第80話 肺塞栓症

 九田記念病院で修業中、肺塞栓症で3回ほど頭をぶつけているので、肺塞栓症には敏感になっていた。というのも、疑わなければ肺塞栓症の診断をつけるのは難しいからである。


 九田記念病院に在籍中も、

 「トイレに行こうとして意識を失った、向精神薬を多数内服中の30代女性」

 が入院されたときの症例検討で、師匠は心不全と考え、私は肺塞栓症を考えた。主治医にお願いして造影CTを取ってもらったところ、肺動脈に複数の血栓像があり、肺塞栓症の診断がついた、ということもあった。そんなわけで、3回ほど頭をぶつけた経験は、今も私を助けてくれている。


 最初の方に書いた、診療所で勤務をはじめ2週間後に経験した意識消失を伴った肺塞栓症も、源先生から「喘息」の病名で入院の依頼があった時点で、肺塞栓の可能性を第一に考えていた。


 診療所のお隣にお宅があるKさん、糖尿病で当診に定期通院されており、コントロールは内服で良好、私の外来に来ることが多いが、時に他の先生の外来を受診することもあった。趣味は山登りで、年齢を考えると非常に健脚の方、タバコは吸わない方だった。


 ある日、2日ほど前から少し歩くだけで息が切れる、との主訴で来院された。たまたまその日は私が不在で、源先生の外来を受診された。SpO2も来院時に92%程度と、明らかに普段と比べて低下していたのだが、源先生の診断は「喘息」。高容量のステロイド内服と、ICS+LABAの吸入を処方されていたが、その夜に、どうしても息苦しいとのことで救急要請。

 近くのST病院に搬送され、造影CTを撮影され診断は「肺塞栓症」。


 もし私の外来に来ていたら見逃していないと思う。以前に書いたが、九田記念病院呼吸器内科で経験した症例と非常によく似ているのである。普段は何kmも歩く人が急に少しの距離を歩くだけで息苦しくなったとのこと。その時点で

 「おかしなことが起きている」

 と思わないといけない。呼吸苦を呈する疾患について、しっかり鑑別診断を考え、その中には当然肺塞栓症も入れるべきである。


 臨床診断学で、適切な診断に辿り着くことを妨げる因子を認知バイアスというが、その中でも、「早期打ち切り」といわれるタイプのバイアスだと思われる。パターン認識で、似ている疾患を想起し、その時点で考えることをやめてしまう、というタイプの診断エラーである。


 しばらくKさん来ないな~、と思っていたら、ST病院からの紹介状をもって私の外来にお見えになられた。その紹介状を見て、初めてその事実を知った次第であった。Kさんは、 

 「保谷先生に診てもらおうと思ってきたんやけど、休診やったから源先生に診てもらったんや」

 とのことだった。「僕がいたら」と思うと極めて残念だった。


 また別の日、私の外来に労作時呼吸苦を主訴に40代の男性が受診された。お話を聞くと、2週間ほど前から、少し歩くだけで息苦しくなってきた、とのことだった。長い時間座っている仕事に従事しているわけではなく、タバコも吸わない、喘息もないとのことであった。

 身体診察はあまり有意な異常を認めず、診察室で椅子に座っているときはSpO2 98%を維持できていた。下腿浮腫は認めず、心不全とも異なる印象だった。患者さんにお願いし、診察室から診療所の入り口まで、パルスオキシメーターをつけたまま歩いて往復してもらった。診察室の前で患者さんを待ち、戻ってこられると患者さんは肩で息をしておられ、SpO2 91%まで低下していた。普段健康問題を抱えていない方が、50mほど歩くだけで肩で息をするほど苦しくなり、SpO2も著明に低下している。やはりこれはただ事ではないと考えた。


 亜急性の経過を取っているが、身体所見には問題がなく、循環器、呼吸器系について確認が必要と考えた。胸部レントゲンと、心電図、院内至急採血、外注採血を提出したが、胸部レントゲンは異常なく、気胸や心拡大は認めなかった。心電図も問題なし、院内採血も問題はなかった。となると、やはり肺塞栓が疑わしいと考えた。近隣の急性期病院の循環器内科に労作時呼吸苦、肺塞栓の疑いとして速やかに紹介したが、診断はやはり私の診立て通り、肺塞栓症であった。


 おかしいことが起きているときは、やはり何かがおかしいのである。外来診療の多くはパターン認識でかたをつける、あるいはかたがつくことが多いが、何か心に引っ掛かるものがあれば、改めて、手順を踏んで考えなおすことが必要なのである。


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