第2話 カイン

 到着した孤児院の扉を叩きながらハンスは中に呼びかける。


「院長、いるか。自警団のハンスだ。話があるから開けてくれ。」


 呼びかけてしばらくすると中で人が動く気配があり、その後すぐに扉が開く。出て来たのは髪とヒゲは白髪になり、顔にも皺が多く刻まれた男性の老人。体は鍛えられており、腰は曲がっておらず見た目よりも老いを感じさせない。


「まだ日も登っていない時間に騒がしくするな、子供たちが起きるだろう。何の用だ、ハンス。」


 元聖職者にして元教会騎士パトリック。元々は壁内の教会を守る騎士を勤めていたが、教会の考え方が受け入れられず自分の考えを貫いて追放されてしまい、現在はこのグレイナ孤児院の院長を務めている。


 壁内の教会は現在特定の信仰対象も無く、建前上平民の生活に寄り添い悩みや不安をまとめ、それらは匿名で情報を上げて町の運営のために利用すると謳っている。教会の名前の通り昔から続いている信仰についても取りまとめを行っており、また教育についても全て教会が請け負っている。


 パトリックは神を信じているわけではなく、ただ人が生きるための力になれるのであればと最初は聖職者に、そして力をつけて教会騎士にまでなっており、その信念が揺らぐことは決してなかった。教会が掲げている活動方針のまま運営されているのであれば反発もしなかった。


 しかし実際、教会も貴族の息がかかった平民が運営しており、悩みや不安の中に貴族に対する不敬とも取れる内容があれば素性付きで貴族に密告され、基本的には貴族付きの騎士に、場合によっては貴族から教会騎士に秘密裏の処分命令が下っている。


 教育についても過去の文献――種族間交流があった時代のもの――は、貴族に不都合な内容が記載されているものも多いため全て焚書にされ、それらは教育内容には盛り込まないよう指示をされている。さらに貴族による統治に疑問を抱かないよう、反意が起きないよう教育内容を制限されるなど、教会とは名ばかりで実態は貴族の平民監視機関であった。とある任務で実情を知り、ほとほと愛想が尽きたパトリックは下民街ができ始めた頃、教会に残っていた数少ない同調者と一芝居うって死亡を偽装、壁内から姿を消した。


 なお、当時の貴族の考えなしに行われた焚書が技術の穴あきを生み、人族の技術発展を遅らせている原因の一つにもなっている。


「朝早くに悪い。昨夜、また魔物の襲撃があったんだが、犠牲者が出てしまってな。

それで、赤子がひとり孤児になってしまったからこちらに預けに来たんだ。」


「ああ、昨夜こちらまで少し騒がしくなったが、やはり襲撃があったのか。名前は?」


「周辺住人に生き残りがいなくてな。少し離れたところで少し確認したがわからなかった。悪いが名付けから院長に頼みたい。」


「とりあえず赤子の件は了解した。また日が昇ったら近所のご婦人方にも協力を要請するか。それと名前か・・・」


 パトリック院長は今後の段取りを確認するように呟き、一度扉の中を見ると机の上に置いていた一冊の本が目に入る。


「・・・よし、ではその赤子の名はカインだ。」


 そして唐突に名前を決めてしまう。その名付けの軽快さは思わずアベルが口を挟んでしまうくらい拍子抜けするものだった。


「え、そんな簡単に決めちゃっていいんですか!?この子に一生付いてまわるものなんですよ!」


「孤児に読み聞かせている本の主人公の名前だ。別に変な名前ではないし、問題はないだろう。」


 そう言い放つパトリックにアベルは釈然としないものを感じ顔を顰めるも、かと言って自分にいい名前を考えられるかというとそんな気もせず、ならば絵本の主人公というのはまともなのかと自分を納得させた。隣で話を聞いているリーベも似たような感覚なのか、眉を顰めているものの特に何かを口にすることはなかった。


「まあ、名付けがある場合はいつもこんな感じだ。実際名前は中々いいと思うし、これでもちゃんと孤児の面倒も見ているから問題ない。」


「まあ、隊長がそう言うなら・・・。」


「中々慕われているようで何よりだ。それで要件は以上か?」


「ああ。「隊長、魔法紋の確認を」おっとそうだった。もう一件、この子が魔法紋を持ってるか孤児院で確認しようとしてたんだ。」


 先ほど話していた魔法紋の確認を忘れて切り上げようとしていたハンスだったが、魔法紋の有無の確認を後回しにしていたことを憶えていたリーベが口を挟む。


「何だ、まだ確認していなかったのか。別に一緒に確認する必要もなかったろうに。」


「まあ、布に包まれ暖かくしているところを何度も開くよりは、一度に済ませたほうがいいだろう。」


 そう言いながら孤児院の中には入り、大きな机の上に赤子を乗せ包んでいた布を赤子が起きないようにゆっくり外していく。そうして出てきた赤子の腕や足の服を捲って確認するも魔法紋は見つからなかった。


「見つからないですね。後あるとすれば珍しい中央紋ですけど、あれは珍しいですし、やっぱり持ってないってことですかね。」


「恐らくそうでしょう。私も周りに中央紋を持った人は聞いたことがないですし、違う地区を含めても自警団の中で1割もいなかったはずですから。」


 アベルとリーベの会話を聞きながらハンスは赤子の上の服を捲る。


「おお!言ってるそばから見つかりましたね!・・・でも結構上の方にありますね?聞いていた位置とちがうような・・・。」


「そうですね。私が聞いた話とも違います。真ん中にあるはずなのに少し右にもズレている。だいたい心臓の位置にあるようですね。・・・まあ、腕紋や脚紋も人それぞれですから、中央紋も同じようなものでしょう。それより、将来有望な子が無事だったことを喜びましょう。」


「そうだな。魔法紋を持ってるなら将来かなり強くなるだろう。自警団に入ってくれれば嬉しいが。」


 そこでハンスは、普段ならこの時間に少し声が大きくなったアベルを窘めるはずのパトリックがやけに静かなことに気付く。そのパトリックは目を見開いてカインの魔法紋を凝視していた。


「どうした?何かあったのか?」


「ああ。・・・いや、何でもない。」


 ハンスが声をかけると、ハッとしたように顔を上げ何でもないと取り繕う。それを見てハンスは怪訝そうな表情を浮かべた。


「・・・まあいい。取り敢えず孤児は、カインは預けたんだ。そろそろ撤収するが、お前たちは一足先に戻ってくれ。俺は少しパトリックと次回の集会のことで話がある。」


 ハンスはそう言ってアベルとリーベを先に帰すと改めてパトリックに向かいなおる。


「なんだ?次回の集会で何かあるのか?」


「あれは二人を返すための建前だ。それよりお前、カインの魔法紋について何かあるんだろう。話せ。」


 ハンスの言葉にパトリックは少し考えこんだ後、「ハンスなら大丈夫か」と呟いて顔を上げる。


「カインの魔法紋だがな。これは中央紋ではない。心紋だ。」


「心紋?・・・聞いたことが無いな。」


「そうだろうな。非常に珍しい魔法紋だ。昔聞いた情報と最近入った噂が確かなら、人族で心紋持ちは私の知る限りたったの4人だけ、カインで5人目だ。」


 パトリックが告げた内容にハンスは目を見開く。中央紋でも自警団内で1割いない程度とされているが、その比ではない。それこそ数十万、数百万人に一人というレベルであった。


 この世界の人間は種族関係なく生まれた時から魔力持ちである。ただ、その魔力は直接体から出すことができず、基本的に物伝いにしか体外に出すことができないのだが、その法則を無視できるのが魔法紋というものを持って生まれた者たちである。


 魔法紋は魔力の放出孔とも呼ばれており、魔法紋を持っている者は自身の体から直接魔力を大気中に放出することができる。


 そして魔法紋は魔力を使ってあらゆる事象を引き起こすことができる『術式』を教えてくれるため、神から人に与えられたギフトとも呼ばれている。


 生まれたばかりの人間が持っている魔法紋は一部の例外を除いて最初はただの正三角形である。この状態は無属性の魔法紋とも呼ばれており、使える術式は魔力障壁のみ。この使える、というのは本当に感覚で使い方が分かるようになる。あたかも魔法紋が魔法の使い方を教えたかのようなそれは、術式を教えてくれるという認識を広めるきっかけになっている。


 さらに魔法紋は浮かび上がった箇所によって身体的な恩恵を与えてくれる。


 例えばアベルとハンスは腕に魔力紋があるため腕の力、正確には肩から先の力にに、リーベは額に魔力紋があるため思考能力全般に恩恵を得ている。それぞれ腕紋、額紋と呼ばれている。そしてアベルは右肩に魔力紋が、ハンスは右腕に大きな、左腕に小さな魔力紋があるが、どちらも両腕に同じだけの恩恵があるため、ある程度の場所の違いは関係なく、左右の違いもない。これがアベルとリーベの勘違いの原因である。彼らが勘違いした中央紋は体の中央付近、ヘソの上あたりに魔法紋が出てきて全身の身体能力に恩恵があるが、広く薄くといった感じに各箇所での恩恵は小さいものである。


 そして心紋は。


「わからない?」


 ハンスはどこか拍子抜けしたと言わんばかりの表情を見せる。それを見て少し苦笑いを浮かべながらパトリックは説明する。


「ああ。種族間交流が盛んだったころから心紋というのは稀少だった。だが、そもそもは他種族の事情など知らなかったからな。心紋が少ないのは自分たちの種族特有のものだと思っていた。」


「・・・つまり、それまでは自分たちの種族的特性で心紋が少ないと思っていた。だが、他の種族で行われていた研究などを突き合わせると、種族関係なく少ないということが判明した、ということか。」


「ああ。数が少ないから検証も満足にできていない。交流が決まったなら他種族の検証データを参考にすればいいじゃないかと思ったが、他の種族も数の少なさから同じような状況、同じような考えに至っていて、結局ほとんど0から検証することになったらしい。種族間交流から人族が排除されるまでのわずかな時間では、まともな検証結果はでなかった。人族だけとなった今ではなおさらな。」


 そこでパトリックはいったん言葉を区切り考え込む様子を見せる。


「どうした?」


「・・。いや、あの子の心紋は隠すべきかと思ってな。去年生まれた第四王子、噂では心紋だという話なんだ。」


「さっき言ってた4人の内の1人ということか?そういえば噂がどうのと言っていたな。」


「珍しいだけなら良かったが、それ故に何かに利用されないとも限らん。その第四王子のための実験体など、いかにも考えそうなことだ。幸いなことに、心紋はあまり知られていない。お前の部下たちも中央紋だと勘違いして帰ったくらいだ。」


「そうだな。あの位置の魔法紋なんて普段人に見せるようなものではない。あとは俺とお前が黙っていれば・・・。」


「流石にずっとは隠し通すことは難しいだろうが、せめてあの子に分別がついて自衛ができるようになるまで時間を稼げればいい。まあ、何を言っても結局はバレないのが一番だが。」


 そうして心紋のことは伏せられたまま、カインと名付けられた赤子はグレイナ孤児院に預けられることとなった。

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