第36話 急性冠症候群と思いきや

 とある日の夜診、子供のころお世話になった、近所のおじさんが胸痛を主訴に来院された。奥さん(おばちゃん)から話を聞くと、30分ほど前から冷や汗をかいて、胸が苦しい、と言い始めたとのことだった。ご本人にお話を聞くと、胸の痛みは前胸部全体に感じ局在ははっきりしない、波のない痛みで重く圧迫されたような痛みとのことだった。


 ある程度高齢の男性で、冷や汗をかくような前胸部の絞扼感であり、何よりも急性冠症候群が疑わしい。急いで、ニトロの舌下を行ない、点滴路を確保。心電図と血液検査、後は気胸や胸部大動脈瘤の評価のため、胸部レントゲンを確認した。胸部レントゲンでは、明らかな心拡大、縦郭拡大や縦郭気腫、自然気胸を認めず、肺水腫も認めなかった。心電図を確認したが、明らかな虚血性変化を認めなかった。見逃しやすい急性のテント状T波なども認めなかった。

 診療所ではトロポニンの迅速検査ができないので、超急性期のACS/AMIの診断は困難なのだが、院内でできる限りの血液検査を行なった。


 血液検査の結果を見て、ひっくり返りそうになった(よくひっくり返る奴だ)。心筋逸脱酵素とされるGOT、CPKは上昇は認めず(もちろん、発症時間から考えるとACS/AMIで正常でも矛盾はないのだが)、末梢血では白血球4万5000、Hb 4.2g/dl、血小板 3.8万と3系統の血球に明らかな異常が見られた。現時点でACS/AMIを完全には否定できないが、むしろ、白血病などの血液異常が病態の本質だと思われた。


胸骨の骨髄では造血が行われており、急性骨髄性白血病など、骨髄が急速に病的に増殖しているときは、骨髄細胞量の増加に伴い内圧が上昇して骨痛が出ることがある、と聞いたことがあり、そのような骨痛なのか、Hb 4.2g/dlと低下しており、貧血のため十分に心筋に酸素が送れないための機能的な狭心発作なのかもしれない、と考えた。いずれにせよ、血液内科的な精査加療と循環器内科的な精査加療の両方を進めていかなければならない、と判断した。


 ご本人、奥さんに結果を説明。一番に急性冠症候群を疑ったが、むしろ白血病などの血液疾患を疑う採血結果であることを伝え、血液内科を診療科に持つ急性期病院への転送を行なうことを伝えた。


 転送先の選定には手間取ったが、学生時代にお世話になった岡付療養所病院が受け入れ可能と返事をいただき、すぐに救急車で転院とした。


 後日、返信が届き、

 「骨髄穿刺の結果は『骨髄異形成症候群』でした」

 とのことだった。輸血をすぐに行ない、貧血が改善すると胸痛は落ち着いたとのことであった。細かな定義の違いがあるが、骨髄異形成症候群と急性骨髄性白血病、どちらも本質的には同じ疾患である。


 急性冠症候群を強く疑わせる症状だったが、結果は骨髄異形成症候群、という経過としては珍しい症例を、子供のころにお世話になった近所のおじさんで経験したのが今も記憶に残っている。おじさんはまだ元気でおられるだろうか?


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