四 『追憶Ⅱ』

 いつの間にか学園都市アンブローズから脱出し、あちら側とこちら側の境界線にある、通常の人間が立ち入れられない地域に私たちは立っていた。

 あちら側の世界との境界線はいつも曖昧だ。けれど確かなのは、たとえあちら側の、どんな強い獣であろうと通行料を支払わなければならないこと。そして時には命より大事なものを対価として支払わなければならなかった。

 今回は不幸中の幸いというべきなのだろうか、こちら側に侵入してしまった熊みたいな獣が二匹対象であった。それぞれ目撃された場所も、色も違うことから別個体と判断されている。

 私たちは二手に分かれ、片方の駆除を担当することになった。リーダーは勿論、私たちの応援に来たヨルルカさんである。もう一チームは教授が率いることになった。あちら側の生徒たちの顔が死んでいるのは恐らく気のせいではないだろう。

 この辺りはすべて山である。獣もきっと息をひそめて、あちら側にも帰れず、かといってこちら側に留まっていれば駆除の対象となる。

 ヨルルカさんは皆が集まり装備を身に着けているところで、教授の代わりに今回の概要を説明し始めた。


「今回の目標は、熊。でも、ただの熊じゃない。異世界から流れ着いた熊みたいな、それより凶悪な何か。大きさは三メートルほどで二体いる。こちら側に流れ込む獣にしてはやけに小さいけれど油断してはいけない。彼らは素早いし頭もいいから孤立しないで、必ず集団行動を意識して。私と一緒のチームの人間は絶対に私の言うことを聞いて。じゃないと、命の保証はできない」

「は、はい!」

「素直だね。素直な子は嫌いじゃない……皆も貴方と同じぐらいいい子だといいのに」

「みんな?」

「何でもない、こっちの話」


 ヨルルカさんは地図を出して、目撃場所を赤いマーカーで×を付けていく。そして地図から見える地理から、獣の現在地を割り出した。


「恐らくこの辺かなぁ……戦闘になったら絶対に私の邪魔をしないで……といっても、皆いい子だから前に出てくるものなんていないか」


 彼女は教授と幾つか言葉を交わすと、私たちを連れて旅立つことになった。彼女は教授が用意したものの幾つかを選びながら私たちに手渡してきてくれた。

 どちらかというと、狩りをする――というよりかは完全に登山の服装にさせられた。肌着にミッドレイヤーに防寒・防具の為のアウトレイヤー。バックパックにストックまでわざわざ調節してくれてから持たせてくれた。ただし、武器の類は渡されていない。彼女曰く、獣よりも慣れていない環境への対策を優先した方がいいとのこと。

 確かに、山は高く一見しただけでも断崖絶壁のところがあり、薄ら雪が降り積もっていることころもあった。何度も言うが、教授は最初、身一つでこんなところに放り込もうとしていたのだ。彼女が苦言を呈さなければ確実に教授は私たちが死ぬ寸前まで眺めていただろうと言えばその悪辣さが想像できるだろうか。

 ヨルルカさんは教授が持ってきた幾つかのものは完全に役に立たないと言って吐き捨てた。その内の一つが猟銃であった。


「あのバカは銃を持ってきたけれど、それは愚策だ。素人が撃ってまず当たることはない。あいつは存在自体が出鱈目だから銃の打ち方なんて知らなくても弾が当たるのであって、普通の人間が熊退治をするのであれば、至極まっとうな方法で駆除しなくてはならない。だから銃ではなく、サバイバルナイフを腰に下げて、危険に備えるんだ。気休めにしかならないけれど、『ある』という自信は時に人を生き永らえさせるから」


 私たちに銃は持たされなかった。味方に弾が当たったら一大事だ。彼女の言い分はもっともだが、私はそのナイフですら上手く扱えそうになかった。

 そうして準備は恙なく終わり、私たちはいよいよ異世界の獣が息を潜める山中に入ることとなった。


 山の中は鳥たちの声すら一切聴こえず、いやに静かであった。発する音は私たちの足音だけ。ヨルルカさんは先頭を歩いては、たまに私たちの方を見て着いてきているかどうか確認していた。

 ざくざくざくと、彼女は時折速度を落として歩いている。無駄話も一つもしないのは、私たち以上に獣に警戒してのことだろう。


「……敵がいる圏内に入った。気を付けてね」


 休憩を挟みながら歩いて半日ほど経った後だろうか。川の畔に着いたところで彼女は私たちに警告した。

 歩いた距離にしては私たちは然程疲れていない。彼女が配慮してくれたのであろう。ただの学生でも耐えられやすいように、数ある獣道でもより歩きやすい道を選んでくれた。

 それでもどうしても疲労は積み重なってしまう。ヨルルカさんが今後の道を確認して、罠を張る場所を地図で確認している――ときだった。


「あ」


 そのときの私の失敗といえば、やや仲間と離れていた点であろうか。丁度いい倒木があったので、腰かけていたからすぐに動けずにいた。その隙に音もなく忍び寄った獣は私の後ろまで這いより、そして私という生命を終わらせようとその本能を剥き出しにしたのだ。


「ッ」


 見上げると、獣が大きく口を開けて、私という頭を鋭利な牙を顎で砕こうとしている。そのとき私の脳裏には走馬灯が流れ出していた。これは時間が実際に遅くなるのではなく、自分が生きたいという一心で過去の記憶を引き出して、生存の道を探る人間にとって最後の手段。何の為にとか考えているよりも実に、今となっては他愛もない過去の記憶さえ鮮明に思い出せてしまった――


「!」


 私がヨルルカさんによって肩を掴まれ身体ごと吹き飛ばされたと理解した瞬間には全てが終わっていた。彼女の口腔から脳髄にめがけてナイフを突きつけたのだ。私を砕こうとしていた熊は勢いのあまり止まることなく、自重によってナイフを自らの脳に案内してしまっていた。

 私が見た時は、噴き出る血を一心に受け止めざるを得なかったヨルルカさんと、やがて力を失い、彼女に倒れ込んでいく熊の姿が見えた。駆け寄ろうとしたが残念ながら私の足腰は震えて立ち上がることすら叶わない。一瞬で起きた出来事に、未だ心臓の鼓動を強く感じていた。


「ヨルルカさん!」


 代わりに、他の者がヨルルカさんに駆け寄った。彼女はその頃、熊の下敷きになってしまい、下手をすれば彼女自身が怪我を負っているかもしれなかった。


「ふぅ……」


 しかし、彼女は何てことないように、やがて熊の身体からのそりと顔を出した。怖がっているでもなく、本当に平然としたまま。足腰の力が抜けている私の方が大袈裟ではないかと思うくらい、自然に熊を自身の身体から退けると、ついでと言わんばかりに私に血まみれの手を差し出してきた。


「大丈夫?」

「は、はい」


 言うまでもなく彼女の身体は返り血で濡れていた。それでも、私の為に血まみれになった少女の手をとるには恐ろしかった。けれど彼女は私の反応すら当然かのように見越して、あまり汚れていない方の手を差し出しかと思えば、無理やり私の手首を掴んだかと思うと立ち上がらせた。


「良かった。怪我はないみたいだね――じゃあ、始めようか」

「え、な、何をですか」

「? 決まっているじゃない。獣を持ち帰るまでが宿題だよ。私も手伝うから頑張ろう」


 ヨルルカさんはあまりにも優しかった。

 だから教授と同類だと気付くには些か時間が掛かったのだ。

 人を慮ることはあまり得意ではないにしろ、それにしたって限度というものがあるだろう。彼女は実に教授が課題を出すときの笑顔とそっくりな――曇りなき笑顔を私たちに向けると、ナイフを取り出して、そう言いのけたのだった。


 私は青ざめてしまった。そういえばそうだ。教授が言っていたじゃないか、異世界の獣を持ち帰るまでが宿題だと。このままではとてもではないが持ち帰れない。そして彼女は手際よく獣を吊し、その場で獣の処理を始めてしまった。


「まずは脚を縛って熊を逆さに吊し、血を遡らせる。といっても流石に熊は重いから、それは私が全て受け持とう」


 彼女は熊の足を縛ったかと思ったら、ひょいと木に縄を引っ掛けて、あっという間に熊を逆さづりにしてしまった。ぶらりんと、重量ある獣がこちら側を死んだ眼で映している。


「よし、そしてここを突くように切るといいよ」


 ヨルルカさんは一緒に行動していた内の一人に手元にあるナイフを持たせると、獣の頸を斬るように指示した。その一人が恐る恐るナイフを突き出せば、面白いくらいに獣の血が地面に滴り落ちた。

 血が大分抜けるまで、彼女はどこからともなく熊の解剖図を取り出して獣が齎す効能と、『異世界の獣』特有の呪いの扱い方について説明してくれた。


「これの臓器は食べられるけど、呪いが付与されている場合があるから現場で処理をするときは食べずに灰にした方がはやいかな。でもまぁ、今回は薬とするんだっけ。じゃあ今回は胆嚢だけくり抜いて持って帰ろう。あと、強い異世界の獣になると血に呪いが宿っているときもあるから、そんなときは難しいだろうけど生かしたまた血抜きをして肉体に宿る呪詛を軽減するといい」


『異世界の獣』の処理は他の獣と少し違う。獣が発する呪いに他者がかからないよう、内臓をその場に残してはいけないのだ。それはこちら側の生物の食物連鎖を狂わせない為の処置。もし誰かが内臓をつついた食した場合、食べた者に強烈な呪いが掛かる場合があるのだ。

 種族によって掛ける呪いの傾向はあれども、呪いの種類は千差万別であった。呪いは一見しただけでは分からない。その肉を口にして初めて効果を発揮する獣もいた。

『異世界の獣』を食べるなんて、そんな狂気じみたものがいるなんて思っていなかったが――食べた者がいるから、異世界の獣が齎す呪いが少しずつ解明されているのだろう。

 詳しいことは知らないが、きっと目の前にいる彼女が何となく詳しい気がしていた。


「鳴き声も、聞くと呪いがかかる場合もあるから、そんなときはこう」


 ヨルルカさんは淡々と説明しながら、正確に熊の急所の一つである声帯にナイフを差し込み傷つけていく。そこからは血が勢いよく出るなんてことはなかったが、じんわりと肉の間から血がにじみ出てきていた。


「頸動脈を斬った後、ついでに声帯も切り取ればいい。まぁ、こいつはもう死んでいるから、しなくてもいいけれど」


 彼女は熊の声帯に当たる部分をぐるりと円を描くように当たる部分を示した。それに、鳴き声に呪いが付随される種族を紹介した。

 獣によっては姿を見ずともその声を聴くだけで呪われる場合がある。人魚セイレーンなんかが良い例だろう。彼らは歌声でこちら側の世界の人間を惑わし、脳を狂わせ、人間を海の底へと落とし自らの食糧としていた。

 次に彼女は眼球を指して、見ただけで人間を呪う種族を幾つか上げた。有名な例としては、蛇女王メデューサ王冠蛇バジリスクなどが該当した。正確には種族ではなく、ヨルルカさん曰く蛇が進化『個体』らしいが、今回はそんな化け物と遭遇しなくて本当に良かったなと思う。

 彼女が説明している間、丁度いい時間が経ったので血抜きされた熊を予め広げていたシートの上に下ろした。熊は四肢を広げて、その巨体を晒していた。


「毛がある動物はまず皮を全て剥ぎ取ります」


 解体するのに、哺乳類だったら毛、爬虫類の場合鱗が解体の邪魔になるのでまず剥ぐことを意識してほしいと彼女は言った。鳥の場合は、羽をお湯につける毟り取りやすくなると私たちがいつ使うのかもわからない予備知識も教えてくれた。


「まず喉下から肛門にかけてナイフで切り込みをいれて、正中線に沿うように皮を剥いでいきます」


 人間の場合は腱に切り込みを入れて四肢を捥いでから削ぐいいと彼女はいつ使うかも分からない無駄な知識トリビアを披露してくれた。あまり考えたくないが、彼女は人間を解体したことがあるのだろうか? でなければこんな恐ろしいこと考えつくまい。

 凄惨な現場を想像してしまいそうになったが、何とか胸に奥に留めておく。私たちがもたもた熊の手足に切り込みを入れている間、ヨルルカさんは本当に手際よく熊を解体し続けていた。


「内臓は傷つけないように。脂肪はまずいから落としていいよ」


 熊は基本的に雑食だ。雑食の大型生物の脂肪はあまり美味しくないのだそうだ。彼女は皮と内臓を覆う膜を丁寧に切り取っていった。背中までナイフで切り込みを入れる為、一度ひっくり返して、いよいよ熊は頭を手足の先を除いて全ての皮が剥ぎ取られた。皮は一度熊とは別に置かれ、そして彼女は皮のない熊を再び仰向けに寝かせた。


「背中の皮まで剥いだらいよいよ内臓が入っている袋を割きます」


 この熊はこちら側の世界に来てから木の実や草食動物を食していたらしい。程よく脂肪が乗り、少し膨らんだ腹を真っすぐ切ると、そこからは学園でよく見た人体模型図のような臓器が覗いた。

 同行した人間の一人が底面が広いバケツを持たされていたが、きっとこの為に持ってこさせたのだろう。彼女は取り出した臓器の説明をしながら、次々と桶の中に入れていく。

 

「これが肺。これが心臓、これが胃袋。これが肝臓。腸は絶対破かない。臭いが漏れて悪臭が漂うから。そしてこれが貴方たちが求めていた熊胆。いわゆる熊の胆嚢だね」


 ヨルルカさんは熊胆を切り取り、口の方を指で締めながら私たちの前に掲げた。これが今回の目標だったのだ。

 熊胆は主に消化機能を助ける薬として重用されている。これが異世界の獣であると、更に効果が期待できるだろう。


「胆汁が出ないように熊胆の入り口を紐で縛ります」

「こ、こんな感じでしょうか?」

「そう、よくできたね」


 何と彼女は私に熊胆を任せてくれた。私はもたつきながらも何とか口を紐で固く縛っていく。これは大事に保管しなければならない。背中に背負っていた鞄に入っている布袋を取り出しその中に入れて、更に布を緩衝材として巻き、潰れないように荷物の中でも上の方にしまった。


「まぁうーん……大丈夫だとは思うけれど、念のため内臓は全て焼いて埋めようか」


 その間に彼女は内臓を処理しようとしていた。可燃性の木を集めたかと思ったら、ライターで火を付け焼いていく。ぱちぱちと焚き火の音がなり、何とも形容しがたい臭いが周囲を立ち込めた。


「私には当人が死んでも残る呪いは効かないから、逆にほんの少しの、角に小指を当てて悶絶する程度の毒は分からないんだよね。でもまぁ、大丈夫でしょう」


 ほんの少しの不幸を舞い込む呪いは、命に別状はないから結局食べても問題ないと彼女は言い切った。そもそも因果関係など解明されていないから分からないという。人間が必ず死ぬように、もしかしたら呪いとは関係ないかもしれない不幸も幸運も、生きている限り人間は必ず体験していく。

 火は燃えていく。ぱちぱちと勢いよく燃えていくそれは、普通の肉を焼くより高温のせいか白く発光していた。彼女曰く普通に燃やしてでは残るから、高温になる燃料を混ぜているそうだ。

 煙は天に昇っていく。薄く白く棚引かせるそれは、狼煙の意味も持っていたらしい。


「こちらの駆除は終わった。それで、そっちはどうなっている」

「……シリウス、教授」


 どこからともなく現れた教授は、一片の染みもなく、本当に駆除を成し遂げたというか疑念を抱くほどの、とても山に来たとは思えない場違いな恰好で、しかし教授が駆除を成しえたというのならそれは本当のことなのだろう。

 ヨルルカさんは振り向くことなく、木の棒を使って全てを灰燼に帰そうとちょいちょい死体を焼いている。獣だった死体はあと数分で完全な炭となりそうだった。

その間ぽつりと、やはり教授を見ることなく呟く。それは完全に教授に対する文句であった。


「……みにくるのおっそ、この子は素直で解体は手際もいいし、飲み込みも早かったからA評価にしておいて」

「貴方がいうなら本当のことなのだろう……分かりました。錬金術科一年のミス・サヤでしたね」

「ひゃ、ひゃい!」


 まさか人間にこれほど痛めつけるのが上手で、人間に興味なさそうな教授に名前を覚えていられるとは全く考えていなくて、思わず舌を噛んでしまった。

 けれどやはり教授は私個人に対してどうでもいいらしい。私が失敗した様子を気にしている風でもなく、ヨルルカさんに褒められた生徒に注目しているようであった。


「良かったですね、この方が人を褒めることなんて滅多にないのですよ」

「は、はぁ……」

「うるさいなぁ……」


 未だにこちらに背を向け続けている彼女は、いよいよ獣の死体が完全に灰になったことを確認したところで、骨を拾い上げて予め掘っていた地面に埋め始めた。使っているシャベルも生徒の一人に持たせていたものだった。

 完全に熊を処理したところで、今度こそ彼女は教授と向き直った。ついでに布袋にくるんだ肉を握りしめている。どうあっても彼女はそれを食べる気でいるらしい。

 しかし一応は教授にお伺いをたてる気でいるようだった。


「これは食べていいの?」

「今回は任務ではなく課題で来ている……我慢しろ……と言いたいが、いいだろう。ただし、調理を始めるのは麓に降りてからだ。そして錬金科の生徒に肉を分け与えてくれ」

「勿論。私が食べた後は好きに処理すればいいよ」

「い、異世界の獣を食べるのですか?」


 私は思わず声を上げてしまった。と、同時に後悔をしたものだが、声に出したものは戻らない。私は冷や汗をだらだらと描きながら彼らの反応を待つしかなかった。

 すると彼女は私の発言に憤ることなく、ただ首をかしげる。それは本当に赤ん坊が鳴いているぐらいの当たり前かのような、何故そんなことに疑念を抱いているのか――と、私が勘違いしてしまうぐらい。


「? 勿論。食べられるなら、食べた方がいいでしょう」

「な、何のために?」

「……それは勿論」


 彼女は一瞬だけ、答えに詰まって、けれど確かに答えを出した。

 至極当たり前の欲求。三大欲求の一角を司る以上に、呼吸をする以上に人間がもっとも必要なこと。


「――生きるために」


 ヨルルカさんは一瞬、希望を見出さなければいけない台詞なのに、ほんのひと時の合間だけほの暗い底を覗くような、そんな瞳の色を見せた。

 私が返事することはなかった。出来なかったのだ。私がなんでもいいから何か返答をしようと口を開く前に彼女はそっぽを向いてしまったから。

 あぁ、でも今考えれば彼女は別に私の言葉なんか聞きたくなかったわけではなくて、自分の答えを以て会話を終えたつもりになっていたのだと思う。





「で、彼らはその獣の肉を口にすることができるのか」

「んー、さっき食べたら呪いもなかったし、――いやそうじゃないよね」


 シスに問われたから答えたけれど、彼の聞きたかった真意は違うと思うから言い直すことにした。彼らは未だに戦場の最中にいる。ならば、勝利者にご褒美があったっていいと思うのだ。


「皆で焼き肉バーベキューをしよう。疲れた身体に獣の肉はとても癒やされるよ」


 そういえば、出発地点である山の麓のキャンプ場にはシスが生徒たちの為に買い上げていた道具がまだ幾つか残されていた。その中には大人数にも耐えうるキャンプセットがある筈だ。


「どこかの誰かが馬鹿みたいに課題を出しているせいで皆疲れているみたいだし」


 そう、彼は仮初めの立場とはいえ、実に容赦なく生徒を振るい落としていったのだ。学内に友人のいない私ですら彼の苛烈さは耳に入っていた。まず、課題の量がえげつない。シスは彼らが個人の裁量でとても捌ききれないほどの課題を提示していた。

 更に量だけではない。その内容も一言ではとても言い表せないほどの――苛烈さを持った。例えるなら獣を狩る専門家の私に対して、一切の身ぐるみを剥がし身一つで異世界に放り込んで、それも草食獣ではない大型の肉食獣を百体狩ってこいというぐらいの無茶ぶりである。私がもし錬金術科であっても一切の余裕はないだろうその内容は、時に各家が持つ秘儀を持ち寄らなければ絶対に達成不可能なものまであった。正直に言うと、少し得意だからといって錬金術科に入らなくて良かったと本気で考えたくらいだ。

 試され、振るい落とされ、そして彼の苛烈な教育にも耐えて残ったのが今いる生徒たちだ。ならば、ご褒美があってもおかしくはないだろう。


「たまにはこう、羽を伸ばすのもいいんじゃない?」


 獣の肉はそこまで痛んでいなければ、こちらの世界では木の実を好む個体であったようで、試しに一口頬張ったときの味わった感想としては雑味もなく非情に美味であった。これなら、彼らが舌が肥えていたとしても満足できる仕上がりになると思うし、上手く調理すれば更に美味しくなることは簡単に想像できた。

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