32 新しい関係

 小冬が逃げてしまったため急いで追いかける。

 出遅れはしたが小冬と俺の体力差は歴然。

 すぐに追いつくことに成功した。


「待って小冬。お願いだから話聞いて」

「嫌だ嫌だ! 聞きたくない!」


 追いついたが走ることをやめてくれない。

 やけになったのか、ツインテールをなびかせながらがむしゃらに走る。


「なんでよ。バイト終わったら話すって約束したでしょ」

「私はいいって言ってないもん! 私は小夏だし!」

「まだそれ言う? もうどっちでもいいや。ちょっとごめん許して」


 小枝のように細くて折れてしまいそうな腕。

 多少強引だが逃げないように捕まえる。


「嫌だ! 放して!」

「嫌だ。もう放さない」


 以前は抵抗されて振り払われてしまった。今度こそしっかり握り続ける。


「大きい声出すよ。いいの?」

「出せばいいよ。小冬がそれでいいなら」


 小冬はまだ下を向いたままで俺を見ようとしてくれない。


「ずるい……。ずるいよ」

「お互い様でしょ」


 そうだ。俺はずるい。でも小冬だってずるい。口先や表面的な態度だけは俺を拒絶しておきながらも、俺ともう一度話したいという想いが伝わってくる。

 好きな人だしずっと一緒にいたからそれくらいは言わなくてもわかる。

 けど、言わなければならないこともある。


 だから、


「私のこと好きじゃないんでしょ。もう暖くんと話すことなんて──ひにゃっ!」


 小冬の頬っぺたを両手で挟んで俺の方を向かせた。

 指先が凍ったように動かないがぷにぷにとした感触が伝わってくる。

 小冬は冷たそうで少し申し訳ないが、これでようやく目を見て話せ──


「目瞑るのは反則でしょ。無理やり開けるよ?」


 するとゆっくり瞼が持ち上がって宝石みたいに綺麗な瞳が現れた。

 もう泣き止んではいるが、目の赤さが流した涙の量を物語っている。


「俺はもう逃げないから小冬も逃げないで」

「……」


 返事が無いから俺が小冬の首を縦に振らせる。

 雪のように白かったはずの顔が熱を帯びたみたいに赤い。


「じゃあそこで座って話そ。自分で歩けるよね?」


 今度は俺の手を使わずともこくりと首が動いた。

 小さな公園のベンチに隣同士並んで座る。俺は少し寒いが小冬は雪だるまみたいに厚着をしているから暖かそうだ。街灯と自販機の明かりだけで薄暗いが互いの表情をしっかり確認することはできる。


 手元だけ冷えて寒かったから缶コーヒーを二つ買って小冬に渡した。俺のは微糖、小冬は甘いカフェオレだ。小冬はわざわざ手袋を外して大事そうに手で包むと一言、


「カフェオレなんだ」

「コーンスープがよかった?」

「そうじゃないよ。バカ……」


 なぜか怒られたが小冬が喋ってくれた。それだけで嬉しい。


「今日何の日か知ってる? 公園で自販機はないと思う」

「いや、高校生の財力はそんなもんだって」

「私は百円の価値しかないって事? バイトしてるくせに」

「あれ、小冬ってそんなに面倒な子だったっけ?」

「全部暖くんのせいだよ」

「ごめん、否定はできない」


 意外にも小冬の方から話をしてくれる。

 核心に近づきながらも決して触れない距離。


「小冬と話すの久しぶりだ」

「それは誰かさんのせい」

「小冬のせいか」

「帰ってもいい? 私今すっごく気まずいのに頑張ってるんだよ」

「それは俺も。ほんとにごめんね」


 そろそろ本題に入ろう。いつまでも待たせるわけにはいかない。


「あのさ、小冬──」

「待って」


 俺が言う前に遮られた。小冬は俺に喋る暇を与えず続ける。


「先に言わせて。多分後からだと言えなくなっちゃうから」


 その真剣な横顔に俺は黙って首肯する。

 小冬はカフェオレのプルタブを空けるとマスクを下にずらした。ぐびっと一口飲んで白い息を吐くともう一度マスクを戻す。もう俺には小夏先輩ということを隠してないため、あったかいからそうしているのだろう。


「やっぱり暖くんは優しい。さっきも助けてくれてありがとう。嘘でも彼女って言ってくれて嬉しかった」


 俺は飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。

『嘘でも』とは一体どういうことだ。


「覚悟はできてるんだけどやっぱり諦めたくないからもう一度……。ううん、今度はハッキリ言わせて」


 小冬は地面に飲みかけの缶を置いて俺の方を向いた。

 俺も缶を置いて見つめ合う。

 一瞬目を泳がせてから焦点を合わせる小冬。

 一気に顔を紅潮させると言葉にした。



「好き」



 最初に一言。一度口にしたら止まらない。


「私は暖くんのことが大好き。最初は助けてくれたのがきっかけだけど、もうそんなのには収まらない。会うたびに好きになって自分でも抑えられないくらい好き。卒業してもずっと私と一緒にいて。私は思い出になんかなりたくない。一緒のものを見て一緒に思い出を増やしたい。だから後輩じゃなくて彼女がいいの。私を一人の女の子として見てください。お願いします。私を彼女にしてください!」


 瞳を潤ませながら言い終えても俺から目を逸らさない。

 ベンチに手をついて身を乗り出し、じっと返事を待ってくれている。


「小冬……」

「言いにくくても遠慮しなくていいよ。私は大丈夫……だいじょうぶ、だから」


 目尻にたまった雫が一滴零れ落ちる。

 頬を伝い、ポチャリと跳ねた。


「小冬、なんで泣いてるの?」

「だっでぇ、ふられたくないんだもん」

「は? 俺が? なんでそう思ったの?」

「返事してくれないんだもん。いいよ早くふってよぉ」


 ボロボロと泣き出してしまう小冬。状況がつかめない。

 俺は自分から言うべきなのに先に言わせてしまったことを悔やんで、なんて返そうか悩んでいただけだ。それをふられると受け取ってしまったらしい。


「いや、違うよ。俺も小冬が好きだ。だから泣かないで」

「嘘はいいよぉ。優しくしないでぇ」

「嘘じゃないって。本当に小冬が大好きだ。ずっと小冬のことしか考えてない」


 思えば小冬は俺から走って逃げたし話も聞いてくれなかった。

 ふられるのが嫌だったと考えれば辻褄が合う。


「嘘だよぉ。私なんてめんどくさい妹とかなんでしょ。知ってるもん」


 確かにめんどくさい。でもそういうところも好きだ。

 ……いや、これは全面的に俺が悪い。

 小冬がそう思ってしまうのも無理はないか。


「確かに小冬から見たら俺はずっと避けてるように見えてたかもしれない。それは本当にごめん。でも好きなのは本当だよ。だから信じて」

「うぅぅ~。信じない」

「じゃあどうしたら信じてくれる?」

「証拠見せてよぉ」

「証拠?」


 好きの証明。パッと思いつくのはあれしかない。


「小冬」

「うぅ~、なに? えっ!?」


 俺は小冬のツインテールを作っているシュシュを取って髪を下ろさせた。

 そしてマスクを下にずらす。俺のよく知っている小冬の顔だ。

 ゆっくりと自分の顔を近づけ、『好き』の証明をする。


「嫌だったら避けてね」

「え、なに? ──んむっ!?」


 柔らかくてしっとりとした感触が唇に広がり、脳が蕩ける。


「んぐっ、ぷはぁー。ハァ……ハァ……」


 とろんとした目の小冬が息を乱す。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返してボーっとしているようだ。


「えーっと、小冬? これでわかってくれた?」


 なんとか平静を装って小冬の顔の前で手を振る。

 しかし反応が無い。

 俺が頬に触れると小冬はビクンと跳ねてゆっくり唇に手を当てた。

 そして生き返ったように動き出す。


「わっ、わわわわわわわわわわわ!」


 壊れてしまった。いや、壊してしまった。


「いっ、いいいいいい今の何!?」


 すごく挙動不審だ。


「キス」

「言わないで!」


 ついでに「見ないで!」と言って顔も隠してしまった。

 いつもの可愛い小冬だ。


「ごめん。嫌だった? でもこれでわかってくれ──んっ!?」


 何が起きたんだ。頭と背中に手を回されて、それから呼吸ができない。

 脳は思考を止め、唇だけがその正体を知っている。


「……これで、わかった? 好きな人にされて、嫌なわけ、ないよ」


 恥ずかしそうにしているがそれ以上に嬉しそうなのが伝わってくる。

 一回目よりずっと長い十数秒に渡るキス。確かに、嫌なわけない。


「なにか言ってよ……。初めてだったんだよ?」

「えっと、ごちそうさま?」

「え、感想なんて聞いてないよ。反応薄くない?」

「ごめん。なんか夢みたいで冷静でいられる。多分明日になったらヤバい」

「あ、私もそうかも。顔見れなくなっちゃいそう」

「逃げたらまた捕まえるね」

「うん、お願い」


 お互い顔を真っ赤にしたまま余韻に浸る。

 何を話していたか忘れてしまうくらい見つめ合っていると、沈黙に耐えかねたのか小冬が口を開いた。視線は無意識に唇へ吸い寄せられる。


「んっと、味は苦かったね」

「俺は甘かったかな」

「そ、そうなんだ。カフェオレ飲んだからかな?」

「そうかも」


 何を言ってるんだ俺たちは。

 それよりも今はハッキリさせなきゃいけないことがある。


「小冬」

「はい」


 名前を呼ぶと背筋を伸ばして座りなおした。

 瞳にはほんの少しの不安と期待が混ざっている。

 小冬が頑張ってくれたから、俺も言わなくてはならない。

 ずっと秘めていた想いの全てをたった一文に込めて吐き出す。



「こんな俺だけど付き合ってください」



 ずっと伝えたかったけど伝えなかった言葉。

 ようやく。ようやく小冬に言えた。


「嘘じゃない? 暖くんこそ、私なんかでいいの?」

「ただの後輩とこんなことしないよ」

「ほんとに? ほんとに私のこと好きなの?」

「うん。大好きだよ」

「愛してる?」

「愛してるよ」

「どれくらい? 私が一番?」

「一番に決まってる。俺は小冬じゃなきゃ嫌だ」


 一滴、また一滴と小冬の頬が光輝く。

 堪えきれなくなった感情が溢れ出る様だ。


「うんっ、私も……わだしも、暖くんじゃなきゃ嫌!」

「ありがと。また泣かせちゃった。今までごめんね」

「いいの、苦しかったけど。今はすっごく、幸せだからっ。うわああああん!」


 小冬の小さな頭を胸に引き寄せて抱きしめる。

 ぎゅってしながら頭を撫でると幸せそうに泣いてくれた。

 俺もそんな小冬を見て、気づけば涙が零れていた。

 これからも小冬と一緒にいていい。その実感が湧いてまた泣いた。

 俺がずっと望んでいたことだから。


「ねえ小冬」

「んん、なに?」

「一個だけ聞いておきたい。言わなきゃずるい気がするから」

「言って。ちゃんと聞くよ」

「うん。聞いて」


 俺がずっと思っていたこと。ずっと中途半端な行動をとっていた理由だ。

 昔、先輩にふられたこと。それから、今まで小冬をどう見ていたか。

 それを全部話した。


「つまり、俺が小冬を助けたのは偶然なんだよ。その役目は俺じゃなくてもよかったの。だから小冬が感じてるそれは偽物かもしれない。それでも、俺でいい?」


 言うのが怖かった。ずっと悩んでいた。

 そのはずだったのに、そんな俺の絡まっていた考えは小冬が一瞬で解いてくれた。


「もう、今それ言う? 本当に暖くんはめんどくさいね。私に似たのかな?」


 小冬が顔を上げてむっとした表情を浮かべる。

 すると今度は小冬が俺を胸に抱いた。


「聞こえない? こんなにドキドキしてるんだから偽物なわけないよ。『偶然』とか『恩』って名前じゃなくてさ、『運命』って名前をつけようよ」


 その優しくて耳が蕩けそうな囁き声は俺の氷を溶かしてくれた。

 俺も、もう一人じゃないんだと思わせてくれた。


「ありがとう小冬。これからもよろしくね」

「うん、こちらこそ。よろしくお願いします」


 しばらくの間、抱き合ったまま無言でお互いの体温を感じた。

 その沈黙が俺たちには心地良い。

 小冬がどう思ってるのか伝わってくる。

 体が温かいのは近年言われている暖冬のせいではないだろう。




「遅くなってきたしそろそろ戻る?」

「そうだね。まだこうしてたいけど毎日会えるようになったから楽しみに取っとく」


 小冬はそう言って微笑むと元気よく立ち上がった。手にした缶コーヒーはもうすっかり冷えていたが問題はない。小冬の手が温かかったから。


「帰り送ってくよ」

「うん、ありがと。……あ、でも今日は家入れないからね」

「え、なんで? 一緒にケーキ食べようよ」

「ダメです! 私も食べる気なんでしょ」


 俺から一歩距離を取ろうとしたみたいだが手を繋いでいるため失敗してしまう。

 食べるってどういう意味だ?


「あの、小冬。何言ってんの? この前は俺の家来たがってたじゃん」

「だ、だって、今日はクリスマスでしょ……」


 赤くなってゴニョニョ喋る小冬を見てようやく意味が分かった。


「いや、そんなつもりじゃないよ。小冬が嫌なら絶対しない!」

「違うの。嫌じゃないんだけど……まだ早いから」


 俺は全くそんな気なかったが小冬は意外と満更でもなさそうだ。

 ピュアな反応が可愛すぎる。


「今日はもう一人で寝る。これ以上幸せになったら死んじゃいそう」

「え、なにそれ。今のめっちゃ可愛かった」

「か、からかわないでよぉ」

「じゃあ、帰ったら電話するね。それならいいでしょ」

「うん、して。ずっとしよ」


 前は正直に可愛いということすらできなかった。

 気持ちを隠さないのは楽だし気分がいい。


 気づけばあっという間に店の前まで来ていた。荷物だけ取りに店内に戻る。

 すると俺の顔を見るなり三人が笑顔で迎えてくれた。これは次来た時小冬と二人で散々いじられそうだ。まあそれも悪くない。


「お待たせ。帰ろっか、小冬」

「うん、暖くん!」


 夜の街を自転車を押しながらゆっくり歩く。

 まるで世界が変わったみたいに、街頭や家の明かりなど映る景色全てが特別で綺麗に見えた。


 これからは俺の暇で退屈だった日々が充実した特別な日々に変わる。

 過去と決別し、未来に向かって進むことができる。

 それは隣にいる女の子、白雪小冬のおかげだろう。


 小冬が俺を変えてくれた。

 だから俺は一生小冬を幸せにする。

 何十年と経った先でも、俺と出会ってよかったと思わせてみせる。

 そう決心した。


 12月25日。クリスマス。

 この日、年下の後輩は年下の恋人になった。

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