四 『黒を以て殺シタイ』

「さて、今日こそ私たちの仇が見つかるといいね!」

「……」


 私は彼を無視して、一人で設営したテントを片付けていく。彼らは私に話しかけるが、それだけだ。手伝うなんてこともしなければ、一人は暇だからと武器の手入れまで始めてしまう。

 私はそれでも彼らのお守りをしなければならないのだ。これなら、未だ大鹿の狩りのときの方がマシだったと考えれば、今の状況がどれだけ悪いか察していただけるだろうか。そう、私の我慢もついに限界を迎えそうになっていた。彼らが私によって斬りつけられるか、獣に食い破られるか、どちらにしても時間の問題である。


 片付けも無事に終、私は柄に手をしきりに手を離さないまま暫く歩いた時、ついに私たちは願っていた獣との邂逅を果たした。


「……山羊頭」


 それは山羊の頭をしていた。背中には黒い翼が生えていて、足は有蹄類であることを示す蹄をもっている。ただし、上半身から腕にかけては、鱗はあるものの、乳房をもっている胴体はほぼ人間を意味している特徴と同じであった。

 体長は三、四メートルほど。しかし膂力は人間をはるかに超えていそうな体躯であった。

 私は剣を携える。霧で見えにくい状況であったが、下が砂地のため私たちを阻むものは何もない。戦場となる環境は決して良いとはいえないが、悪くもない。見えずとも獣の発する臭いが、測らずとも山羊の居場所を知らしめた。


 これほどの上物――これから食べるかと思うと胸が躍る。


 けれど、彼らは違うようであった。ハレは槍を手に掛けたまま酷く狼狽している。テルもその意味に気付いたようで、獣を見つめたまま震えていた。

 彼らはその・・事実に打ちのめされているようであった。私としては全く意味が分からないし、全く関係もないのだが。

 けれど彼は、あれだけ念を押していた私の狩りを、手で制して邪魔をしてしまったのだ。


「ヨル君、駄目だ……その『人』に手を掛けてしまったら、今度こそ私は君を殺さなくてはならない」

「は? どう見たって人じゃないじゃん」

「違う! 彼女は人だ! 正真正銘、私達の恩人だった――!」


 彼は激高しているが、そんなこと、正直知ったことではない。

 私は剣を逆手に持ち体勢を前に構える。そして刹那、ハルの掲げた腕の下を潜り抜けた。山羊頭は咆哮を上げて両手を振り上げ、私たちを地面に叩きつけようとしていた。

 かれど残念、あまりに単調な攻撃では私を倒すことはできない。私は山羊頭の攻撃を避けつつ死角からの攻撃も同時に避けた。

 テルの放った魔術は私を通り過ぎて、山羊頭に直撃していく。私に傷付けてはいけないと叫びながら、しっかりと山羊頭を攻撃していることについては如何なのだろうか。

 彼女はそれでも私が避けてしまったから山羊頭に当たってしまったと憤慨している。


 ああ、二人とも本当に――鬱陶しい。


「何てこと! お前が避けるからあの方に当たってしまった!」

「そんなの知るかよ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる前に、己の腕を磨け」


 私は未だ避け続ける。一頭ならまだしも、二人ともが私の敵となると流石に決定打を与えられない。あくまで私とハレは対等だ。異世界の獣に対しては私に完全に武があるが、同じ大きさの人間が相手となると、その的の小ささに舌打ちを打ちたくなる。


『グォォォォォォォンン!』


 そのうち、山羊頭が吠えた。私は反撃の機会を窺う前に一度遠ざかる。直感というものはよく当たるもので、山羊頭は大地を跳躍したかと思うと、真っすぐにこの中で一番弱い彼女へと牙を剥ける。


「え?」


 テルの最期の言葉は――ただの疑問符であった。彼女は杖を構えていた。けれどそれでも、山羊頭の爪を防ぐには足りない。彼女は杖ごと身体を真っ二つに引き裂かれた。彼女は身を崩して、膝が地面に付いてしまう。

 けれど山羊頭はそれだけに飽きたらず、テルの身体めがけて勢いよく拳を振り降ろした。瞬間、彼女は面白いくらいにその胴体を粉砕されたのである。

 死体が出来上がるのは一瞬だった。ハレは咆哮する。恋人の死に対し嘆き怒り、そして――私に槍の穂先を真っ先に突き付けてきた。


「『月蝕のヨル』! 貴様! 私のテルを! よくも――!」

「……八つ当たりも限度があるでしょう。それに再三言ったよね。私の狩りを邪魔するなら、お前も――殺すって」


 一度当たればこちらのものだ。私は頭を低くして、彼の槍を蛇のように避けていく。そしてハレの喉笛を掻き切るふりして――彼の向こう側にいる山羊頭へ刃を向けた。山羊頭からはハレしか見えず、死角にいる私の剣先は分からない。山羊頭からすれば私がいきなり現れたに等しいだろう。山羊頭に触れた剣の切っ先は、確かに獣の致命傷になりえた。


「チッ」


 山羊頭は首元を抑えて暴れまくる。首からあふれ出る血が押さえきれないようだった。けれど流石は――監獄を脱獄するまである。私も無傷とはいかなかった。

 腕の一割に当たる肉が抉れていた。山羊頭の手に呪いが付与されていなくて本当に良かったと思うしかない。私は使い物にならなくなった手甲を外す。壊れた鎧など邪魔なだけだ。

 しかし私が腕の半分を晒した途端、ハレは眼の色を変える。


「その金色の――呪いは――故郷を滅ぼしたのは、君か! 『月蝕のヨル』!」

「は? 言い掛かりにも程がない? お前の故郷を滅ぼすとか――食物連鎖に影響するような愚かな行為、ただの一度もしたことないんだけど」


 勘違いにも程がある。それに私の記憶であれば、こんな悪質な呪いを遺す存在なんてものは彼らの故郷にはいなかった。私は自ら口にした獣の特徴は全て憶えている。それに私は人肉を食べるカニバル趣味はない。彼らが唯一私を恨むとすれば、山羊頭と化した恩人を私が食べたか――確かに彼らの故郷で山羊頭の脚と舌を食べた記憶はあったけれど、私がこの身に呪いを刻んだのはごく最近のことであり、しかも今まで山羊頭に呪いを掛けられたことは一度もない。

 やはり彼の勘違いであると結論付けた。けれど、彼はどうあっても私を黒幕としたいらしい。


「問答無用――!」

「じゃあ聞くなよ、殺すのに時間がかかるだろうが」


 未だ山羊頭は暴れている。私たちは山羊頭が作りだす地割れを避けながら槍と剣の切っ先を交える筈だった。


「なっ!」


 そんな中、私は完全に死角からの攻撃に身動きをとれなくされてしまった。いや、後ろから羽交い絞めにされている。

 彼女は――テルはその身を半身以上潰されていても未だ生きていた。そして今も激痛に苛まれている身を奮って私を殺すためだけに動いている。彼女は私の動きを完全に止めた。彼女は血をまき散らしながら、それでもハレの為だけに死にかけの身体を使い私を仕留めようとしていた。


「ハレ様! 私ごと――! 正義の鉄槌を――!」

「……ッ! テル、すまない!」


 ハレは咆哮を上げながら私へ突進していく。このままであれば私はまさしく串刺しへとなるだろう。

 けれど、残念。テルごと私を突き刺す前に、彼女が溶けなければ私を殺せたかもしれないのに。


「……っ! 貴様ァ!」


 私の肌を露わにしたところを触ったから彼女は本当に死んだ。テルがもし死者のままであったら私も危うかっただろう。この呪いは生きとし生けるもの全てを呪い、毒に侵し、腐らせてしまうのだから。


「金色の蔦は私の剣と同じく――生きとし生けるもの全てを呪う。触れた生物は間違いなく毒に侵される。私は未だ耐性あるけれど、白金プラチナ如きの僧侶じゃ、すぐ溶けちゃうでしょう」


 私を押さえつけていたのがハレであればもう少し人間としての形を保ったかもしれないが、どちらにしても私を完全に死に至らせるには至らなかった。

 私はひょいと彼の真っすぐな突きを利用として、柄を剣で叩き折る。これでもう彼の武器はもうない。彼は槍が使い物にならなくなったとみるや、腰にあった剣を取り出す。それもまた英雄に相応しい――私とは真逆な性質を抱いた正義の剣だった。

 彼は剣を掲げ、宣言する。自らの信念を曲げてまで私を殺すと誓った。


「殺す――不殺の信念を曲げてでも――貴様は――殺す」

「やってみろよ、三下が」


 一人は完全に溶けていなくなった。一匹は少し離れたところでのたうち回っている。ならばあと一人。まぁ窮地に追い詰められた鼠ほど怖いものはないのだけれど。


「はぁッ!」


 彼は跳躍し、普通の人間なら目に見えぬ速さで剣技を繰り出してきた。私はどんな風に手首を切り落とそうか考えている。彼の首は分厚い鎧で覆われていた。叩き潰してもいいのだけれど、それより私を苛々させた罪はとってもらわなければならない。

 人肉を食べる趣味がないように、獣を甚振る趣味もない。けれど私という存在を軽んじたなら話は別だ。反抗しないように徹底的に可能性の芽を全て潰す――それが私のルール。強者を軽んじた弱者の愚かな末路に導くのも、私であった。

 彼は私を『黒』の人間としか見ていなかったが、実は黒にも明度として階級が存在する。これは『黒』の間だけ共有されているもので、『無色』である彼には知る由もないのだけれど。私は『黒』の中でも最高の『黒』。そう、私はギルドの中で誰よりも『最凶』なのである。

 一応であるが『無色』の中にも私には理解しがたい類の『最狂』がいる。そいつは私が『最凶』を示す『黒』であることを知っている。けれどこいつには知らされていないから、彼の実力はその程度のものなのだろう。それに私はギルドの人間から、彼には知らされていない任務を請け負っていた。しかも任務は既に果たされている。私という人に全く優しくない人間が聞かされた時点で、彼らはギルドから『落第』を叩きつけられていただ。

 どちらにしても彼の切っ先は、白金プラチナ級の連中よりかは動きが速いが、『黒』である私にとっては遅すぎる。獣狩りも、あちらの世界に還したのではなく、還すしか方法がなかったのでは? と思いたくなるほど。

 いい加減、無秩序に周囲を破壊する山羊頭にも剣筋が全く出鱈目なハレにも飽き飽きしてきた。甚振るのをやめて一気に決着するかと脳裏によぎる最中。


「ざぁんねん、時間切れでしたぁ! ……来たよ。私ではない、お前たちを殺す者が」


 私はこの身に宿る呪いが金の蔦が一気に熱を持った。この呪いもまた掛けた本が死んでいなければ延々と消えない。私の身に未だ宿るということは、そういうことだ。


 どこからともなく轟音が鳴り響き、彼の竜が音を立てて着地した。竜は剣を持っていた。そして剣はハレと私の剣を捉え、そのまま地面へと突き立てられていた。

 私は少し驚く。最後に見たときと彼の姿が大きく違っていたからだ。私と対峙していたときは彼は正しく竜そのものの姿であった。でも、この姿は――

 白銀に近い美しい白金の髪に、金色の瞳。彼の竜も同じ鱗に金色の瞳をしていた。光彩は爬虫類に近い形をしている。けれど彼を形成する肉体はまさしく人間そのものであった。


「こいつは俺の仇だ、邪魔するならどんなものであろうと、殺す――」


 竜は一瞬、私を睨みつけてから『赤烏のハレ』に剣を向ける。彼の剣は私のものと酷く酷似している。きっと竜の骨から抉られていたのだろう。私の剣と同じく、金色の蔦の文様――呪いが刻まれていた。


「な!」


 ハレは完全に狼狽えた。完全な部外者がまさか冥府の近くまできて自分の邪魔をするなんて思わなかったのだろう。私はついでにかっこ良く決めポーズをしている竜だった人間の下を通り過ぎてハレの首を完全に斬り飛ばした。

 ここは一瞬たりとも油断してはいけない戦場だ。なのにハレは完全に呆けていた。だから殺した。どちらにしても迫りくる山羊頭に頭を吹き飛ばされたのだ。ならば私が殺したって何ら問題はないだろう。

 彼は最後まで自分の身に何が起きたか理解できなかったらしい。ついでに私はハレの頭を退けて山羊頭の首を完全に斬り飛ばす。三、四メートルほどならクロスボウを使わずとも手が届く。そうして私は竜であった人間の登場により、竜の力を借りずに獣と、『落第』の印を押された人間たちを討伐した。


「ふぅ」


 私は息を吸って、吐いてから剣を下ろす。未だ息をしているのは、この場では二人だけだ。私と、竜であった人間。私は彼と対峙する。未だに鞘にしまわないのは威嚇でもあった。


「で、何でここにお前がいるの――蔦の呪いがあるってことは……未だ生者か」


 この呪いに関しては、掛けた本人が死ねば解けられる仕組みだ。術者が死んでも解けない呪いは、少なくとも私には掛けられない。最も、耐性がなければ異世界の獣を食べるたびに呪われ、死した後も冥府の監獄で永遠の責め苦にあっていたことだろう。

 私は竜であった人間と対峙した。少なくともここまで来るのに相当な苦労をしたのだろう、人間の身体になってしまえば、徒歩で――しかも単身でくるなんて相当な執念がなければ無理な筈だ。人間が決して徒歩では到達できないと言われている所以――それはここが人間が来たとしても何ら益がないからだ。冥府は『無』だ。どんなに犠牲を払って到達したとしても、死者に会うことは決して叶わず死者の扉が開くことはない。更にここは、迷いが一瞬でもあれば死に招かれてしまう。ここに存在する宝などなく、人類がここを通る意味などない。

 人間以外にとってもここは死に満ちて宝もなく何もない――本当にただ『無』の空間。しかも誰であろうと犠牲を払わなければならないのだ。そう、彼の場合だったらそれは――竜の躰だろうか。


「冥府との境界線とはいえ、生者がここを彷徨くなんて、余程のことがなければ来れる筈がないんだけど――あぁ、そうか」


 私は三日月に弧を描く。彼は感情をその身に任せてその身一つで来たはずだ。

 けれども残念。竜の躰で私を殺せなかった彼が、ここに来るのに竜の躰を捨てるなんて――

なんて、何て愚かなことなのだろうか。


「敵討ちに来たのか、お前。生きたまま同胞を喰われたものねぇ、そりゃ、私が憎いよねぇ?」


 彼は目の前で見た。湯気をそのままに喰われている同胞の姿を。嘆いたはずだ。己の無力さに。ただの部屋にいる虫とさえ思わない塵芥の存在が、姿を見せず食べていくさまはさぞ恐怖しただろう。

 だから、そのままあちらの世界に引きこもっていれば良かったのに――


「お前を殺してしまったら本当に絶滅しちゃうかららわざと食べずに見逃したのに――何で竜の躰を捨てるのかなぁ」

「……翼がない竜など、既に朽ちたに等しい」

「あっそ」


 そう、彼が竜であったときに彼の羽を切り飛ばした。全てを呪う剣はかつての同胞さえ分からず無差別に呪い続ける。腐った場所の再生は奇跡を以てしてでも不可能であった。


「……お前、本気で私を殺せると思っているの?」

「俺は『お前』ではない……『ユヱ』。それが、お前を殺す――唯一の名だ」


 彼はかつて己の形を創った剣を前に構える。私が持っているものと同じ、一身に呪いを抱いた剣。竜であるならば皆、同じ色の剣を作りだしてしまうなんて、本当に何て皮肉なのか。


「ふぅん……竜の躰を捨てるなんて、本当に愚かなやつ。まぁただの人になってしまえば――別に生かす必要なんて、どこにもないよね?」


 私も剣を構える。本当はそんなことをする必要すらないのだけれど、まぁわざわざここまで私のために来てくれたのだ。一応は体裁を守る必要があるだろう。

 あぁ、でも勿体ないことをしてしまった。竜の躰なら食べ甲斐があったのに、人間になってしまったのでは食べる意味がなくなるじゃないか。

 再三言うが、私に人間を食べる趣味はない。どうせなら彼の身体を竜であるときのままに、貪りつくせばよかった――


 彼は馬鹿正直に、私を斬りつけようと突っ込んでくる。私は心の中で溜め息を吐き、それから軽く剣を振り翳した――





「ふふん」


 私はご機嫌で一人飛空艇からの光景を眺めるに勤しむ。行きとは違い、大地が見えるのはとても安心する。飛空艇を落ちかねない雷雨もない。ただ前方から巨大なうねりを伴って小魚共が襲撃を試みようとしているだけ。

 私が背中にある剣を抜いて魚の来襲に備えていると、後ろから操舵手が話しかけてきた。いつもならまるきり無視するが、邪魔者も消えたし機嫌もいいから答えてあげることにする。


「あの……ハレ様とテル様は」

「死んだよ。遺髪だって持ってきたでしょう? 持ってきただけありがたいと思って欲しいんだけど」

「は、はい!」


 彼らは死んだ。遺髪だって少しではあるが持ってきたのだ。何の関係もない彼に感謝はされど恨まれる筋はない。不毛の地に死んだ彼らは後で冥府の主に文句を言われるといけないから丁重に葬った。一応は冥府ではないが、権力がある人間に文句を言われたら面倒臭くなるのは必至だったので土を被せて他の生物が食べないようにした。

 竜だった彼は斬り捨てて、面倒だったからそのままそこに放ったらしにした。まぁ、未だこの身に刻む呪いは消えていないので、恐らく生きているだろう。願わくは、彼が再び竜の躰に取り戻すことを祈るばかりだ。

 そして私はいよいよ迎え来る小魚に向かって突進した。空飛ぶ魚はすべてが肉食だ。油断していれば操舵手が食べられ、飛空艇は真っ逆さまに落ちるだろう。

 そんなことはさせない。操舵手は無事に私を目的地に届けてもらわなければならない。なので私は斬る。叩きつける。時折蹴落とす。魚は段々と数を減らし、そうして半分以上殺したところで彼らは撤退を始めた。


「さぁ、解体するぞー!」


 魚は海に生息している鮫のような生物だ。魚は一匹で体長四メートルほどある。私は飛行艇に残っている瀕死の鮫のエラに大剣を差し込み血抜きをしていく。血は大地に流れ飛行艇の床を汚した。操舵手が悲鳴を上げたが気のせいだろう。次の作業に入る前に水で洗い流すから気にしないでほしい。手際よく解体するため、魚を並べて背びれや尾を切り取っていく。これだけで幾つもの料理店が潤うであろう。フカヒレは珍味とされてきたから、これらも煮込めばきっと美味しいに違いない。

 次に尾ひれから剣を差し込み三枚おろしにしていく。この魚は楯鱗という、硬骨性の基板から突起物が密生して鮫肌を形成している。こいつはかなり厄介で、外側から刃物を差し込もうとすればすぐに剣が駄目になってしまう。鮫肌はかなり頑丈だ。ならばどうやって切り分けるかというと、内側から鋸を差し込んで切り分けていく。

 この魚は浮き袋がない。代わりに肝臓の中に空気より比重の軽い油を肝臓に蓄え浮力を得ていた。更にこの魚は空中を闊歩するため肝臓が海の生物より肥大していた。肝臓は二つあるからこの二つを取り出して、内臓の切り離しに挑む。魚類は雌雄異体だ。ある個体には器官の中に卵が入っていた。卵ももちろん食べられる。勿論違う個体からは白子も見つけられた。

 そして内臓を一通り取り出してついに身に取り掛かる。身は三枚おろしといってもかなり大きい。操舵手であればこの切り身一つだって持ち上がらないだろう。なので私は一般の人間も食べられるように三枚おろしにしたあと、さらに細かく一ブロックずつ切り分けることにした。


 こうして解体作業は終わった。後は調理にかかるだけだった。

 ちなみに操舵手は青ざめていたが、これが肉と分かった途端ににこにこし始めた。勿論私一人では食べきれないため、彼にも分け与えるつもりである。

 飛空艇は未だ暫く飛んでいる。ならばその間に私は調理をするつもりだった。肉を小分けにして袋に幾つか詰めると、調理するための肉だけを手製の台に並べる。

 幾つか試しに食べてみたが、水分量が多いので塩を降り掛けて水分をとっていく。それから白身だけを刺身にして、塩を振りかけて試食してみると――


「……んぅ!」


 美味しい。海でいう鮫であればこの個体の脂身は油っぽすぎて食べられないが、この魚は程よく脂が乗って芳醇な味わいをしていた。さらに一口食めば弾けるように蕩けて厭らしくない。肉食は草食と比べて体内の臭いがきついことが多いが、この魚は死んだばかりか無臭で、刺身でも十分いける鮮度であった。

 思わず、手が離せない操舵手の口の中に放り込む。勿論今も手袋はしているので私の呪いに当たることはない。


「はい、美味しいでしょう」


 彼は私のいきなりの行動に呆然とし、やがて口を動かし咀嚼していく。その瞬間、瞳があからさまに輝きだし、彼は大切そうに胃に刺身を飲み込んだ。


「……! まさかこんな美味しいとは!」


 彼は感動している。けれど、今はまだ前座。本番はこれからだ。私は以前に貰った聖樹から油を取り出す。この植物から出る樹液は万能薬と謳われている代物であるが、個人的には完全な死から一度蘇ることぐらいのことはしてもらわないと万能薬とは言えないと思う。まぁとにかく貴重な樹液を油として使うことになる。

 私は携帯用の鍋に油を贅沢に入れて、火をつける。丁度いい温度になったところで粉をまぶした肉を投入した。

 じゅわ。

 肉は音を立てて揚げられていく。あっという間に肉の表面が衣で覆われていく。揚げられて並べられた肉に対して私は最後の手順、神話の世界にもぐりこんだ際に恐らく竜の死骸が眠っているであろう塩湖とれた塩とこれまたあちら側の世界にもぐりこんだ際に得られた胡椒をまぶす。

 それはまさしく、伝説の衣揚げが出来上がった。惜しむべくところは新鮮な卵がないことから唐揚げには出来なかったが、即席で作るにしては十分過ぎるほどの食べ物であろう。

 私はできたての衣上げを箸で救い上げ、口にする。この箸も神話の世界にもぐりこんだ際に、恐らく聖樹であろう枝から作られたものだ。鮮度が高い食材、十分な油、伝説の調味料を使って美味しくないわけがなかった。


「……――ッ!」


 あまりに美味しすぎて、昇天してしまいそうになる。熱々の衣はさくさくとした軽い口当たりで、肝心の身はふわふわした感触である。ぱさついているなんてことはない。魚の凝縮された旨味がすべて引き締まっている。

 あまりに美味しすぎて、私は問答無用で操舵手まで駆け抜け彼の口に衣揚げを入れてしまった。私は手袋をしているので熱さは分からないが、相当に熱かったのだろう。彼は悶絶して、落ち着いたところで咀嚼をしていた。


「……」

「美味しくない?」

「……ッ!」


 彼はしきりに首を縦に振る。瞳が爛々と輝き、捕り立ての生物を食べる美味しさに目覚めてしまったようだ。同志は何人もいて損はない。彼もまた食材に魅入られた人間となった。いずれ狩りを一緒にできればいいと思いつつ、私は更に衣揚げを作っていく。


「……竜の躰に戻ってくれればいいけれど」


 ふと、思う。未だこの身を蝕む呪いは彼の竜の生存を意味しているが、私は竜をほぼ全殺しといっていうほど痛めつけ為、彼は殆ど虫の息であろう。それでも私は彼が生き延び、向こうの世界に還り種を存続させてほしいと願っている。向こうの世界で唯一罪と判定される行為は、こちら側にどんな形であれ足を踏み入れてしまうこと。逆に言えば、この身に宿す呪いさえ解いてさえくれれば、私が向こうにわざわざ踏み入り獣を狩ることは――決してあり得ないのだ。

 次に出会えば、今度こそ彼を殺してしまうだろう。向こうの世界であろうと生き物の食物連鎖を邪魔するつもりなど毛頭ないが、出来れば彼にはさっさと子孫を残して(死んでほしい)と思う。

 私が彼を殺さなかった理由は――彼の種族は、彼が死んでしまえば絶滅の危機に陥る気付いたからだ。雌雄異体である竜は二体以上いなければならない。あちらの世界で狩りについ夢中になってしまったが、未だ雌竜は残っていると確認した。ならばさっさと交配して卵を残してほしいと思う。


「あー、やっぱりあのとき食べておけばよかった!」


 けれど時折思う。人間の身体になったということは彼を殺しても食べられないということだ。あんな上等な生物は滅多にみない。

 目の前に極上の食べ物があるというのに食べなかったなんて、やはり後悔後に立たずというもので、彼が人間になってしまうことを考慮すべきだったと唸りながら、私はそれでも衣揚げを食べることを止めはしなかった――

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