第84話 Mさんのおもいで
始まりは、3月頃だったか?とある日の午前診に、Mさんの奥さんとケアマネージャーさんが私の外来を受診された。国立病院 脳神経内科からの紹介状を持参されており、当診での訪問診療をお願いしたい、とのことだった。
紹介状を確認すると、Mさんは60代の男性、数年前に多系統萎縮症と診断され、同病院で通院加療を受けていたが、ADLの低下が進み、日常の健康状態の評価、軽度の感染症の管理などをお願いしたい、とのことだった。訪問診療の依頼についてはお受けすることとし、その日の外来では、初回の訪問診療日を決定して、終了とした。
後日、Mさんの定期訪問診療を開始した。
Mさんはそろそろ引退を考える年齢となられ、奥さんと旅行などをして過ごそうと思っていたところ、徐々に歩きにくさやふらつきが出現した。かかりつけの近医から紹介元の病院を紹介。多系統萎縮症と診断された、とのことだった。
もともとは他市にお住まいだったが、お住まいがバリアフリーではなかったこと、信頼する鍼灸院の近くである、ということで当市のマンションに越してきた、とのことだった。お住まいはマンションの最上階だった。Mさんは訪問診療開始時は、よくリビング・ダイニングでお過ごしだったが、そこからの景色は素晴らしいものだった。
Mさんは「尊厳死協会」に入会されており、一切の延命治療を拒否する、と強い意志を持っておられ、奥様も、ご主人の思いを大切にしたい、と考えておられた。
病気の進行で、滑舌が悪くなっておられ、Mさんご自身の言葉を聞いて、解釈するのは時に難しかったが、一生懸命Mさんの言葉を聞き、Mさんも私に伝えようと苦労され、奥さんからの解釈も聞いて、誠実に対応した。何度も聞き返すこともあり、大変失礼なことをしている、と心苦しかったのだが、Mさんは怒ることもなく、頑張って伝えようと努力してくださっていた。
奥様は明るい方で、おそらくMさんにとっては太陽のような人だったのだろうと思う。
病気の性質上、自律神経系の障害も強く、血圧が不意に極端に上昇したり、突然低血圧になり意識を失うなど、厄介なことはいろいろと起きたが、その間にも、ご夫婦で映画を見に行かれたり、食事に行ったりなど、一日一日を大切に過ごされていた。Mさんご夫婦は、穏やかに過ぎていく一日の大切さをよく理解されておられた。私も、その大切な一日を守るために、訪問診療ではいろいろと気を付けた。
しかし、徐々にMさんの体力も弱っていき、リビングでの生活から、ベッド上での生活となっていった。Mさんの寝室には壁一面にCDラックがあり、クラシック、ジャズ、ロック、邦楽など色々なジャンルのCDがぎっしり置かれていた。これほどの品ぞろえのあるCDショップは今探してもないのではないか、というほどだった。音楽も大変お好きだったのだろう。また書架にはたくさんの本が並べられ、Mさんご自身が非常に高い知性をお持ちだとよく分かった。「実るほど 首を垂れる 稲穂かな」という言葉を実感させてもらった。
Mさんの病状は進行していたが、ご本人、ご家族とも入院治療は希望されなかった。ときに誤嚥性肺炎と思われる発熱を認め、内服の抗生剤で加療を行ない、何とかしのいできた。
直前に何か大きな出来事があったわけではなかったが、ある日、奥様から電話があり、「先ほど、呼吸が止まりました」との連絡を受けた。大急ぎでMさん宅に往診したが、私たちの到着時には旅立たれていた。奥さんに様子を聞いても、「ついさっきまでは普段通りで、少し洗濯で目を離し、戻ってきたら息をしていなかった」とのことだった。あまり舌根沈下が強い感じではなかったので、窒息よりも、自律神経障害による急性心臓死と診断した。
Mさんは苦しまずに旅立たれた。奥様も覚悟されていたのだろう。涙を流すことはなく、「お疲れ様でした」とご主人に声を掛けられていた。
もし可能であれば、このような形で亡くなりたい、と思わせてくれた方だった。
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