第3話 下民街の発展

 カインを預けてからしばらくの間、ハンス、アベル、リーベはたまにグレイナ孤児院を訪れていた。流石に預けた後は何も知らない、ではあまりに不義理だと感じていたからだ。そうした心情もありハンスたちは幾度となく孤児院を訪れていたのだが、訪問時にカインはほとんど昼寝をしていた。


 カインは急に起きて泣き出すことが多々あった。ただそれは、身の危険を直感しているのか大抵は魔物が孤児院近辺まで入り込んだときで、パトリックやちょうど訪問しているハンスたちが泣いているカインの様子を見に行き、そこでちょうど魔物の襲撃が起きた、なんてことが幾度となく起きた。冗談めかして「カインは魔物の接近を知らせるセンサーだな。巡回に連れて行くか。」と言ったアベルがパトリックにしこたま叱られるという場面もあるほど、タイミングがかち合っていた。パトリックとハンスは「これが心紋の恩恵なのか?」と疑問に思うが口に出すわけにはいかず、参考データとして記憶しておくに留めた。


 そうしてハンス達が泣いているカインの世話をしようとすればすぐに近くで魔物の襲撃が起きる為、その対処に追われてばかり、それ以外だとカインはほとんど眠っているため、カインとハンスたちが関わることは多くなかった。むしろ他の孤児との交流の方が多くなっていき、いつからか孤児院の年長組に自警団の仕事について教えるようになっていた。


 孤児院では近所の子供も招いて授業を行っている。そして院長であるパトリックの方針で、孤児もそうでない子も8歳になってからは近所の仕事の手伝いをするようになっている。


 パトリックはハンスを通して自警団に話を通し、孤児院の広い中庭を使い近隣住民の自衛手段育成の場を提供する代わりに、孤児院の手伝い先に自警団も組み入れることに成功。その手伝いに参加して新たに自警団に興味を持ち入団する人も増えたことで人材補充にも一役買って見せた。


 自警団の人材が増えて余裕ができれば、さらに孤児院で行われる指導の場に多くの自警団員を回すことができ、それを受けて子供たちもまた将来・・・、という好循環を生み出す。


 これらは昔からパトリックの望んでいた、そして懸念していたことに対する教育体制の一部を実現したものであった。


 元々孤児というのは憐れまれ、同時に疎まれ避けられるものでもある。孤児院を運営する上でパトリックはまず近所のそういった感情を矯正しようと読み書き計算といった教育の場を用意し近所の子供を集め、そこに開催者権限として同年代の孤児も一緒に学ばせている。普段から一緒に行動させれば偏見も薄くなるのではないかという考えである。


 更にその教育の一環として近所の手伝いも含めることで近所の子と孤児たち境遇関係なく接している様子を見せ、近所の大人たちにも受け入れられやすい環境を作る。


 その上パトリックは近所の子供が教育を受ける際授業料などは受け取っていない。孤児たちが近所の手伝いを無償ですることも含めて、逆に孤児たちの面倒を見てくれるよう頼みやすくもなるからだ。実際孤児院の食事事情については、お昼は近所の人に頼っている状況である。


 一部孤児への偏見を捨てられない人はいたが、それでも大半はパトリックの方針を元に地域の風通しを良くすることで、下民街は加速度的に発展していき、2年の間で魔物の被害を10分の1以下にすることに成功した。


 そうして被害が減ってもなお自警団は団員を増やしていく。


 被害を0にするもの目的だが、予てよりの計画、下民街の外側に魔道具としての効果はないが大きな外壁を作ろうとしていたのだ。


 自警団と謳ってはいるものの実際は複数の部署があるかのようにあらゆる仕事を請け負っている。建材は横流しされる壁内の廃材だけでなく、近くの魔物の領域の素材も視野に入れていた。そんな中ちょうどいいタイミングで自警団員に空間魔法を使える者が現れたことで計画は現実味を帯び、その後さらに3年が経った頃には下民街の建物はかなり見栄えが良くなって強度も上がっていた。


 そして計画されていた外壁の一部も出来上がっていた。魔物の侵入を防ぐためということもあり、一部分だけでも十分心強い存在感を放っている。


 グレイナ孤児院はカインが預けられた当時はかなり町の外周に近い位置にあり、魔物の襲撃も多くあったが、5年の間に下民街が発展を続けたことで下民街の外周と王都の魔防砦のちょうど中間辺りに位置するようになっていた。そこまでになれば、増強された自警団という要因も含め孤児院への魔物の襲撃が3年間で無くなったのも当然のことであった。


 そして更に時が流れ、カインは5歳になっていた。預けられた時の正確な歳は分からなかったが、これまで見てきた赤子の様子からカインが0歳だとパトリックが決めたのだ。


「誕生日も分からんのだ。それならこんなもんでいいだろう。」


 当時そう言い切ったパトリックに何か言いたげな様子を見せたアベルとリーベだったが、実際正確な歳が分からない以上決定は覆らないと言葉を飲み込んでいた。


 そんなカインは今年から参加するようになった同年代を集めた勉強会で読み書きの勉強を行っていた。カインと同じ年の孤児院の子供1人、そして近所の子供十数人で一部屋に集まり、課題として出された問題集を黙々と進めていた。いや、黙々と進めていたのは極一部、幼い子供が黙って座って勉強し続けることはやはり難しかった。


「うわぁぁぁぁん!マークがえんびづどっだぁぁ!」


「俺の鉛筆折れたから貸してってちゃんと言っただろ!」


 中でも一番騒がしいのがカインの周りの一角。肩までの長さのフワフワした茶色の髪をした女の子ヘレンが泣き出すが、マークと呼ばれた短くツンツン立っている赤毛の髪の男の子は事前に確認したと主張する。


「ひぐっ、ぐずっ、でも、あたらしいのは、ひぐっ、使っちゃダメっていったのに・・・。」


「別に何借りたっていいだろ!大体俺はこういうのは簡単に折っちまうんだから協力するようにって先生も言ってたじゃねーか!」


「先生はペンの持ち方も大切だって言ってたじゃん!そんな変な持ち方してるから折っちゃうのにそれでいっつもヘレンの鉛筆盗っていったらかわいそうでしょ!それにあんたのお遊びにまで協力するようには言われてないわ!それ、お絵かきしてるようにしか見えないじゃん!」


 濃い青色のストレートの髪を腰まで伸ばした女の子ジェーンがヘレンを慰めた後マークの問題集を指さしながらに詰め寄る。マークの問題集にはたくさんの果物が絵で描かれている。


「たくさん果物書けって言われてるから書いてんじゃん!俺って天才だろ!」


「バカじゃないの!読み書きの勉強なんだから文字で書くに決まってるでしょ!そんなことばっかしてると院長先生に言いつけるわよ!」


「何だよ、女子ってすぐそれだよな!カインだって別に何借りたって良いって思ってるよな!」


「カインはあんたみたいにダメって言われたことをやったりしないわよ!あんたと違ってバ・カじゃないから!」


 マークは腕紋の魔力紋を持っており、勉強など苦手なことに意識を集中させると力加減を間違えてしまうことがある。そのため鉛筆もすぐに芯を折っては削ってを繰り返している。とは言えジェーンの言うように持ち方にも書き方にも問題があるため普通はそんなに消費は激しくない。


 こう見えてマークもそれを直そうと頑張ってはいるのである。マークはカインと同じ孤児院で暮らしている兄弟当然の間柄。意識していないとすぐに力が入るためよく物を壊してしまうが、そんな理由で出費が増えていることに内心では非常に申し訳なく思っている。マークも素直ではないため決してそのことを口にしたりはしないが。


 マークは今でこそ孤児院で暮らしているが4歳までは自警団員であった父親とグレイナ孤児院の近所で暮らしていた。母親はマークを産んですぐに亡くなっている。父親と暮らしていた時からマーク、ヘレン、ジェーンの3人はよくこうして遊んだり騒いだりしていた。マークの父親がやんちゃなマークを心配して近所のヘレンとジェーンの親たちにマークを預けており、それもあって喧嘩はあれど近所でも評判になるほど3人は一緒にいた。当時カインとは孤児院で開かれる勉強で言葉を交わすくらいの間柄であった。


 転機が訪れたのはマークが4歳になってすぐの頃。大規模な魔物の群れが下民街を襲ったときであった。襲撃による負傷者は多かったものの犠牲者は少ない数で乗り越えることができたのだが、その少ない犠牲者の中にマークとヘレンの父親がいたのである。その後、近所の人も余裕がないことからマークは孤児院に預けられ、本人も父親を失い落ち込んでしまっていたのだが、新たに兄弟となったカインや孤児院の他の仲間達、ジェーンの気遣いから何とか立ち直ることができていた。そしてジェーンから自分以上に落ち込んでいたヘレンのことを聞くと今まで自分のことだけしか考えていなかったことを猛省してヘレンを元気づけに向かったのである。その甲斐もあって今ではヘレンもちゃんと父親の死を受け入れた上で立ち直っており、その時のマークにカインも手伝わされたことからそれ以降はよく4人でいることが多くなっている。


「マーク、ジェーン。そんなことしてると今日は中庭に行けなくなるよ?」


 喧嘩を続けるマークとジェーンに今まで課題を進めていたカインが頭を上げて言う。


「中庭?何かあったっけ?」


「忘れたの?今日はジャン兄とマリ姉が自警団員の手伝いするって言ってたじゃん。」


 すっかり忘れている様子のマークにカインは呆れた声を出す。先程からマークが真面目に取り組まないのが不思議だったのだが忘れていたのかと納得する。カインに言われてからマークもようやく思い出したのか表情を変えるとすぐに机に向かい始める。


「やっべぇ、すっかり忘れてた!カイン~、先に言ってくれよ~!」


「いや、昨日僕にそのこと教えたのってマークでしょ。忘れてるとは思わなかったよ。」


 カインが口にしたジャン兄とマリ姉とは、ジャン、マリーという孤児院の年長の二人である。それぞれ8歳と9歳で、この二人を含めた計4人が現在グレイナ孤児院に預けられている子供の総数となる。


 今日、孤児院の中庭では近隣住民への自衛手段の指導を行っており、近所の子を含む年長の子供たちはその手伝いをしており、その二人も現在それに参加している。そこでは魔法紋を持っている人は魔力操作や魔法の練習、そうでない人は護身術などと言った中々見ごたえがあるものが見られるため、毎回欠かさずカインたちは見学に行っている。勉強の課題が終わればその後は自由時間になるからだ。


「そうだった。バカの相手する必要なんてなかったじゃない。勝手に自滅して自由時間減ってくだけなんだし。」


 ジェーンもそんなことを呟きながら書き取りの課題を進めていく。ヘレンも二人が言い争っている間にいつの間にか泣き止んで、ちゃっかり自分だけ書き取りを進めているあたり、中々強かであった。


 二人はマークが孤児院に預けられ紆余曲折の後カインも交えて一緒に遊ぶことが多くなったが、当然同じ孤児院に住んでいるジャンとマリーの二人とも親しくなっており、特にマリーのことを本当の姉のように慕いマリーも二人をよく可愛がっていた。


「よっし、できた!それじゃマーク、先に行ってるね!」


 一番最初に課題を終えたのはカイン。勉強も特に苦手というわけではなく、その上真面目にしていたことが功を奏して勉強をしているの子供の中で一番に席を立ち上がる。そのまま院長室へと行きパトリックに課題を提出するとそのまま中庭へと向かう。


 カインがいなくなった後の部屋では、他の騒がしかった子供も中庭の指導を見学するために課題に取り組んでおり、先程とは打って変わって静かな空間となっていた。自警団の指導は見学だけでも非常に人気があり、指導がある日は子供たちの勉強への、というより課題を終わらせるための意欲は高くなる。騒がしかった時もカインと同じように黙々と課題を進めていた子供が次々と部屋を出て行き、ジェーンも課題を終えて立ち上がる。元々勉強は得意と言っていいほど頭が良く要領もいいので、例えマークとの口論で遅れてしまってもヘレンより早く終えることができていた。


「よし!ヘレン、そっちはどう?」


「あと1ページ。ジェーンちゃん・・・。」


「はいはい。待っててあげるからさっさと終わらせちゃいなさい。」


「うん!」


 そんな二人のやり取りを聞いて顔を顰めるマークは最初の騒ぎが祟ってまだ三分の二ほど残っている。ジェーンとは違い勉強が苦手なマークはヘレンの半分ほどの早さで課題を進めており、ヘレンが書き取りを終えてジェーンとともに立ち去ったときも恨めしそうに後ろ姿を見つめていた。そうして、部屋に残ったのはいずれも勉強が苦手で現実逃避のため騒いでいたという自業自得な子供達だけであった。

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