第19話 クループ症候群の思い出

 診療所での当直中、子供さんの緊急受診で一番緊張するのは、喘息発作やクループ症候群だった。呼吸にかかわる疾患は重篤になると呼吸が止まるので命にかかわる。なので、全く気が抜けない。当直中でなく、一般外来中でも、待合室からクループ症候群に特徴的なケンケンとした咳嗽(犬吠様咳嗽と医学的には言う)が聞こえてくると、冷や汗が出てくる。


 今では「クループ症候群」と呼ばれているが、この名前にも歴史がある。クループ症候群の病態は、声門下の浮腫による気道閉塞である。特徴は先ほどの「犬吠様咳嗽」であり、「ケンケン」、という感じや「バウ、バウ」というオットセイの鳴き声のような咳である。


 DPTワクチンのおかげで、ほとんど見なくなったジフテリアは、咽頭~扁桃にかけての偽膜形成、声門下の浮腫、そしてジフテリア毒素に伴う心臓症状などが特徴的であった。ジフテリア菌によって起きるクループ症状は「真性クループ」と呼ばれており、それ以外のウイルス感染が原因で起こるクループ症状は「仮性クループ」と呼ばれていた。もともとクループは「真性クループ」と「仮性クループ」に分けられていたのであった。


しかし近年は「真性クループ」は見られなくなり、ほとんどすべてが「仮性クループ」となっていた。病気があるのに「仮性」というのもおかしな話なので、「仮性クループ」という病名が「クループ症候群」という形に変わったのである。

 

 さて、このクループ症候群、5歳くらいまでの子供さんに発症することが多く、もともと気管が狭いので、少しの声門下の浮腫でも呼吸を大きく妨げることになる。さらに悩ましいことには、子供は泣くと、それだけで酸素の取り込みが悪くなるので、できるだけ泣いてほしくない。でも、子供なので、お医者さんのところに来ると基本的には「泣く」。なので、泣かないように声掛けをしながら、ニコニコ顔で聴診し、パルスオキシメーターで酸素飽和度を確認する。検査としては技師の先生が来られているときは頚部軟線X線撮影を撮影し(基本的には正面、側面の2方向を撮る)、正面像でPencil signがあればクループ、側面像で喉頭蓋のthumb signがあれば急性喉頭蓋炎(これはクループ以上に慌てる疾患だが)と診断するのだが、技師さんのおられないときは、レントゲン室に置いてある様々な部位の撮影法を記載したアンチョコ本では、頚部軟線撮影の条件は記載されておらず、またレントゲンを撮るのも子供の場合は苦労することが多く、それで泣き出すこともあるので、技師さんのおられないときは臨床診断で治療を開始していた。


 小児科のトレーニングを受けた樫沢総合病院でも、医学部6年生の時にお世話になったK生協病院でも、クループ症候群の場合はまずボスミン(アドレナリン)吸入を行ない、その血管収縮作用で声門下の浮腫を改善させる。ただボスミンの効果は短時間で切れるので、すぐにステロイドを投与するのが治療の基本であった。ただ、何故か診療所にはボスミン吸入の習慣がなく(孝志先生も長年勤務しておられたのにどうして??)、診療所で初めてクループの患者さんを診察して、

 「まずボスミン吸入してください」

と看護師さんに指示を出すと

 「何ですか、それ?」

と聞かれる始末であった。ボスミンのアンプルを切ってもらって0.2mlを用意し、生食2mlに混ぜて、ネブライザーで吸入してもらう。比較的この処置で、犬吠様咳嗽は改善することが多かった。子供を泣かせたくなかったので、ステロイド投与はデカドロンエリキシルの内服で済ませることが多かった。デカドロン(デキサメタゾン)換算で5~10mg(エリキシルで5~10ml)を内服し(ステロイド量としては結構多め)、必要があれば、酸素投与もしていた。30分ほど経過を見て、酸素化の改善に乏しければ、高次医療機関に紹介していた。


 一度、午前3時ころに、5歳の男児が、

 「咳がひどくて苦しそうにしている」

 ということで、事前連絡なく受診されたことがあった。受付から電話を受け、慌てて外来に降りると、肩で息をしながら、時折犬吠様咳嗽をしている。看護師さんも呼んでまずパルスオキシメーターでSpO2を測定した。SpO2 88%。これはまずい!!。すぐにボスミン吸入の指示と、酸素投与開始を指示した。5歳くらいになると、鼻カヌラをつけても、ちゃんと必要性を説明すれば泣くこともなくつけてくれる。ボスミン吸入をしながら、薬局に駆け込み、デカドロンエリキシルを10ml計量し、紙コップに移して患者さんのところに持っていく。吸入が終わったらすぐにデカドロンを飲んでもらい、しばらくは酸素をつけたままで経過観察。子供さんや一緒に来たお母さんと少し雑談をして(もちろん、私は子供の状態変化の観察に注意を払っている)、10分ほどたったところでパルスオキシメーターで酸素化を確認。SpO2 99%となっており、今度は酸素を外して観察。10分ほど様子を見たが、咳も落ち着いており、SpO2を測ると97%にまで改善している。あぁ、よかった。本人も

 「楽になった」

 と表情も元気を取り戻している。院内在庫があまりないので、翌朝の分のデカドロンエリキシルを処方し、いったん帰宅、午前の診察に来てもらうように伝えて、帰ってもらった。


 その数年前、まだ私が診療所の常勤ではなく、小児科専門医の上野 孝志先生がおられたころ、早朝に救急車でクループ症候群の子供が搬送、玄関から救急隊が抱っこして子供を連れてきたが、救急車と処置室の間で、子供さんがクタッとなったとのことらしい。処置室に入れると心肺停止状態。孝志先生が気管内挿管を行ない、CPRを行なったが、残念ながら子供さんは亡くなられた、ということがあったそうである。子供さんの心肺停止の多くは低酸素血症、すなわち呼吸が止まってしまうことで起きる、と報告されている。なので、喘息やクループの患者さんが来るたびに、冷や汗をかきながら、対応したことを覚えている。患者さんはたくさん来られたが、「対応に慣れた」という感覚は、10年間診療所で仕事をしたが、全くなかった。


 偶然が重なって、助かりそうにない命が助かることがある一方で、あらゆる医療スタッフの手から滑り落ちていくように命が失われてしまうこともある。医師という仕事は、そういう点でも、常にプレッシャーを感じているのである。


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