第15話 「しんどいんです」の落とし穴

 ある当直の日、日付変更線も過ぎようかとするときに救急隊から電話がかかってきた。

 「そちらにかかりつけの方ですが、『身体がしんどい』との主訴で救急依頼がありました。バイタルは安定しています。受け入れは可能ですか?」

 との連絡だった。事務所のスタッフに確認すると、確かに当院に定期受診している人、とのこと。かかりつけの方なら断るわけにもいかない。

 「了解しました」

 と救急隊に返事をし、当直Ns.(この日は師長さん)に、

 「○○さん、身体がしんどい、という主訴で救急車で来ます」

 と声をかけ、外来の処置室(救急車からは処置室に入ってもらうことになっている)に向かった。事務スタッフがカルテを出してくれていたので、カルテを確認。80代後半の方だが、それまでは元気で外来にきっちり定期通院されていた。パラパラとページをめくると、時間外受診もあるのだが、深夜の2時ころでも、ご自身で受診されていた。一度も救急車での来院のない方であった。


 普段は深夜の時間外でもご自身で来られる方が、

 「しんどい」

 という理由で救急車を使って来院される、なんか気になるなぁ、と思いながら、点滴と採血の指示を書いた。


 それから5分ほどで救急車が到着した。救急車入り口を開け、救急隊と患者さんを誘導。救急隊の方も、

 「やれやれ」

 という表情で患者さんを連れてこられた。救急隊のストレッチャーから処置室のベッドに移る間に、少しご本人とお話。

 「23:30頃から、急に身体がしんどくなって、我慢できずに救急車を呼んだんです」

 とのこと。ふと見ると、患者さんは右手で、左の上腕のあたりをさすって(撫でる、という意味)いた。

 「○○さん、左腕さすっているけど、どうしたの?」

と私が質問すると、

 「しんどくなったころから、この辺りが重く痛いんです」

とおっしゃられた。その瞬間に、全員が凍り付いた。


 「師長さん、先に心電図をとってください。救急隊の方は、少しこのまま待機してもらっていいですか」

 と私は言った。救急隊の方も、先ほどとは全く表情が変わっている。先ほどの一言で、全員の頭の中にある病名が浮かび上がってきたからだ。その病名は

 「急性心筋梗塞」。


 すぐに師長さんが心電図を取ってくれた。前胸部誘導には教科書に載せたいほどに典型的な異常Q波と上に凸のST上昇が見られた。


 「○○さん、たぶん心筋梗塞を起こしていると思います。今から大きい病院に紹介しますね。ご家族の方はこの近くに住んでおられる?」

 と確認するが、お子さんは関東の方にお住まいとのこと。救急隊には、

 「心筋梗塞でした。すぐ転送の調整をするので、待っていてください」

 とお願いし、病院を探す。某病院のCCUドクターが

 「紹介状と心電図は後でFaxで送ってください。患者さんをすぐこちらに転送してください」

 と引き受けてくださった。

救急隊には、

 「某病院のCCUが受け入れ可能とのことでした。紹介状などはこちらからFaxで送ります。早く患者さんを連れてきてください、とのことでした」

 と伝え、患者さんはもう一度救急車に。本当なら致死性不整脈などが発症したときのため、救急車に同乗していきたかったのだが、そうすると1時間ほど診療所に医師がいなくなる。どうしても同乗が必要な場合は、源先生を呼び出すことになっているのだが、源先生が到着するにも時間がかかるので、なかなかそういうわけにもいかない。患者さんのバイタルは安定していたので、救急隊には

 「すみませんが同乗できません」

と伝え、すぐに出発してもらい、その後急いで紹介状を作成し、心電図とともに某病院にFaxを送った。


 誰も意識していなかった、左上腕を右手でさすっている仕草。私が気付いてよかった。それに気づかなければ、診断には結構時間がかかったと思う。自分がそのようなクリーンヒットを打つことは少ないので、誰も褒めてはくれないが、我ながらGood Jobだったとちょっとうれしかった。


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