第12話 経験値の違い
以前にも書いたが、私が子供のころ、診療所での受診は待つのが当たり前のことであった。2時間くらい待つのは普通で、今でも
「病院は待つところだ」
という気持ちを持っている。二次医療機関を受診するときは、1日仕事だと考えて予定を組んでおり、定期通院しているクリニックでも、2時間くらい待っても別に腹は立たない。医者は一生懸命仕事をしているのを知っているし、幼いころからの刷り込みはすごいものである。
一方、今は医師として外来を担当し、なるだけ待ち時間を少なくするように努力をしているのだが、時には重症の方や、ややこしい問題を抱えている患者さんが来られることがある。そうすると、処置や、問題解決の方法決定のためには、どうしても時間がかかってしまう。ずいぶん待たせてしまった、と思うときには、患者さんが入ってこられると
「大変お待たせしてすみません」
と謝罪するようにしている(恰好だけではなく、心から申し訳ないと思っているのですよ)のだが、やはり待たされたイライラをこちらにぶつけてくる方もおられる。 もちろん当初は心から
「すみません」
と謝罪するのだが、あまりにもしつこくイライラをぶつけてこられると、こちらもだんだんと腹が立ってくる。大声で患者さんとケンカしたことがあるのは一度だけだが、
「丁寧に診察が必要な重症の方が来たんだから、時間がかかるのはしょうがないやろう!」
という気持ちがだんだん強くなってくるのである。
九田記念病院では以前書いたように10分間に6人も押し込むことができる予約制で外来を行なっていたので、とにかくカルテがたまってくると、怒鳴られるのではないか、という恐怖心が強くなってくる。
「怒りの背後には恐怖が隠れている」
という心理学の言葉があるが、その通りで、恐怖心と同時にイライラ感が募ってくる。もちろん、診療所も、今の職場も予約制ではないので、
「予約時間よりずれ込んでるやないか!」
とは言われないが、
「もう1時間以上待ってますよ!」
と言われることはしばしばである。
そんなこんなで、待っている患者さんが多くなると、恐怖心とイライラが募ってくる私であるが、とある土曜日に、こんな出来事があった。
その頃は、土曜日の午前の診察は第一診察室が保谷、第二診察室は北村先生、上野先生と源先生はfree、という体制だったのだが、たまたま、北村先生と源先生がそれぞれ所用があり、その日は、第一診察室は保谷、第二診察室が上野先生、freeのDr,は不在、という体制だった。
土曜日は普段よりも患者さんが多く、毎週泣きそうになりながら外来をしていたのだが、Freeの医師がいないその日は、いつも以上に患者さんが多く、すごくストレスを感じながら外来をしていた。
AM11時ころだったか、訪問看護ステーションから連絡があり、
「悪性腫瘍末期で訪問看護に入っている患者さんが、訪問に伺ったところ亡くなられていたので、すぐ死亡確認に来てほしい」
とのことだった。私の外来に数回受診されていた方なので、私が行くべきなのだが、私の診察待ち患者さんが10人以上、上野先生の待ち患者さんも10人以上おられる状況であった。
「うわぁ、どうしよう・・・」
と途方に暮れたところ、上野先生が
「保谷先生、早く確認に行ってください。私は大丈夫ですよ」
と事も無げにおっしゃられた。
「先生、お言葉に甘えます。すみません」
と先生にお礼を言って、すぐ診療所の自転車で患者さんのお宅に訪問した。枕元に嘔吐の痕があり、口腔内も吐物で汚れていた、と訪問看護師さんから報告を受け、患者さんが消化管の悪性腫瘍の末期だったことから、悪性腫瘍による消化管閉塞、腸閉塞→嘔吐→吐物による誤嚥窒息で亡くなられたと判断した。その他、状況的に他殺、あるいは何らかの事故死を疑うものはなく、上記メカニズムによる病死と判断、死亡確認を行ない、近くにお住まいで、「そろそろ訪問看護師さんが来るから」と、カギを開けに来たご親族の方にも状況を説明、病死ということで死亡診断書を作成するとお伝えした。
そしてまた自転車を飛ばし、診療所に戻り、すぐに死亡診断書を作成。外来診察に戻ったが、その時には待ち患者さんを含め、待っておられた患者さんはほぼすべて上野先生が診てくださっていた。長年、たくさんの診察待ち患者さんを抱えながら外来をされていた上野先生にとっては、この程度の待ち患者さんはおそらくあまりプレッシャーに感じられないのであろう。改めて、先生の経験値の高さに感服した。先生の泰然自若としたご様子を鑑みるに、私はちょっと患者さんがたまったくらいでビクビクオロオロして、器が小さいなぁ、と痛感したことを覚えている。
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