第8話 教科書通りの医療?
診療所では内科の患者さんだけではなく、小児科の患者さんも診察していた。小児科できっちりトレーニングを受けたのは、医学生の時の某生協病院での1ヶ月と、初期研修医の時の樫沢病院の2か月だけである。なので、毎回子供が来るとドキドキしていた。
とはいえ、一生懸命研修に励んだので、「受けたトレーニングに忠実に」診察を行なうと、外すことはほとんどなかった。もともとの不器用さが影響して、点滴路の確保には自信がなかったが、後はそれなりに適切な診療を行なうことができたと思っている。
診療所での私のモットーは、
「100%の力で診察し、60%の力で治療を行なう」
というものであった。60%の力、というのは手を抜く、という意味ではない。
九田記念病院では、以前に書いたように、超重症の症例も、自分が主治医として治療に責任を持って、100%の力で治療にかかわっていた。しかし、設備もあまりない診療所では、設備のなさゆえに管理できない病態も多い。また、上野先生がお若かった20年ほど前の医療であれば、非専門医が入院加療を行なうことも可とされたであろうが、今の時代、私たちの地域では容易に専門医がいる入院可能な高次医療機関にアクセスできるのだから、少なくとも入院治療については、小児については専門医にお願いするべきだと考えていた。
また、内科分野でも、ショックなど命にかかわる病態であれば診療所で無理に診ずに、高次医療機関に紹介していた。そういう意味で、九田記念病院では自分で管理していた病態でも、無理をせずに高次医療機関にお願いする、という意味で、「60%の力で治療を行なう」ということである。
ただし、これはとらえ方によっては、これまでの診療所の在り方をある種否定することにもなる。決して、先人の努力を否定するつもりはないが、世間の医療に対する見方が変わってきたのである。医療そのものも高度化しており、「昔ながらの」では通用しない時代になっているのである。
個人的に、劇的に治療法の変わったと感じるものの一つといえば、脳梗塞に対する治療である。医学生のころの教科書では、
「脳血管障害を疑った場合はまず頭部CTを撮影する。出血であれば、出血部位によっては手術適応となる部位もあるので、脳神経外科医に相談。脳梗塞であれば、虚血に陥った脳細胞は短時間で壊死するので、広範な脳梗塞であれば脳浮腫を抑えるよう浸透圧利尿剤を用い、そうでなければ、壊死した周囲の細胞を保護するために抗血栓療法を行ない、早期にリハビリを始める」
というように書かれていた。
端的に言えば、脳梗塞を起こした部分はもう治療できないので、すぐにリハビリを始め、少しでも後遺障害を減らす、というのが基本的な考え方であった。このような考え方が標準的な時代では、診療所で脳梗塞の患者さんを管理することに問題はなかったと思う。
しかし、私が後期研修医時代に、血栓溶解療法が普及すると、考え方が大きく変わった。脳卒中であれば速やかに頭部CT、頭部MRIを撮影し、全身状態を評価して血栓溶解療法の適応かどうかを判断。適応であれば速やかに血栓溶解療法を開始、ということになった。現在はカテーテルを用いた血栓吸引療法なども行なわれているようである。当時、発症から血栓溶解療法開始までのタイムリミットは3時間。現在は4.5時間になっているが、それは治療に伴う合併症の頻度が3時間と4.5時間であまり変わらない、ということが明らかになったから延びただけで、治療開始が早ければ早いほど、治療成績は良く、合併症は少ない。”Time is brain.”という言葉が盛んに言われるようになり、脳梗塞発症から血栓溶解療法に辿り着くまでの時間が問われるようになったのである。
古くからの先生方や、事務長からは何度も、
「救急依頼があれば、まず診療所で評価して、それから高次医療機関に送ってください」
と言われたが、以前にも書いたようにそれは有罪とされる行為であること、また実際問題として、そんなことをすれば、貴重な時間を無駄にするだけである。
脳血管障害が疑われるのであれば、たとえ診療所のかかりつけの方でも診療所で救急を受けることはせず、速やかに血栓溶解療法のできる病院、その適応を判断できる病院への搬送を救急隊に指示すべきであると私は考えていた。そういう点で私は、教科書通りの医療を行なっていたのかもしれないが、やはりそれが基本であろうと私は今でも思っている。
最初に書いた小児科の患者さんでは、喘息を持っている子供さんも多く、喘息発作で受診されるお子さんが多かった。今ではCOVID-19の流行で名前が知られるようになったパルスオキシメータ、小児でも若年成人でも正常値は97~98%、高齢者では肺の状態によって変わるが、小児では95%を下回れば酸素投与の適応、成人でも、90%を下回れば酸素投与の適応である。
外来で喘息発作で受診された子供さん、測定すると95%を下回っていることが多かった。90%台であれば、まずβ刺激薬(診療所ではサルブタモールを使っていた)の吸入を行ない、年齢と時間的余裕があればステロイド(ソルメドロールを使っていた)の点滴を行ない、それでも喘鳴が聞こえ、SpO2 95%未満であれば、入院を前提として高次医療機関に紹介していた。これも教科書的対応であるが、そうすると私ばかりが紹介状を書いていた。
「わ~っ、患者さんの紹介状をすぐに書くから、PC変わって~」
と事務所で1台だけの共用PCに駆け付ける私を見て、事務所のスタッフはみんな、
「保谷先生、何を慌てているんだろう??」
と不思議に思っていたそうである。子供さんの状態が悪いと、早く診てほしいと思い、ガラガラに空いている私の外来に重症の方が集まりやすかったこともあるとは思うが、他の先生が慌てることがなかったのは、あまりそういった教科書的基準を意識せずに仕事をされていたからかもしれない。
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