第82話 銭湯
物心ついたころから、自宅には風呂があり、また自宅近くにも銭湯はなかった。大きくなって、自分の育った街の歴史、自分の実家周りの移り変わりを見る(国土地理院のHPから、過去の航空写真を確認した)と、もともとそこには田んぼしかなく、私が引っ越してくる数年前に新しく整備された新興住宅地&工業地域だったことが分かった。
一方、古くからの集落にあった父方の祖父母の家には風呂がなく、子供のころ遊びに行くと、夜は、祖父や祖母に連れられて銭湯に行った。不思議なことに祖父の行く銭湯と祖母の行く銭湯は違っていた。その理由はわからないが、別の視点で考えると、祖父母の家から徒歩の範囲で複数の銭湯があった、ということでもある。母方の祖父母の家には風呂があったが、それでも家から50mほどで銭湯があった。自宅のお風呂よりも、銭湯のお湯の方が熱く、小さいころは熱いお風呂は苦手だったのだが、お風呂上がりにコーヒー牛乳やフルーツ牛乳を買ってもらうのはとてもうれしかった。
最初に通った大学は、複数のキャンパスを持ち、古くからのキャンパスで4年間の学部生活を送ったが、その街の南部にその当時、時代の先端を走っていたスーパー銭湯があった。また、最寄り駅の駅前には「駅前温泉」という銭湯があった。駅前の商店街にはもう一つ銭湯があったはずである。個人的にはスーパー銭湯がお気に入りで、友人と遊んで遅くなったり、実験で遅くなったりして、リフレッシュしたいときは、バイクを飛ばしてそこによく足を延ばしていた。
医学生時代に過ごした街は、温泉の町で、市内の銭湯50か所以上のうち、天然の温泉でないのは2か所だけだった。自宅にはお風呂がついていたが、温泉に行くことも多かった。そして、お風呂を上がると定番の、フルーツ牛乳かコーヒー牛乳である。
そんなわけで、大学時代以降は、銭湯が好きになった。熱いお風呂も好きになった。私の好みの銭湯は、熱めのお湯と、後は冷たい水風呂があるところである。あとは、あまり気にすることはなく、内装が新しければ、「きれいな銭湯だなぁ」、と思い、内装が古かったら、「歴史があって風情があるなぁ」と思っていた。お風呂で思い切り温まって、その後、冷たい水をかぶり、体表の毛細血管を収縮させるとポカポカ感が持続するので、気持ちがいい。
ただしそれをすると血圧が急上昇するので、顔にも冷たい水をかけ、迷走神経の活動を亢進させることを忘れてはいけない(ちなみに、顔が冷水につかると、迷走神経の活動が亢進し、心拍数が低下し、身体の代謝が低下する。この反射を「潜水反射」という。時に小さい子供が真冬の池でおぼれてしまい、少し発見に時間がかかったが、無事に助かるというニュースが時々あるが、それは潜水反射がうまく働いたためである)。
研修医時代も、病院裏の寺内町の端に銭湯があり、よちよち歩く太郎ちゃんと時々銭湯に行ったものである。
診療所に移った当初は、診療所からの徒歩圏内に3か所銭湯があった(事務当直時代には5か所ほどあり、一番近いところは歩いて2,3分のところにあったのだが)。しかし時代の流れなのか、一つ消え、二つ消え、ついには徒歩圏内に1か所だけになってしまった。
以前当直の話を書いたが、土曜日が当直の時は、結局日曜日の朝9時まで拘束され、帰宅すると10時であり、結局日曜日もまともに休んだことにはならないのである。土曜日だけは夜診の担当ではないので、土曜当直の時は自分へのご褒美として、夜診の時間帯に銭湯に行くことに決めていた。その銭湯を経営しているご一家も診療所のかかりつけの方であるが、仕事中はマスクをしているので私だということに気付いておられないのか、気づいていても気を遣ってそ知らぬふりをしてくれているのか、普通のお客さんと同じように対応してくださっていた。
土曜午後は私の外来だったので、土曜当直の日は、午後の外来が終わると一息ついて、自分の本棚にかけてあるタオルと、小さな石鹸、シャンプーセット(これは無くなりかけると銭湯で購入する)と、お着換えセット(Tシャツとパンツ)をもって銭湯に出かけていた。夏の間は、お風呂で汗を流しても、またすぐ汗をかくこと、外が明るいので風情がないことから、夏にはあまり出かけなかったが、冬は喜んで出かけていた。ただ、雨が降ると靴の中が濡れてしまうので、雨の日は残念ながら我慢せざるを得なかった。
そこの銭湯は、私の好みにぴったりで、熱めのお湯と、水風呂、それに小さいが露天風呂もあった。冬の凛とした空気の中、お湯につかって夜空を眺めるのは格別の気分だった。ある程度満足して、最後にもう一度熱いお湯につかり、冷たい水風呂で身体を冷やし、タオルを冷たくして身体を拭いてお風呂から出てくる。残念ながらバスタオルは持っていなかった(診療所には患者さんのためにバスタオルもいくつか置いているのだが、さすがにそれを持っていくのは気が引けた)。バスタオルがないので、手持ちのタオルでしっかり身体を拭いて、扇風機の風で身体を乾かし、すっきりした気分で、当直に向かうことにしていた。こんな楽しみでもないと、土曜日の当直はやってられない(結局その週は休みがなくなるので)。
COVID-19が流行し始めてからは、銭湯に行けなくなってしまった。いつか落ち着いて、また大きなお風呂に入りたいものである。
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