第11話 上野先生に叱られたこと
外来を担当し、患者さんを診察すると、
「今は大丈夫、あるいは微妙なところだけど、今後悪くなるかもしれないなぁ」
と思う患者さんにしばしば当たることがあった。さらに悪くなれば、診療所で診ることは困難だなぁ、と思う場合は、
「今の時点では薬で経過を見ましょう。もし症状がひどくなるなら、大きな病院を受診してください」
と説明していた。
ある日、上野先生から、
「保谷先生、先生の言い方では無責任です。『ひどくなったら、遠慮なくまたこちらに来てください』と言ってあげてください。先生の外来に来るにせよ、ほかの先生の外来に来るにせよ、重症の時は責任をもって高次の病院に紹介します、と言ってあげてください。そうしたら、患者さんは安心します。転送が必要な時はその時に転送すればいいのですよ。ぜひそうしてください」
と指導を受けた。
それは上野先生のおっしゃる通りだった。どうしても、これまでの充実した医療体制から離れたところで外来をしていることで、及び腰になっていた自分を先生は叱ってくださった。
「かかりつけ医になる」
とは、確かにそういうことである。たとえ内科的、小児科とは異なる医療問題であっても、まず受け止めて、自分が対応できることは自分で対応する、自分が対応できないものについては適切な診療科を紹介すること、これも
「かかりつけ医の仕事」であり、
「総合内科医・プライマリケア医」
の仕事でもある。自分の及び腰を強く反省した。そうして「地域のお医者さん」の心構えを教えてくださった上野先生には本当に感謝している。私を叱ってくれた先生の愛情、医師としてのプライドは今でも私の中に残っている。
診療所を離れ、似たような役割を持つ病院で現在は勤務しているが、心構えは上野先生に教えていただいた通りで、
「具合が悪くなれば、詳しくカルテを書いておくので、薬が残っていても遠慮なく受診してください」
と伝えている。
敬愛する上野先生が自身のすべてをかけて作り上げてきた有床診療所、なので、上野先生の決定には、よほど医学的に間違いがなければ、
「わかりました」
と入院を受けてきた。前述の腰痛症の患者さんたちも、
「多分圧迫骨折だろうなぁ、何度も高次病院を行ったり来たりするけどしょうがないよなぁ」
と思っていた。重症の感染症であれば、ご家族には厳しいお話をして、全力で治療に当たった。おそらく、これまでは行なってきていないようなこともどんどん行っていたので、事務部からは、
「これはどういう処置ですか?」
「これはどういう意図でおこなわれたのですか」
とたくさん質問が来たが、一つ一つ丁寧に答えた。事務部のスタッフからも、
「そういう意図だったのですね。すごく勉強になりました」
と言われることも多かった。
ただ、以前にも書いたように、診療所に来て、医師の立場でみると、また違ったものが見えてくる。
診療所有床化当時は、地域の二次病院も多くはなく、入院が必要なのに入院させることができない人がたくさんおられたそうである。入院できなければ、往診で診察せざるを得ない。なのでそういう方を懸命に、でも歯がゆい思いで上野先生は在宅で治療を行なってきた。
「入院が必要な患者さんを、何とか入院させたい!」
という上野先生の強い思いが実を結び、ようやく有床診療所となって、入院が必要な人を入院させることができるようになったのであった。その先生の強い思い、努力には今でも、頭の下がる思いである。
しかし時代は変わり、現在のこの地域の医療体制を見ると、有床化当初の目的は終えたのだろうなぁ、という思いもあった。
何度か上野先生は、僻地の有床診療所の事例を出してきて、
「保谷先生、ここの診療所はこのように頑張って医療をしているよ。先生はどう思う?」
と聞いてこられたことがあった。
「先生、先生のおっしゃりたいことはよく分かります。もしこの診療所が、今紹介された診療所と同じように、高次医療機関まで救急車で2時間かかる、という立地であれば、僕は小児の入院も診ますし、内科の患者さんでも若い患者さんやもう少し重症の患者さんでも受け入れますよ。でも先生、ここから救急車で10分も走れば複数の高次医療機関にアクセスでき、20分も走れば、2つの救命救急センター、一つの国立病院、二つの大学病院にアクセスできます。
私たちがその患者さんを診る、ということは、逆に患者さんから、本来かかるべき専門医に受診する機会を奪っているとも言えます。先生がこれまでされてきたことは本当に立派なことで、私も先生を慕ってここにいます。でも、先生がしている医療は、先生のこれまでの歴史の上に成り立っており、先生だから許される医療だと思っています。先生と同じ医療を僕はできません。
現在の医療水準を考えて、高次医療機関での診察、加療が適当と判断すれば、僕は患者さんを紹介、転送しますし、緊急での受診希望があれば、そちらに誘導します。救急隊からの依頼であれば、高次医療機関に行くように伝えます」
とお答えした。
医学生だった私を応援してくださった上野先生に対して、ずいぶん失礼なことを言っている、とは思っていたが、私が医師として、この場所で最も患者さんのためになる医療はそういう医療だと思っていた。もちろん、今でもその思いに変わりはない。診れるものは全力で診る、私より、その患者さんを診るにふさわしい診療科があればそちらに紹介する、というのが私の医師としての在り方である。もちろん勉強をして自分の守備範囲を広げ、適切な医療を提供する努力をするのは当然のことである。もちろん上野先生も同じように頑張って医療をされてきたのである。ただ、先生の活躍された時代と、今の時代とは異なる、ということだと私は考えている。
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