第10話 入学試験対策実施
グレイナ孤児院で話したことが切っ掛けなのか、定期的に開かれる下民街の集会でハンスがセントヘリアルへの入学試験を受けられるための対策を議題に挙げた。背景には自警団員の増加、治安の安定、それらによって可能となった人材の事業への惜しみない投入によって下民街が加速度的に発展を進めていることもあり、他にも優先事項はあれども前向きに対応していくこととなり、その一環としてまずは4つのことを取り組んでいくことが決定した。
一つ目は、壁内の知り合いに試験についての情報を聞くこと。これは下民に対して理解のある平民に聞くことになった。貴族には聞いても無駄であり、今も受験の妨害までされている以上、下民街が妨害対策を考えていることは悟らせたくない。いずれは露見するだろうがそれまではできるだけ伏せておきたいということで、貴族には接触をせず秘匿するととなった。
二つ目は、座学の授業について。現在は下民街のおよそ半分の地域で孤児院や学び舎による授業が開かれている。これをさらに広めていき、ゆくゆくは子供全員が授業に出られるようにすることを目標として立てた。セントヘリアルの試験内容には座学も含まれているが、普段から授業で学んでいれば特別新たに入学試験用の授業を開く必要もなくなる。平均学力を上げると同時に入学試験対策にもなるため、今後3年を目標に動くこととなった。なお、希望するなら大人でも学べるようにする予定である。
三つ目は、自警団が広い場所を借りて開く、近所の人向けの自衛、護身術の指導日の内、月に一度は受験希望者優先の指導日にすることが決められた。これはあらかじめ自警団が希望者の子供を把握する必要があるため、受験希望者は事前に自警団に届け出をすることも併せて決定した。また、その指導を受けるのは受験希望者優先だが、見学は自由となっている。
最後は、受験を開催する者、つまりセントヘリアルの人に直接話を聞きに行くこととなった。下民街の集会でこの対策の話を行った時期はちょうど受験受付の日が近づいた時で、セントヘリアルから人が来て受験の準備を始めている。準備期間には流石に貴族はまだいないので、そこでセントヘリアルの者と接触し現在起きている受験受付の妨害についてどう考えているのか、そして妨害に対して下民街が行う対策に協力してもらうことができないかを話に行くこととなった。そして、受験対策として座学と実技の授業を設けることが決定したが、それらが試験内容と合致しているのかを確認する必要があった。それらの情報は貴族の外交官が通信で得た情報とされているので、改竄も容易に行えるからだ。
そしてその会談のため急遽王都下民街の自警団副団長ハンスが数名の部下を連れて港町へと向かい、港町下民街の教育の取りまとめ役であるグラスという男性の老人の元を訪れていた。
「なるほど、話は分かりました。港町の下民街は王都の方に大変お世話になりました。なにより王都だけでなく各地にある下民街にも受験のお誘いをして頂ける以上、子供たちの未来を考える身としては断る理由はありませんな。」
パトリックと同年代の友人であり、嘗ては同僚、つまり教会騎士でもあったこのグラスという老人。現在は港町の孤児院のひとつで院長も勤めており、パトリックの友人・元同僚というだけあって歳のわりに非常鍛えられた体を持っている。机を挟んで座っているハンスも、もし戦うことになればタダでは済まないと感じ取っており、不快な思いをさせないよう緊張で身を強張らせていた。
「別にそこまで緊張なさらなくとも、取って食ったりはしませんよ。先程も言ったように、王都だけの利益を考えたわけでもない、ちゃんと他の街の子供のことも考えて下さっているので私は全面的に協力させて頂きます。」
「ありがとうございます。それにしても聞いていた通り流石ですね。こう見えても立場上、緊張を隠すことは得意だと思っていたんですが。」
このグラスだが、魔力探知の精度が異常なまでに高かった。非常に広範囲を調べることもできれば、範囲を狭くすることで魔力に乗った表面的な感情まで読み取ることができる。港町で紹介できる人物としてパトリックからグラスのことを説明されたとき、読心系の魔法を使うのだろうと勘違いをしていたが、あくまでグラスのそれは魔力探知を鍛え上げたもの、魔法は別にあるという。
「セントヘリアルの人の反応を知るためにもパトリックは私を紹介したのでしょう。あとは港町でも少しは発言できる立場であることも理由でしょうな。ともかく、もう既に今年の受験の準備のため飛空船は到着しております。会場となる建物に行けば誰かには必ず会えるでしょう。」
そこまで話すとグラスは徐に立ち上がる。ハンスが『まさか』と思うとその考えを読んだのかグラスは微笑みながら言う。
「善は急げと言うでしょう。面会の予約が必要な可能性もあるんです。それに貴族達は来ていませんが騎士や貴族の息がかかった平民らしき人物たちはちらほら壁内で見られます。早いうちに行動してしまいましょう。」
温和で思慮深そうな雰囲気からは想像できないほどの果断さを見せるグラスに、ハンスは、彼の同僚なだけはあると共通の知り合いである王都の孤児院の院長を思い出す。
そうして二人は簡単に支度すると孤児院から出て壁内の街の一角にある受験会場へ向かう。途中で魔防砦の門が解放されているのを見て、ハンスは門を潜りながら防衛上の観点から眉を顰める。
「ああ、門が開いているのが珍しいですか。そういえば王都では下民が入れないようにという理由でほとんど門は閉じているんでしたな。ここは貴族が常にいるわけではないので、そこらへんは王都ほど厳しくは無いんですよ。昔は領主もいたみたいですが、この港町はこの国の玄関口です。そこを一領主が治めるというのに激しい反対があったので、以来ここは王族の直轄地として扱われています。その上直轄地といっても代官を置いているわけでもないので、下民と平民は普段から交流や取引をしています。」
「代官も置いていないのですか?それは不用心にもほどがあるのでは。」
「王都はこの国内限定ではありますが技術の最先端を行く都市、貴族が住むには快適です。そしてほとんど、と言うか全ての貴族が集まっている場でもあります。そして受験などでは協力していますが、実際は貴族同士も対立が激しいので、そうした貴族社会に置いて行かれたくない貴族たちはわざわざ王都から離れようとは思わないのです。こちらとしても変に監視されるよりはそちらの方が都合がいいので、統治していなくとも問題が無いように見せかけています。」
よく見れば門の内と外をかなりの人が行き来している。この町に来た時、ハンスは王都以上の活気を感じていたが、それは勘違いではなく実際に王都以上の発展を見せているのだろう。
そんな話をしているうちに二人は受験会場の建物前にたどり着く。受験会場の建物は港に面した建物で、受験期間中はセントヘリアルに貸し出されており、建物の中は治外法権となっている。
「さて、準備期間というだけあって皆さん働いておりますな。ですが、決して忙しなく動いているわけではない。ならば、本来は話くらいは聞かせてもらえると思うのですが・・・。」
そしてグラスが周りを見渡し、魔力探知で準備をしている人の感情を読み取る。
「こうしていても、特にギスギスした緊張や過剰な警戒も感じ取れません。」
「さてグラス殿、まずは誰に話しかけるべきだと思いますか?」
「何人かこちらに注意を向けながら作業しているものがいます。私たちが近づけば何かしらの反応を見せるでしょう。無害なことを示し隠し事はないと、堂々と近づいてみましょうか。」
そう言うやいなや堂々と準備中の受験会場に向かって歩き始めた。自分よりよっぽど度胸があると半ば感心、半ば呆れながらハンスもあとに続く。
二人が近づくとやはり何人か注意を向けていたのか、身構えるあるいは警戒が強くなったことをグラスだけでなくハンスも感じ取る。そして近づく二人に対し準備している内の何人かが、設営のために張られていた規制線のすぐ向こう側で待ち構える姿勢を見せた。
「申し訳ございませんが、この線よりこちら側は現在立ち入り禁止となっておりますが、何か御用でしょうか?」
設営中に手に持った板のようなものを見ながら指示を出していた女性がハンスとグラスに先に声をかける。その後ろでまだ作業中の者はこちらを気にしながら作業しており、一目見て警備とわかる武装した人も二人、その女性の後ろに立ち警戒を強めていた。
ハンスはこの時期に港町に来たことがないため、初めて他種族の人を見たことによる感動と、相手の女性が非常に綺麗な女性だったことによる気後れによって初動が遅れてしまう。それを感じさせぬようフォローも兼ねてグラスが返事をする。
「お初にお目にかかります。私この港町の、彼は王都の下民街の者です。今後の下民街のあり方を考えていく中で、セントヘリアルの受験について情報を得たいという話に至り、話を聞かせて頂けないか我々が代表してお伺いに参った次第です。」
「受験についての情報、ですか?それは既にこの国にも伝えているはずですが・・・。その情報は国中に告知するようにも通達が出ているはずです。」
「通達された情報も正直言って怪しいと思っておりまして。そこのすり合わせも含めて、まとまった時間を取って頂けないでしょうか?」
近年は無くなっているが、試験前に話に来る者は大抵貴族であり、それも受験に便宜を図るよう伝えてくるものばかりなため、今回来たのもそういった貴族が身分の低い者を使い走りに同じような要求をするために来たものと考えていた。
しかし、グラスがあくまで相手の事情を伺う姿勢を見せており、尚且つ命令されたにしてはあまり必死な様子を見せないことから、多少は話す価値が有るかと考える。仮に、やはり便宜を図るような話だったならば、いつもどおり追い返せば問題ないと思い、女性は直感に従い対談に応じることとした。
そうしてハンスとグラスは建物の応接室のような場所に通され、現場責任者の妖精族の女性が武装した護衛を二人連れ人数分の飲み物を持って入ってきた。
「では初めに自己紹介を。私はカーラ。人族の国で行われるセントヘリアルの学院都市総合入学試験において現場責任者をしております。」
「改めまして、私はグラスと申します。港町下民街にある孤児院のうちの一つで院長を勤めており、港町下民街での教育について取りまとめもしております。今回の話し合いでは隣の彼と共に下民街を代表して話を伺いに参った者です。」
「お初にお目にかかります。俺・・・私はハンス。王都下民街の自警団で副団長を勤めております。紹介されたように、隣のグラスと共に今回下民街を代表してこちらに伺わせてもらいました。」
「グラス様、ハンス様と、・・・よろしくお願い致します。早速ですが入学試験についての情報を聞きに来たと仰っておりましたが、受験についての情報は受験受付日の2ヶ月前に詳細をこの国に送っており、その情報を身分関係なく広く伝えるよう要請を出しておりましたが、何かわからないことがありましたか?」
「ええ、申し訳ないのですがいくつか確認を。まず、毎年行われる入学試験というのは、合格するとどのような学院に入学が許されるのでしょうか?」
最初にグラスが疑問を口にするとハンスは訝しげな様子でグラスをまじまじと見る。本来あらかじめ確認する項目についてある程度まとめていたのだが、グラスの質問はそれから外れたものだったのだ。グラスとしても言い分はあり、目の前の女性の自己紹介の時点で疑問が生じたためまずはそれを確認しようと思っての遠回しの質問であった。
「どの学院に入学するかは合格者がある程度自由に決めることができます。合格者は様々な特徴がある都市内の複数の学院から、自らの得意分野、学びたい分野によって通う学院を選ぶことができます。基礎教育については同じカリキュラムとなっており、学院ごとに専門教育の内容が異なる形となります。各学院で人数制限もありますので、それを超えた場合は試験の成績順、あるいは臨時で追加試験を行う形となります。各学院とそれぞれの授業内容についてはあらかじめ連絡しておりますが。」
淀みなく返事をするカーラは怪訝な表情を浮かべている。それはまるで、なぜ今更そのようなことを確認するのかと言わんばかりの表情であった。それを見たハンスとグラスは顔を見合わせる。
「これは・・・。情報を意図的に隠されていたということですかな。」
「ええ。今は貴族とその息がかかった者した受験していないということは、平民でも知っているものは少ないでしょう。ですが、この情報を隠す必要がありますか?別に受験合格後の動きが変わるだけでしょう?既に妨害を行ってそれが上手くいっている現状、わざわざ隠す必要なんてないでしょう。」
「・・・確か、こうした貴族の妨害は種族間交流が途絶えた直後から行われているはずです。恐らく当時はセントヘリアルの学び舎が一つだったか、あるいは人族を受け入れる学院が限られていた、その時から使っている偽装告知を齟齬が出ないよう今も流用しているといったところでしょうか。その後約50年で学院の数が増えたが、妨害が上手くいっているので隠したままでも問題ないと判断したんでしょう。まあ、この隠蔽については別に大した問題じゃないので今は気にしないでおきましょう。」
二人が話している内容から、カーラも試験に対しての公平性に疑いがあると感じ、今回二人との対談の話を受けて正解であったと自らの直感に感謝する。そしてグラスとハンスの相談が終わり改めてグラスが話を中断させたことを謝罪する。
「申し訳ありません、取り乱した上にこちらだけで話をしてしまって。どうやら受験についての基礎情報も我々が知っているものと齟齬があるようでした。今は会場設営中だと思うのですが、そちらはどれほど時間をいただけるでしょうか?申し訳ないのですが、最初から詳しく話を聞かせて頂きたいのですが。」
グラスの確認にカーラは懐から懐中時計を取り出し確認する。その懐中時計一つとっても下民街では到底出回らないような逸品であった。
「現場の設営を行っている者の中で半数以上は何年も設営に関わってきましたので作業自体は私がいなくても問題ありません。私はその日の最終確認だけでもしなければなりませんが、それまでにはまだ十分時間があります。もし緊急だったりして私の確認が必要な事態になれば、申し訳ございませんがその度に中座させていただきますが、それでもよろしければ。」
「ええ、もちろんです。そのような中で時間をとっていただき感謝致します。」
そうして時間の都合がつき、カーラも護衛の一人に現場の方に何かあったら応接室にいると伝えるよう指示を出し、話し合いは再開された。
「まず本当に基本的な内容から。試験は1年に1度、この港町で行われます。受験できるのは翌年で10歳になる子供のみ、身分は問いません。試験日は毎年11月、これは入学式の1ヶ月前でもあります。試験受付会場の設営はセントヘリアルの者のみで試験の1か月前から行い、試験中はこの建物の中には受験者と我々しか入ることは許されません。」
「ふむ、そこらへんは事前に聞いていた通りですな。ハンスはどうです?」
「こちらも齟齬はありません。」
「ならば続きを、試験の流れについて説明致します。受験ではいくつかの試験が行われますが、この受付会場で行うものと、飛空船に乗りセントヘリアルに到着するまでの移動中に行われるもの、そしてセントヘリアルに降りた後に行うものがあります。
まずこの建物内で受付を行います。試験を受ける上での注意事項を記入した紙をお渡しして、異議が無ければその紙に必要事項を記入して提出して頂きます。その紙がいわゆる受験願書です。そしてその願書を提出した時に最初の試験、簡易魔力量測定を行います。実技試験では非公開技術が使用されているためセントヘリアル本国でしか試験を行えないのですが、その非公開技術というのは一定以上の魔力量がないと起動できないため、それを確認するための試験とも言えます。またこの大陸からセントヘリアルまで受験者を乗せる船にも収容数に上限があるため、もしその魔力測定での合格者が飛空船の収容数上限以上だった場合は測定結果の下位から順に試験に落ちることとなります。」
「試験の内容など、俺は初耳なのだが・・・。」
「私も同じく初耳です。対策を取れないようこれも隠蔽されていたと見るべきでしょう。魔力量は個人差はあれど魔力の使用を重ねることで成長させることが出来る。もし貴族の妨害を抜けた子供がいた場合でも、貴族からすれば試験に合格させなければいい。つまり最初の試験では魔力量が低ければいいということです。」
「そ、そうですか。この時点で違いが・・・。ですが、その魔力量も普段の日常生活や魔力成長期で十分合格ラインは超えられます。その合格ラインだけを考えれば特別な訓練は必要ないと言えるでしょう。」
カーラはこの国の一部の者――セントヘリアルとの外交を行っている貴族にしか情報を伝えず、その人物に情報の拡散について丸投げしてしまっていることの問題点を改めて実感していた。そして長年行われている受付の妨害も合わせて貴族に対する怒りが込み上げてくる。
「今こうして説明して下さっているということは、もしかして試験内容は毎年同じで、このようにおおよその概要も説明されているんですか?」
「ええ。試験の詳細、例えば筆記の問題内容などはもちろん伝えられませんが、試験の種類は事前に告知されているはず・・・だったんですが・・・。」
「・・・はぁ。ハンスよ。もう試験について秘匿されていることが多いのは理解できた。それを疑っていたが故に試験の情報を最初から聞こうと決めたのだ。頭を抱えるのは後にしよう。」
「そうですね。話を遮って申し訳ない、カーラ殿。続けて下さい。」
「はい、それでは試験の流れの続きから。入学試験の受付が終わってから、魔力量に問題が無い方は飛空船に乗船します。一人一部屋が割り当てられその中でセントヘリアル到着まで過ごしていただきます。そしてその部屋の中で次の第2試験である筆記試験が行われます。制限時間は到着までの約1日半。その間部屋の外に出る、部屋の中で故意に何かを破損させる、部屋の物を盗む、といったことをした場合は不合格となります。魔法の使用、魔力操作などは他者と連絡を取ったり、物を壊すようなことをしなければ許可されております。」
ここまで説明して、カーラは一度持ってきていた飲み物を飲み喉を湿らせ、グラスとハンスにも「どうぞ飲んでください」と勧める。
「飛空船が到着した日に次の第3試験を行います。ここからは自分の得意分野で受ける試験が変わります。大きく分けて4つ、戦闘、支援、開発、経営になります。戦闘と支援は主に魔法を使用した試験になります。開発、経営は魔法も使用しますが発想力、思考力を主に見る試験となります。
ここでは全種族含めて受験生が多く選んでいる戦闘について説明致します。
まず第3試験は魔力障壁が複数付与された的に向かって攻撃し、障壁を何枚破ることができるかを測ります。試験開始から10秒以内であれば何度攻撃しても構いません。
そして同日に第4試験を行いますが、ここから先の試験は怪我をしないための特殊な結界、先程少し話に出てきた非公開技術ですが、その中で試験を行います。結界内では人は幻体と呼ばれる仮の体になります。幻体を生み出すためには最低限必要な魔力量が決まっていますので、それを最初の試験で測っております。幻体が怪我をすると実際に怪我をしたのと同じように痛みが走りますが、実体は怪我をしておりません。そして幻体は血の代わりに魔力が流れ出します。自然治癒するのを待つか回復魔法で治癒しないと魔力が流れ続けます。そして幻体が死亡した場合、または魔力がなくなった場合は結界からはじき出されてしまい実体に戻ります。そうした幻体の状態で第4試験は魔物と戦っていただきます。この魔物も結界内の幻体で構築されており、実際にはその場に存在しておりませんので逃げ出すような心配はございません。戦う魔物は受験者全員同じ魔物となっておりますが対策を立てられぬようどの魔物なのかは公開されず毎年変わります。
その日は第4試験で終了し飛空船の部屋で寝泊まりをしてもらい、次の第5試験は翌日となります。第5試験は受験者同士の幻体による実戦となります。組み合わせについては完全にランダムとなっております。
それと、第4、第5と幻体を使う試験ではどちらも降参が認められます。状況に応じた判断力は勝利よりも高い評価が得られる場合もあります。
全5試験で入学試験は全て終了となります。試験終了後、再度飛空船で宿泊、翌日までに試験官が試験結果をまとめ、翌日飛空船の部屋に試験結果が届けられる形となります。
合格者はその後一箇所に集められ、いくつかの説明を受けた後本当に入学するかを確認、承諾した者は晴れて学生としてセントヘリアルの国民として登録されます。」
そこで一度説明はひと段落し、全員が飲み物を飲んで一息つく。カーラから試験の説明を受けてハンスとグラスはため息を吐いた。
「初耳の情報がたくさんありましたねぇ・・・。」
「何のために、というのは意味のない疑問なんだろうな。あいつらは今生きている自分たちのことしか考えていないんでしょう。国の発展を遅らせても自分たちさえよければそれでいいと。」
思った以上に腐敗している国の上層部にハンスとグラスは薄ら寒いものを感じる。貴族としての心情的優位を確保するためだけに国の発展を遅らせ、身分間で亀裂を作り今も緩やかに国を衰退させている。そんな国の実態を身近に感じてしまったハンスとグラスは、しかし今考えることではないと気を取り直しカーラとの対談を続ける。これからは事前にまとめていた質問事項の確認である。
「確認したいことがあるのですが、学院で学ぶのに費用はかからないのですか?話を聞くと持ち込める荷物も制限がありそうですが、そうなると換金性のあるものも大して持ち込めないような気がするのですが。」
そんなグラスの疑問を受けて、カーラは今日何度目になるか分からない驚愕を表情に浮かべる。
「・・・貧富の差は全世界的に存在していますので、当然その救済制度もあります。そのことも発表するよう通達を出していたのですが。」
グラスとハンスの顔に浮かぶのは「またか」といった諦めの色。これも受験生を減らすために秘匿されていたのだろう。
「学費の救済制度はその人の試験中の総合的な成績でランクが付けられます。過去の人族の貴族は、入学試験の成績だけで見れば皆様合格されています。ですが実際に入学する人が少ないのは、試験の最中に問題を立て続けに起こして入学資格を失ったり、荷物の配達が非常に高額で仕送りが望めないとわかり救済制度を検討したものの、その際最低ランクとなったことに納得がいかずそのまま辞退する人が多くいたためです。」
「・・・本来ならもっと合格者がいてもおかしくなかったと?」
「ええ。より正確に言わせていただくなら、合格者は多数いましたがその後ほとんどが入学を辞退された、ということです。」
人族の国の中ではセントヘリアルの入学試験の合格は狭き門として知られている。貴族が実際は合格していたということを公表していないのは、貴族でも不合格者多数とした方が試験を受けようとする下民や平民が尻込みするだろうと考えてのことであった。一貫して下民と平民の受験を阻止しようとする方針のために不合格者のレッテルが貼られた貴族の子供には少し同情してしまう。
「一度入学した者が帰国したという話、あるいは連絡が来たという話を聞かないのですが、何か理由があるのでしょうか?」
「一度入学した者は卒業まで帰国ができません。これは技術漏洩対策の一環で、同じくセントヘリアルからこの国への連絡も厳しい制限がされています。」
「連絡の方は禁止されていないと?」
「はい。とは言え、手紙も荷物のやり取りも検閲が入ります。そもそも国家間の定期便などもありませんからもし荷物や手紙を送るならその費用は膨大なものになってしまいます。通信はこの国の技術では長距離の通信に堪えられる魔道具は作れませんし、国家間のやり取りで使用している長距離通信魔道具は相手が決まっています。この国の場合は外交用に過去作製された魔道具だけです。」
そこでカーラは一旦言葉を区切り、言いにくそうに帰国者がいないことの説明をする。
「帰国者がいないのは、生き残った人族の方は誰もいないからです。」
「・・・それは、過去数十年間で入学した貴族の誰一人としてですか?まさか、暗殺とかが・・・。」
「いえ!そういうわけではありません!申し訳ありません、不安にさせましたね。その、人族の貴族の方というのは例外なく大きな犯罪を犯すか、罰金刑、借金を重ねて首が回らなくなり、どちらも最終的には最前線に強制兵役を課せられ、そこで兵役を終える前に戦死してしまうんです。」
「それはまた・・・。」
グラスとハンスは呆れた様子を見せる。カーラは説明しなかったが、中には質の悪いところから金を借り、返済することができず闇ルートで違法奴隷として売り捌かれたり、重犯罪を犯した結果死刑判決を下された貴族もいた。
「学費の救済制度で授業に関係する費用は、将来返済する必要はありますが在学中は負担する必要がありません。アルバイトなどで娯楽のためのお金も稼ぐことができますから、学生生活を謳歌するには充分なもので、稼ぎに合わない贅沢をしなければ基本的には問題ないんですが・・・。」
カーラも不思議そうに首を傾げる。人族の国から何度も帰国者がいないという問い合わせと抗議が来ており、その度に理由は説明されているのだが、一向に改善が見られないのである。
「・・・では、費用については問題はないということで。次にお尋ねしたいのが、試験受付の建物には受験者しか入ってこれないのですよね?」
「はい。たまに強引に引率だと言って親も一緒に入ろうとするのですが、そうした場合その子供は試験を受ける資格無しとして失格にすると明言しております。実際に子供ではなく親が駄々を捏ねて失格になった受験希望者も過去にはいらっしゃいます。」
「では、この建物内に転移魔法で入ることは可能ですか?」
「転移魔法で?・・・ああ、なるほど。受付期間中に貴族が建物入口前に集まっていることですね。毎年あの人数が集まりあれをしているのを見ると・・・。」
「わかります。この国の貴族は基本的に暇なんです。」
「貴族ですよね?普通は・・・、と失礼しました。国によってあり方が違うのでそこは追求しても意味がありませんね。それで、転移魔法でしたか?建物内を破壊しない、試験結果の改竄に繋がらない、他の受験生の邪魔をしないのであれば魔法の使用も構いません。」
それを聞いて少なくとも受験希望者を建物内に送ることだけならば可能な算段がつく。問題は転移魔法を使えるものが少なく、また転移魔法は元々魔力消費が大きい上転移する人数、転移距離によってさらに消費が跳ね上がるため受験希望者が多くなると魔力が持たなくなる可能性があることである。そして建物内の受付前のスペースで、転移魔法で周りの物に重ならないよう場所に余裕を持って転移するとなると、あまり一度に大人数を転移させられないため往復回数が増えることでやはり消費が大きくなる。転移距離を縮めることも考えたが、近くで大人数が転移をしていると、流石に貴族たちにも転移魔法の起点がばれて、妨害に出る貴族が必ず出るため距離を取ってなるべく秘匿しての転移をしなければならない。
「それでしたら、この建物はいざという時のために裏口と非常用脱出口が何箇所かありますので、それを各1箇所ずつ提供しましょう。裏口は単純にこの建物の裏にある従業員専用の出入り口とは別にある裏通りから建物に入る際使われていた扉です。正面入口と違い普通の扉なので貴族の方もあまり注意をはらっていないでしょう。職員も出入りさせてもらいますが、逆にそれが多少のカムフラージュになるかと。それがバレて裏口も妨害された場合は非常用脱出口を利用します。これは本来、有事の際に地下を通って逃げ出すためのひとつです。なのであまり公開はして欲しくないのですが、そもそもこちらにも通達されていたかを確認していなかった落ち度がある上、状況が状況ですのでひとつだけ開放致します。ですが、そこもバレてしまった場合はもうこちらから提供できる出入り口はなくなります。あとは転移魔法だけとなるかと。」
「いえ、そこまで配慮していただき感謝致します。」
カーラのこの対応は事後報告という形になるがセントヘリアル本国でも承認される。それどころか虚偽の受験案内の発表がされたことを重く受け止め国からの正式な抗議が出されるまでの事態になるのだが、そんな予想など欠片もしていないグラスたちはそのまま続けていくつかの確認を取ってようやく会談は終わりを迎える。
「長々とお時間を取って頂きありがとうございました。我々もこれにて失礼させて頂きます。」
「それでしたら、試験受付当日に解放する非常用脱出口を通ってお帰りください。そう何度も話ができるわけではないでしょうし、今の内に教えておいたほうがよいでしょう。」
「ふむ・・・ありがたいですが、おそらく今年の試験でそこは使わないと思います。今回話を聞かせて頂いて、それを広めたところで急には認識は変わらないので、受験を受けようという子供も急には出てこないでしょう。居たとしても人数は少ないでしょうし、それでしたら対処もしにくい転移魔法で入ったほうが今後のためになる。なので今年それを教えていただいても・・・。」
「いえ、非常用脱出口は毎年同じものを使用しております。既に地下の通路がいくつか整備されており、使ったことがないのでバレてもいません。今年教えて使わなかったとしても、来年も同じ脱出口を開放しておきますので問題ないかと。」
「それならば・・・。」
「いやグラス殿、ここはやはり入ってきた正面から出たほうがいいと思う。ただ、開放してくださるという非常用脱出口を確認だけはしておきましょう。受付会場の準備期間から貴族の手の者がいるとグラス殿は言っていたが、ならば入ったはずの人間が出てきた様子もないのにいつの間にか外に居た場合、転移魔法か他の出入り口を想像されてしまいます。転移魔法ならまだしも非常用の脱出口がバレてしまえば手札を一枚失うことになります。」
ハンスの指摘にグラスとカーラはなるほどと納得を見せる。
「それでは魔力を抑えて下さい。非常用脱出口をご案内いたします。」
「ええ、宜しくお願いします。グラス殿、場合によっては荒事か逃走劇になるから覚悟しておいてください。」
「さっき懸念していた貴族の手の者か。老骨には厳しいがもう一頑張りといきますかな。」
そうしてカーラに案内されて、試験受付日に解放される脱出口の地上出口を確認した後、グラスとハンスは建物に戻りそのまま正面入口から揃って建物を後にした。
(やはり、こちらを伺っている者が数名いるようですな。)
(こちらに仕掛けてきそうですか?)
(いえ、そのような血気盛んな感情は感じ取れません。あくまで彼らの役目は監視。今日我々がここを訪れたことは報告され、間違いなく貴族の知るところとなるでしょう。)
(・・・グラス殿、話をしていて思ったのだが、下民街にも貴族の手の者はいるだろうか?そうなってくると転移魔法はまだしも裏口や脱出口のことはあまり公にはで着ないのでは。)
(確かに・・・。受験希望者を確認だけして、方法は信頼できるものだけで共有するべきですか。)
(身内を疑いたくはありませんが、そのほうがいいでしょう。)
小声でやりとりしつつ周りを警戒し、いつ襲撃があっても対処できるよう備えていたが、グラスの予想通り監視のみだったのか襲撃が起きることなく彼らは港町の魔防砦の門から外に出て下民街に戻ることができた。
「流石に今日は遅いから、ハンスも孤児院で泊まっていくでしょう?今回知った情報の取り扱いについても話し合いたいですし。」
「ああ、申し訳ないが世話になります。」
そうしてグラスが院長をしている孤児院へと向かい、そこで改めて今後について話し合う。
「まず、試験について改竄されて内容は、我々だとはっきりバレないよう対策した上で正しい内容を大々的に告知すべきだと思います。まずは貴族の優位性を揺らがせ、平民の間でも貴族に対する不信感を抱かせれば、貴族と懇意にしている平民も動きにくくなります。そうなれば貴族が情報を得る手段も減らせることになり、こちらはその分動きやすくなります。」
「そうですね。あと裏口と脱出口ですが、こちらは下民街で独占することとしましょう。」
「いいのですか?これは後々文句を言われるんじゃ。」
「ええ、こちらはあくまで貴族の妨害で受付ができないものの救済案です。既に貴族と懇意にしている平民もいて彼らは試験を受けることができます。これから試験を受けたい平民はそういった平民を通じて妨害を抜けることも可能でしょう。まあ、その際何を要求されるかわかりませんが。しかし下民にはそういったツテがほとんどありません。平民への伝はあっても、その平民が貴族と懇意にしているかとなると可能性はかなり低いでしょうし、仮にそうであったとしても貴族は下民のために動くことはないでしょう。」
「まあ、確かに想像はできないか。分かりました、裏口と脱出口は情報を制限しましょう。」
「そして、この情報を下民街でもだれに教えて良いかは・・・。」
「広がりすぎるとつい口が滑ることも多くなります。実際に実行する時まではできるだけ口が堅い信頼できる者のみで共有すべきですが・・・。」
そこまで言ってハンスとグラスは頭の中で該当するも者を思い浮かべていく
「まずは受験希望者を募る必要があるのと人数をできるだけ把握しておきたい関係から、各都市の下民街の教育取りまとめ役と、下民街の学び舎の代表には伝えるべきかと。」
「そうですね、受験希望者を集めるならば最低でもそこには話を通しておいたほうがいいでしょう。あと、自警団関係でも、各下民街の自警団団長と副団長、あとは所属関係なく転移魔法を使える者には依頼する必要もありますからそちらにも情報は提供する必要があります。」
「それ以外は必要に応じて集会などでめぼしい人物がいれば、といったところですね。それでは、王都に戻ったら情報の拡散について集会で働きかけを任せてもいいですか?私は港町での対応を引き受けますから。」
「はい、わかりました。王都に戻ったら早速取り掛かります。」
そうしてハンスとグラスは簡単な打ち合わせを済ませ、その後一泊した後の翌日早朝にハンスは急ぎ王都へと戻っていった。
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