11 二つの揺れるもの
ひと悶着あったが前に行くと姫野さんと店長がいた。
「ユキちゃん、悲鳴が聞こえましたけど何かあったんですか? もしかして瀬川君に恥ずかしい事でもされましたか!?」
姫野さんが俺を偏見の眼差しで見てくる。
すぐに事情を説明して誤解されずに済んだ。
話を聞くと冬でも飲食店はでることがあるらしい。
「それで、何をするんですか?」
寄り道したが小夏先輩は俺を呼びに来ていたのだ。
店長は俺の顔を見つめると意味の分からない宣言をした。
「今からお前を社畜二号にするためのOJTをする」
何言ってんだこの人。まず二号ってなんだよ。一号は間違いなく小田切さんのことだよな。そしてOJTってのは『お前はジジイになるまでタダ働きだ!』の略か?
わからないが俺もそろそろ怒っといた方がよさそうだな。
「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ、瀬川君。OJTというのは簡単に言うと実際にお料理を作ってみることです」
「な、なるほど。そうだったんですか」
危うく店長の脳天に手刀を叩き込むところだったぜ。
「そういうこと。本当は新メニューの時にみんなでやったりするんだけど今暇だし従食で食べたいもん作っていいよ。金はわたしが払っといてあげる。社畜を生み出せるならはした金だからね」
従食とはその名の通り従業員が食べる料理のことだ。
居酒屋などは賄があるが、チェーン店だと社割で50%引きになる。
「いいんですか!? ありがとうございます」
半額になるとはいえ元が高いからコンビニ弁当と値段は大して変わらない。払ってくれるなんて店長も太っ腹だな。最後の一言が余分だったけど。
「姫野も好きなの作って休憩行ってきていいよ。オーダー入ったらわたしがやっとくから。ホールは小田切がいるから心配しなくていい」
「まあ! ありがとうございます。ごちそうになりますね」
姫野さんは上品に顔の横で手を合わせた。小田切さんは女性相手にどうやって接客してるんだろう。まあいいか。
「ユキはもうあがる時間だったよね。今日は金払わず作っていいよ」
小夏先輩が食べる。それはつまりマスクを外すということだ。マスクを外したら当然顔を隠すものはなくなるわけで、小夏先輩は小冬だということが俺にバレる。
いや、俺は最初から知ってるんだが小夏先輩と小冬は隠してるつもりらしい。一体どうするつもりだ。
「私、今日は帰りますね」
申し訳なさそうに小夏先輩は言った。
「ユキちゃん具合悪いんですか?」
心配そうに姫野さんが尋ねる。小夏先輩は一瞬俺を見てすぐに逸らした。
「えーっと……ダイエットしてるんです!」
俺以外の二人に告げると「お先に失礼します」とお辞儀して更衣室に行ってしまった。
小冬はいつも喜んでおやつを食べているから嘘をついて俺にバレるのを防いだんだろう。なんでそこまでするのかわからない。謎だ。
「ユキちゃんは痩せ過ぎのような気もしますけど……どう思いますか? 瀬川君」
姫野さんが俺の顔を覗き込んできた。確かにあなたの豊満なボディと比べたら、ほとんどの女性は貧相に見えるでしょうね。でも多分そういうことじゃない。
「顔も小さいですしモデルみたいに細いですよね」
自然と言葉が出てきた。
「今の、ユキちゃんに言ってあげたら喜びますよ」
「いやー俺が言っても馬鹿にするなって怒られるだけじゃないですかねー」
俺はそうやってはぐらかした。それが言えていたら多分こんな面倒なことにはなってないだろう。それだけはわかる。
小夏先輩がいなくなったため姫野さんと二人になった。店長は小田切さんに用があるらしい。俺も作って食べたら帰っていいそうだ。
「ユキちゃんじゃなくてガッカリしてるかもしれませんがわたくしが教えて差し上げますね。何作りますか?」
メニュー表をパラパラとめくって見せてくれる。
姫野さんと二人でガッカリする男なんていないだろう。
「んーそうですね。何作ったらいいと思いますか?」
メニューが多すぎて選べないのだ。
「最初はパスタを作るのがいいかもしれませんね。わたくしの時もそうでした」
「じゃあそうします。えっと……俺はこれで」
「ならわたくしはこれを食べてみたいです。わたくしの分も作ってください」
近い近い。姫野さんは食いつくようにメニュー表を見ていて俺の腕に未知の感触がある。大学生恐るべし。
姫野さんの教え方も小夏先輩同様わかりやすかった。パスタは基本的に具材を炒めてからソースを入れて麺をあえるだけで完成する。一回やれば覚えれるほど簡単だ。
俺の分にカルボナーラ、姫野さんにはキノコのペペロンチーノを作った。
「上手ですね瀬川君。休憩室で一緒に食べましょう」
自然な流れで年上のお姉さんと、俺の作った料理を一緒に食べることになった。
言葉だけ聞くとヤバい。落ち着け俺。
姫野さんが水を注ぎにいってくれたため二人分のパスタを持って先に休憩室に行く。すると更衣室のドアが開いた。
「あ……」
思わず声が漏れる。そこから出てきたのはマスク姿の小夏先輩。髪を左右に一つずつ束ねたツインテールにしていて一瞬誰かわからなかった。着ているのは小冬の制服ではなく、もこもこした可愛い私服。着替えを持ってきているのだろう。手に持っているトートバッグの中身を見れば言い逃れはできないと思うが俺はしない。
「何よ」
小夏先輩はじっと俺を見つめてくる。
「いや……あの、服似合ってますね」
「ありがと」
続ける言葉が見つからなかった。
本当はたくさん言いたいことも聞きたいこともあるのに……。
五秒という短くも永遠に感じる時が流れて小夏先輩が動いた。
「私帰るから。お先」
「あ、はい。お疲れ様です。気を付けて帰ってください」
俺はそれぐらいしか言ってあげることができなかった。
焦らず、間違えずにやろう。
小夏先輩の揺れる髪を見ながらそう自分に言いかけた。
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