ドローズ・モーメンタム ~自身の自由は他者の自由を無くす~

序文

 初めましての方は初めまして、そうでない方はご機嫌よう。

 拙作をこのカクヨム様で公開させて戴いているUzinと申します。

 一部の場所ではUUと書いて目をつぶっていると名乗ることもあります。


 さて、序文という事ですが、ノリと勢いで小説を執筆するというのに序文とは如何に?と自分でも思う所なのですが、まー、こういった事を考えながら書こう、書けたら良いな、書けるよね?的な感じでひとつ。


 まずは本作のタイトルにも書いています「自身の自由は他者の自由を無くす」から。

 これに関してはそれなりに生きている方々は肌で感じていることでしょう。

 ですが、大抵の場合自分が自由を無くしているときに実感するものだと思います。

 自分が他者の自由を侵害しているときと言うものは、大抵の場合気づけないものです。

 だってそうでしょう?

 貴方が他者から自由を侵害されているとき、貴方はそれを相手に伝えていますか?

 そして、貴方は他者からその主張を阻害するような言動をしていないでしょうか?

 とは言え、これはかなり難しい問題です。

 他者の自由を侵害している状況というのは、相手へ意図する意図しないに関わらず、何らかのストレスを与えていると言うことでしょうから。

 そして、そのストレスはただ言葉だけのものに収まるのか、精神に多大な負荷を与えてしまうのか、若しくは暴力(物理的・経済的等)等です。


 私達のようにこういった場所で表現を行っている身としては、執筆内容に介入してくる人達というのが解りやすい自由を侵害してくる他者でしょうが、それを読んでいる読者からすれば、読む為に掛かる時間…、自由に消費出来る時間に、読みたいものを読みたいだけ読める時間を、自分が読みたいと思える物では無いものを読んでしまい、時間を無駄に消費させられたと、考える人もいることでしょう。

 では、この執筆された小説を描いた側と、読者側はどの様に立ち回れば良いのでしょうか。


 これは、執筆者、読者間だけでは無く、他の物事にも言えること。

 また昨今、近代社会はストレス社会で昔は良かった等と言う言葉を耳にしますが、本当に昔はなにもストレスがなかったのでしょうか?

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