六 『Due-α〇〇四』

 侵略者は音もなく飛来してくる。けれども――他でもない学園長が招待すれば、私たちに異論はない筈だった・・・。過去形なのは洗脳されていたから――少なくともこの楽園にくる当初の目的は紛れもなく存在していた。しかしいざ招かれればまるで乗っ取った人間そのものの思考のように、誰もかれもが勤勉でかつ至極真面目になってしまった。

 こんな筈ではなかった。今頃は仲間と再会を果たし復讐に身を投じていた筈だ。

 けれど当の本人がこの楽園に来たときですら、復讐心はどこかへ忘れてきてしまったように「あぁ、新しい住人がきた」と歓迎すらしようと考えていた。

 しかしその歓迎も学園長に出番をとられてしまって歯がゆい思いをする。

 学園長は彼女をお茶会で招き、この世界の趣旨を説明していた。これは自分たちも過去にされてきたことだ。彼は一人一人招待しては世界の管理人として説明する。自分の領域で反抗するものが出ないように、誰もが彼に従順になり学べるよう仕向けた――


 先ほどまで、自分たちは勤勉な生徒であった筈であった。

 けれどこの世界の強制力は突如として泡のように膨らみ、しゃぼん玉のように弾けてしまった。思考回路が明確になっていく。自分たちの目的を忘れたわけではない。けれどそれがどうでもいいと考えていたわけで。

 学園長の身に何か起きたかは理解した。けれど、そんなことどうでもいい。

 洗脳される前なら学園長の身も案じたことだろう。級友や彼女のことを心配して駆けつけていただろう。けれど今なら、檻の中に放り込まれた鼠を追い立てるように――心が逸る。殺したいと全身に殺意が芽生える。

 けれども未だ殺害するには、あまりにも準備が足りない。しかし相手をせめて視界に捉えようと全力で学園長と憎き仇がお茶会ティーパーティーをしていたところを視認しても、そこには誰もいなかった。


「……ッ、いない、だと」


 絶好の機会の筈だった。この世界は武器の所持を認めていない。それなら仇も丸腰の筈だった。武器が無ければこちらが圧倒的優位に立てた。彼女はどこまでも人間である。ならばこの手で喉笛を切り裂くことさえ出来ればその息の根を止められたのに。

 けれど彼女は我々の絶対的な敵対者だった。万全を期す為にも、彼女の現在の様子だけは見ておきたかったのに。


「――みぃつけたぁ」


 私は目を瞠る――ここは未だお茶会の会場ですらない、ただの道沿いに存在する校舎の一部だ。けれど彼女は大きく自分の視界に映っていた。彼女の背景に映る月すら蝕んでしまうほど。

 月があまりに大きく映る夜。月すら蝕む彼女はそこに在った。

 そう、彼女は武器がなくても、絶対的な王者として君臨していた。


 死に神はすぐそこに――足音もなく見えない鎌を持って待ち構えていた。


 彼女は世に害を成すこともなく、ひっそりと世界の端で住んでいた私たちをまるで羽虫のように見つけては片っ端から潰していった虐殺者だ。

 水色のシフォンドレスに身を包み、髪を耳より高い位置で二つに纏めている少女は一見すると本当にひ弱な、どこにでもいるようなか弱い少女であった。けれど中身はとんでもない化け物だということを少なくとも私たちは理解している。


 彼女を世界的にも名高い『虐殺者』として名を馳せたのは皮肉にも自分たちを一度殺したからだ。

『吸血鬼』はその在り方さえ認められていない。長年ありとあらゆる生物を虐げ、現在も人類の絶滅を目的としている種族だと数多の種族から信じられている。最初は『吸血鬼』も人間の一種だと謳われてきた。実際に人間を統治し、長年領主としてその座についた『吸血鬼』も存在していた。

 けれどある領主が何百万人もの人間を虐殺したことをきっかけに総じて、この世に在ってはならないものとして第零亜級指定害獣の烙印を押されてしまった。

 人類の進化系である我々が人類に何故虐げられなければならないのか。


『お前たち、何か勘違いしていない?』


 そのとき、脳裏に浮かんだのは。

 かつて私が見た光景。抵抗することもなく部屋の隅で震えるしかなかった姉妹の首を掻き切った後で、後ろを振り返ったときに放った言葉は。そのとき私は彼女の息の根を止めようと存在すら忍ばせて後ろにいたのに、既に彼女は私の存在に気付いていた。


『皆が尊重し尊敬しあう美しい世界を乗っ取ろうとしたのは、何もしていない人類の虐殺を先に始めたのはお前たちの方だよ、吸血鬼。お前たちは人間を養分とし、生き永らえる卑怯な生き物。人間の進化系? 馬鹿な、獣に退化したという方がまだ納得できる』


 彼女は次の瞬間、あたかも日常をこなすより慣れた手つきで私を剣で床に縫い留めながら、金色の瞳だけをこちらに向けて言い放った。地面に落ちて再び跳ぼうと足掻く蝶を甚振るより性質が悪い。彼女は声の抑揚もなく淡々と吸血鬼の在り方について語っていく。


『何も私はお前たちが全員死ねとは思っていない。ただ、この世界にお前たちは相当な毒となるんだ。お前たちがここで息をしているだけで、世界の寿命が蝕まれてしまう――お前たちが人類を滅ぼすか世界を滅ぼすか、卵が先に孵るか鶏が卵を産むかどちらが先なんて――そんなことはどうだっていい。そこにいなければ見逃したのに。この世界ではない、私たちが干渉さえ出来ない領域に――世界の隅に住んでいるからって見逃せなんてことは許されない――どうせなら、冥府の手さえ届かない世界の裏側にまでいってくれれば良かったのに』


 そうして私たちは惨たらしく殺された。何の憂いも感慨もなく、ただ流れ作業のように念入りに殺された。けれど、今回だけは惨たらしく殺されるわけにはいかない。人類に一矢報いようなんて大それたこと考えてはいない。ただ我々を殺した彼女にも大切な人を弔う痛みを分かってほしいと、だからこそかつての仲間も脱獄を成しえたというのに。


「おっと」


 轟音と、音による反響がこの世界に響く。どんなに力強くぶん殴ったとしても結果は一緒。校舎が半壊したって、地面がべこんと凹んだって彼女のは傷一つつかない。

 あまつさえ彼女は己の力量を確かめるように、ひらりひらりと避けては攻撃する兆しさえ見せない。


「少しは強くなったんじゃない? 『Due-a〇〇四ドゥー・アルファ・フォウ』。でもまだ遅いかなぁ。もうちょっと私が手加減しなくても死なないぐらい強くならないと」


 そんな筈はない。ここに来る前、私は血反吐を吐く思いで己を鍛えた。それこそ彼女を凌駕するほどには至らず、寧ろ彼女が目指すべき高い山として高く聳え立っていて。


「……『ヨルルカ・ウォルフガング・フォン・ノア』。まさか貴方の正体が『月蝕のヨル』だとは」


 彼女の正体。『月蝕のヨル』はこの世界に存在する獣を一切許さない世界の番人。人の理の守り手。そして私たち『吸血鬼』の天敵。

『月蝕のヨル』は特別な能力を持っていない。膂力だけなら私たち『吸血鬼』にだって劣るし、空を移動する速度も『天使』に叶わず、海を泳ぐ特技だって『人魚セイレーン』に負ける。けれども彼女が生物の防人に成りうるほどの強大である理由――生物の頂点にある理由は――ただそこに<在る>からという理不尽な理由からであった。

 魂の重みが違うのだ。まるで世界を一つ相手どるほどの凶悪さ。そこにいるだけで人類の敵対者なら恐怖を感じるほどの存在。

 元々学園に在籍していたときは彼女は未だ大人しい人間の筈だった。しかし、残念ながら何が『ヨルルカ・ウォルフガング・フォン・ノア』を化け物へと仕立ててしまったのかは、生憎この身体には記録されていなかった。


「あぁ、その人間の記憶すべてを掻っ攫ったの? まったく、本当に『吸血鬼』っていうやつは……」


 戦闘の途中で彼女は私の思考回路を読んだらしい。元の人間の身体は貴族であった彼女の姿形を見知っていた。瞬間、彼女は玩具で遊ぶ楽しげな幼児の表情から、人間の醜悪さを固めたような――嘲りを見せる。


「筆舌に尽くしがたいほどの、度し難く醜い獣だ」


 私たちは崩れかかった校舎の屋上にいた。月を背景に彼女は嗤う。この世の獣をすべて、例外なく。我々の誇りである『吸血鬼』を嘲笑うことすら彼女は許されていた。そんな世界の在り方、私は到底信じたくなくて。


「……ッ!」

「遅いなぁ」


 一気に心臓を穿とうと詰め寄ったが、無駄だった。ついに彼女は己の手袋を外して私に触れようとする。瞬間、今までにない悪寒を感じ距離をとる。現在、彼女との距離はおよそ五メートル。しかし一たびその詰めようとすれば、間違いなく自分は殺されていただろう。

 彼女は私に飛び掛かることなくふむ、と思案する。月夜を背景に佇む彼女は、何も知らなければ月から舞い降りた妖精だと――不覚にも元いた人間が考えさせてしまった。


「私を殺すとしたらこの方法じゃ駄目だ。手段は合っている。方向性も合っている。けれど、威力が全く足りない。少なくともこれの四万倍程の強力かつ凶悪な暴力を行使しないと、私は蝕まれない」


 彼女の瞳がやけに金色に光っているような気がした。事実肌に刻まれている蔦の文様も彼女の瞳と連動するように輝いている。蔦は不変ではない。肌に伝う蛇のように刻一刻と姿かたちを変えていた。


「貴方たちはね、もう負けているんだ」


 彼女は宣言する。彼女ではない。私たちの敗北を語らう。そんな筈ないのに。人類の防人がいうとどうしても真実味が増してしまう。


「一人でも外に連絡がとれる仲間がいたとしたら、私たちは――人類は負けていたかもしれなかった。でもそうはならなかった。君たちは一人残らず『楽園』に招待されてしまった。もうここから出られないんだよ。『Due-a〇〇四ドゥー・アルファ・フォウ』」


 彼女はついに両手の手袋を脱いだ。合わせて、黄金の蔦の文様が蠢いていく。それは何て邪悪 でいてかつ美しく私を終わらせるものなのだろうか。相反する二つの性質は両立するのだと、またしても私の中のかつての私ではない記憶がそう感じてしまう。


「あともう一つの敗因。私をおびき寄せる為なのか、利用する為か、それとも魅入られたから知らないけれどあの子を楽園に招いてしまったのも――いいや、それこそ決定的な敗因となった」


 そうだ。思い出した・・・・・。どこからともなく拾ってきたあの娘を自分たちは利用しようとしていた筈だった。今思うと、彼女の方も利用していたのか分からない。結局楽園に来た時点で全ての計画は瓦解していたのだ。


「ティリ。全てを台無しにして、全ての『天使』から恨まれ、そして崇拝されている現存する唯一の『女神』。あの娘を使おうと思ったのか――それともあの『天使』の願いに答えようとしたのか、どっちかは知らないけれど」


 彼女も知っていた。私たちを認識していたなら、あの『天使』も目撃した筈だった。その世界の守護者として幾度も脅威と戦っていた身なら自分たちよりもよほどその『天使』に詳しいだろう。事実、彼女はあの『天使』をただの天使ではなく、最も邪悪で下劣極まりない『女神』の生まれ変わりだと看破した。


「『天使』は――個体によっては異世界そのものと同じぐらい暴力的で圧倒的な力を持っている。例えるなら一人で人類史上に存在する伝説の一個中隊を相手しているような――あぁ、貴方にもっと分かりやすく言おう」


 刹那、彼女はすっと私の頬に触れようとする。瞬時に彼女から離れようとした。けれど無駄だった。

 肌と肌が触れる。金色の蔦が私を侵そうとしていく。あぁ――これはただの蔦ではない。触れるもの全てを、生きとし生けるもの全てを呪う、邪悪な蔦なのだ。


「それでも私一人に対しては――とても足りない。私に相対したとき――殺そうとしたのは大きな間違いだったよ。もう少し時間があったら、準備を終えていたら私も、髪の毛一房分は傷つけられたかもしれないのにねぇ」


 溶けて融けて解けていく。皮だったものは全て不敗して、音もなく腐ってしまった。既に呪いは彼女の一部であった。

 何故この呪いを宿すことが出来るのか、あまつさえ彼女のいう『獣』まで呪いが移るのか私には理解できない。こんな少し触れただけで死に至るような――魂でさえも狂い堕ちていく呪いなんて、人間に耐えられる筈がないのに。

 もしくは彼女はすでに人間では亡いのかもしれない。だとしても『吸血鬼』さえ狂ってしまうその毒は、生きとし生けるものであるならたちまち存在などなかったかのように、概念さえ消し去ってしまうほどの強烈な呪いを、たとえ亡者といえども受け入れられる筈がないのだ。

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