29 年下の後輩は嫌②

 独りぼっちだった私は暖くんに出会って変わった。

 初めて会って言われた時のセリフはこれ。今でも鮮明に覚えてる。


「もしかして暇?」


 最初は馬鹿にされてるのかと思った。それに、年上の男の人が怖かった。

 でもすぐにいい人だってわかった。私を見る目が優しかったから。


「あ、ごめん言い方が悪かった。部活探してるよね? もし困ってたら教室開けとくからいつでもおいで。俺も一人だからさ」


 こんな風に私を思いやるセリフを言われたのは初めてかもしれない。同じ目線になって話してくれる。そのことが嬉しくって、胸があったかくなって、優しく微笑む暖くんを見てると心のモヤが晴れていくようだった。


 この日から私はこの教室を訪れるようになった。家に帰ってもどうせ一人だから隅っこの方で座って時間を潰すことにした。暖くんは何も言わず黙々と勉強しているだけ。二人しかいない教室には会話が無い。席も遠く離れていて先輩後輩以前に他人。


 でもこの空間は居心地が悪くなかった。

 ずっと遠くから暖くんを見ていると不思議に思った。なんで私なんかに声をかけたんだろう。部活に勧誘したのに挨拶程度しかしてこない。向こうから挨拶されても私は一言も返してないのに。だから初めて私から話しかけてみた。


「あ、ああ……あのっ」


 久しぶりに誰かと話そうと思ったせいか緊張で声がうわずった。

 多分聞こえてなかったし、よく考えたら迷惑じゃないかと思って黙ることにした。

 だって、私は望まれた子じゃないから……。

 だけど暖くんは私を見てくれていた。勉強の手を止めて席を立つと、


「やっと話してくれた」


 そう言って二つ離れた席に座って向かい合った。

 私は人と目を合わせるのが怖くて咄嗟にノートで顔を隠す。


「あの……その、えっと……」


 何を聞くのか忘れた。何か話さなきゃと思って必死に言葉を探したけど頭が真っ白になって何も出てこない。

 やっちゃった。せっかく話しかけてくれたのにまた閉じこもって拒絶してしまった。そう思ったのに、


「ゆっくりでいいよ」


 そんな言葉をかけてくれる。他の人は何か私が話さないとつまらなそうな顔してどこかに行ってしまうのに、暖くんはずっと待っていてくれた。

 私は三分ぐらいずっと考えて、ようやく目だけ少し出した。

 そして言葉を絞り出す。


「どうして、ですか?」


 聞くと暖くんは真剣な顔して考え込んだ。きっと私の言葉が足りな過ぎたからだろう。自分でもどうしてこんなことを聞いたのかわからない。何を言って欲しかったのかもわからない。暖くんも三分ぐらい黙ってから口を開いた。


「先輩だから?」

「せんぱい?」


 言葉の意味が分からなくて復唱すると暖くんはまた考え込んだ。


「うん、俺はキミの先輩だから。ここにいたいと思ったらずっといていいよ」


 それを聞いて私は涙が出た。バレないようにノートで隠した。


「ぐすっ……いっ、いいん、ですか?」

「もちろん。名前何て言うの?」


 涙を拭いて嗚咽を堪える。


「……小冬」

「よろしく小冬。俺は瀬川暖。何かしたいことある?」


 したいこと……したいこと……。考えたことない。


「じゃあしてほしいことある?」


 私が困惑していると気を利かせてくれる。

 こんな気持ち初めて。ただ隣にいてくれるだけで安心する。


「毎日……来て、ください」

「わかった。約束するよ」


 こうして私は後輩になった。





 それから私は学校に行くのが楽しくなった。毎日布団に入ったら明日のことを考えて、授業中は速く放課後になってほしいと願っていた。


 最初は黙って眺めてるだけだったけど、勇気を出して話しかけたら私が喋れるようになるまで練習に付き合ってくれると言った。文字で会話したり、お菓子を食べながらだったり、こんな私に親身に向き合ってくれた。おかげで少しずつ会話が出来るようになって、他の人ともだんだん話せるようになった。


 一緒にいるうちに心の病気も完治した。


 全部暖くんのおかげ。私の凍っていた心を溶かしてくれるみたいだった。

 でも、この時間は永遠ではない。

 私は後輩で暖くんは先輩。必然、別れの季節がやってくる。

 幸い私は早い段階でそれに気づいた。そして自分の気持ちにも気づいていた。


 それは恋。恋以外にあり得ない。心臓が壊れちゃうくらいドキドキして顔が熱くなって苦しいのに幸せ。こんな気持ちは初めてで、最初は病気になったのかと思った。

 でも熱は無いし喉も痛くないから普通の病気じゃない。症状は、寝ても覚めても暖くんのことで頭がいっぱいになる。


 そこで、今度は恋の病にかかったということがわかった。


 恋と気づいたらもう止まらない。この気持ちは収まるどころか強まる一方だった。どんどん新しい好きなところが見つかって余計好きになった。


 でも『好き』って言えない。言うのが怖い。


 こんなにも好きなのに、言葉にしたら終わってしまう気がした。

 でもやっぱり好きって言いたい。

 ぎゅってしてほしいし頭を撫でて欲しい。

 後輩じゃなくて恋人になりたいと望んだ。


 だって、それを伝えなければ一人になるから。このまま三学期になったら暖くんは自由登校になって学校に来なくなる。そしたらまた私は一人に戻ってしまう。


 もう一人は嫌。会えなくなるのは嫌。冬なんて来なければいいのに……。


 そう思ったから、暖くんと一緒にいられる時間を増やすことにした。

 彼女として横に立つために。そして私も独り立ちするために。


 私は放課後ほぼ毎日行っていた場所がある。それは近所のファミリーレストラン。

 家にはご飯も無いし静かで寂しくなるからファミレスにこもって勉強したり本を読んだりしていた。お金だけは父が援助してくれていたから問題ない。


 ここで働く人たちを見ていて、いい所だなと思っていた。年が近い人が多くて、どんなに忙しくてもいつも笑顔で溢れている。ここでなら私も働けるかもしれないと思った。知らないところに自分の力で一歩踏み出せれば告白する勇気が湧くかもと思った。自分が変われているという成功体験が欲しかったのだ。


 勇気を出してバイトの申し込みをした。

 すると向こうはみんな私のことを知っていた。毎日のように通っていたから当然かもしれない。実際に働いてみると、外から見ていた以上にみんないい人だった。


 キッチンを選んだのはマスクと帽子で顔を隠せるから。顔を隠していれば緊張も和らぐし、キッチンの仕事はお客さんと喋る必要が無い。従業員同士での会話は勿論あるけど、優しい人たちばかりで会話に困ることはなかった。


 でも、こうして私が打ち解けられたのは暖くんが話す練習をしてくれたおかげ。


 私もやれるんだって自信がついて、変われてる実感が持てた。

 だけど、告白する勇気は出なかった。

 結局、フラれた時のことを考えると怖くて何もできない。

 そう思った私は作戦を変えた。


 暖くんと一緒に働く。真逆の自分を演じて私のことをどう思ってるか聞く。それがわかれば勇気が出るし、一緒のバイトなら三学期になっても会えるから焦らなくてもいい。


 もし気づかれてもそれはそれでいいと思った。

 私が言葉にできない『好き』を気づいてもらえるから。


 一生懸命仕事を覚えて、店長に頼んだ。ここで一緒に働きたい人がいると。

 仕事に恋愛を持ち込むなと怒られるかと思ったけど、私の本気が伝わったのか人手が増えるからウィンウィンの関係だと言ってあっさり了承してくれた。


 他のみんなも私を応援してくれた。からかわれるのはちょっと恥ずかしかったけど、好きな人の話をするのは楽しかった。なんだか普通の女の子になった気分。友達とお姉ちゃんが出来たみたいで嬉しかった。私の居場所が増えたのだ。


 だけど、暖くんと働くようになって気づいてしまった。私の気持ちをを遠回しに否定していることに。理由はわからないけど私はただの後輩だと主張してくる。


 私は焦った。時間があってもアプローチしなければ一生想いが届かない。だから頑張って気持ちを伝える努力をした。夜電話したり、家に行ってもいいか聞いてみたり、小夏ではなく小冬としてアピールした。でもその結果が……。


 これが真実。

 結局私はフラれるのが怖くて逃げてただけ。ずるい女だ。


 絶対嫌われた。めんどくさい女だって思われたに決まってる。

 もう会えない。会うのが怖い。学校では絶対無理だしバイトでも気まずい。


 だって、小夏として振る舞ってる時も心臓バクバク鳴ってて恥ずかしかったもん。強がって先輩面してただけだもん。もう会えないよぉ……。


 でもやっぱり、このままは嫌。年下の先輩も、年下の後輩も、嫌。

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