第29話 手動式人工呼吸器?
とある日、COPDの併存症がある上野先生のかかりつけ患者さんが、発熱と低酸素血症を主訴に入院された。胸部レントゲンでは右の中肺野あたりに陰影を認めた。上野先生からは、「誤嚥性肺炎だと思う」との申し送りだったが、38度台の発熱が続く割には血液検査はあまり大きく変化していない。炎症反応も低い。
とりあえず、誤嚥性肺炎を考えて、ABPC/SBT 1.5g×3回/日で抗生剤投与を開始、SpO2も89%程度だったので、O2を2Lで流し、SpO2 93~95%程度で経過を見ていた。発熱は37度台半ばまでは解熱したが、その後はダラダラと発熱が続いていた。寝汗も結構かいており、なんだか嫌な予感がした。胸部CTでは右下葉S6に、小さな結節が多発しているような陰影が見られた。空洞形成は特に見当たらなかった。
80代後半の方だったので結核の可能性を考え、3日連続の吸引痰培養、塗抹の蛍光染色、胃液培養、吸引痰、胃液の結核菌PCRを提出、そして、あまり意味がないなぁ、と思いながらクォンティフェロンを提出した。
なぜクォンティフェロンが意味がないかと、というと、クォンティフェロンは結核菌と反応するリンパ球があるかどうかを調べる検査だからである。その当時で80代の方は、第二次世界大戦の終戦前に生まれており、ちょうどそのころは結核は国民病だったからである。
結核菌に感染すると、みんなが結核を発症する、というわけではなく、当初の結核菌感染を契機に発症する人は約10%程度、高齢になったり、免疫を強く抑制する治療を受けた際に体内に潜んでいた結核菌が暴れ始め、発症するのが10%程度、残りの80%程度の方は、結核菌に感染し、結核菌が身体の免疫に抑え込まれたまま、別の病気で亡くなってしまうのである(つまり、結核菌に感染しても結核を発症しない)。
クォンティフェロンは、身体に結核菌と反応する免疫細胞があるかどうかを見る検査なので、
「結核菌に感染している、あるいは感染したことがある」
と陽性になるのだが、臨床上問題になるのは
「現在結核を発症しているかどうか」
なので、それをクォンティフェロンで判断することはできない。上記の通り、過去に結核は国民病であり、おそらくほとんどの人が感染していたであろうから、この年齢の方でクォンティフェロンを行なうと、高率で陽性になる。しかしその結果は必ずしも結核の発症を意味しないので、検査を行なう意義が、本当はあまりないのである。
そんなわけで、結核を調べたが、結核を確定する結果、つまり各種培養で結核菌を同定することはできなかった。私の予想通り、クォンティフェロンは陽性だった。膠原病によって二次的に発症する肺障害を考え、抗核抗体や抗CCP抗体、KL-6は提出していたがいずれも陰性。β-ラクタムに反応しない起因菌をカバーするために、あえてMINO(LVFXは結核菌にもある程度効いてしまい、耐性菌を作るため)を投与したが、あまり病態に変化は見られなかった。
しかし、一気に悪化するわけではなく、だらだらとした経過で、しかも消耗性の炎症性の経過、と考えると結核も鑑別に入れざるを得ない。クォンティフェロンも高値だったのでご家族と相談し、その当時は結核病棟を持っていた国立刀根山病院に転院を依頼、受け入れOKの返事を受け、転院日を指定された。出来事は、転院当日未明に起きた。(前置きが長くてすみません)。
その日は私が当直の日、夜の診察を終え、病棟の様子を確認するためにナースステーションに寄ったところ、
「△△さんのSpO2が、普段はO2 2Lで93%程度なのが、90%を下回っています」
との報告を受けた。患者さんを診察したが、特記すべき身体所見上の異常は見られなかった。当直帯に入っていて、検査ができる体制でもなかったので、
「O2を2Lから3Lに増やして経過を見ましょう」
と伝え、夕食を摂りに行った。そして、午前2時ころ、病棟から連絡があった。
「○○さんの意識がありません!」
とのこと。大急ぎで病棟に降りた。意識レベルはJCS-Ⅲ-300、SpO2は92%、血圧は維持されていた。
以前にも書いたことがあるが、鼻カヌラなどのlow flow systemでは、患者さんの1回換気量によって、投与される酸素濃度が不自然に上昇することがある。CO2ナルコーシスを考え、動脈血液ガスを測定した。結果がでたが、予想通り、PCO2が200近くあり、明らかなCO2ナルコーシスだった。貯留したCO2を減らすためには呼吸回数を増やす必要があり、呼吸も弱くなってきたので、アンビューバッグで人工呼吸を開始した。COPDの方で、気管内挿管、人工呼吸器をつけると、人工呼吸器からの離脱が非常に難しいので、気管内挿管をせず、何とかアンビューバッグとマスクで人工呼吸を続けることとした(もちろん、診療所に「人工呼吸器」などという高価な医療機器はない)。
診療所の当直体制は、医師一人、看護師一人、事務スタッフ一人の3人体制となっており、私がアンビューバッグをもんでいると、私が動けなくなってしまう。看護師さんにお願いし、事務スタッフにも病棟に上がってきてもらい、転送先を探す手伝いをしてもらった。院内PHSはなく、基本的に固定電話なので、電話を事務スタッフにかけてもらい、向こうの病院からの質問があれば、事務スタッフに大声で伝えてもらい、私がアンビューバッグをもみながら大声で返答する、という極めて非効率なことをしていた。しかし、呼吸回数や、気道内圧をバッグに感じながらのアンビュー+マスクでの人工呼吸は、看護師さんにお願いしてもできない、ということだったので、そうせざるを得なかった。1時間ほどかけて、いくつかの病院に依頼したが、転院先は決まらなかった。
院内の人手のなさも痛感していたので
「源先生を呼んでください」
とお願いし、源先生に来てもらった。アンビューバッグは私がもみ続け、源先生に転院先を探していただき、ようやく、受け入れ可能な病院が見つかった。紹介状も口頭で源先生に伝えながら書いていただき、救急車を要請、救急車内でもずっとアンビューバッグをもみ続けた。転送先病院に到着、向こうの先生に引継ぎし、NPPVの機械が届くまで、アンビューバッグをもみ続けた。NPPVがつけられ、ようやく、アンビューバッグから解放された。その時にはもう外は明るくなっていた。結局3時間半ほど、一人でアンビューをもみ続けたことになった。左手はマスクの固定と下顎挙上した状態を続けたため、手が固まってしまい、少しほぐすのに時間がかかった。右手はアンビューバッグをずっともみ続けたので、手が疲れて、握力がしばらく回復しなかった。
無事に高次医療機関につなぐことができてよかったのだが、酸素投与のメモリを1つ動かすだけでCO2ナルコーシスを起こしてしまうこと、理屈の上では理解していたが、実際の患者さんに対応することで、その怖さを十分体感できた。患者さんはその後、NPPVを外すことができず、療養型病院に転院となり、そこで亡くなられた、とのことであった。病態を十分理解できなかったことは残念だったし、ナルコーシスが改善した後も、NPPVが外せなかったのはつらかっただろうと思った。
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