第86話 何でも「廃用症候群」で片づけるな! 

 私は総合内科医であり、脳神経内科を専門としているわけではないが、脳神経内科を苦手としているわけでもない。高齢の方は、どうしても加齢による筋力が起きるので「廃用症候群」としてその後の精査が行われていないことが多いのだが、よく見れば、神経変性疾患だよ!ということにもしばしば遭遇する。


 神経変性疾患として、最も出会う頻度が高いのはParkinson病、いやParkinson症候群だと思う。外来で数年来継続で診察している患者さんが、ふとある時、膝の上に置いてある手に目をやると、pill-rolling tremorがあることに気づく。

 「最近、字が書きにくくなってきたり、歩こうとするときに最初の一歩が出にくくはないですか?」

と尋ねると、

 「先生、そうなんです」

 と言われることが多い。身体診察でcog-wheel rigidityを確認し、やはりParkinson病ではないかと考えると、脳神経内科に紹介状を書くようにしていた。


 私が医学生のころは、Parkinson病は病歴と身体診察で診断をつける病気であったが、いつのころからか、不思議なことに心臓のシンチグラフィーで診断がつくようになった。脳で起こっている病気なのに、である。疾患の考え方も医学生のころとは変わっていて、

 「黒質が原因不明の理由で萎縮し起きる病気で、認知機能の低下を伴うことはない」

 とされていたが、今では

 「α-シヌクレインが凝集したLewy小体が蓄積して起きる病気で、認知機能の低下を伴う」

 というように疾患概念が変わっている。ただ、一次医療機関では当然大した検査はできないので、病歴と身体診察で診断を考えることには変わりない。Parkinson症状を伴う疾患はParkinson病だけでなく、その他の疾患でParkinson症状を呈することもあり、広くParkinson症候群ととらえられている。


 専門医に紹介する理由の一つは、発症しているParkinson症状がParkinson病に由来するのか、そうでないのかを判断してもらうことでもある。多系統萎縮症など、鑑別すべき疾患が多いので専門医に依頼するが、かなりの高齢で、大きな病院に行くのがしんどい、と言われる方では、少量のL-Dopaを処方して症状の推移を見て判断することもある。


 私が診療所で仕事し始めてしばらくしたころ、源先生の訪問診療で管理されていたDさんという女性が入院された。精神的に不安定、とのことだったが、訪問看護師さんや、病棟の看護師さんから

 「保谷先生、Dさんのことなんですが、身体の動きや手の震えがあり、Parkinson病のように思うのです。源先生には伝えているのですがあまり聞いてくださらないのです。一度診てもらえますか?」

 と相談を受けた。病歴を聞くと、数年前までは自力で歩行できていたのが、今では寝たきりになっているとのこと。急速にADLが悪くなったそうである。

 診察させてもらうと確かにpill-rolling tremorもあり、両肘関節にはCog-Wheel rigidityが見られた。ただ、Parkinson病と考えるには不自然な印象を受け、内服薬を確認。抗うつ薬やminor tranquilizerは飲まれていたが、制吐剤、major tranquilizerなど、薬剤性Parkinsonismを呈しやすい薬は飲まれていないようだった。 

 その時のDさんの病棟主治医は源先生だったのだが、先生にも一言ことわって、脳神経内科にParkinson症候群の原因精査目的で紹介状を作成、受診してもらった。

 精査の結果、診断は「進行性核上性麻痺」であった。こちらに入院前はご主人が介護をされていたが、自宅での療養が困難と判断し、施設に入所された。


 Kさんは90代の女性であった。尿路感染症で急性期病院に入院。感染はコントロールされたが、ADLが低下したので、ADLの改善と、自宅生活の調整を目的に当院に入院された。

 入院期間は2か月ほどだったが、入院前は自身の身の回りのことはご自身でできていたのが、うまくできないようになったとのことだった。前医でのその症状については

 「廃用症候群」

 との診断だったが、入院時に身体診察を行なうと、両肘関節にcog-wheel rigidityを認めた。また、毎日回診していると、

 「家のお風呂に湯をためると、お湯の中にトランプの模様が出てきて、水を抜くと、水と一緒にそれが流れていく」

 などの幻視を思わせることをおっしゃられるようになった。睡眠異常などはなく、年齢を考えるとそれほどひどい認知機能の低下はなかったが、Parkinson症状と幻視の訴えから、Lewy小体型認知症を疑い、脳神経内科に紹介。精査の結果、やはりLewy小体型認知症との診断であった。廃用症候群の要素がある程度あったのかもしれないが、入院後、ADLがガクンと落ちたのは、Lewy小体型認知症の進行でParkinson症状が悪化したからだと思った。


 クリーニング屋さんを経営されていたNさんは、日曜大工が得意で、ご自宅及び店舗の改築もよくされていたそうであった。Nさんは70代後半の方だが、ある時、発熱を主訴に高次医療機関に入院。尿路感染症とのことで2週間の抗生剤点滴を行ない、感染は落ち着いたそうだが、その時から、ベッドから起き上がるのも難しいほどに筋肉が落ちたとのことだった。在宅調整と、リハビリの目的で当診に転院されてきた。

 Nさんの持ってこられた紹介状を読んで、おかしいなぁ、と不思議に思った。70代後半とはいえ、それまで動くことができていた人が、そんなに急に筋力が落ちるかなぁ?と腑に落ちなかった。お身体の診察をすると、舌にfasciculationを認め、四肢の腱反射は亢進。手を見せてもらうと、両手とも、母指球、小指球の萎縮、虫様筋の萎縮が目立った。

 「これって、ALSを考える所見じゃないか?」

と思い、脳神経内科に紹介、やはりALSの診断だった。


 上記のKさん、Nさんはのちに私の訪問診療の患者さんとなり、長期に管理させてもらった。


 必ずしも、私の診断が間違っていたのか、紹介元が十分に評価していないのかわからないが、モヤモヤした返信をもらうこともあった。



 患者さんのお名前はもう忘れてしまったが、70代後半の方だった。喉頭がんで手術をされており、その後、定期的にO医大耳鼻咽喉科にfollow目的で通院されていた。気管切開をされており、切開部からはカフ(唾液の流入を止め、チューブの自然抜去を防ぐための風船)のついていない気管切開チューブ(以下、カニューレと呼ぶ)の留置で10年以上問題なく過ごされていた方だった。


 私の外来に初めて受診されたのは12月頃の外来だったか、発熱、膿性痰、咳嗽を主訴に受診された。それまで、診療所には全く受診歴のない方だった。血液検査では強い炎症反応の上昇、胸部レントゲンでは右下肺野に浸潤影を認め、肺炎との診断で急性期病院に紹介した。同院で肺炎の治療後、内科的な管理は診療所で受けるように、と言われたそうで、退院後すぐに私の外来に受診された。肺炎は「誤嚥性肺炎」とのことだった。


 長年、カフなしでも誤嚥しておられなかった方が誤嚥したのは、たまたまだったのかなぁ、年齢のせいなのかなぁ、と不思議に感じた。それに、前回紹介したときよりも歩行が拙くなっており、全体的に筋肉が落ちて、瘦せられた印象を受けた。


 気管切開術を受けたのはO医大だったそうだが、1年ほど受診しておられないとのこと。カニューレはどうされてましたか?と聞くと、洗剤できれいに洗って乾かし、繰り返し使っていたとのこと。あまり褒められたことではないが、きっちり洗浄し、しっかり乾かせば、そうそう問題が起きるものでもない。


 何となくすっきりしない、モヤモヤした気がしながら、患者さんを診察、

 「これから何かあったらこちらにご相談ください。一度お手紙を書いて、大学病院の耳鼻科にもfollowの受診をしましょう」

 と言ってその日の診察は終了した。しかしそれから1週間ほどして、患者さんがまた、

 「熱が出て咳と痰がひどく、息苦しい」

 とのことで再診された。血液検査ではやはり炎症反応が強く上昇しており、胸部レントゲンは右下肺野に陰影があった。その日は技師さんの来られている日だったので、胸部CTをお願いすると、右下葉の背側に肺炎像があり、やはり誤嚥性肺炎を疑う所見だった。入院は診療所でお願いしたい、と患者さんが希望されたので、

 「十分なことはできませんが」

 と伝えたうえで入院してもらった。


 短期間に2回誤嚥性肺炎を発症しているので、カニューレはカフなしではダメだと考えた。一時的に、院内に置いているカフ付きのカニューレをつけてもらい、

 「スピーチカニューレ」

 という少し特殊なカニューレを注文した。カフなしのカニューレなら、チューブの穴を指でふさぐと、吐いた息はカニューレの隙間を通って声門の方に行くので、ちゃんと声が出るのだが、カフで隙間を塞いでしまうと、チューブの穴をふさいでも吐いた息が声門の方に抜けなくなってしまうので、カフ付きのカニューレを使うと基本的には声が出なくなってしまう。スピーチカニューレは管が2重構造になっており、外側の筒(外筒)は、カフの手前側に小さな穴が開いていて、内側の筒(内筒)はその穴も塞ぐようになっている。このカニューレの利点は二つあって、普段は内筒を付けた状態で使用するので、筒の中が汚れたときは、内筒だけを取り出して洗って乾かせばよいこと(なのでより清潔な状態を維持できる)、もう一つは、内筒を抜いて、外筒を指でふさぐと、カフの手前の小さな穴から呼気が声門の方に抜けるので、声が出るのである(だからスピーチカニューレというのだが)。


 抗生物質の点滴で治療を行ない、カフ付きのカニューレで誤嚥を防ぐと、炎症反応は改善、酸素の状態もよくなり、熱も下がってきた。しかし、身体の力はさらに落ちたようで、入院の時からリハビリスタッフに介入(とはいっても、コストを取れないので、空き時間を使って)してもらっていたのだが、筋力低下が著しかった。


 「やはりおかしいなぁ。この年齢でご飯も食べていて、この筋力低下は説明がつかないだろう」

 と思い、神経診察を丁寧に行なった。


 視診では両手とも、母指球、小指球ともに萎縮、虫様筋も萎縮した手をしておられた。筋肉としては近位筋より遠位筋の方がより痩せているように感じた。四肢の腱反射は亢進。舌を見るとfasciculationを認めた。Parkinson症候群を疑う振戦は認めず、

 「ベースにALSがあるんじゃないか?」

 と考えた。半年ほど前は普通に生活できていた人が、2か月ほど前には筋力が低下して歩きにくくなり、今ではトイレに行くのも難しくなりポータブルトイレに移動するのがやっとのレベルになっていた。年齢を考えても、単純な廃用症候群ではそうはならないだろう。


 一度大学病院の耳鼻科で、カニューレのことや、喉頭の動きを診てもらいましょう、とお話ししていたので、同じ日に脳神経内科に

 「遠位筋優位の全身の筋萎縮、筋力低下があり、舌にfasciculationを認め、四肢の腱反射が亢進しています。リハビリスタッフの介入にもかかわらず症状は進行しており、ALSなどの神経筋変性疾患を疑います」

 と、私のとった神経診察所見も含めて経過を詳しく紹介状に書き、受診してもらった。その頃には自身では歩けなくなり、移動は車いすが必要なレベルにまで身体の動きは低下していた。


 当診に入院を継続している状態で大学病院に受診してもらった。たぶんその日は帰ってくるのが遅くなるだろう、と考えていたら、お昼過ぎには診療所に戻ってこられた。耳鼻科の返信と脳神経内科の返信を渡してもらい、奥様に、診察の様子を聞いた。

 「脳神経内科の診察はずいぶん時間がかかったでしょう」

と尋ねると、奥様は

 「いや、10分から15分くらいでしたよ」

とのこと。私は

 「えぇっ?!」

 と驚いてしまった。脳神経内科的な診察(神経診察)は、身体所見を丁寧にとるだけでも15分は優にかかるのである。こちらからは

 「ALSではないか?」

 と尋ねている初診の患者さんなので、本来なら、丁寧な神経診察と、検査のできる範囲でALSに行うべき検査(少なくとも筋電図は取るべきであろう)を行なうはずだと思っていた。本気でALSかどうかを評価していたら、15分という診察時間も、何も検査をしなかった、というのもあり得ないと思った。


 返信を確認する。耳鼻咽喉科・頭頚部外科からの返信では、

 「悪性腫瘍の再発は認めません。喉頭に唾液の貯留は多く、嚥下機能は低下しているが、反回神経麻痺は認めません。カニューレは誤嚥予防のため、カフ付きのカニューレが適切であり、今使用しているものを継続使用してください」

 とのことだった。返信としては想定内のもので、妥当な返信だと思った。次に脳神経内科の返信を開けると、4行程度の返信で、内容を要約すると

 「診察しました。廃用症候群だと思います。リハビリを継続して、経過を見てください」

との返信だった。こちらの

 「ALSを疑います」

という疑問に対しては、専門医として、その診断を否定する根拠、廃用症候群を示唆する根拠については全く記載がなかった。その返信を見て申し訳ないが、

 「あぁ。適当にあしらわれたなぁ」

としか思えなかった。紹介状に

 「ALSと診断されても、予後の説明、人工呼吸器の装着の可否、訪問診療等は当診で対応します」

と書いておけば、もう少し違った返信だったのかもしれないが、そこはよく分からない。文面からは

 「ALSであろうと、廃用症候群であろうと、この全身状態なら、どちらでもこの人の予後は変わらないよ。どっちでもいいじゃん」

という雰囲気がひしひしと伝わってきた。はっきり言って失望した。以前に書いた、摂食障害の女性を、摂食障害の大家と呼ばれる大学病院の専門外来に紹介したときに

 「本人に治療する気がないので、治療は無理です」

と返ってきたときと同じような思いだった。


 大学病院やそれと同様のレベルの病院に紹介すると、このような雑な評価で帰ってくることもあれば、行なうべき検査の中で必須のものを絞り込んで検査を行ない、想定される鑑別診断の評価を行なったうえで、

 「◇□だと愚考します」

という、

 「これぞ専門医の診察!」

 と拍手を送りたくなるような美しい返信が返ってくることもある。担当する外来医によって、返信のレベルはさまざまであるが、こちらの紹介状も、詳細かつ簡潔に、美しく書くよう日々努力しており、紹介を受ける側も、そのようにあってほしいものである。


 残念なことに、患者さんはその後も筋力低下が進行し、その後1か月ほどで、寝たきりとなってしまった。喀痰を喀出する力も弱くなり、こまめな吸引が必要となった。もちろん患者さんの意識レベルはしっかりしており、こちらの問いかけには目と表情で応えてくれた。最終的には貯留した喀痰で感染を起こし、肺炎で永眠された。

 

 私は、今でもこの患者さんはALSだったのでは、と思っている。専門医からの根拠が明示されていない「廃用症候群」の診断には全く納得していない。少なくとも、返信の短さ、内容の薄さと、診察時間の短さが、患者さんを真剣に診る気のなさを如実に物語っていると思っている。



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