第39話 点滴の持つ意味と、終末期医療の考え方
初期研修医になりたての頃、師匠から「点滴の持つ意味」について教えていただいたことがある。点滴の成分、とかそういう意味ではなく、「点滴をする」という行為がどのような心理的影響を与えるか、ということについてである。
「『点滴をする』という行為は、患者さんにとっても、ご家族にとっても、その方は病気である、ということを認識させ、また点滴のメニューにかかわらず『治療を受けている』ということを認識させます。そういう意味で、点滴を行なうことは、患者さんにとっては心理的に『見えない鎖』となり、ご家族にとっては『病院サイドは、患者さんに医療を提供している、あるいは患者さんにはまだ治療が必要である』ということを暗示させます。このことをしっかり認識して、適切に点滴を使うことで、無用のトラブルを避けたり、逆に不適切な点滴がトラブルのもととなったりします。点滴を行なうときには、『点滴の成分』だけではなく、『点滴を行なう意味』も考えてください」
と指導してくださった。この教えは、今でも私の心の中にしっかりと残っている。
さて、診療所で勤務しているある日、源先生の訪問診療を受けておられる患者さんが入院してこられた。
「保谷先生、よろしく」
とのことで源先生から入院の依頼を受け、入院中の主治医を担当することになった。患者さんは悪性腫瘍の末期で、食事もとれず、元気がなくなってきた、とのことで入院となられた70代後半の男性の方だった。
私の仕事の大きなものが、病棟の患者さんの管理、だったのだが、一番気を付けていたのは、医師の世界では共通語となっている”Carifornia Daughter”の存在であった。
誠意をもって、大きな医療ミスをすることなく患者さんを診ていくと、その方を一番よく看ていたご家族、Key personの方は、もちろん主治医と話をして、治療方針を聞くことも多く、患者さんの変化も目の当たりにしているので、いわば主治医と主介護者は二人三脚に近い状態となる。そこでトラブルが起きることはあまりないのだが(全く起きないわけではないが)、困るのは、普段患者さんのことを全く見ていない遠くの親戚である。たまたま見舞いに来て、その親戚は医療のことに詳しいわけではないのに
「なぜこんな治療をしているのだ!」
などと言い出し、それまでの医療方針がグチャグチャになったり、患者さん、患者家族さんと医師との間の信頼関係が崩れたり、また、場合によっては裁判になったりすることである。おそらくアメリカでも同じようなことはたくさん起こっているのだろう。だから”Carifornia Daughter(カリフォルニアの娘)”という言葉があるのだろう。
医療裁判は、医師にとって非常に苦痛であり(よかれ、と思って治療していたことを否定されるだけでなく、理不尽に罵倒されるので)、また、裁判に勝っても負けても、いくらかの金額を払わなければならないことが多い。もちろん医療側に大きな落ち度のある場合もあるが、重箱の隅をつつくような理由で、なんてことになると、精神的に強いダメージを受ける。判決をつける裁判官は医療の専門家ではないので、医療の不確実性を理解していないことが多く、また弁護士の力の違いで、明らかに医療提供側に問題がないにもかかわらず「敗訴」となることもある。そんなわけで、自分自身と自分の職場を守るために、医学的には重要とは思わない防衛的な医療を行なわざるを得ないことがしばしばである。
今回の患者さんは、入院後、輸液を開始し、一旦元気になられたが、数日でまた体調が悪くなり、食欲も落ちてきた。私は、入院患者さんには前述のことを勘案して、少なくとも点滴の医療点数が取れる500ml/日の点滴は行なうようにしていた。一日500mlという点滴量の基準は、診療報酬として、1日500ml(6歳未満は200ml)以上の点滴をしないと、点滴として認めてもらえず、「点滴」としての診療報酬が出ないため、点滴回路や留置針などのコストを考えると赤字になるからである。本当は、もっと少量の点滴でいい、と思うときもあるのだが、診療報酬で診療所のスタッフ全員が給料をもらっているので、赤字の医療をするわけにはいかないのがつらいところである。点滴を継続する理由は先に述べたとおり、入院中であり、何らかの医療行為を行なわなければ
「入院しているのに、何も治療をしていないじゃないか!」
と患者さん家族から怒られることもしばしばであるため、その防衛医療であることも理解している。
病状が末期の状況になってきたころから、ご家族は暗に点滴を外してほしい、と匂わせるようになってきた。あとでわかることだが、ご本人がお元気だったころ、
「自分の病気がもう治癒できず、命の終わりが見えてくるようになれば、点滴は中止してほしい」
と紙に書いていたそうだった。なのに、ご家族はその紙を持ってこられなかった(最初にその紙を見せてもらったら、すぐに『本人の意思が確認できました』と言ってすぐ点滴を中止するのに)。私に暗に匂わせるだけでは効果がない、と判断したのか、往診主治医の源先生に、
「点滴を止めてほしい」
とおっしゃられたのだろう。源先生から
「患者さん、点滴そろそろ止めてはどうか」
との提案もあった。もちろん、こちらも、
「何か、ご本人の意思が確認できるものを持ってきてもらえば、すぐに中止しますよ」
とお伝えしたところ、その翌日、ご家族がご本人の終末期医療の希望について記載された紙を持ってこられ、
「夫はずっとこう考えていたのです。点滴を止めてもらえませんか?」
と再度、私とのお話しを希望された。
書面を確認したところ、筆跡、日付、ご本人のサインが記載されており、様式的にも、問題ないものであった。
「わかりました。ご主人の意志はしっかり確認しましたので、これから、点滴を中止します。お手数をおかけし、ご主人にもしんどい思いをさせてしまい、すみませんでした」
と伝え、点滴を中止。患者さんはその12時間後に永眠された。
これが入院していない、外来での訪問診療であれば、点滴をせずに診ることは問題ないと思うのだが、入院しているので、先に述べたように点滴を中止するのは理由がないと難しい。また、この患者さんについては源先生から私への、ご本人の終末期医療に対する考え方の引継ぎが不十分なため、ご本人、ご家族の希望しない医療を継続することとなってしまった。
そんなこんなで、源先生の訪問患者さんの病態と病状説明、こちら側が病棟で行なおうとする医療とのギャップが大きく、そのギャップを埋めるのも難しくなってきたので、源先生の患者さんについては、源先生を主治医とすることにした。上野先生の患者さんは私が病棟主治医を担当、北村先生の患者さんについては、原則私が担当するが、北村先生の希望、あるいは患者さんの希望があれば北村先生が主治医、私がバックアップ、ということになった。
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