18 二人の距離②

 三十分ほど勉強すると今日の分はやり終えたらしい。

 ビデオモードをオフにする。


「疲れてるのにありがとう」


 小冬の声は少し眠そうでうとうとしているようだった。


「全然いいよ。小冬の方こそ疲れてそうだ。今日はもうゆっくりお休み」


 そう言って終了ボタンに手を伸ばす。学校でもバイト先でも顔を合わせるから今どうしても話しておく必要はないだろう。そう思ったのだが、


「待って……」


 俺の指がピタリと止まる。聞こえてないふりをして押せばいいのに出来なかった。続く言葉が想像つくのにここでやめる選択をしなかった。その中途半端な選択が小冬を傷つけることになるのに、そうしなかったのだ。俺は自分を傷つける覚悟が出来ていない。


「もうちょっとだけ……お話、しよ?」


 想像通りの言葉。小冬が顔を隠して赤面している様子が目に浮かぶ。きっと勇気を出して言ってくれたのだろう。こんなこと言われて嬉しくない男なんていない。

 しかし、何度も言う様だが小冬の抱くそれは全て偽物。俺が騙しているだけだから、俺が小冬の気持ちを受け入れていい理由にはならない。


「夜遅いし家族とかの迷惑にならない? 明日じゃダメなの?」


 それっぽい理由を言ってみる。


「イヤホンしてるから大丈夫だよ」

「えっ!? イヤホン?」


 予想外のセリフに思わず声が出た。それはつまり俺の声が小冬の耳にダイレクトで届いているということだ。クマさんのパジャマを着た小冬がツインテールにしてイヤホンで俺と会話をしている。その状況はヤバくないか?


「それと、今がいい……。明日は、嫌」


 俺の逃げ道がどんどん塞がれていく。

 吐息と一緒に布の擦れる音が聞こえてきて変な気分になりそうだ。


「ど、どうして今なの? 何かあった?」


「何もないけどせっかくだから電話の練習しよ。したことないから」


 何故か小冬がよく喋るし積極的すぎる。用が無いのに喋るなんてまるで恋人同士みたいじゃないか。というか電話の練習ってなんだよ。


「だから……暖くんが嫌じゃなければ、もうちょっと話そ?」


 今日の小冬は絶対おかしい。何か覚悟を決めたようなそんな気がする。このままだと雰囲気や流れによっては最後まで言わせてしまうかもしれない。俺の思い上がりという線もまだあるが、その可能性は低いと考える。なぜなら俺が小冬と同じ立場だったからだ。


「……わかった、俺も眠いから少しだけね」

「やった、ありがと」


 ダメだ。小冬に頼まれると断れない。

 ……いや、それ以上に思うことがある。小冬はきっと勇気を出して俺に電話をかけてくれた。たくさん悩んでドキドキしながら行動に移したに違いない。だから俺は、その想いを踏みにじるような真似をしてはいけない。いろいろ考えたがそれだけは確かだ。俺自身、気持ちが揺れてばかりだが小冬の気持ちには正面から向き合うべきだと思う。


 だから、もしその時が来たら俺も逃げずにちゃんと伝える。俺は今そう決めた。

 でもできれば直接は言わず、話している中でそれとなく遠ざけたい。ただの逃げだとはわかってる。できるだけ傷つけたくないというだけの我儘だ。多分間違ってるけど俺はこの方法を選択する。


 車やバイクの騒音が邪魔だったから俺もヘッドホンを被ることにした。頭を締め付けてくる感じが気持ちいい。


「ほんとはね、今日お家に誰もいないの。だから寂しくって」


 小冬の音が耳に広がった。

 このまま目を閉じればすぐに眠れそうなくらい心地良い。

 俺はベッドに入り、天井を見上げる形で横になった。ついでに眩しかったから明かりを消す。12月の夜は冷えるから毛布を掛けた。


「そっか。小冬は怖がりだったもんな」

「うん。私の相手してくれてありがと。暖くんしか頼れない」


 暗くなってテンションが変わってしまったのか普段言わないセリフを言ってくる。


「先に寝ちゃったらごめんね。私が頼んだのに」

「俺の方が先に寝るかも。結構眠いんだ」

「じゃあどっちが起きてられるか勝負だね」


 小冬はこんな提案してくる子だったかな。

 小夏先輩でもこんなことは言わないぞ。


「そんなに長い時間話すの?」

「ごめん、やっぱり嫌だった?」


 嫌なわけない。だけどやっぱりおかしい。


「あのさ、小冬。変なもの食べた? いつもの小冬じゃないみたいだ」


 俺が聞くと考えているのか数秒間があった。


「んー、電話だと話しやすいのかも。いつもは顔見えてるから緊張しちゃう」


 そういうもんか。そう考えると、小夏先輩の時も目元しか見えてないから好戦的な態度で接してくるのかもしれない。


「でも多分明日会ったら恥ずかしくて顔見れないかも。私も今おかしいと思う」


 小冬は悶えているのか「うぅぅぅ」と言ってクッションか何かを叩き始めた。


「自覚はあったんだ。まあそれだけ小冬が成長してるみたいで嬉しいよ。もう小冬は一人でも大丈夫そうだ。これなら俺も安心して卒業できる」


 一応遠回しに言ってみたつもりだ。


「私、成長してるの?」

「ん? ああ、昔とは全然違うよ」

「そっか、なら全部暖くんのおかげだね。私を変えてくれてありがとう」


 小冬の笑顔が頭に浮かぶ。大したことをしたつもりはないが、小冬は本当に感謝しているみたいだ。こんなストレートに感謝されるとは思わなかった。俺が卒業しても別に悲しくないって事だろうか。それはそれで寂しいな。


「ふわ~ぁ」


 可愛らしい大きなあくび。もう子どもは寝る時間だ。


「ねむたくなっちゃった」

「もう電話切ろうか?」


 これで終わってくれるなら俺としてはありがたい。

 まあ先送りにしかならないわけだが。


「んーん。もーちょっとぉ」


 眠気のせいか声が妙に色っぽい。本人にその気はないのだろうが聞いてるこっちはドキドキする。その裏ではがさごそと動き回る音がしていた。


「寒いからお布団入ってもいい? もう入っちゃった後だけど」

「全然いいよ。俺も横になって毛布にくるまりながら喋ってたから」

「ええええっ!?」


 ヘッドホンから急に大音量で叫び声が聞こえてきた。一体どうしたんだ。


「大丈夫? もしかして虫とか出た?」

「ちちち、違うよ! なんで寝てるの!」


 ちょっと意味が分からないな。この子は何を言ってるんだ。


「小冬だって寝てるんでしょ。何か問題あるの?」

「あるよ! これじゃあいっしょに寝てるみたいじゃん!」

「は?」


 一旦目を瞑り、冷静に考えてみる。視界は真っ暗。耳には小冬の吐息と、寝返りを打っているのか布団が擦れる音。

 ……ヤバいな。なんかいけないことしてるみたいだ。


「俺出るから小冬は寝てていいよ」


 シャドーボクシングでもして体を温めよう。一応電気ストーブもあるしな。


「悪いよ。もう出たくないでしょ?」

「正直足の先っぽすらも出したくない」


 今日は直近の最低気温を更新したらしい。


「私ももう出れないかも」

「じゃあ今日は切って寝ようか。話は学校でいくらでも聞くから」


 十分喋ったしこんな変なプレイをするのは流石に恥ずかしい。いくら夜でテンションが上がったとしても冷静になればおかしいと気づく。


「やだ……」


 小冬は頑なに電話を切ろうとしない。


「一人は怖いよぉ……」


 そうか。俺は勝手に告白されるかもとバカな妄想をしていたが、小冬は単純に俺を先輩として頼ってくれていたんだ。声が震えているのも寒さだけではないだろう。本当に俺は大馬鹿野郎だ。


「ごめん小冬。俺でよかったら気が休まるまで付き合うよ」

「ありがと。やっぱり暖くん優しいね」


 不安が無くなってくれたみたいでよかった。


「でも大丈夫? そのー、一緒に寝て──」

「言わないで! 意識しちゃうから」

「悪い。ただ電話してるだけだもんね。何もやましいことは無いか」

「うん、恥ずかしい顔は見られないから大丈夫」


 いつもノートとかで顔隠しちゃうもんな。あれはあれで可愛いんだけど。


「でも今日のことは忘れてね。今日だけの秘密」

「わかった。約束するよ」


 どうやら本当に怖くて電話しただけみたいだ。それなら俺の気も楽になる。


「寝る前に歯磨いた?」


 気まずい雰囲気にならないように雑談する。


「ちゃんと磨いたよ」

「小冬は甘いイチゴ味のやつとか使ってそうだよね」

「むぅ。ちゃんとミントのやつ使ってますぅ。そんなにお子ちゃまじゃありません」

「ごめんごめん。ついからかっちゃった」


 小冬と話すのはやっぱり楽しいな。


「じゃあ、トイレは大丈──ごめん、なんでもない」


 女の子になんてこと聞こうとしてるんだ俺は。


「ちゃ、ちゃんと行ったもん……。子ども扱いしないで」


 がさごそ動く音が聞こえる。頭まで布団を被ったのかもしれない。


「……」

「……」


 やばいな。会話が途切れて気まずくなった。


「暖くん……」


 自律感覚が絶頂反応を起こす声。永遠に聞いていたいと思わせてくれる。


「なに?」

「呼んだだけ」

「……」


 にひひと笑う小冬に思わず顔が熱くなる。


「あれ、怒った?」

「怒ってないよ」

「よかった。なんかお泊り会みたいだね」

「あー、ぽいね。やったことないから知らんけど」

「私もない。暖くんが初めて」

「ないのかよ。てかこれもお泊りじゃないでしょ」


 初めてとか言われると変なことを連想してしまう。


「そうだね。でも楽しいよ。ありがと」

「そんな感謝されることはしてないけど」

「ううん。私がいるのは暖くんのおかげだもん。何回言っても言い足りない」

「そう? じゃあ、俺もありがと」

「うん」


 小冬とは時間を忘れて喋っていられる。今の時間が本当に幸せだ。

 でも、もう終わりにしなければならない。


「もう怖くなくなったよ。ありがとう暖くん」

「全然いいって。俺も力になれてよかったよ。一人っ子だからわかんないけど妹を寝かしつけてるみたいで新鮮だった」


 女性経験皆無の俺には少々難易度が高かったが無事にやり遂げることができただろう。


「そっか、妹……」


 ヘッドホンをしているおかげでその声はしっかり拾うことができた。しかし俺はそこに触れない。あえて言った言葉だが聞かなかったことにする。

 沈黙が続き、もう切っていいような気もしたがもう少しだけ黙って待つことにした。


「暖くん」

「ん?」

「起きてる?」

「起きてるよ」

「ふふっ、私も」


 特に意味のない会話が続く。

 このまま寝落ちしてしまいそうだ。


「ふぅー、はぁー、すー」


 寝息か吐息かわからないが小冬の漏らすその息遣いが聞いてはいけないものを聞いている気分にさせる。本当に小冬と寝ているみたいで自分を抑えられなくなりそうだ。これ以上はヤバいと思い、音を立てないように通話を終えようとする。


「んー。暖くん?」


 寝言だろうか。勝手にエロく聞こえてしまう。


「もう寝ちゃった?」


 寝言じゃない。その囁き声に耳がぞわぞわする。


「あれ、ほんとに寝ちゃったんだ。バイトで疲れてるのかな?」


 俺は返事をしなかった。なんだか今はしない方がいい気がしたのだ。


「私も寝よっかな。ありがとう暖くん」


 もう何度目かわからないありがとう。悪い気はしないけど良い気もしない。俺がたまたま助けただけでその役目は俺じゃなくてもよかったのだ。


「すー、はぁー。んん……」


 耳に息を吹きかけられてるみたいで声が漏れそうになる。

 小冬は何度か呼吸を繰り返して囁いた。


「おやすみ」


 くちゅりと唾液を飲み込む音。息を小さく吸い込む音。


「それから……」


 最後は甘くて脳が蕩けそうな音が広がる。




「大好きだよ」




 ピロン。

余韻も残すことなくすぐに電話の切れる音が鳴った。しかし、それを聞いても俺の脳は活動を止めている。俺はしばらくの間、無心でバタ足をしながらベッドの上を転がり回った。


「はぁ……好きだ」


 諦めようと決めたのに余計小冬のことが好きになってしまった。

 小冬も俺のことが大好きだという言質も取った。普通ならあとはタイミングを見計らって俺が告白すれば無事に結ばれる。何も難しい事じゃない。


 なのに俺は躊躇っている。自分が外野にいる立場ならなんで付き合わないんだよと思ったかもしれない。でもいざ自分がその立場になると迷ってしまう。小冬の愛があまりにも真っすぐだから余計辛い。


 どちらの選択肢を選んでもきっと間違いではないが正しくもない。

 ヒントは出されているのに答えのない問題だ。静かに目を瞑って考えるがそう簡単に答えは出ない。頭に浮かぶのは小冬の顔。耳に残るのは小冬の声。

 俺は一睡もできないまま朝を迎えた。

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