第13話 ハナ婆の昔話 ―中編―
――マリーは日本を旅していた時、空から一際輝く美しいばら園を見つけた。マリーは自分でも気づかない内にばら園に降りていたので、すごく不思議だった。
「なんて素敵な場所……」
マリーは美しいばら園に心を奪われ、そうつぶやいた。
「すごく綺麗な薔薇でしょ? 君もそう思うかい?」
近くにいた男性が話しかけてきた。ふんわりして柔らかそうなベージュの髪、白いシャツと黒いズボンに黒い長靴、ズボンはベージュのサスペンダーで留めているようだ。おそらく、年齢は三十歳くらいなのだろう。
「薔薇にはね、いろんな花言葉があるんだ。……愛情、情熱、絆、奇跡。……僕はね、このばら園のように、『各々の違いはあっても大きな愛で満たされている』そんな世の中になって欲しいと、常々願っていまして」
その男性はマリーの近くの薔薇にいくつか触れながらそう言うと、マリーの正面に立った。
「なんだか、君には薔薇がお似合いのようだね。すごく綺麗だ」
その男性は優しい笑顔を浮かべながらそう言った。マリーはその言葉で胸がときめき固まってしまう。自分の中で何が起きているのかわからなかった。只々、目の前の男性が気になり胸が熱くなってしまう。そうして、二人は恋に落ちた。
男性の名前はケンジ、ばら園の経営者だった。その後、ケンジと一緒にばら園で働くことになった。
初めてばら園で働く日、マリーはケンジと一緒にばら園にいた。
「さぁ、今日から君もばら園で働くことになるね。よろしく頼むよー。……ぐがー!」
ケンジは言い終わると、立ったまま急に眠りだしてしまった。
「えー! いきなり?」
マリーは慌ててケンジに駆け寄る。
「おっと、すまない。突然の睡魔がやってきたようだ」
ケンジは目を覚ましてそう言った。
「あなたが寝ることよりも、仕事の方が好きなのはわかっているけど。知らない人が見たら、本当にびっくりするわよ! どうにかならないの?」
マリーは心配しながら言う。
「眠くなったら眠ればいいのさ。無理に夜だから眠る必要はない。体が欲しいものを与えてあげるのが一番なんだよ」
ケンジは落ち着いた様子で言う。
「……やりたいことって、気持ちいいことでしょ? だから、僕は自分の気持ちに任せて生きてみたいんだよ」
ケンジは優しい笑顔を浮かべながらそう言った。
「……やりたいことは気持ちがいいことなの?」
マリーはケンジに問いかけた。
「そうだよ。ウンチが出たら気持ちがいいだろう」
ケンジはニコっと笑いながらそう言った。
「例えが汚い! けど、わかる!」
ケンジの汚い例えにツッコミを入れずにはいられなかった。ただ、ケンジの例えは少し汚かったが、やりたいことは気持ちがいいことの証明としては、すごくわかりやすかった。やりたいことは気持ちがいいこと、それを考えるたびに、自分の中で少しずつその言葉が重みを増していく。
「……そうなのか。やりたいことを探すより、自分が気持ちがいいと思うことを探した方が、見つかりやすいのかもね」
マリーはそうつぶやく。
「さて、仕事を始めるよ。あまり話が多すぎると、従業員さんに怒られてしまうからね」
ケンジはそう言うと少し先の薔薇の前に立った。マリーも初仕事だったので、軽く頬を叩いて気合いを入れた後、ケンジの隣に駆け寄った。
「マリー。まずはこの辺りの薔薇の手入れをしていく――」
「――わかったわ!」
ケンジがこの辺りの薔薇の手入れをすると言ったので、マリーは自分が役に立つ人間だということを見せたくて自慢の魔法を使い、辺り一面の薔薇に付いている砂埃を一瞬で落とした。砂埃の取れた薔薇は鮮やかな色を取り戻し、美しく輝いて見えた。
「どう? ピカピカになってバッチリでしょ? こういうのなら任せてちょうだい!」
マリーは自分が魔女で良かったと思った。
すると、ケンジはマリーが魔法をかけた薔薇に近寄り、薔薇に顔を近づけてじっと見つめ始めた。
「……んー」
ケンジはなぜか悲しい表情をしていた。
「どうしたの?」
マリーはケンジに問いかける。
「……もう、この薔薇達は死んでしまう。僕にはわかるんだ」
ケンジは悲しそうにそう言った。
「そ、そんな……。なんで」
マリーは戸惑いながら言った。
「君は、この薔薇を愛しているかい?」
ケンジはマリーに問いかけた。
「えっ。そりゃ、美しくて……。すごく大好きよ!」
マリーは真剣に伝えた。
「愛しているのなら、薔薇を傷つけないように手入れするべきなんだ。……あの魔法には、薔薇を手入れする時に必要な『薔薇を傷つけないようにする工夫』は、含まれていたのかい?」
ケンジは真剣な表情でマリーに質問する。
「それは…………」
マリーは言葉が詰まる。
「……そっか。私、何も考えずに綺麗にするだけでいい、汚れさえ取れればいいって思ってた。…………。……無知の私が、ケンジの一生懸命育てた薔薇を枯らしてしまうなんて」
マリーは取り返しのつかないことをしてしまったという気持ちで、いっぱいになった。大切な人の大切なものを壊す、そんな行為をしてしまったのだから。本当はケンジに褒めて欲しかっただけなのに。涙が出てきて止まらない。泣きたいのはケンジの方なのに。
「うっ……。っぐ…………。本当に、ごめんなざい……」
マリーはケンジに謝った。
「マリー。たしかに魔法は素晴らしいものだよ。だけど、魔法だけじゃどうにもならないこともあると思うんだ」
ケンジはマリーに近づいて真剣な表情で言う。
「それに、君が謝る相手は僕じゃない。そこの薔薇達だよ」
ケンジは薔薇を指差しながらそう言った。
「うぐっ……。ごめんなざい!」
マリーは自分が魔法をかけた薔薇に向かって、頭を下げ大きな声で泣きながら謝った。涙で前が見えない。手で拭っても次から次に出てくる。
「私、魔法しかやってこなくて。……魔法さえあれば何でもできると思ってた。……でも、魔法なんか全然役に立たないんだわ! だから私、何も役に立てない……」
マリーは両手で涙で濡れた顔を抑えながら、魔法の無力さを歯がゆく思い嘆いた。
「そうじゃないよ」
ケンジはそう言うとマリーの頭に優しく手を置いた。
「魔法はね、素晴らしいものだと思う。それは君の大事な特技なんだ。だから、君は魔法を使ってこのばら園を良くしていって欲しい。その為には、薔薇を手入れする知識が必要なんだよ」
ケンジはマリーの頭をなでながら優しく話した。
「……うん。そうだね」
マリーは泣きながらうなずいた。
「うーん。実はね……僕も魔法が使えるんだよ」
ケンジは少し張り切ってそう言った。
「えっ? もしかして、魔法使いだったの?」
マリーはケンジの発言に驚いた。すると、ケンジがマリーを優しく抱きしめた。
「ほら。心が落ち着くだろう。たぶん、これ魔法だと思うんだけど……違うかな?」
ケンジは優しく語りかける。マリーの中で自分はダメな人間だと嘆いていた感情が、だんだんと落ち着いてくる。
「違わないよ。すっごく温かい魔法」
マリーは目を閉じて言う。
「それなら、よかった。……ぐがー!」
ケンジはまた急に睡魔に襲われたようだ。
「寝るな!」
マリーはケンジにツッコミを入れ、少しだけ笑った。
それから数週間経ったある日の夜中、マリーは眠っていたがふと目を覚ました。ケンジが寝室にいなかったのでリビングに行くと、ケンジは何かの書類に目を通しているようだ。
「ケンジ、何してるの?」
マリーはケンジに話しかける。
「あぁ、これかい? 依頼書の整理をしているんだ」
ケンジはそう答える。
「依頼書?」
マリーは何の依頼書なのかがわからず首を傾げた。
「そうか。まだ話してなかったか。僕はね、ばら園を経営しながら、実は相談所も経営しているんだよ」
ケンジはそう言った。
「相談所?」
マリーは相談所というのも初耳だったので、再び首を傾げる。
「ばら園は僕が思う愛に溢れた世界を形にしたようなもので、相談所は世界を愛に溢れたものにするためのものなんだよ。……具体的には、困っている人から依頼を受けて解決に導く仕事なんだ。でもまぁこっちの方は、僕一人で細々とやっているんだけどね」
ケンジは真剣な表情で言った。
「そんなことやっていたのね! 全然気づかなかったわ!」
マリーはケンジがばら園を経営しながら、他にも仕事をしていることに驚いた。
「たまにしか依頼がないからね。でも、こうやっていろんな事業を持つって、すごく面白いことだと思うから、自分がやりたいと思ったことは、何でも挑戦していきたいんだよ。……たとえ、『他人からバカだのアホだの言われても、自分がやりたいことはやりたいんだよ』僕は」
ケンジは真剣でいつになく力強い表情で語った。きっと、その言葉がケンジの生き方そのものなんだと思う。純粋にかっこいい人だと思い、そんな人に出会えた幸せが胸の中から溢れ出してくる。
「ふふ。……やっぱり、ケンジはかっこいいね!」
マリーはケンジの背中に後ろから抱きついて笑顔で言った。
「ありがとう」
ケンジも笑顔で応えてくれる。
「私も相談所の仕事やりたいわ!」
マリーはケンジに抱きついたまま言う。
「えっ? 本当に?」
ケンジは少し驚いていた。
「うん! 私もケンジの話聞いていたらやりたくなったわ! 挑戦したいの!」
マリーはケンジに抱きついたまま元気よく言う。
「そっかー。……よし、一緒にやろう」
ケンジは嬉しそうな笑顔を浮かべてそう言った。
「うん!」
マリーはケンジが一人でやっていた相談所の仕事もすることになった。
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