第5話 少しは鑑別診断を考えようよ!(Part 1)

 診療所に来て2週間ほどたったころ、午前の診察中に、隣の診察室で診察しておられた所長の源先生から、

 「喘息の患者さんを入院させてほしい」

 との依頼があった。


 患者さんは50代の男性、学校の教師をしておられ、肥満はあるがタバコは吸わない。糖尿病はないが、脂質異常症があり、少し心も疲れておられるようであった。普段から源先生のかかりつけ患者さんで、心の薬も含め、複数の内服薬を飲まれている方だった。数日前から息苦しさを感じ、前日の源先生の夜診に受診。SpO2は90%(!)。カルテでは喘鳴は聴取せずと記載されていた。β刺激薬(サルタノール)の吸入とステロイド(ソルメドロール40mg)の点滴でSpO2が91%に改善(?)したので、いったん帰宅を指示されていた。受診当日も息苦しさが続く、との主訴で源先生の午前診を受診されていた。

 カルテや検査結果を見ると、SpO2 89%、胸部レントゲンは明らかな異常影はなく、過膨張している印象もない。心不全を疑う心拡大もない。何より、この方には喘息の既往がない。


 ゼーゼーしているわけでもないのに、明らかな低酸素血症。胸部レントゲンで心拡大もなく、心不全でもない。もちろんsilent asthmaの可能性は否定できないが、そうであれば昨日の時点で命にかかわる状態になっているであろう。

 「本当に喘息か?」

 と考えた。結構な肥満の方でもあり、明らかな低酸素血症を呈している。Pickwick症候群なら、慢性の経過の低酸素血症なので、ここまで強い呼吸苦は訴えないだろう(実際に数人、九田記念病院で経験している)。亜急性~急性の発症と考えると肺塞栓なども考慮する必要があるんじゃないか?特に肺塞栓が怪しいんじゃないか?こちらで入院より、高次医療機関に低酸素血症を主訴に紹介した方がいいのではないか、と私は考えた。


「源先生、僕、この方、本当に喘息か確信が持てないです。肺塞栓なども考えて高次医療機関に紹介された方がいいのではないでしょうか」

 と源先生にお話しし始めたとたん、待合室から大きな物音が!慌てて待合室に行くと、その患者さんが意識を失って倒れているではないか!


 「ほら!やっぱり」と内心で思いながら、

 「ストレッチャー持ってきて!パルスオキシメーターと酸素も!」

と叫んだ。頸動脈は拍動しており、自発呼吸はしっかりしていた。

 大柄な方なので、事務の男性スタッフも加わってもらい、男4人でストレッチャーに抱え上げ、SpO2を測定したが、なかなか測れず、測定値が出てきたらSpO2 64%だった。携帯用の酸素ボンベは流量が4Lまでしか投与できなかった。

 「全然足りないよ!」

と内心思いながら、ストレッチャーに患者さんを乗せ、処置室に移動。酸素を15L、リザーバーで投与を開始し、それでもSpO2は85%程度。倒れた直後の動脈ガスを取ったのだが、運の悪いことに、その当時は診療所にあった血液ガス分析機の調子が、その日は偶然悪く、結果が出なかった。1~2分ほどで患者さんは意識を取り戻した(よかった!)。


 ご本人にお話を伺ったが、倒れた瞬間は覚えていないとのことだった。胸部聴診するが、肺胞呼吸音もしっかり聞こえており、wheeze、crackleは聞こえない。やはりおそらく肺塞栓だろうと考え、救命救急センターにすぐ連絡。救急担当医が電話に出てくれたので、病歴を手短に報告した。

 「造影CTの結果はどうですか?」

と聞かれるが、

 「診療所でそんなものを撮れるわけがないやろう!」

という言葉をゴックンと飲み込んで、

 「当診は診療所なので造影CTは撮れません。すみません」

と答えた。

 「D-ダイマーの値はどうですか?」

と聞いてこられる。D-ダイマーを院内で測定できる医療機関なんて、地域の中心となる高次の病院くらいしかない。

 「『診療所』って最初から言うてるやん!」

と思いながら、

 「すいません。院内ではCBCや簡単な生化学検査しかできないので、D-ダイマーは測定できません」

と伝えた。10秒ほど間があって、

 「わかりました。すぐ搬送してください」

とのこと。すぐに紹介状を作成し、救急車を要請。救急車に同乗していったかどうかは記憶にないが、果たして、診断は私の予想通り、肺塞栓症だった。Fogartyカテーテルを使って、血栓除去術を施行されたそうである。


 患者さんは退院後、私のところに挨拶に来てくれて、

 「本当に危ないところだったと救命救急センターで言われました。助けてくださってありがとうございました」

 とお礼を言ってくださった。診療所で倒れて、そのまま亡くなってしまう、ということにならなかったことは、本当に偶然であった。あのまま心肺停止になってもおかしくなかったのである。

 「いえ、私たちができたことはわずかなことだけでした。そのように言っていただくと本当にありがたいです。お元気になられて何よりです」

とお答えした。


 患者さんの病歴、身体所見は正しい診断を教えてくれていたのである。本来は前日の時点で肺塞栓を含め、原因不明の低酸素血症として搬送すべきであったと思う。以前にも書いたことがあるが、患者さんの訴えから鑑別診断(可能性のある疾患)を考えるときに、必ず頻度の高い疾患と、命にかかわる疾患の二つの軸で考えるよう、九田記念病院では厳しくトレーニングを受けた。源先生は、診療所で臨床を覚えたとおっしゃられていたので、そのようなトレーニングは受けておられないのだろう。しかし頭の中に「喘息」という病名しか浮かんでこなかったのは、厳しいと思った。


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