第26話  それも止む無しか…。

 診療所は病棟を持っているので、私が来るまでにもたくさんの方が入院し、退院されていた(もちろんその中には、私の祖父や父、弟もいるのだが)。

 

 私が来てからは、九田記念病院でトレーニングされたように、外来の時点で症例の入院適応を検討し、高次医療機関に紹介すべきものは当院への入院の依頼であっても急性期病院に紹介するようにしていた。経営を考えると、私のすることは不適切なことであるが、医学、医療という点から考えると、それが適切だと考えていた。それで私は何かと叱られていたのだが、ということは逆に、私が診療所に来る以前は、医学的に不適切な入院もしばしばあった、ということである。


 その患者さんは私より少しだけ年上、40を少しだけ過ぎた方であった。私が来る5年ほど前に、全身倦怠感で当院に救急搬送され、高血糖のため糖尿病との診断にて入院。抗GAD抗体陽性のため、I型糖尿病と診断され、インスリンを導入されて退院となったようだ。退院後は不定期に受診されていることがカルテからわかり、血糖コントロールも極めて不良で、HbA1cは採血のたびに11%程度の値だった。微量アルブミン尿の評価は全くされていなかった。特定の医師にかかる、というわけではなく、診療所で、適当に医者を選んで、インスリンだけをもらう、という治療がその後数年続けられていたことがカルテから読み取れた。


 私の外来に初めて来られた時も、とりあえず、インスリンが無くなったから処方してほしいとのこと。空いていたから、という理由で私の外来を受診されたようだ。診察前に前回のカルテを確認し、インスリンの単位数と処方されている本数を計算すると、前回の受診からの日数と計算が合わない。患者さんを診察室に呼び込み、いつものようにopen questionから診察に入る。「調子はいかがですか」と聞くと「まあまあ」との答え。インスリンはきっちり打てているかどうか、食事のカロリー管理はどうか、ご自身に適切な摂取カロリーはいくらか、と聞いてみるが、そういうことを考えるのはお嫌いなようだ。インスリンを欠かさず打っているときに、低血糖にならないかどうか確認すると、それもよく分からないとのことだった。


 後日、古参の看護師さんからお話を伺ったが、患者さんのご両親が早くに亡くなり、ご自身は夜の飲み屋さんのママをしておられるとのことだった。なるほど、それでは食事もきっちりとることは難しいし、生活も不規則にはなるだろう。でも、生きていくためにはその仕事をしていかないといけない。そういう方には、糖尿病、特にⅠ型糖尿病は非常に厄介な病気である。


 しかし、今回は私の外来に初めての受診、しかもインスリンをもらいに来ただけのつもりなので、あまり深入りはできない。


 「まず、インスリンを欠かさず打つようにしてください。きっちり打つと低血糖になる、ということなら、薬が残っていてもおいでください。インスリンの調整をしましょう」

 と言って、定期で処方されているインスリン製剤、針を処方し、診察を終了した。


 その後、彼女は、源先生の外来を中心に来院(源先生は、あまりグチャグチャ言わず、ほい、と薬を出すので)していたが、ごくたまに私の外来にも来ることがあった。半年近く採血がされていないことに気づき、

 「時には採血もしましょう」

と声をかけ、採血をしたりしていた。彼女は夜診に来ることが基本だった。


 I型糖尿病の方は、原則糖尿病専門医に紹介、専門医の管理が必要とされている(教科書的には)。しかもコントロールが不良であれば、なおさらである。私も何度 も患者さんに、

 「糖尿病の専門医の治療を受けましょう」

 と声をかけ、専門医に紹介しようとしたが、受け入れてはもらえなかった。それもそうかもしれない。お酒を扱うお店を経営しているのであれば、午前中はおそらく眠っている時間だろう。私たちが「夜の診察」と思っているこの時間も、彼女にとっては、仕事前の時間を見つけて受診しているのかもしれない。彼女は彼女なりに、生活と病気と受診の折り合いをつけて受診していたのかもしれない。ただ、その頃は、それが理解できるほど世慣れした医師ではなかった。


 「最近、身体がむくんできて、しんどいんです」

と私の夜診に来たのは初回の受診から2年ほど後のことだっただろうか?下腿を押さえるとベコッと大きな圧痕がつく。

 「とりあえず、検尿しましょう」

 と伝え、検尿してもらった。ケトンは陰性だったが、尿糖は(4+)、尿蛋白も(4+)だった。おそらくネフローゼ症候群なのだろう。糖尿病性腎症によるものか、他の腎疾患によるものかは腎生検をしないと判断できない。

 「血液検査と、尿タンパク定量の外注検査を出します。結果を見てからになりますが、たぶん腎臓専門の先生に診てもらわないといけないと思います」

 と伝えた。検査をすることには同意してくれたが、とにかく今日はむくみをとる薬を処方してほしいと強く希望される。ループ利尿薬を追加で処方し、採血をして帰宅とした。利尿剤が無くなるころに彼女は診察に来られた。採血、検尿の外注結果を確認する。HbA1cは10%台とちょっと改善、腎機能の指標となるクレアチニン値は、以前は1.0程度だったのが2.3くらいに上昇していた。尿蛋白定量クレアチニン補正値は4.6g/gCre、血清アルブミンは3.2g/dlと、ネフローゼ症候群の診断基準を満たしていた。クレアチニン値が2台に上昇しており、腎機能としては正常の半分以下になっているため、腎生検の適応でもない。血圧はそれほど高くなかったが、腎保護を考えて、ACE阻害薬を追加、

 「腎臓内科に紹介状を書きますね。糖尿病の先生にも紹介状を書きますね。もう、専門の先生にお願いしないといけないレベルです」

 と説明し、紹介状を渡し、帰宅とした。翌月、また彼女は私の外来に受診した。実際に日中の受診は難しいのだろう。仕事のこともあり、自身の病気と向き合うのも怖かったのかもしれない。普段通りの診察を行ない、

 「紹介状はまだ持ってますか?専門医の先生に診てもらいましょう」

と伝えて、処方を行ない、帰宅とした。それを数回繰り返しただろうか、

 「もう体がしんどいです」

と彼女は最後の診察で言っておられた。

 「身体に水が溜まっているので、身体も重いし、心臓にも負担がかかっています。たぶんこのままだと、肺に水がたまり、呼吸困難を起こしたりすると思います。透析のことも真剣に考えないといけません。以前に書いた紹介状、もう一度書き直して、最新の血液データをつけるので、絶対に受診してください」

 と伝えて、再度紹介状を書き直した。それが彼女の顔を見た最後だった。後日、紹介状の宛先病院から「患者さんが来院されました」のFaxを受け取ったかどうかは記憶にない。


 最初の入院の時に、Ⅰ型糖尿病と診断がついた段階で糖尿病専門医に紹介していたら、その後の彼女の人生は変わっただろうか?やはり仕事に追われ、食事のコントロールやインスリンの打ち方もきっちりとはできないままであったのだろうか?


 そう考えると、当診でfollowせざるを得なかったのかもしれない。それも止む無しだったのだろうか?

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