12 仕事の方は順調

 小夏先輩が帰ると入れ代わりで姫野さんが休憩室に入ってくる。コップに注いだ水を置き、俺と向かい合って座ると姫野さんはマスクと帽子を外した。


「はぁ……、この時間はやっぱりお腹空きますね。瀬川君の作ってくれたお料理食べて残りのお仕事も頑張ります。あれ? 瀬川君、どうかしましたか?」

「いいい、いや、どど、どうもしてないですよ」

「急にどうしちゃったんですか? お顔も赤いですよ」


 姫野さんが俺の額に手を伸ばして柔らかい手のひらを添えてきた。思わず変な声が出そうになる。小田切さんのこと馬鹿にできない。


「熱はないみたいですね。冷めないうちに食べちゃいましょ」


 そう言って姫野さんはフォークとスプーンを使ってパスタを食べ始めた。

 俺も一度精神を整え、息を吐く。


「ふぅ……」


 やっぱり美人だ。俺の見立ては間違ってなかったらしい。目元しか見えない状態から一気に口元や髪があらわになって、一瞬で美人が目の前に現れた時の破壊力はヤバかった。俺、こんな美人と喋ってたのか。そりゃあ挙動不審にもなるよ。意識すると喋れなくなるのが男子高校生ってもんだ。こればっかりはしょうがない。


 小夏先輩が可愛いを突き詰めたとしたら姫野さんは美しいを極めた人だ。

 鳴海さんは両方を兼ね備えたポテンシャルを持っている。

 小田切さんも言ってたがここの職場すごい。


「ん! 美味しいですよ。瀬川君も食べてみてください」


 俺の思考もやっと落ち着きを取り戻してきた。ベーコンと一緒に麺を頬張る。


「ホントだ! ちゃんと美味しいですねこれ。俺才能あるかも」


 小夏先輩に言ったらこれぐらいで調子乗るなって言われそうだが少しくらい浮かれたっていいだろう。姫野さんは優しい人で、「天才さんですね」と言ってくれた。


「わたくしこのキノコ食べたの初めてです」


 姫野さんはしめじをフォークで刺して口に入れた。なんかエロい。


「へー、しめじ食べたことないって珍しいですね。椎茸とかエノキばっかり食べてたんですか?」

「それも食べたことないですね。キノコはトリュフか松茸しかありません」


 聞き間違いだろうか。俺の食べたことない食材が聞こえた。


「カップラーメンって知ってますか?」


 ベタな質問をしてみる。


「聞いたことはありますよ。今度鳴海ちゃんがご馳走してくれるらしいので楽しみです」


 やっぱりか。


「姫野さんってもしかしなくてもご令嬢ですよね?」

「あら、バレてしまいましたか。おっしゃる通り実はそうなんですよね。口調も変えてるつもりなんですけどやっぱり敬語がダメなのでしょうか」


 頬に手を添えて頭を悩ます姫野さん。その一挙一動が上品で美しい。


「話し方って言うか雰囲気が違いますからね。嫌なんですか?」

「そういうわけではないのですが、単純にわたくしも普通の人と同じ生活をしてみたいって思ったんですよ。なので大学を機に一般の学校に通ってみることにしたんです。一年過ごしてだいぶ慣れてきました。お友達もたくさんできましたし楽しいですよ」

「バイトも同じ理由ですか?」

「はい。誰かのために働くって素晴らしいですね。大変ではありますがやりがいがあって充実してます」


 なんて素敵な人なんだ。心が綺麗すぎて直視できないくらい眩しい。小田切さんにも聞かせてやりたいぜ。


「俺も姫野さんみたいな大学生になりたいです」

「そう言って貰えると嬉しいです」


 マスクのない素の笑顔は本当に美しかった。食べるのも忘れるぐらいで俺の皿は底が見えてこない。口だけ開けてボーっとしていると、


「そっちも食べていいですか?」


 姫野さんが俺の皿にも手を伸ばした。

 クリームもたっぷり絡めたカルボナーラを口に頬張る。


「これがカルボナーラですか、美味しいですね。瀬川君もこっち食べていいですよ」


 自分の皿を俺の前に移動させた。なんだ。何が起こってるんだ? 大学生はこれが当たり前なのか? 間接キスで心臓バクバクになるのは俺がガキだからか?


「みんなで食べる時はシェアするんですよね? 前にお友達が教えてくれました」


 友達のバカ野郎! いやむしろナイスか? 


「食べないんですか?」


 姫野さんが不思議そうに俺を見つめてくる。口元はカルボナーラの白い液体で汚していた。この人このままだと俺にあーんとかしてきそうだ。


「ちょ、ちょっと俺もダイエットしてて……。もうお腹いっぱいです」


 このチキンな俺を笑うがいい。


「あら、最近の若い子たちは頑張ってるんですね。じゃあわたくしがいただきます」


 姫野さんはむしゃむしゃもぐもぐとたいらげた。

 これでいい。俺は美味しそうに食べる姫野さんを見るだけでお腹いっぱいだ。


「わたくしももうお腹いっぱいです。瀬川君、ごちそうさまでした」

「いえ、俺の方こそ教えてくれてありがとうございます」


 お皿を重ねてテーブルを拭く。姫野さんは再びマスクと帽子を装着した。


「この調子でどんどん覚えてくださいね。期待してますよ」

「まさか姫野さんまで俺を社畜にしようとしてるんですか?」


 やっぱり顔を隠してた方が喋りやすい。


「それもいいかもしれませんね~」


 あー今の表情はマスク無しで見たかったな。


「わたくしはユキちゃんと瀬川君と三人で一緒にお料理したいと思ってますよ」


 姫野さんは食べ終わったお皿を持って席を立った。両手で丁寧に支えている。代わりに持とうとしたら手で大丈夫と言われた。


「俺はまだまだ迷惑かけそうですけどね」

「最初はみんなそうですよ。わたくしもたくさん失敗しましたから。ミスしたらユキちゃんとカバーするので大丈夫です」

「確かに姫野さんすっごい優しいから俺もやりやすいと思います。怒ったところとか想像できないですね」


 怒られるなら小夏先輩にこっぴどくだろう。


「確かにわたくしは誰かに怒ったことありませんね」


 キッチンに戻ろうと歩き出していた姫野さんが振り返った。


「ですが……」


 そこで一度言葉を区切る。俺の瞳を真っすぐ見つめてきた。


「ユキちゃんを泣かせたら怒るかもしれません」


 いつもよりほんの少し鋭い声。他はいつも通りで目も笑っているがその言葉の意味だけはわからなかった。


「泣かせませんよ。大事な先輩ですから」


 気づけばそんなセリフを口にしていた。

 姫野さんは満足したように一度大きく頷く。


「安心しました。それではわたくしは仕事に戻りますね。お疲れさまでした」

「あ、はい。お疲れ様です」


 こうして俺のバイト二日目は無事に終了した。着替えて外に出ると小冬の自転車があった場所は何もなくて少し寂しく感じた。

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