二章
一 『天狼のシス』
「は?」
今日は久々に指名の仕事がないから、フリーの仕事を受けようと呑気に
「は?」
そうして私は問答無用で個室へ連行された。マリさんが何も言わないときは私が逃げ出す可能性がある案件があるものだ。そしてその嫌な予感は大方外れたことはないのだ。
「……帰っていい?」
「だぁめよぉ、これから大事なお話があるのぉ」
ギルドには地下室がある。この部屋は不要不急以外のときは決して立ち寄ってはならないのだが、この時ばかりは私を誘おうと扉の鍵はかかっていなかった。残念ながら子犬を小脇に抱えるように拘束されているので逃げることもできない。嫌々ながら部屋に入ると、中には出来ることなら人生で最も係わりたくない御仁がそこにいた。
「相変わらず一片たりとも成長も老化もしていないようだな。呪いとは不死も与えるのか。非情に興味深い。ふむ、新しい呪いが付与されているじゃないか。君の身体を隅々まで調べてもいいだろうか」
「……駄目に決まっているだろう」
「私のことを憶えていたのか、それは僥倖だ。前回はまるで初対面のごとく振る舞われていたから、君の頭はいよいよ退化に極まったかと勘違いしてしまったよ」
「……」
透き通るような銀髪を後頭部の高い位置に結わえて、
彼は私より後にギルドに所属し、誰よりも早く『無色』まで駆け上った鬼才でもある。未だにこの記録は誰にも破られていない。しかも、『無色』になった理由が『研究費』と『研究材料』が欲しいからというとても自分本位な、しかしその為だけに最高位を取得できた男だ。実力はそれなりにある――と思う。戦っている姿を一度も見たことがないので、彼の実力や能力は知らない。一緒に任務をこなさない限り私から聞くこともないだろう。
彼は私みたいに獣を殺す任務を主としていないから『黒』ではなく『無色』の位を与えられていた。
何の為に研究しているのか、ある冒険家が彼に訊ねたことがあった。すると彼は何と愛する人の平穏を目的としていると答えた。彼の恋人は死んではいない。けれど恋人は、愛しい筈の自分を恋人と『認識』することができないのだそうだ。灰色だった人生に恋人と出会ったことにより色がつき、結婚しようとプロポーズをし、長年の末ようやく承諾してもらった最中の悲劇。恋人に認識されない彼は苦悩し、彼女の呪いを解くために異世界の獣を材料としギルドに所属することになった――というわけだ。
しかし本当にこいつに恋人がいるかどうか――私は正直、疑わしい。こいつには人間に普通あるブレーキというものが存在しない。人間として枷は必要ないと、後天的に自らを縛る常識を取っ払ってしまったのだ。昔はもう少しこう、人間社会で円滑に生きていく為の常識があった気もする。
あくまで異世界、及び異世界の獣は自身の野望の為に存在していると本気で信じている空想家でもある。彼の望みは恋人に永遠の平和を与え、自らの恋人とふたりきりの永遠の楽園を築くことであった。獣であれば第零亜級指定害獣に指定されないほどの人間だ。正直に言うとさっさと隠居して私の見えないところで静かに暮らしてほしい。
かくいう私も呪いにしょっちゅう掛かっているものだから、彼とすれ違う度に必ず絡まれた。調べさせろと詰め寄られるだけならまだマシだ。服をひん剥かれそうになったときは如何に武器をとらずにどうすれば殺せるか本気で試案したものだ。
とにかく彼はたった一人の恋人の為に異世界の獣を殺すだけでは飽きたらず解剖し研究し、ついでに人類に貢献している変わり者――人類の進歩のためには不可欠な人材、私個人としては『愛』という最も理解し難い理由で行動している狂人であった。彼は理性がある。知性がある。けれども彼は自らの持ちうる全てをたった一人のために行動しているのだ。本当に理解が出来ない。自分一人でだけ養うのに大変な世界の中で、それでも確かに彼は数多の、獣の屍を作り上げ、望んですらいない人類を進化させる先駆者として名声を築きつつあった。
かくいう私も何体か『異世界の獣』を献体したことがある。死体でも構わないというから病理や簡単に解けない呪いで食べられない獣を買い取ってもらっていた。しかしそこまでしても、恋人の呪いの解除は未だに解けないという。
彼の恋人には出会ったことない。しかし人類に解けない呪いに掛けられるような人間だ。彼に言ったら間違いなく殺されるから口には出さないが、恋人も私と同じような立派なろくでなしなのだろう。
呪いは普通の人生を歩んでくれば無縁の筈の、一般人にとってとんと縁ががないものだ。しかも普通の人間では、たとえ同じ徒人に呪われたとしても呪われた時点で死ぬのが普通だ。呪われた者が生きている時点で、彼の恋人も恐らく強靭な肉体か、あるいは頑丈な魂を持っていたことになるのだろう。
まぁ、さっさと呪いとやらを解いて彼の悲願を成就させてやれと考えている。彼らがどうなろうと、私の知ったことではないのだ。
「それより呪いだ。やはりその新種の呪いが気になる。私に調べさせろ。愛しい人の解呪の手掛かりになるやもしれん」
「死ね。誰が触らせるか」
「ふむ、その剣と同じ文様が刻まれているのが気になるな。生物が触るとその箇所から腐りはじめる呪いとみた」
「人の話を聞けよ」
けれどこいつが人の話を聞く様子はない。誰に対してもこんな調子なのだ。常識に富んでいるように見えるがその実、私の方が常識の世界に住んでいると思わせる。狂人に対してまともに相手をしてはいけないと悟らせるいい例がこいつだ。
「大丈夫よぉ、ヨルちゃん。この人が調べさせろって詰め寄るのは、ヨルちゃんしかいないわよぉ。まぁヨルちゃんがしょっ中呪いをもらってくるから」「マダム」
私が会話を打ち切ろうとしたところで、マリさんが会話に割り込んだ。しかし、彼は彼女に何かを喋らせたくないようで、一方的に中断してしまう。
「その話はそこまでだ。それ以上話してしまうと、あなたも呪いに掛けられかねない」
「あらぁ、ごめんなさい。私も赤の他人って思われたら悲しいものねぇ」
「?」
私は首を捻った。彼らの言っている言葉に疑念を抱いたからだ。もしかして私が呪うと思い込んでいるのだろうか。残念ながら私に精神に掛かる呪いは一切効かず、故に私が呪いを掛けることもできない。呪いが作用するとなれば、それは恐らく彼らに対してであった。
私の
けれど彼の言い方によれば、恐らく呪いに掛かられているのはシスであるようだった。しかし私から見る彼はどこにも呪いを掛けられていないようにみえる。
私が他人の呪いについて気付かない筈がない。油断によって呪いを掛けられることはあれども、自分に全く関係ない呪いについて俯瞰で物事を見るように私に見えない筈がなかった。
彼の瞳をじっと見る。瞳の奥に潜んでいるのは愛しい人間にある感情のみで、呪いなんかどこにも存在していない。それとも私の感知し得ない呪いがあるのかと疑念を抱いたところでマリさんがぽんと手を叩いた。
「雑談はここまでにして――本題に入りましょう?」
マリさんは強引に私たちを席に座らせると何枚かの資料をテーブルの上に置いた。そこには見覚えのある名前が幾つか載っていた。『吸血鬼』の名前。人間としての名前ではない。『吸血鬼』管理番号がずらりと並んでいたのだ。
「かつて貴方が『黒』に昇格するきっかけとなった事件――第零亜級指定害獣『吸血鬼』を何十人か虐殺……失礼、駆除したことを覚えているだろうか」
シスが資料を眺めながら私に対しての功績を口にした。私は異世界の獣を殺して『黒』に昇格したわけではない。個人的にはとてもやる気のない仕事『吸血鬼』の駆除に成功したことで人類に貢献したと見做され『黒』の称号が与えられた。
かつての私の二つ名である『悪食のヨル』からすれば食べられもしない『吸血鬼』退治の仕事なんてやる気がない決まっている。それなのに、駆除対象からは激高され罵倒され襲い掛かってくる始末。私はいい加減腹が立って、その国にいる『吸血鬼』を全滅させた記憶がある。
結局始末された『吸血鬼』は全員冥府の監獄にぶち込まれた筈だった。けれど確かにここには私が殺した筈の名前が並んでいる。
「あぁ……もしかしてあいつら脱獄した?」
「いいや、今回はそれより性質が悪い」
資料には『吸血鬼』の個体名が四名載っていた。『吸血鬼』の個体の名付け方は少し特殊で、見つけた場合、各々の『吸血鬼』にはアルファベットと数字が割り当てられる。私が駆除したときには、実に四十体ほどの『吸血鬼』が冥府の監獄に収容される際に番号を振られることとなった。
「貴方が討伐した内の一人、『
「は? なら私はもう襲撃されているんじゃないの? ていうか、人型を狩るの得意じゃないから狩りたくないんだけれど」
『
最奥の牢屋となると他の牢屋とは少し意味が異なり、常に罪を認める為の
しかし彼はどういう経緯を以てかは知らないが二十一グラムの魂を冥府の監獄の外に運び得ることに成功した。吸血鬼は最悪、肉体はいらないのだ。自らの魂さえ壊れていなければ人間の身体を乗っ取り、その人間だった記憶や形を全て吸収してしまうから一見しただけでは誰が吸血鬼に乗っ取られたと分からないのだ。
私が始末に成功したのは生きとし生けるもの全てを呪う剣があったからだ。これは魂の在り方さえ腐らせてしまうもの。私以外の生物が、この剣に触れて魂さえ呪われないなんてことは一度もあり得なかった。
それに私は獣についての鼻が利く。獣が幾ら人間に擬態をしていようが、鼻がひん曲がるような臭いまでは誤魔化しようがなかった。
しかし私は特段、吸血鬼狩りが得意というわけではない。寧ろ食べられないところがない分、吸血鬼狩りに参加したのも渋々であった。
吸血鬼が報復するというのなら、こんな悠長に話し合っている場合ではない。けれど、彼は未だ復讐は完遂されていないと言い切った。
「貴方の場合、不得手とかそういう問題ではなく食べられる箇所がないから狩るのが面倒なだけだろう。あぁ、未だ襲撃はされていない。しかし彼らが貴方を嵌めようとしているのは確定された未来だ。巫女も頭を抱えていたよ。私も同じ気持ちだ。どうして私が私の愛しい人の呪いを解こうと力を尽くす最中に吸血鬼退治なんてものをしなければならないんだ」
シスは大袈裟に嘆く動作を見る。私だって、巫女が係わっていなければ(要請がきているから逃れられないものの)こちらとて断りたかった。
巫女とは『無色』の一人である。彼女は自らの予言を以て人類の安寧した未来の為に貢献していた。巫女は滅多に姿を現すことはない。彼女は教会に身を潜め、人類を脅かす脅威に備えていた。
その巫女が予言するほどの事案。巫女は大抵人類の脅威になりえる厄災しか口にしない。個人の未来を予言するなんて聴いたことがなかった。しかし実際に彼女は口にしている。『無色』は『黒』でないにしろ真偽を偽ってはいけない。彼女が予言として残したなら、確かに私に関係する厄災なのだろう。
「ヨルちゃんにはぁ、狩人として吸血鬼の討伐に乗り出してほしいのぉ」
マリさんが満面の笑みを浮かべて私を吸血鬼狩りに名乗り上げようとさせてくる。
私は守られる立場ではない。あくまで守る側なのだ。『黒』の人間は生物を狩ることによって生き永らえている。時には脅威から守ることにより、人々の安寧を守っていた。
けれどそれとこれとは別。(任務が避けられないにしろ)私がどうしてもやる気にはなれなかった。
「……吸血鬼なんて食べられるところないじゃん」
「私の調査によると吸血鬼の血は芳醇な
人間の血は鉄錆の味がする。以前、自らの毒を吸い出したときについでに味わったが美味しくはない。人によって味は違うが、吸血鬼が絶品であるなら試す価値はあるのだろう。
「……ふむ、それならまぁ……まぁ……? いや待って、人間の体を乗っ取っているなら結局そいつの魂はともかく肉体は人間のままなんじゃない?」
「乗っ取られる時点で遺伝子が書き換えられ、その人間の記憶を持った『吸血鬼』となる。でなければ、人間に擬態した後でも血の一片から完全に復活できる説明がつかん。死体を調べた結果、人間とは全く異なる遺伝子をもった生物だよ。間違いなく彼らは肉体までも『吸血鬼』だ。残念ながら、『吸血鬼』の死体を提供されたのはいいものの、どこぞの人間の殺し方が悪かったせいで肉体の大半が損壊していた為に結論に至るには難航したがな」
「寧ろ全て腐らせる勢いだったのに、死体が残っていたことに驚きなんだけれど」
『吸血鬼』の恐ろしいところは少しの肉体があれば完全に再生してしまうのだ。
『天使』と『吸血鬼』は共通して人類の敵ではあるが二つの種族の違いは主に二つとある。
『天使』は頑丈ではあるが頸椎を砕いて脳を損傷させればまずその肉体は死ぬ。『吸血鬼』は肉片の一片、血の一滴さえあれば肉体の蘇生を初めてしまうのだ。更に『天使』の場合、これは一個体しか確認できていないわけだが、他の『天使』の身体を乗っ取ることができる。『吸血鬼』の場合は、どんな人間であろうとその形が人間であれば乗っ取ることが可能なのだ。乗っ取り方は簡単。自らの血液を相手に流し込むだけ。そうするだけで、いつでも自分に成り代われる『吸血鬼』が作成できるわけだ。
ただし魂は一つしかないから、『吸血鬼』が無限に生まれるわけではない。更にこの世界の敵と認定された『吸血鬼』は減少の一途を辿っている。
管理番号は、次に会ったときの外見が全く異なる場合があるから管理番号でないと管理しきれないのだ。
私が殺せたのは肉体を蘇生させる前に魂を冥府へぶち込んだから。冥府とこの世の理は全く違う。冥府は在り方だけいえばそこだけ独立した理性ある異世界である。流石の『吸血鬼』といえどもあの世にいてはこの世に残してきた人間に成り代わることは出来ないようだ。
「かくいう私も生きた『吸血鬼』の解剖は未だ成しえていない。愛しい人の為に、協力しあおうじゃないか」
「
「分かっている。私とて、むやみやたらに人に噛みつくわけにはいかないからな。引き際は弁えている」
「どうだか」
『天狼のシス』と行動することは決定事項のようだ。私は特大の溜め息を吐いた。こんな自分と恋人しか世界に存在する価値がないと思い込んでいる輩など、一緒に仕事をするだけで神経がすり減ることが目に見えていたからだ。
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