一 『大鹿』

 顔を上げたとき、青々しい木々が風によってざわめき数羽の鳥が羽搏いた。

 私が狩るべき獣ではなく、ただの鳥――だから今は殺す必要はない。殺したくとも、殺せない。

 私はもう一度進行方向を見る。馬は嘶きもせず、ただかっぽかっぽと歩くだけ。御者も特段身動きもせず、ぼうっと馬を見ているだけ。

 日の高さから計算すると昼食までにはまだ時間がある。ぐぅぐぅと鳴るお腹を無視しつつ、私は馬車の中で、休憩時間までひたすら空想の中の羊を数えていた。


 いつもは狩り場にいるはずだが、今日はたまたま要人の護衛――という、血を見る機会が幸いにも比較的少ない仕事にありついた。といっても、機会が少ないというだけで決して戦わない、なんてことはないのだが。

 要人の重要度によって、危険度の差異があるが、実は要人に対する距離にしても危険度が違う。私は要人との年齢と周りと比べて比較的差が少ないことから、彼の話し相手として護衛に回された。むろん、自分から話しかけることはないが、話しかけられたら無視することは出来ない難儀な立ち位置である。

 そして私は見事に相手の興味を持ってしまった。こちらは身分差による人間の差別も十分に思い知っている立場である。相手の爛爛とした瞳など、個人的として正直良い迷惑だった。


「ねぇ」

「……」

「ねぇってば」

「こらヨル! 手前ェ、護衛対象に話しかけられたらちゃんと答えろってっただろうか!」

「チッ」


 せっかく羊を数えて気を紛らわせていたというのに、目の前の高貴な人はそれすらさせてくれないらしい。私は体勢をそのまま、視線だけそちら側に寄せた。銀色に近い白金の手入れがされた美しい髪。冬の空色を表したような仄かに色付いた瞳。正しく私の嫌いな『貴族』そのものだ。


 貴族は嫌いだ。奴らは私の獲物を横取りするから。折角準備に準備を重ねて、人生を賭けた狩りに成功した瞬間を狙っても、奴らは禿鷹の如く私の物を搔っ攫っていく。

 この王子もどうせその類なのだろう。結局彼らは私以上に貪欲でろくでもない奴らだった。

 偏見が入っているのは分かっている。けれどどうしても、綺麗な服を着て、毎日腹をいっぱい食べ物を食べて尚、他人の物に手出ししようとするその姿勢が、どこまでも気に食わなかった。


「……何」


 けれど、仕事は仕事だ。私は渋渋と返事をする。本当は視界にすら入れたくないけれど、世界は貴族が金を回さないと回らない。少年は、私が返事をしたことで笑顔になるわけでもなく、本当にただ純粋な疑問を私に抱いたらしい。


「ねぇ、僕とそんなに変わらなさそうなのに、どうして傭兵なんてやっているの?」

「……」

「ヨル!」

「……そうするしか道はなかったから」


 そう、私は傭兵になるしか道はなかった。既に教会からも、貴族社会からも籍を剥奪された身だ。追い出された人間が最後に行き着くところなんて、娼婦か傭兵しかなかった。私は傭兵を選んだ。たまたま腕力があったからそちらを選んだ――というだけで、もし容姿に自信があったならもっと楽な道を選んでいただろう。


「へぇ……すごいね」


 坊ちゃんは感心したようにいう。この高貴な子どもには分からないだろう。教会に保護されても、貴族の仲間入りを果たしても、結局路地裏のゴミ箱を漁らなければ生きていけない世界なんて、知らないほうがいいに決まっているが。


「お前は、こっちの世界に入らないといいな」


 私は見た目より大分年を取っている。少年は私を自分とそこまで年だと思っているだろうが、栄養を十分に摂することができない幼少期を過ごしていたせいで、そして人間とは違う世界に住む獣を食らってきたせいで、私の身体は未だ成長過程の少女のままだった。

 貴族は嫌いだ。けれど誰もが私と同じ環境で過ごせとは思わない。私は下種の仲間と見做すべき子どもを、それでも将来私と同じような人間にならなければいいとせめてもの憐れみを含んだ慰みを含んで告げた。





「は?」

「だから、この高貴な御仁を狩りに連れていけとのことだ」


 無事に子どもを送り届けて任務が終わったと思ったら、どうやら依頼主は子どもをよほど殺したいらしい。私たちの仕事は護衛だけではなかった。後日、依頼主による、異世界の獣を狩ることが決定されていた。私が珍しく徒党を組んでいたのもそれだ。そうでなければ、誰が飯が食べられなくなる時間を作ると思うか。

 私はちらりと少年を見る。どう見ても彼は年相応で、そして剣を持つことすら慣れてはいない。多少手に剣だこが出来ているので、最低限の訓練はしているだろう。だがそれだけだ。異世界の獣相手に、ましてやただの人間すら太刀打ち出来ないのは火を見るより明らかだ。


「死ぬよ? てか、足手まといは本気でいらないんだけれど」


 私は唾を吐く勢いでダグに告げる。彼は今回依頼主に雇われた傭兵たちの一人だ。彼らだって足手まといになり兼ねないのに、これ以上荷物を背負わされるにはいかなかった。


「お前、今からでも父親に言って同行を止めろ。死ぬのなら、一人で勝手に死ね」

「おい!」


 ダグに、貴族に対してその口遣いはいけないと窘められる。だがそれが何だっていうのだ。こちらは生死を賭けた狩りをするのだ。横取りも許されないが、私が獲物を狩る瞬間だって、一時の邪魔が入る可能性だって我慢がならない。


「……僕は、やっぱりいらない子なの?」


 けれど、少年がそんなことをいうものだから。

 私はつい、彼の姿をつい見遣ってしまったけれど。


「言っていたんだ。今度、お父さんの大好きな人がお父さんの子どもを産むんだって。その子が男の子だったら、僕はいらない子になるんだって」

「……」


 少年は胸を押さえて、涙を懸命に耐えていた。きっと、自分がいない家族の姿を、その笑顔を思い出してしまったのだろう。少年だって知っていた。自分がいない方が、皆が幸せになれるって。

 少なくとも私にとってはそうだった。少年がいない方が、狩りも憂いなくできるし、生存率も上がる。周りの人間に被害が及ぶことも、謂われのない罪を問われることもない。それでも。


 少年が涙を堪えている姿が。過去の自分を彷彿とさせて。


「……」


 それでも私は狩人だ。狩りで獲物を得て、狩った獲物で肉を食べる。生計を立てている。この世界は子どもにとって甘くはない。そんなこと、とうに知っていたはずだ。

 私は少年に背を向ける。死ぬなら一人で勝手に、死ね。本当にそう思っていたのだけれど。





 狩りのリーダーは私だ。護衛ではどうしようもなくポンコツでも、異世界の獣を狩るというのなら私が一番の適任である。私が号令を掛けて、獣を一気に仕留める。そういう手筈となった。

『月蝕のヨル』を先頭として、後ろにダグたち傭兵が着いていく形で歩いている。たった一頭を狩るといっても、旅路は長い。目標は未だ遠く私たちは銀嶺が聳え立つ山を前に、木々の間を縫うように、一言も喋らず静かに歩いていた。

 目標が最後が観測された地点は、最後に目撃された場所から推測してあと三日ほど歩く。歩くペースは崩さない。私の隣にいる・・・・・・少年も、私の歩調を乱すことは私の機嫌を損ね、死に繋がると理解しているようだった。

 しかしダグ。こいつだけはどうにも私の性質を理解していないらしい。わざわざ私の隣まで歩いてきては、本当に少年を連れていくのかと、自ら少年の同行を許したくせに何回も確認してきては本当に鬱陶しかった。


「なぁ、本当にいいのか? 同行するっつったって、狩りには参加させなくて良いのに、狩りまで参加させて死なせたら、俺たちの責任になりやしないか」

「狩りには参加させる。少年には囮をやらせる」

「何だって!? お前、正気か!?」

「黙れ、私は『黒』の――『月蝕のヨル』だ。ここでは私が絶対。私がルールだ。邪魔する奴は、全員ぶち殺す」


 そう言って剣の柄に手をかけると、ダグはいよいよ黙り込んだ。そうして私の機嫌が降下して、三日後――ようやく狩りの現場に入った。

 異世界の境界線は曖昧だ。けれど異世界では、人間の世界では決してあり得ないことが起こりえる。未だ竜が跳び、妖精が舞い、時間の観測も、何もかもが非常識の神話の世界。ここはそういうところだ。生半可な気持ちで入っては、一日足りとて死者の王に謁見するために並ぶことになるだろう。

 今回の狩りの対象はそんな異世界の境界線からでた、世界の規律を破った獣。神話の世界から飛び出して、こちら側の世界に入り込もうとする侵略者。私たちは決して神話の世界へ入ることはできない。だから、夢に入り込む一歩手前、現実の世界で奴らを迎撃する。

 私は銃を彼らに用意させ、弾が込められていることを確認する。呪詛をふんだんに込めた呪いそのもの。吸血鬼には銀の弾が有効だが、正直銀をわざわざ作るよりも呪いを込めた方が効率的に殺せると思うのは私だけだろうか。


 獣を見つけたのは、その日の夕刻。傭兵たちの集中力が途切れそうになり、私が野営の準備をしようと号令をかけようとしたときだった。


「――……」


 その獣は、鹿だった。けれどただの鹿ではない。通常の個体種ではあり得ないほどの伸びた角、角を含めて体長を含めれば、五十メートル以上あった。

 それは先日仕留めた白鯨と負けず劣らずの大きさ。角だけなら、白鯨をゆうに越えている――まさしく、巨大。鹿は全身が白銀であり、金色の蔦のような文様が体毛に浮かんでいる。そして全身が白と金で構成されている中、角だけが異様な銀色に輝いていた。更に貌といったものがなく、首から上は骨に形成されている。角は天に向かうほど透き通り、全貌がまるで測れないほど、それはあまりに大きすぎて。

 これが普通の人間ならば怖じ気づいて逃げ出してしまうだろう。もしくはあまりの神々しさに神として敬うかもしれない。

 けれど私たちは、違う。私たちは、狩人――こちら側にきた獣を狩る、捕食者。


 私は息を吸って、呼吸を止める。これは儀式だ。恙なく仕事を全うするためのいわば願掛け。彼らも武器を構え、静かにその刻を待った。


「殺すぞ、私たちの世界に入り込んだ、哀れな獣を――行動開始」


 私たちは一斉に、無言で行動開始した。傭兵というより、まるで軍。けれど一人歩みが違えれば、そこから一瞬、瓦解してしまう。死ぬときはあっけない。私は何人もあっという間に死んでいく人たちを見た。けれど死んでしまえば任務は達成できない。これは絶対に失敗できない、唯一の仕事。


「大丈夫だよ、少年。死なせるようなことはさせない、絶対に」


 私はそっと、少年の耳に囁く。そして、勢いよく走り出した。少年を置いて。


「……ッ」


 彼は囮だ。一瞬、ほんの一瞬――隙が出来ればそれでいい。彼は武器も持たず大鹿の前の視界に入る。大鹿は雪原のど真ん中に位置していた。だから少年は、真っ赤なローブを着て、いかにも『生贄』と見せかける。

 私と彼らは別行動をしていた。彼らは大鹿の腹部に一斉に射撃する、第二の囮。そして私は大鹿を仕留める本命。呪いをふんだんに込めた弾を、眼窩を通して脳髄にぶち込む。

 あちら側にいる生物も、たいていは頭に弱点をもっていた。たまにどこに弱点をもっているか分からない、存在自体がでたらめな生物もいるが――この大鹿は、神話通りであれば、こちら側の鹿と同じ脳が弱点であろう。

 私は息をひそめる。少年と大鹿が邂逅し、大鹿が動くその身を映し出すその瞬間――


「……ッチィ!」


 私は舌打ちをした。彼らは私の号令を待たずして、大鹿を撃ち始めたのだ。しかもダグが立ち上がり、大鹿の腹部ではなく、弱点であろう頭に向かって発砲している。

 大鹿は大きく身動ぎをする。私は銃を下ろし、全身の力を使って雪原を駆け抜けていく。刹那、大鹿に踏み潰されそうになった少年を救出し、とにかく大鹿の足元から脱出を試みた。


「ヨルさん!」

「黙っていろ! 舌を噛むぞ!」


 私とそこまで体格が変わらない少年を脇に抱えてしまうと、私は殆ど大鹿に対して攻撃をすることができない。それでも暴れる鹿の間を縫い何とか脱出して振り返れば、そこは阿鼻叫喚の惨状が出来上がっていた。


「……ッ」


 大鹿は真っすぐ傭兵たちを、その足を以て踏みつぶしていた。人間の形がどんどん崩れていく彼らを前にして、その光景を目撃してしまった少年は思わず膝を突き嘔吐いてしまう。けれど私は、私だけは――予想外の事態でも、屈するわけにはいかない。

 私は彼らにとって『餌』ではない。彼らこそが私の『肉』だ。私は剣を迷わず取り出し、逆手に持つ。


 石弓クロスボウを踵に撃ち、ワイヤーを辿り、ひたすら雪原を駆け抜ける。足元の雪が吹き飛び、私が走り去った足跡を残していく。

 大鹿は未だに暴れていた。私はついに踵に辿り着き、再び矢を頭に撃ち込み巨躯を駆け上っていく。間髪入れずに、大鹿の関節に剣を斬りつけ動きを鈍らせていく。どんな生物であろうと、関節部分は柔らかい。つまりどんな堅牢な皮を構えようと、関節の周囲の肉は剣を抵抗なく受け入れる。崩れ落ちていく大鹿の頭に辿り着き、獣の視界はようやく私を捉える。

 だが、遅い。私は右手を大きく振り上げ、剣を叩きつけるように思い切りその頭を――殴った。剣は脳髄を吹き飛ばす。やがて剣は地面へと落ちて、大鹿はいよいよ雪原にその体躯を打ち付けた。

 私は暫く剣を構えて、完全に大鹿の息の根が止まったことを知ると、ふぅ――と、息を吐く。生物はしぶとい。それが異世界の獣となると猶更。

 そして大鹿が作りだした惨状の跡を見る。雪原の中には、白銀の雪と、死体の赤。

 彼らは一人として例外はなく、踏みつぶされていた。全身がぐちゃぐちゃになり、男女の区別すら判断できなくなったものもいれば――ダグのように、上半身だけが辛うじて残ったものもいる。


「……助……け……」


 ダグは顔の半分すら剥がれながら、それでも残った半分で私に助けを求めた。助かる見込みは到底ない。私は一瞥してから――


「私の狩りを邪魔するからだ。残念ながら、お前は既に私の殺害対象リストに入っているんだよ」


 絶望して涙を流させる前に私は竜殺しの剣ではない方の剣を以て、彼の喉首を躊躇なく掻き切った。

 本当だったら、作戦通りに私の号令を待っていれば彼らは生き残ったはずだった。けれどダグはそれを良しとせず、自らの判断を以て彼らに発砲を命じた。ならば殺されたって良いはずだ。黒級、あるいは無色級と白金級の間には大きく隔たりがある。黒が白と言えば、それは白色となる。ルールを中途半端にしか知らなかった末路は、私の怒りを以て人生を強制的に終了させられていた。

 そういえば、少年を――と、振り返る。彼は、こちらに向かって歩いていた。

 しかし、どこか少年の表情は不安げである。


「なんだ、今更私が怖くなったのか」

「ううん……ヨルさんは、僕を生かそうとしたから。言うことを訊かなかった――僕を殺そうとした傭兵を殺したのも、理解できるよ」

「……そうか」


 そう、彼らの何人かは、苦しまないように少年に向けて何発か発砲していた。それらは少年に当たることはなかったけれど、彼は殺意を自分に向けられたのだ。彼らの命乞いを黙ってみていたのも道理である。


「帰ろう、この肉をもって。今夜は御馳走だ。お前の父親――依頼主にも、たんまりと褒美がもらえる」

「――そうだね」


 私はその辺の死体から未だ使えそうな小ぶりの剣を拝借して少年に投げ渡す。これほどの巨体なのだ。肉を切り取るのに人手は多い方がいい。

 巨大な獣の解体をするときは、身体の大きさまである大剣を使っている。私は背中にある大剣を抜き、大鹿の首筋に剣を差し込んだ。すると血液が勢いよく噴射して、私の身体は見事血を浴びて真っ赤に染まってしまった。けれど予め用意していた防水のコートを着ていたので解体作業には支障が出ないのは幸いだった。血抜きが済んだら、次は背中から皮を剥いでいく。本当は腹から切れ込みを入れたかったが、ここまで巨大だとひっくり返すことすら一苦労なので出来るだけ一番楽な位置から切り取りにかかった。皮を剥いだら背中に当たる部位を切り取っていく。ここは普通の鹿でも高級といわれている部位だ。そのままで食べたいぐらいの立派な赤身。鹿の脂肪はきちんと切り取らないと脂っぽくなってしまうためきちんと白い部分は除いていく。そして脚の付け根の筋肉を繊維にそって切り出した。脹ら脛に当たる部分から座骨にかかる脂肪で隔てられているところを切れ込めば、あっという間に肉が引き剥がれた。次は内側の肉だ。内ももに当たる場所は何カ所か深く切り込んで、二人がかりで引きはがせば巨大な肉塊が取り出せた。最後は舌だ。鹿の胴体と首の間を斬り、頭を寝かせてから顎の下をくりぬくように舌を取り出す。

 こうして私と少年の解体作業は終えた。内臓には手を出さない。今回は報酬品を持ち帰らないといけないし、私と少年の二人では持ち帰るにも限度があった。

 私は、持ってきた革袋に肉を纏める。恐らく100キロぐらいはあるだろうか。結局ほとんど私一人で肉を取り出したが、それでも少年は今までで一番楽しそうな表情を見せた。

 一応ではあるが、大鹿と彼らの死体は、出来るだけ雪に埋めた。出来るだけ――というのは、私と少年の二人だけでは大鹿の死体を処理しきれないからだ。しかしまぁ、この世界に影響を及ぼしそうな身体は全て焼き払った、大丈夫だとは思うが。

 食べきれない部位は炎を以て焼くか、剣を以て食べられないように毒で侵した。この剣は生きとし生ける者すべてを呪い、触れた部位を蕩かしてしまうまさに呪いそのもの。ただし、扱いに気を付ければこれほど便利なものもない。異世界の獣を食べることは危険を伴う。一口食めば簡単に生態系を壊してしまう死体を食べられないよう、生態系を壊さないよう処理するのも私の仕事であった。

 持って帰る部位の殆どは依頼主への依頼品と、私へのご褒美。獣の討伐が主だったものではあるが、依頼主は出来れば大鹿の皮が欲しいと言っていたから、皮を切り取って少年に持たせた。私は勿論、鹿の肉しか持たない。というかそれしか持ちたくない。


 帰路は流石に少年が疲れている様子だったので、少しペースを落として歩いていた。その日の野営の御馳走は勿論大鹿の肉だ。

 私は雪を溶かして、煮えた鍋に鹿の肉を放り込んだ。 少年はあまり食欲がないようで、私に遠慮して水と小さな固形食だけ食べる。誰に強制される必要もないので、私は一人で御馳走を堪能しようとした。

 けれどまぁ御馳走の前に、つい確認を怠ってしまうのは私の失態であり。


「!?」


 熱々の肉塊を、喉を通して胃の中に下るまでは良かった。表面はとろとろにふやけ中はこりこりとした感触の、まさに極楽浄土。けれど胃の中に到達してから、こいつらは本性を現す。


「……ッチ! あぁ、最悪だ――こんな」



 指先から腕に掛け、金色の蔦状の痣を浮かんでいく。植物は入れ墨のような癖に、本物の植物のように揺らめいている。蔦は首元まで伝ってきた。心臓を避けているのは、私がそれに対して耐性を得ていたに過ぎなかった。

 そう、これは大鹿の呪い。たとえ死しようとも殺した相手に一矢を報いようとする、死者の叫び。生者を呪ったことを示すダイニング・メッセージ。


「呪いかよ、あぁ本当に――最低、最悪だ」


 こうして私は呪われた。間違いなくあの大鹿に。油断していた。死んだ大鹿が呪いを遺さないなんて、そんなこと、誰も言っていなかったのだから最初から気付くべきだったのである――

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