二 『獣を呪わば穴二ツ』

 呪いは大まかに分かれて二種類に分かれる。相手の身体を蝕み命を変質させるか、心を蝕み精神を壊すか。残念ながら私は後者の呪いは効かない。元々そういう体質だからだ。ただ残念ながら、今回の呪いは前者である――身体を蝕む呪いだった。

 異世界の獣の喰らい、神代に生きたとされるかつての英雄と同じような力を得た私ですら、こいつは蝕んでいると気付かせてしまうほどの呪い――腐っても今回の獣は『神』であると気付かせてしまう。

 本当に最悪だ。私は吐き気を抑え、それでも呪いが込められている肉を食らわずにはいられなかった。


「えっと……大丈夫なの?」

「大丈夫と言いたいが、実は大丈夫と言えないんだよね」

「それは大丈夫じゃないってこと?」


 とっておきの御馳走を食べきったところで、心配そうに少年が訪ねてくる。実のところ、あまり大丈夫ではない。じくじくと身の内から激痛が走りだすし、血液は沸騰しているように熱い。だからと言って肉を吐き出してもどうにかなる問題ではないので、私は開き直って肉をかっ食らっていた。

 それに呪われるのは、実は今回が初めてではない。前に何回も、この身に呪いを受けてきたから、今回も大丈夫だという確信を得ていた。


「これが初めてじゃないから、今回も何とかなるでしょう」

「……それ、自業自得って言わない?」


 少年の呆れた声を無視して、私は鍋や皿を片づける――その前に。呪いで身体中から汗が噴き出るほど熱いから、焚き火がなくても構わないのだけれど。しかし身体が熱い内に確認するべきことがある。それは少年がいないと確認できないこと。出来れば、少しでも親しい人間にこの状態を見てもらいたかった。


「!? いきなりどうしたの!?」


 私はまず指を覆っている籠手ガントレットを外す。それから腕当てを取り外し、次に上腕当てリヤーブレイスを取り払った。革の肩当ては頸甲ゴージットと一体化しているため少々時間はかかるが、それも外す。段々と薄着になり肌を晒していく姿に少年は眼で覆い、私を視界から外す。貧相な身体であっても、たとえ本当に肌を見せなくてもしっかりと女性の身体を見ないようにする律儀な子であるから、私は身体を晒したわけで。

 私は少年に目を開けろと命令する。瞼が開かれた少年の目には、私のむき出しの腕――袖を捲った肌には、呪いが描かれた文様が描かれているはずだった。


「金色の蔦の中――文字はなんと書いてある?」


 呪いの入れ墨はただの植物のような蔦ではない。よく目を拵えれば、文様の一部は文字であり、呪いの一文が読める筈だった。けれど肝心なところはやはり、私がどう足掻いても見られない厭らしい位置にあった。


「なんて!?」

「早くして。流石にこの格好は気まずいから」

「……えっと――『竜を呪うべからず』? ……大鹿じゃなくて?」

「竜……?」


 呪いは神代の文で表されている。少年はさすが貴族というべきだろうか。その細かい文字を見て、一瞬で私を呪った竜の名前まで判断した。彼が告げた竜の名前は確かに『竜』の特徴を示している。彼らは誇り高い。その思念を通じて高度な会話を交わせるほど。

 だからこそ食べ甲斐が、ある――私は舌で唇をなめた。

 おっといけない。まだその刻ではない。このままだと、まだ殺せない。


「呪いを解くにはどうすればいいの?」


 少年は心配そうに私の腕に触れ――ないよう指で文字をなぞる。私はその答えを知っている。だからそこまで心配しなくていいのだ。


「大抵の呪いはかけた張本を殺せばいいんだよ」

「えっと……竜って……それこそ神話の存在だよね」


 いそいそと脱いだ鎧を再び身に着ける。曝け出したのは腕だけなので、全身を覆う鎧を着こむより時間はかからなかった。


「大丈夫」

「何が大丈夫か分からないけど」

「その身に宿す翼を炙り出して、耐えきれずに出てきた竜をぶっ殺すだけ、ただ――それだけの話」


 私は嗤う。恐らく大鹿は竜という在ること自体がでたらめの神話そのものに手を出して、呪われたのだろう。そのとばっちりがこちらに来たわけだ。けれど関係ない。人間を害とすれば、ただ殺せばいいのだから。

 そう、殺す。獣は殺して食べる。あちら側の世界だろうが関係ない。既にこの身は色々な呪いを一身に受けてきた。ならば今回も、無事に食べられるだろう――





 その竜の里は、満身創痍であった。突如として襲撃をする大鹿に抵抗して、大量の竜が骸となり、その血で大地を穢した。神話に生きるモノの体液は人間の世界とって毒である。それが竜となれば猶更。竜の血は人間たちにとっても毒であるが、竜が在る世界にとっても猛毒であった。過ぎたる奇跡は彼らにとって瞬時に魂すら焼け死ぬ毒にもなる。

 それでも大鹿は彼らを捕食しようと襲来してきた。理由は分からない。竜は同胞以外の生物はすべて下だと見下している。大鹿が竜を葬ろうとした理由は延々と分からない。

 何とか大鹿に呪い掛け、追い払いのも束の間、竜の間では誰が大鹿を仕留めるか揉めていた。呪いは大鹿を蝕むと同時に、大鹿の居場所を把握する指標でもあった。呪いを掛けたのは竜の長である。けれど彼は、大鹿に呪いを掛けた立て役者であると同時に、その身も呪いに蝕まれた傷兵でもあった。

 本来なら竜の長が討伐に行くべきなのだろう。けれど彼らはこれ以上の犠牲を望まなかった。彼らは己の思念を通し、同胞と議論を重ねていく。そして、ようやく彼らの意見がまとまろうとしたそのとき、大鹿がこちら側の世界から出ていったと長から伝えられた。

 彼らは落胆した。あちら側には死に神がいる。こちらの世界から出ることを彼らは一切容認していないのだ。こちらの世界に生きる者は、一体足りとてあちら側の世界を壊すほど脅威となる。

 けれど死に神は存在が有ることを許さない。それは最強を誇る竜さえ例外でなく。寧ろ力が強大であるほど、彼らはすぐに姿を見せて、魂を刈り取っていくのだ。

 大鹿はあちらの世界に逃げ込んだ。ならばきっと、死に神に仕留められているに違いない。

 けれどそれが決して悪いことでもない。死に神が大鹿を刈り取ったなら、竜の長の呪いも朽ちるはずだった。

 しかし暫くして竜の長が、大鹿はこちら側に戻ってきたと――竜たちに告げた。呪いが戻ってきたのだ。彼らは騒然とした。世界を行き来することは簡単ではない。時間も歪み、概念さえ真反対の壁は、その者の存在意義を危うくさせるほど高く聳え立っている。

 大鹿は竜を何体か屠るほど強大であった。けれど何の制約も――罰も受けずに戻ってくるなんてことはあり得ないのだ。

 しかし大鹿は呪いに身を蝕まれながらも、確かに五体満足で帰ってきた。

 そうして彼らの息の根を今度こそ止めようと、陰からじっと竜を見ているのだ。どうやら性質だけは酷く変質しているらしい。あちら側に逃げ込む大鹿は、あくまで対等のものとして、悪意を以て害した。けれど帰ってきた大鹿は、どうやら竜たちを完全な『餌』と見做しているようだった。

 大鹿は狡猾さまで身に着けたらしい。決して姿を現せず、確実に仕留められる機会を窺っている。その内、痺れを切らした一匹の若き竜が大鹿を探し始める。


 それが大鹿の狙いだと、理解していながらも――

 翌日、一匹の竜がその身体の体内を無残に喰われた死体で発見された。ほとんどの内臓は丁寧に取り出されていた。血液は丁寧に血抜きをされて、殆どの血が大地に滴り落ちている。竜の血は大地にとって相当な毒である。それに生きながらにして喰われたらしい。彼の苦悶が、怨嗟の声が呪いとなって、たとえ竜であろうとも供養しようと近付くことさえ叶わなかった。

 彼らはその仕業が大鹿だとすぐに理解できた。けれど大鹿は姿を見せない。確実な狩猟を目的とした行動に彼らは戦慄した。

 やがて、一匹――また一匹と竜は確実に屠られた。そして誰もが一匹も例外なく内臓を抜き取られていた。けれど大鹿は彼らの未だ姿を現さない。狩りのときには確実にその身を晒しているくせに、隠れているときは呪いを掛けた竜の長さえ居場所の詳細を掴めなかった。


 あくる日、一匹の竜が飛翔し、もう一匹の竜の様子を見に行く。本来なら竜は最強であり、連絡をとる必要もない。けれど現在はまさに異常といえる事態と化していた。その竜は彼らに暫くの間、一切の連絡をよこさなかったのだ。様子を見るために翼を広げ、彼の場所へ向かおうとする竜は嫌な予感がする。


 そして一匹の竜は見る――彼の無残に変わり果てた――その死体を。


 その異様な生物は、ぐちゃりぐちゃりと、親友である竜の肉を解体していた。まるで目の前の骸が御馳走があるかのように、ひたすら内臓を取り出していく。内臓は湯気を立てて、惨状は屠殺場のようであった。

 生物は全身が黒色だ。ただ瞳が爛々と金色に光り輝き、同じくその生物の――衣から薄ら覗く肌は間違いなく金色の蔦の入れ墨――竜の呪いをその身に刻んでいた。

 あまりの惨状に彼の一匹は呆然となってしまう。そうしてようやく黒色の生物はもう一匹の竜の来訪に気付き、金色の瞳をこちらに向けた。


「――……ッ!」


 瞬間、竜は彼の虚ろな瞳が生物と同じくこちらを見ていることに気付いた。

 やがって竜は彼の――親友の微かな呼吸音が聴こえた。彼の肉体は未だ骸となっていないことを知ってしまったのだ。

 彼はまだ生きている。内臓を半分以上失ってもなお、彼は未だ竜として存在していた。


 竜はその瞬間、咆哮する。同胞を助けるため、心臓を喰われても未だその身に宿している魂を救うため、彼は未知の生物を屠らんとその鉤爪を顕わにする。生物は顔を上げたまま、やがてぽつりと、一言。


「お前、私に呪いを掛けたものか?」


 竜は間違いなく渾身の一撃を放った。生物を殺すための確実な一撃。致死に至らしめる為の、必殺の刃。

 けれど生物はいとも簡単に一撃を避けると竜の頭の上に、まるで元々その場に存在していたかのようにひょいと乗る。竜は彼の姿を見失った。当然だ。彼女は竜の上にあるのだから、視界に映るわけがない。しかし竜には確かにその声が聴こえた。何の抑揚もなく、つまらなさそうな一言。


「――……違うな、こいつも外れか」


 生物は剣を取り出すと、一閃。全てを腐られる剣を竜の頸椎に叩き落とした。彼女はあっという間に最強であると謳われる――竜の身体を一刀両断にせしめたのだ。


「これもとっても――美味しそう」


 突如できた新しい御馳走に彼女――ヨルは悦ぶ。彼女はここにきてから竜の身体しか口にしなかった。竜が齎す呪いも、油断しなければ更にその身に喰らうことはない。彼女は胴体と首が分かたれてもなお生きている竜に話しかけた。


「同族殺しなんて、可哀そうにねぇ」


 ヨルは同情した。今この手にしている剣もかつては彼らと同じ竜であった。けれどこの竜は全てを呪い――やがて同胞である竜さえも手にかけてしまった。剣は竜の骨から加工されて創られた。けれど呪いは竜がたとえどんな形になっても、その呪いを薄めるなんてことはあり得なかった。

 ヨルは竜に殺された竜に同情はしても憐れみはかけない。この竜も自分にとっての御馳走なのだから。そして彼女は再び食べるために血まみれであった顎を、その犬歯を三日月の弧を描くことによって剥き出しにした――




 神話の世界――異世界は存在意義さえ曖昧にする。残念ながら私がこちら側に足を踏み入れられたのは、皮肉もこの呪いがあったからである。異世界の神ですら侵すこの呪いは、未だに私の身の内に潜み、じくじくと内臓に痛みを齎す。けれど死ぬまでに至らないから――その在り方に痛みをもって証明されるから、私は異世界に侵入することができた。

 私は森にある崩れた廃城の砦の上に堂々と居座り双眼鏡で彼らの様子を眺める。異世界はその在り方さえ曖昧だ。時に世界の終わりを寄せ集めているような姿を見せる。この廃城も恐らく、一つの生物が、文明が終焉を迎える前に創られたものなのだろう。

 竜はここを中心として新しい文明を築いていた。彼らは私が知っている『竜』の中でも、かなり小さい。一体でも食べるのに苦労するかと思われたが、小竜を食べるにはそんなに苦労はなかった。


「みーつっけた」


 その中でもとりわけ大きい竜を見つける。そう、私が探していた竜。彼らは小型であったが、彼の竜はとりわけ群れのリーダーであるらしく、私の数倍の体長はあるようだ。

 これが――命を挺して大鹿に呪いを掛け、そして私の呪いを掛けた張本


 私は砦を蹴って、その身を飛翔させる。めいいっぱいの力で蹴られた砦は、瓦礫の一部が崩れるほど衝撃が強かったようだ。私は気持ちを逸らせながら、彼の竜まで駆け抜けていく。彼の竜も私を探していたらしい。呪いは私の居場所を彼の竜に知らせてくれるものであったが、どうやら詳細までは掴めなかったようだ。

 私は彼の竜の目の前までくる。竜は私に金色の呪いを掛けたように、白金色の美しい鱗をもっていた。金色の瞳がこちらを覗く。彼の竜は小さな侵略者に目を瞠った。


『その身は……あの鹿につけた呪いを、何故貴様が』

「あぁこれ……鹿を食べたら、移った」


 竜は私がまさか鹿を食べたとは思わなかったらしい。今度こそ言葉を失ったようだ。静寂が私たちの空間を包む。耐えきれずに破ったのは、私の方だった。


「多分あんたを殺したら、解けると思うんだけれど」

『そうはいかない。何故なら、貴様はここで殺されるのだから』


 竜は宣う。絶対の強者という自信が、自分こそは王であるという自負があるらしい。けれど残念。私は竜の天敵であり、私こそが絶対の捕食者なのだ。

 戦闘は音もなく始まった。竜はその鉤爪を以て私を叩き潰そうとする。私は鉤爪を避けつつ土煙で竜が私を見失う瞬間を狙い、矢尻を竜に打ち込んだ。


「ッ!」


 竜の柔らかいところは十分に知っている。ここからだったら、竜の羽の付け根がねらい目だった。私は大地を蹴って竜の背中に着地する。


「ざんねぇん、殺されるのはお前――食べられるのも、お前」


 ついでに竜の羽の付け根を斬りとってやる。肉の繊維は思っていたほど硬くはなかった。竜は雄たけびを上げて地面へと倒れていく。何だ。そんなに痛い思いをするなら、初めから呪いなんてもの、掛けなければ良かったのに。


 倒れ込む竜の上にいたままでは、私は巨体の下敷きとなり簡単に潰れてしまう。なので私は痛みに我慢できず転がり竜を眺めながら飛び降りた。


「お前の竜は美味しいねぇ、癖になっちゃいそう」


 竜は希少だ。こちら側に入りこめたからこそ何体も食べることが出来たが、本来ならその一体さえ滅多に狩ることのできない神話上の生き物である。調理をしなくても、切り取った生肉を炙りもせず口にするだけで身体が満たされていくのだ。栄養が細胞に満遍なく入り込むような充足感。実際竜を一匹食べるだけで寿命はどれぐらい伸びるのだろう。それはこれから確かめればいい。私はこの身を以て伝説を体感していた。

 そしてこれも私の栄養となる。涎が垂れそうになるのを我慢して、私はいよいよ竜を殺す刃を一閃する。


「じゃあ、いただきまーす」


 こんな理不尽な世界に侵入するつもりなどなかったが、折角来訪したならばせめてとっておきの御馳走を口にしたい。彼はまだ生きている。けれど、彼の羽はすでに私によって千切られてしまって。

 竜の踊り食いなんて贅沢なこと、人類史上初めてではないだろうか。いや先日も活きた竜をそのまま食べていたのだけれど。けれどこの竜は、他の竜よりも随分と大きくて。


 こんなに大きな獲物を前にして私が心が躍らないなんて、そんな筈はないのだ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る