第30話 ちゃんと考えているの?(いや、本当に!)

 診療所で勤め始めて、最初の正月明け、九田記念病院の先輩、白井先生が音頭をとって、師匠宅で新年会を開くことになった。それまでそのような会が開かれたことはなく、先輩方や後輩たちも参加するとのことであった。私もぜひ参加したいと、参加を申し込んだ。初期研修終了後、または後期研修中に他の病院に移った後輩たちもおり、その中には診療所の近隣地域で働いている人もいるらしいと聞いていた。何とかその彼を診療所に参加してもらえないか、声をかけたかったし、もちろんみんなとの交流も持ちたかった。地域医療に頑張っておられる鳥端先生には、プライマリ・ケアを実践している診療所での苦労話なども聞いてほしかった。とにかく、最初で最後のチャンス。ぜひぜひ参加したいと、新年会当日を心待ちにしていた。


 新年会は土曜日の夕方から開始の予定だった。残念なことに、その日は土曜日の午後診の担当となっており、上野先生も北村先生も所用があるとのことで、交代してもらうことができなかった。普通に外来が終われば問題なく集合時間に間に合うので、当初はそれほど心配していなかったのだが、どういうわけかその日は難しい患者さんが多く、患者さんの紹介をしたり、受付時間の最後の方に来た患者さんが、採血などの検査を必要とする患者さんだったりで、午後診の受付終了が16:30、夜診の受付開始が17:45からなのだが、午後診の最後の患者さんの診察を終えたのが17:50頃だった。患者さんが診察室から出られた後、検査データなどをまとめてカルテに記入していると、診察室裏の職員用通路が急にバタバタとし始めた。


 カルテを書き終えて、バタバタしているスタッフに

 「どうしたの?」

と聞くと、

 「△△苑(診療所と比較的つながりが深い施設)から、心肺停止の患者さんが搬送されてくるんです」

 とのこと。

 「へっ?」

 と私は驚いた。救急隊及び施設からの受け入れ要請を承諾したのは夜診担当の源先生だが、土曜の夜は当直の先生が来られるまでは源先生お一人で仕事をされることになっている。待合室のざわめきから、夜診の患者さんはそれなりに来ておられ、そんな中で心肺停止の患者さんを受け入れて、適切に対応できるとは到底思えない。もちろん私に

 「保谷先生、CPAの患者さんをお願いします」

 と一言でもあればいいのだが、私にはアナウンスはない。CPAの患者さん、もしかして処置室に寝かせたままで、家族が来たら

 「亡くなっておられました」

 で済ませるつもりなのだろうか? そんないい加減でいいの? と考えが頭の中を駆け巡る間もなく、

 「○○さん、診察室にどうぞ」

 と夜の外来が始まった。遠くからは救急車のサイレンが聞こえてくる。こんな状態で

 「お疲れさま。今日は用事があるから、後はよろしく」

 と帰るなんて、私の職業的倫理感が許さない。この状況を放っておくわけにはいかない。


 すぐに救急車が到着、患者さんを処置室のストレッチャーに移した。施設の人の話を聞きながら、簡単に身体を確認。体温はまだ少し暖かい。関節も固くない。身体に死斑も出現していない。となれば、心肺蘇生術をしなければならない。人手の足りない診療所なので、救急隊には無理を言って、心臓マッサージの要員として残ってもらった。看護師さんには生理食塩水で点滴路を確保し、除細動器(兼心電図モニタ)をつけてもらった。私はアンビューバッグでとりあえずマスク換気を行ないながら、私がリーダーとなってACLSを開始した。そのバタバタの中、源先生が処置室を覗きに来ることは一度もなかった。


 施設の人の話では、午後3時の訪室時は普段と様子は全く変わらず、お元気だったとのこと。夕食の時間なので、患者さんを呼びに行ったところ、心肺停止状態で倒れていたため、スタッフでCPRをしながら救急隊、当院に連絡。当院(源先生)が

 「来てもらってよい」

 とのことだったので、搬送しました、とのことだった。


 数年前に何度か受診歴はあるが、数年来受診していない方で、既往歴などなどは全く分からない状態だった。ありがたいことに、ご家族には連絡がついており、40分弱でこちらに到着できるとのこと。残念なことに、施設医には全然連絡が取れない、とのことだった。


 モニタを装着した時点でCheck pulse。頸動脈は拍動を触れず、モニターはどの誘導を見てもasystole。心臓マッサージを続けながら、私が気管内挿管を行なった。聴診での確認しかできなかったが、左右の呼吸音に差異はなく、呼気時には挿管チューブが水蒸気で曇るので、挿管できていると判断、私が人工呼吸を行ないながら、タイムキーパーとして時間を測り、時間を見て、ボスミン投与とcheck pulseを繰り返した。人手があれば、採血を行ない、asystoleの原因検索を行なうのだが、看護師さん一人なので、採血を取っても検査をする人がいない。なので、前述のように、asystoleならボスミンを投与、という形でCPRを行なわざるを得なかった。


 アンビューをもみながら、CPRのリーダーも行ない、CPRを継続した。施設の方の言われたとおり、30分ほどでご家族が大急ぎで到着された。私は、

 「ご家族の方に入ってもらって」

 と言って、CPR中の処置室にご家族に入ってもらった。CPRを継続しながら、施設での経過、こちらに来てからの経過を説明。

 「現在も頑張って強心剤などを使いながら、救急隊の方にも残ってもらって、心肺蘇生術を行なっていますが、心臓が再び動き出しそうな兆候はありません。30分以上心肺蘇生術を続けていますが、もう少し継続します。少し待合室でお待ちください」

 と説明し、一旦ご家族に処置室から出てもらった。実際のところ、心拍再開は困難だと思いながら、CPRを続けた。さらに10分ほどCPRを続け、もう一度ご家族に処置室に入ってもらった。

 「これだけ頑張ってきましたが、心臓は動き出しませんでした。これ以上蘇生術を続けても、肋骨が折れたりするだけで、いたずらにお身体を傷つけることになります。今の時点で心肺蘇生術を中止し、死亡確認をさせてください」

 と伝え、死の3兆候を確認。

 「今の時間で、死亡を確認しました」

 と伝え、患者さんに手を合わせ、ご家族には深く一礼した。その後、すぐに

 「施設で発見時に心肺停止状態で、当院でも心拍は再開しませんでした。この場合、法的には『異状死』ということになり、警察に連絡し、警察の指示を仰ぐことになります。時間がかかりますが、お待ちください」

 とご家族に伝えた。


 患者さんのご遺体は、処置室から3階病棟の空いている個室に移動し、ご家族も3階のロビーで待機してもらった。もう、新年会は始まっている時間であり、今後かかるであろう時間を考えると、とても新年会には間に合わない。非常に残念な気持ちで幹事の白井先生に電話。

 「白井先生、保谷です。今、CPAの患者さん対応中なので、そちらに行けなくなりました。非常に残念ですがすみません。師匠には、保谷が『CPA患者さんの対応中で行けなくなり、とても残念です。すみません』と言っていたとお伝えください」

 と伝えた。とっても楽しみにしていたので、非常に残念だが、状況が状況だけにしょうがない。私は私の医師としての職業倫理に従ったまでである。


 警察に連絡が必要、とのことで事務部長も私のところに来られ、状況の確認や警察との対応にも寄り添ってくださった。警察に連絡してしばらくすると、警察官の方が来られ、まず私に事情聴取。施設からの情報や、当院到着時の様子、蘇生処置の内容、死亡時刻などを確認された。それぞれの質問に答え、来院時には関節の強直や死斑の出現などの死体反応は見られなかったこと、頚部に圧痕など、明らかにおかしいと思われる体表上の変化はなかったと伝えた。警察官の方からは、

 「今から△△苑に行って、状況を確認します。施設担当の先生と連絡が取れなければ、ご遺体を警察署に移動し、警察医の検案を受けてもらうことになります」

 と報告があった。△△苑にこれから向かって、いろいろ調べて、となるとまだまだ時間がかかるだろうなぁ、と思っていると、源先生が夜診を終えて、ご自身の部屋(同じ3階にある)に戻ってこられた。先生は着替えられて、帰る用意をされ、私たちに

 「お疲れさまでした。お先に~」

と言って帰って行かれた。


 医者の世界は基本的にはどこの世界とも同じように基本は縦社会なので、大概の無茶振りは

 「しょうがないなぁ」

 で済ませられるのだが、今回の一件については非常に腹が立った。源先生があまりにも無責任だからである。CPAの患者さんが来られたら、これくらいの手間がかかるのは当たり前のことである。逆に、それくらいの医療を受ける権利が患者さんにはあるのである。源先生はそのことを理解したうえで、外来診療と両立させられると判断してCPAの患者さんを受け入れたのだろうか?

 この診療所が救急を受け入れる、ということは、救急で受け入れた患者さんが、さらに高度な検査機械などでより正確に診断をつけられる医療を受ける権利を奪っていることになっている、と考えないのだろうか?

 私には、不十分な点はあったとはいえ、少なくとも、この患者さんには当診で提供できる医療をしっかり提供したという自負はある。最低でもここまではしなければいけない、というラインは十分満たしたと思っている。


 しかし、源先生は、外来診察をしながら、この患者さんにここまで一人でできたのか?救急依頼があった時点で、この人にどの程度の医療を提供し、それが提供できる状態だと判断して受け入れを承諾したのか、ちゃんと考えたのか?と心から憤った。CPAのこの患者さんを診療所で受け入れて、どのような治療をするつもりだったのか、法的にどのように対応する必要があるのか、そのあたりをちゃんと考えて受け入れたのか、と思ったことが一つ。


 もう一つは、

 「おそらくCPA患者さんには、源先生一人で外来をしながらでは、必要とされる医療を提供できないだろう」

 と源先生と患者さんのことを考え、ボランティアで遅くまで残っている私たちに、何のねぎらいの言葉も、感謝の言葉もなかったことである。深く考えずに患者さんを受け入れて、わざわざ自分の時間をつぶしてまで助けてもらった私たちに、労いも感謝の思いもないことは、どういうことなのだろうか?楽しみにしていた師匠宅での新年会に行けなかったこと(ちなみに師匠宅での新年会はその年だけのことだった)もあり、心の中はモヤモヤでいっぱいだった。


 警察から連絡があり、施設でも状況を確認したとのこと。患者さんのご遺体は警察署に移動し、警察医の先生に検死をしてもらう、とのことで話が付き、警察が、ご遺体を引き取りに来てくれた。警察が診療所から警察署まで移動中に、施設担当医の先生と連絡が付き、施設担当医の先生が死亡診断書を作成する、ということになった、と後日話を伺った。


 この話を書いていて、思い出したのは今から15年ほど前のことか、北海道の夕張市での出来事である。財政再建団体となった夕張市は、市立病院も維持できなくなり、市立の診療所として規模を大きく縮小し、地域の医療を支えることになった。当時、夕張市の診療所に常勤医師は一人だけだったのだが、外来診察中に夕張の救急隊から、CPAの患者さんの搬送依頼があった。それを医師が「現在対応困難」ということで受け入れを拒否、患者さんは遠方の市の救急病院に搬送された、という事例があったそうである。それに対して、時の夕張市長は

 「市立の診療所なのに、市民の救急を断るなんて言語道断である!」

 と激高され、一方の診療所医師は

 「外来が非常に混雑している中で心肺停止状態の対応を行なう、なんて不可能である。対応可能な病院に搬送するのが、患者さんにとって、より適切な医療である」

 と反論し、当時大きな話題になったことがあった。


 このことについては(確か患者さんは自殺を図られた方だと記憶しているが)、診療所の医師の言うことが理にかなっている、と思う。待合室で座っているから絶対軽症、なんてことは決してなくて、待合室にいる方が最も緊急度の高い患者さんの可能性は常にあるのである。そんな中で、CPAの患者さんを受け入れ、医師の手を何時間も拘束されれば、待合室の患者さんもriskyだと思うし、まず患者さんが

 「いつまで待たせるんだ!」

 と怒りに震えるのが目に見える。そういう点では、市長の発言は、現場の修羅場を知らない人間の戯言だと思う。また、救急隊も、搬送患者さんが自殺、ということであれば、身体所見を確認して、本当に本気で心肺蘇生術を行なわなければならない方なのか、死亡確認だけが必要な方なのか、医療機関側に知らせてくれたら、また受け入れも変わったのかもしれないと思う。

 

 本気でCPRが必要な方なら、高次医療機関に搬送する、という判断は適切であり、もし、患者さんに死後硬直や死斑などの死体反応が見られれば、CPRの適応ではなく、死亡確認だけが必要なので、もしかしたら

 「すいません、心肺停止の方ですが、死体反応も出現している方なので、死亡確認をお願いします」

ということであれば受け入れていたのかもしれない。


そんなことをうだうだ考えてしまった。


 診療所でいろんなことがあり、私もあまり恨みつらみを引きずるのは嫌なのだが、この1件だけはどうしても、今でも許せないほどの怒りを感じることである。

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