疱性乾癬とも違うし、アトラスを見ても、膿疱性疾患として、皮疹の形態が似ているものはなかった。小児の診療もしていたので、伝染性膿痂疹も外来でよく診ていたが、それとも違う印象であった。膿疱の培養結果も陰性で、有意な起因菌は同定できなかった。


 皮膚科専門医に診てもらおうと思ったのだが、病院受診となると、人工呼吸器、酸素ボンベ、吸引機などをもって、ストレッチャー型の介護タクシーで受診していただかないといけない。紹介元であるA病院の皮膚科に診療情報を書いて、受診していただこうと思ったのだが、受診を提案すると奥様から

 「受診しようとすると、手間がかかって大変です。先生のできる範囲でいいので診ていただいて、他院への紹介は不要です」

 とのこと。なので、想定される疾患の中で一番予後の不良な膿疱性乾癬に準じて治療を開始、ステロイドの外用薬、および内服薬で治療を開始し、徐々にステロイドは減量していった。経過とともに、なんとなく皮疹は落ち着き、枯れてきたような感じになった。そんなこんなで、1年半ほど経過したであろうか、Yさんの血圧が徐々に低下してきた。

 経管栄養も、抗生剤を入れなくても下痢をするようになってきており、印象としては、お身体の限界が近づいてきたように感じた。年末に『血圧が低い』と緊急で往診依頼があり、夜診終了後に自転車を飛ばしてYさん宅に訪問した。血圧は80台と、直近数回の訪問診療時と比べて極端に低いわけではなかった。ただし、お身体としてはおそらく限界に近いのだろうと思い、奥様と、息子さんに別室で病状の説明を行なった。


 私が話し始めると、息子さんは黙ってご自身のスマホを取り出し、私の説明を録音し始めた。その行動は、少し私を不快にさせた。

 「会話を録音させてもらっていいですか?」

 と一言でもあれば

 「もちろん結構ですよ」

 というのに、黙って録音というのはいかがなものか?こちらも人間なので、伝えようとする内容は同じでも、場面によって表現が違ったりして、一語一語、全く同じようにしゃべるのは不可能である。なので、録音されて、

 「前回と今回とで言った内容が違う!」

と責められるのが一番困るのである。もちろん、診療所に帰った後で、話した内容をカルテに記載するのだが、それも、この場で話していることを一言一句違わず記載することはできない。法的闘争になるような医療を提供しているつもりはないのだが、どうしてもその心配をしてしまう。

 「会話を録音してもいいですか?」

 と聞いてもらえないほど、私は信用されていないのかなぁ、と悲しくなったが、それはそれとしてスマホ録音のことには触れず、考えられる病状について説明、生命予後については厳しく、予後の推定はできないが、亡くなられた後のことを考えて、様々な手続きなどは進め始めた方がよい、とお伝えした(旧家で大きな家にお住まいなので、遺産分与などは手間がかかると思ったので)。


 翌年も血圧は低値、経管栄養も下痢をして十分吸収できないのだろう、おそらく血中のアルブミン濃度低下に伴う浮腫も進行してきた。それでもYさんは頑張っておられた。年末を迎え、

 「厳しい予後宣告をしてから、それでも1年間命を保ち続けられたなぁ」

 とその生命力に驚いた。その次の年であったか、梅雨のころのように記憶しているが、いよいよ血圧も低くなり、尿も出なくなってきた。全身の浮腫は増強し、末梢のcyanosisも見られるようになった。胃瘻からの注入量も減らし、薬も厳選して、key drugであっても長期予後の改善を期待して処方されていた薬は中止した。私が

 「もう生命予後は厳しいです」

とお話ししてから1年半近く、Yさんは命をつなぎ、そして旅立たれた。


 上野先生が訪問診療を始めてから、7年以上たっていたか、本当にYさんご本人も、ケアをされた奥さまやご家族の方もよく頑張られたと思う。


 訪問診療で、しかも採血も難しい方なので、すべての対応は病態生理について、少ない情報で組み立てた根拠の低い想定の下で治療を行なう、という、全くの出たとこ勝負であったが、私が管理している間に発熱は一度もなかった、というのは、少し誇ってもよいのかもしれない。



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