五 『アンブローズ・メル』

「おめでとう、ヨルルカ・ヴォルフガング・フォン・ノア君。君は帝王学科に入学する資格を得た。転入する栄誉などこの学園きっての、空前絶後の出来事だよ」

「……」


 何かと呼び出されたら待ちに待った機会がついに訪れたときを知った。あれから四半期経ったが幾ら内申で満点をとろうとも呼びに出されることはなかった。

 この機会を逃してはならないのだ。私はようやくの思いでその機会を得たことに安堵の息を漏らしたかった。けれど悟られてはいけない。私は歓迎すべき彼らを殺すもの。殺意を悟られてしまったら、全てが台無しになってしまう。

 だからここまで、武器ももたずに単身で来たのだ。今の私にとっての武器は呪われたこの身一つであった。

 学園長代理は執務室の中で、前代未聞と言いながらも流石は学園長代わりなのだろうか。顔色は一切変えず、淡々と事実だけを述べた。


「不思議なことに、かつて君が所属していた国から、君の推薦状が届いた。こんなことは前代未聞だよ。滅亡した王家の末裔など資格がないと思っていたが、まさか学園長も自ら望まれるとは思わなかった」

「……」


 そういえばここを出発する前にマリさんが何か言っていたような気がする。私が出奔する以前の――生まれた国に借りを返してもらうと息巻いていた。

 しかし大丈夫だったのだろうか。いや、こうして推薦を貰えた限り彼女は無事だったのだろう。かつて私と係わったあの国の人間は一人残らず死んでしまった。誰も彼も最後まで自分の非を認めないまま、あの国は終焉を迎えてしまったのだ。

 今あるあの国はガワだけを残し、中身を後の新興貴族やら革命やら何やらに散々貪りつくされて空っぽになり、それから生物としてようやく真っ当なものを詰め込まれた全く別物のナニカとなった。でも、あの国は一度滅亡して良かったのだと思う。あんな幼子一人の命もまるで紙きれ一枚のように扱う独裁政治もいいところの国なんてこの世に存在していたら、それこそこの世界の終焉を私たちの代で見る羽目になっていただろう。


「喜びで声も出ないようだね。よろしい。今から三十分後に君の住み処も学び舎も全てが代わる。君は楽園に招かれた。祝福を受けるその前に、荷物を鞄に入れて待機するように」


 彼はくるりと背を向けた。荷造りするにはあまりに時間が足りない。級友に別れを惜しむ時間も残されていない。しかし、それは普通の人間の場合だ。私はすでに移動できる準備を終えていたし、友達だって一人もいやしない。かつていた私の仲間は仲間なんかではなくて、友達の皮を被ったナニカであった。

 けれどそいつらもやはり全員死んでしまったので、残ったのは私一人。

 それでも私一人で戦場に赴くことが出来ればいいが、残念ながら今回はもう一人の同僚がいる。数少ない時間で痕跡を残す。そうして彼以外、絶対に見つからないであろう。


 時間がきた。どこにも行く必要はなく、私はただ待機するだけで良かった。何故なら、向こうから楽園の門が開かれたわけである。


「これは……まぁ……幾ら前の入り口を探しても見つからないわけだ」


 前回の場合、私が学生の時分のときの話だが元々入り口などなかったのだ。いつの間にか目の前に扉が現れていた。石材で象られ金の装飾で彩られた重厚な門。まるで天国への入り口を模しているようだ。

 事実、私は前回潜ったときにそこが異世界だと思いもしなかった。あまりにも普通にそこに在るものだから、いつもの場所にいつものようにあると勘違いしていたのだ。


「学び舎自体が異世界か。創った輩は頭がおかしいな……」


 学園に生徒として転入する直線に、一度この学園に侵入したことがある。いの一番に訪れたところはこの門がある場所であった。けれど幾ら探せども門は見つからず、私は正攻法によって招待されないとならないと気付いてしまった。

 前回はあまりにも自然過ぎて気付かなかったのだ。事件が起きたときは門の外だったから門の中の規則ルールに抵触しなかったし、だからこそあの『天使』を殺すことが出来た。実際に滅ぼせたのは肉体だけだが、門の中であったらきっと殺害が成立するどころか殺意すら芽生えなかったのだろう。

 思えば私が未だ幼かったとはいえ、門の中で一切のある個に対しての殺人衝動が起きなかったのは異常だった。それは門の中が異世界だからこそ、その世界の規律に縛られたのだろう。

 世界によって常識も時間の経過も違う。けれど他人が完全に管理していた世界ならば?

 学園を創ったきっかけの人間は既にこの世界から去った。けれど彼の後継者が今も現存しているなら、きっと上手くその世界を運用している筈だった。


 門は既に開かれている。私は鞄を持ち足を踏み入れるだけ。前回も同じだった。違うのは、異世界であることを自覚しているといこと。


 踏み入れた瞬間、私は前回潜ったときと同じようにしかし日が昇っている時間が全く違う学園の門に経っていた。空は既に陽が沈んでいる。きっとこれは、『吸血鬼』の為なのかと勘繰ってしまいそうになる。

 陽が沈み、夜が来る一歩手前の世界。私は道なりに進み、かつての学び舎に足を向けた。


 廊下には人の気配が一切なかった。生徒の姿を探しつつ、校舎の中を見て回る。その内の教室の一つを覗き込み、時間の経過を確認した。恐らく私がいた世界と時間は変わらないらしい。ただ、空はいつまでも夕方を指し示しているだけで。

 後者はあちら側の学園と全く変わらない構造であった。違う世界に全く同じ建造物が二つあるということだ。創った人間は相当な変人らしい。私は歩みを更に進めていく。


 少し、人間の声が聴こえた気がした。私は振り向いて、瞬間、音の発生源に向けてなるべく音を立てず走った。


「は?」


 走った先で見えた光景は、とても信じがたいもので。

 彼らは至極真面目に、復讐なんて馬鹿なことを考えもしないような顔つきで、全員が教師の言葉をしっかりと聞いていた。誰も彼も教室の中でノートを開き、一生懸命何かを書き込んでいる。中には本当に秀才もいるだろう。その彼も、教科書だけはしっかりと開いていた。

 けれど私には分かる。これは詭弁だと。まさか、害獣がそんな人間らしいことをしているとは選択肢として入れていたが目の当たりにするとは考えていなかったのだ。


全員が吸血鬼・・・・・・とか、嘘でしょう?」


 そう、彼らは全員が『吸血鬼』であった。信じがたいことに普通の人間は誰一人としていない。匂いは届く距離になければ、そもそも風なんて吹いていなくて――けれど、わかる。彼らの醸し出す雰囲気はまさしく私が殺したときと同じ『吸血鬼』であった。


「……」


 私は無言でナイフを取り出す。これだけは武器ではなく筆記用具の一部として認定されたもの。これだけあれば殺しきれる。そして彼らは私にとっての獲物であった。

 一歩踏みだそうとすれば、自分の長きに渡る任務も終わる。もうあの煩わしい緊張を抱きながら日々を過ごさなくていいのだ。しかし。


「そこまでだよ、ヨルルカ君」


 ナイフはシャボン玉になって消えてしまった。唯一の武器が、文字通り泡となって消えてしまったのだ。

 同時に後ろから酷く心地の良い低い声バリトンボイスが聴こえた。この声は以前から知っている。この世界では、誰もが例外なく彼に好意を抱かざるを得なかった。

 よく手入れた青紫色の髪は一切の曇りがなく、艶色が出ている。美しい青空のような瞳は何人もの生徒を送り出してきた自信が覗いていた。

 私より二頭身ぐらい高いその体躯は魔術師である癖によく鍛えられていることが分かる。何だかそれが無性に腹が立つというか、少し鍛えただけで身体に現れる性質は素直に羨ましい。

 私はしかし、この世界における常識に未だ染まっていなければ彼への好感はなきに等しい。睨みつければ、それでも学園長は飄々と余裕な様子を見せていた。


「……お前か、アンブローズ卿。いや、今はメルと呼んだ方がいいか」

「どちらにしても私の名前だ。それにね」

「私の大事な生徒たちだ。異世界の獣であろうとなかろうと、ここでは全員が等しく私の生徒たちだよ――君もね」


 彼は私から武器を取り上げると、文字通りこの世界から『ナイフ』を泡へ変貌させ、消してしまった。彼がこの世界の管理人であることを嫌でも知ってしまい、私は思わず歯軋りをしてしまいそうになった。





 気に食わない。

 何が気に食わないといえば、全てが。首元に飾られた深い藍色のチョーカーも青い柘榴石ガーネットも気に食わない。私を彩るべきは夜の色。こんな男の象徴のような色を身に着けているだけで我慢がならない。

 身に着けている服だって気に食わない。これではまるで貴族が着るものだ。アフタヌーンドレスも私の好みの色ではない。そもそも金色の文様が刻まれている肌に黒髪では、この色は到底似合わない。私が好んでいるのは一片の交じり気がない黒色だ。こんな淡い水色のシフォンドレスでは私という人間を上手く表現できまい。

 それでも彼は私の仕上がりを満足げに頷いた。まるでこれが当然の装いだと言わんばかりの態度に一々腹が立つ。思わず腰にない剣を抜きそうになったが生憎私の愛刀は向こうの世界にあれば、ここには当然ある筈もなかった。

 殺意はこの世界の規則によって無理やり抑えられている。恐らく私がいた元の世界ならば彼の首を一刀両断できただろう。つまり彼の胴体と首が繋がっているならば、ここは彼の独壇場であった。


 今、私はこいつと二人きりのお茶会ティーパーティーに出席させられていた。いつまで経っても空が黒く染まらず突きも星々も浮かばず、また青く灯ることもない夕刻の空。雲は流れている。けれどそれだけだ。あちら側で見える星々も全く見えなければ、たとえ見えたとしても本物の星というわけではない。

 草もそうだ。虫なんて一匹もいなければ虫の音が聴こえる筈もない。メルは自身が気に食わなかければそこにあることすら許さない。生殺与奪は全て自分が握っているのだという主張をされているようで、この世界にない筈の殺意が膨らんでいく。


「それにしても、君が生きていたとは思わなかった。帝王学科に在籍しながら退学届を出したのは歴史ある我が校でも一人しかいなかったからね。こうして君が戻ってきて本当に嬉しいよ」


 ティーカップに砂糖を幾つも入れて、ティースプーンで掻き混ぜる姿はまるで道化のようだ。彼はまるで幼子におとぎ話を語るように私に微笑む。

 私は帝王学科に在籍していたことがある。けれど、とある事件を機に退学届も出すことなく退学を余儀なくされた。あのまま凄惨な現場にいたら逮捕され処刑されていたのだから仕方ない。それを抜きにしても、帝王学科で学ぶことは既になかった。学ぶ楽しさも喜びも何もない。目の前にあったからこなしていただけ。

 この男は自分の学園がつまらないと考えなかったのだろうか。いや、そうは思うまい。そんな配慮少しでも出来ていたら、帝王学科なんてくだらないものを作らない筈だ。


「そうかよ――この世界の規律はお前が作ったのか」

「学園の規律さ。この学園では決して争いを起こしてはならない。そう、人も傷つけてはいけないんだ。殺すなんて、以てのほかだよ」


 今でも殺意を抑えこもうと――いや、もっと悪い。こいつは怒りなんて感情をこの世界から消し去ろうとしている。だから『吸血鬼』共も大人しかったと納得する。彼らは元々異世界から飛来した存在だ。異世界に対しての抵抗力はそれなりにあったと推測するが、それにしたって私に気付いていた筈なのに襲い掛かってこなかったのはこいつが概念を書き換えたのだと納得する。


「あいつらは獣だ。人ではない」

「僕はそうは思わないけれどねぇ」


 けれど解せない。あいつ等はどこまでも獣であって人間ではないのだ。

 獣ですら道理を通そうとする傲慢さがこの世界に見え隠れしていれば私はそれが酷く不愉快であった。


「まぁ、そう焦らずとも、僕は君に学ぶ歓びを知ってほしいんだ」

「……歓びだと?」

「そう、君をまっとうな人間にするっていうのが僕の使命でね」


 刹那、こいつでも冗談でもいう性質タチなのかと錯覚してしまいそうになった。

 けれど彼の瞳を見れば――少なくとも本気であるということが嫌でも理解してしまう。私という不良を、更生するつもりでいるのだ。


「僕だって外で情報収集するときはある」


 つまりそれは、私の所業を知っている――ということなのだろう。わざわざ“外”と言ったのは私が学園主催のパーティーで引き起こした――退学のきっかけになった事件だけではないということだろう。

 しかし、表向きには『ヨルルカ・ウォルフガング・フォン・ノア』と『月蝕のヨル』を結びつけるものはない――あぁ、そうか。こいつは推薦状を貰ったから私をここに招待したわけか。


「君という人類史上類をみない愚か者ですら導くことができたら、それは人類史上初めての偉業となるだろう」


 私の所業――異世界の獣を虐殺し尽し、時に世界を滅ぼす死に神として、時に異世界で語られていることは知っている。何故知っているか? 過去、命を絶とうと剣を振り上げたときに、獣が命乞いをしようと口走ったからだ。無論、食物連鎖を崩すのであれば害がない限り獣は極力狩らない。ただし、害がなければの話。こちら側の世界に影響を及ぼすのであれば、私は容赦なく死に神の鎌を振るった。

 だからこそ、人類史上類を見ない愚か者。

 たった一人が一個の生命を絶滅させるまでするなんて、知性ある者は全て庇護すべきと謳う彼から見たら愚か者の極みに見えるだろう。


「どうでなら達成するついでに、君も楽しんでもらった方がいいだろう? 人間は学ぶことで成長するんだ。もしかしたら君も再び成長するかもしれない」


 こいつは、私の過去を否定した。私がこの学園にいない間――いや、いたとしても成長していないと断言した。そんなこと。もし神様がいたって分かる筈がないのに。


「ふふ、あはははははは」


 あまりにも面白くて笑ってしまう。殺意さえ今度こそしまい込んでしまいそうになるのに。あぁ――だけれど、駄目。これは悲劇ではなく、最高の喜劇が開幕してしまう事実に笑いを堪え切れない。

 私は嗤う。きっと彼は私がなぜこんなにも面白がっているか理解できないだろう。


「残念なことに、私とは比較にならないほどのとんでもない愚か者を知っていてね」


 くるくると、ティースプーンを冷えたティーカップを掻き混ぜる。鎮魂歌レクイエムさえ必要ない。私がそう判断した。彼を憐れむことすら惜しいと考えてしまうのだ。

 ならば餞にせめて、この世界の紅茶を一口食んであげようではないか。これは彼にとって最後のご褒美だ。だって、彼が最後に出来た偉業が私に紅茶を飲ませるなんてこと、美食家である私にさせたなんて、何て素晴らしいことなのだろう。


「貴方のように世界を丸ごと創り上げて自らの理想郷にしてしまうものもかつての人類にはいたかもしれない」


 あぁ、紅茶の味はいまいちだった。やはり紅茶は熱いときに飲むに限る。結局彼は私を最後まで満足させることは出来なかった。


「けれど、私の知っている中には」


 仕方ないので、答え合わせをしてあげる。秒読みカウントダウン代わりとしては丁度いいだろう。まぁでもどうせ学園に閉じこもった哀れな魔術師には理解できまい。だってこの事実は私しか知りえず、またこれからも知ることはないのだから。


「人が創り上げたまがい物ではない、天然の異世界ごと鹵獲し、神代に生きる生物ごと保管し、虐殺の限りを尽くしている狂人がいるんだ。全てはたった一人の最愛の為に。彼がたった一人愛する者が目覚めたとき安寧とした平穏を過ごせられるよう死力を尽くしている――異世界ごと獣を管理している狂人は人類史上一人しかいない」


 世界の時間を固定でき、尚且つ思うままに操れる人間は何人も知っている。けれど世界を生きながらにして固定し、そのまま自分が神と言わんばかりに自由に暴虐をしている人物は一人しかいない。また可能なのも、私は一人しか知らなかった。

 だから彼は狂人なのだ。あんなに狂った人間を、あんなに矯正の見込みのない人間を私は知らない。私以上にどうしようもなく、誰よりも人間の心を理解していない誰よりも一人の人間を愛しつくしている狂った人間は。


「あいつの狂気は、私にとって」


 私たちを囲む草が、花が一斉に咲いていく。唯一つの美しい白い花。それは終焉の始まり。彼の世界の終わりを迎えようとしていた証し。ほら、空も動き始めたでしょう。やがて美しいおおいぬ座も段々と見えてきた。


「称賛に価する」


 一斉に花吹雪が辺り一面に舞う。メルが気付いたときにはもう遅い。既にここは彼の世界ではない。無理やりに管理人を書き換えられたときに見える光景。私は幾度も、こんな光景を見てきた。


「私が異世界の獣の専門家であれば、あいつは異世界の敵対者だ」


 彼は立ち上がるが残念ながら全てが手遅れだ。というか、こいつは分かっているのだろうか。そこから動いてしまえば、確実にその命が一瞬で終えてしまうほどの致命傷を負ってしまうことに。

 私は残念ながら彼の未来を予見できてしまった。舞台は既に整っている。ならば後は開幕するだけ。私はただ彼の終わりを目の前で見届けることだけしか、することはない。


「しかも厄介なことに」


 私は手を広げる。これで喜劇は完成する。紅茶はもちろん地面の上に零す。こんなまずいもの、飲む価値すらない。


「異世界が『敵』なら、アンブローズ、お前もあいつの敵なんだよ」


 ぱきん。

 世界が割れる音がする。実際世界はこんなにも簡単に割れてしまうものだ。まるで窓ガラスが衝撃を受けたようなそんな音。

 ぐしゃり。

 そうして一人の男の顔が、あっけなく潰れてしまった。

 アンブローズの鼻の骨が拉げ、眼球が飛び出て、肉片が飛び散りながら顔が潰れた。私が避けなければ私も彼の一撃に巻き込まれていただろう。シスはただ、自身がいた世界から無理やりこちら側に飛び出しただけだった。こんな反則技、彼以外の人類には出来る筈がない。私だって招待されなければ無償では在り続けることなんて不可能であった。

 シスは宙から突如現れたかのようであった。その際、膝を折り曲げてアンブローズの顔に当たってしまったのは不幸な事故であった。

 彼は痙攣しながら地面に倒れる。それでもこの世界が崩れなかったのは流石は一流の魔術師といっただろうか。しかしそれも一瞬の間のことで――ほんの刹那にシスは全て自分の世界として書き換えてしまったようだ。

 空気が違うのだ。甘ったるい薔薇の香りが血と硝煙に塗れた匂いへと変化していく。少なくともこちらのほうが、私にとって居心地が良い。


「殺していないだろうな?」

「当たり前だ。ここはこいつの世界だった・・・。下手に殺して壊されたら溜まらない」


 シスは眉間の皺を一切隠さず、自らの身体に付着した血を払う。肉の一片だって気に食わないらしい。手を振りかざせば、あっという間に脂肪や血は灰になった。肉の焼ける音さえ許さない。既にここはシスの独壇場であった。


「――お前、吸血鬼退治とか言ったな」


 しかしながら一つだけ不満がある。彼は嘘を吐いた。紛れもなく本物の嘘。でもまぁ、どちらにしても私と彼女はいつか出会ってしまう因果だから仕方ないのだけれども。


「どこが吸血鬼だけだよ。あの『天使』がいる時点で、総力を結集して事に当たらないといけなくなっただろうか」


 吸血鬼の中に一人、人でもない者が紛れ込んでいた。それは人間より余程吸血鬼に近いものだけれど。違う。

 私の因縁の者。白金の髪に碧眼のあの娘を見間違える筈がなく。


 彼女を見つけてしまったのだ。遅かれ早かれ出会わなければならないと分かってはいたけれど。

 でも、それにしたっていきなりの再会はないと思うのだ。


「私を誰だと思っている」

「む」


 シスは呆れながら私の疑問に答える。


「君の言った通り異世界の敵対者なら、私はこの異世界を文字通り乗っ取ることが可能だということを考慮すべきだ」


 それは自分を含めて彼らの生死を握ったということ。世界を乗っ取ることはそういうことだ。本来なら生物という種は容易く他人の命を握ることはできない。

 けれど彼は息をするかのように実現してしまったのだ。これを奇跡と呼ばずして何というのだろう。

 少なくとも私はこんな狂人に係わっては、命が幾つあっても足りるとは到底思えず、やはり狂人には狂人たる英雄があるのだと思う。

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