08 夢と現実は違うらしい
15分ほど歩いて家に帰り、5分で支度して15分チャリを漕ぐとバイト先に到着した。
ふと、駐輪場に泊まっている自転車を一台ずつ観察する。昨日は緊張してて余裕がなかったが外観を眺める余裕もあるのだ。俺の目は一台の自転車に奪われる。
小冬が乗っている可愛らしい水色の自転車だ。
「……」
本人は隠せてるつもりなのだろうか。それとも隠す気が無い?
なんか中途半端なんだよな。……まあ見なかったことにしよう。
ピーンポーン、ピーンポーン。
三回目となれば慣れてくる。俺は昨日より軽い足取りで出勤した。一応店内を確認してみたが小冬はどこにも座っていない。
10分前に着いた俺は着替えを済ませ、タイムカードを切る。シフトを確認すると18時からは俺と小夏先輩。18時30分から姫野さんが来るみたいだ。ホールの方には鳴海さんと店長。それから今日は小田切という人もいる。
手洗い、消毒、ローラー、マスク、手袋と衛生対策もバッチリ。余裕をもって業務に入ることができた。まずは厨房に顔を出し、挨拶をする。
「おはようございまーす」
「遅い」
小夏先輩が睨んできた。俺のテンションとの温度差が凄い。
「私より先にいなさいよ」
「……」
店長にはそういう面倒な上下関係はないし、来るのは10分前でいいと言われた。要するにこれは小夏先輩の俺に対する個人的な要望だ。
「いやだって、俺は一回帰ってから来るんだから小冬の方が先に着くのは当たり前でしょ」
一度だけ反応を確かめてみることにした。
「は? 何言ってんの? 先輩の名前間違えるとか失礼にもほどがあるわね」
今日も小夏先輩は俺に厳しい。
もう小冬で確定だし気が済むまで俺は後輩に徹しよう。
「ごめんなさい。調子に乗りました」
「わかればいいのよ。あんたはさっさと後ろ行って皿洗ってきなさい。何かあったらすぐ呼んで」
「承知しました」
ちゃんと心配はしてくれるんだよなー。
後ろに行くとランチの分がまだ残っているのか、昨日より皿が溜まっていた。俺は一人黙々と作業をこなす。仕事を覚えたため作業効率はだいぶ良くなった。
洗うのが面倒なのはチーズの付いた鉄板とドリアの皿。この二つは水に浸けたとしてもかなり力を入れなければ汚れが落ちない。逆にアイスや生クリームの付いたデザート皿は多少汚れが残っていても洗浄機にかければ綺麗になるため楽である。今度から注文する際は洗う人のことも考えよう。
半分くらい洗い終わったところでホールの人が新たに食器を下げに来た。
「おっ、もしかして新しく入った人? 高校生?」
ネームプレートには『小田切』と書いてある。白いシャツに黒いズボンの格好。背が高くて爽やかイケメンのオーラが凄い。女性相手とはまた違う緊張感があるな。
「初めまして瀬川暖です。春から大学生になります」
「オレは大学一年の
小田切さんは俺が年下のガキにもかかわらず気さくに話しかけてくれた。いい人そうだし女性から人気がありそうだ。
「あがりまーす。あ、瀬川君おはよ~」
鳴海さんもやってきた。今日も明るくて眩しい。
「小田切君、あとよろしくね」
こうして美男美女が並んでると絵になるな。二人は年も同じだし仲もいいんだろうか。鳴海さんが「お先に―」と小田切さんの肩を軽く叩く。すると、
「ぎやっ!」
気のせいだろうか。奇声が聞こえた。
「きゅっ、きゅきゅ、きゅうに、ささ、触ら──」
「も~そんなに怯えないでよ。ウチが虐めてるみたいじゃん」
小田切さんは壁に手を突いて苦しそうに胸を押さえている。鳴海さんは諦めたようにため息をつくと俺に手を振って行ってしまった。
「あのー、小田切さん?」
「行ったか?」
「鳴海さんなら帰りましたよ」
「そうか」
小田切さんははぁはぁ言って呼吸を整えた。
「笑うか?」
キリッとすました顔で俺を見た。何言ってるかわからない。
「オレは女性が苦手なんだよ」
「あー、いるんですねそういう人。だからあんな浜に打ち上げられた魚みたいにビクビクしてたんですか?」
てっきり鳴海さんのことが好きなのかと思った。それか鳴海さんが本当は怖い人。こんなイケメンな人が女性嫌いとは神様も悪戯好きなんだな。
「勘違いしないでくれ。オレは女の子が大好きだ」
「頭でもぶつけましたか?」
「いやオレはいたって正常だ。オレは中高と男子校で大学も女子がほとんどいない学校なんだ。だから女性の免疫が無い」
なるほど。それは大変だ。
「オレは女性と会った時のためにアニメやラノベで予習してたんだ。どの子も可愛くて根暗でぼっちな少年にも優しくて勝手に好きになってくれるんだぜ? オレなら行けるって思ったんだよ」
ヒートアップしてきたな。水でもぶっかけてやろうか。
「オレは大学生になったら女性に囲まれてバイトをして、彼女も作って毎日イチャイチャした生活をしてやろう。そう思ってたんだ。でも現実は違った! オレは三次元の女の子とまともに喋れない!!」
両手でグーを作ると台に振り下ろしてうなだれた。本人には深刻な問題らしい。
「えーっと、元気出してくださいよ。小田切さんかっこいいんだから心配ないです。そのうち向こうから寄ってきますよ」
「ありがとう。お前いい奴だな」
小田切さんは元気を取り戻してくれたようだ。
「お礼にいいこと教えてやるよ。大学には夢を抱くな」
あれ、いいことって言ったよな。
「確かにずっと夏休みみたいだし自由だ。けど充実した生活なんてごく一部の勝ち組に与えられた特権だと思え。高校生は大学に入ったらサークルもして彼女も作ってっていう理想を描きがちだが現実は甘くない。大学デビューなんて成功しないと思っておけ。合コンも新歓コンパも生き残れるのはコミュ力のある奴だけだ。顔はあんまり関係ない! 俺も一度だけ顔だけ貸してほしいと言われて参加したがあれはもう異世界だ。素人が気軽に飛び込んでいい場所じゃない。俺はそのせいで余計女性と喋れなくなった」
この人が言うと妙な説得力がある。よっぽど地獄を見たのだろう。
「でも心配するな。結局男友達とバカやってるのが楽しいってことに気が付く。変に見栄を張らず今の自分を大事にすればきっと楽しい大学生活を送れるはずだ。男だけで行く旅行も男だけで過ごすクリスマスもいいもんだぞ。彼女持ちの奴をみんなで破局に追い込むのも一興だしな」
そこまで言い終えると小田切さんは満足そうに深く頷いた。そんなドヤ顔をされても反応に困る。大学生になるのがちょっと怖くなったじゃないか。
「小田切さんの言いたいことはわかりました。ご忠告ありがとうございます」
「ああ、バイトのことでもそれ以外のことでも困ったことがあったら何でもオレに聞け」
キラーンと歯を輝かせて爽やかスマイルを浮かべた。カッコいいし頼りにはなりそうなんだよなぁ。
「バイトは楽しいか?」
まだ小田切さんは話を続ける。こんな長居してて大丈夫かな。俺は皿を洗いながら耳を傾けることにした。小夏先輩に怒られたくないからだ。
「楽しいですよ」
「いつまでもつかな。ファミレスなんて客はうぜえし定時で帰れねえし、そのくせ給料は割に合わねえ。サービス業何てどこもブラックなんだぜ」
この人喋り出すと止まんねえな。これがファミレスの闇ってやつですか。
「えっと、どうしてここで働いてるんですか?」
女性が苦手でこんな愚痴までこぼしてやめたくならないのだろうか。
「いいか、もう一つだけいいこと教えてやる。金ってのは一円稼ぐのは簡単でもその一円を継続して稼ぐのは難しいんだ」
「と、言いますと?」
「辛いからって簡単に止めてたらどこもやっていけないだろ? だから多少不満があってやめたくてもやめれないもんなんだよ」
なるほど。深い。
「働くためには理由を持て。理由があれば苦しくってもやっていける」
「理由、ですか? ちなみに小田切さんはどんな理由で?」
「決まってるだろ。毎月グッズに円盤に原作まで追ってたら金がいくらあっても足りん。それにオレは女性が苦手だが大好きだ。ここの従業員はみんな可愛い!」
「し、師匠って呼んでもいいですか?」
「好きに呼べ」
俺はあまりの潔さに圧倒された。この人のように生きてれば人生楽しそうだ。真似したいかどうかは別として。
小田切さんの熱のこもった演説を聞いていると、スタッフオンリーと書いてある扉が開かれた。
「おい小田切、仕事しろ。さっきからうるせーぞ」
「げっ、店長」
「罰として床の掃除だ。さっさとやれ」
「くそ、店長だからって指図しやがって。ちょっと偉くて仕事ができるからっていい気になるなよ。今時そんな没個性流行んねんだよ。店長なら後ろで働かずにパフェ食うぐらいしてみやがれ!」
店長相手には普通に喋れるらしい。年の近さとか関係あるのだろうか。
「バカ言ってないで早く行け。それとももっとシフト増やされたいのか?」
「チッ、わーったよ。言っとくけどオレはお前の社畜じゃねえからな。これ以上増やしたらこんなバイトやめてやる!」
そう言って小田切さんは渋々掃除を始めた。
わかったぞ。この人はいろいろ拗らせてしまった残念イケメンなんだ。
「小田切さんと随分親しんですね」
「ん? ああ。あのバカはわたしの従弟だよ。いい社畜でしょ?」
店長は唇を一舐めして俺をまじまじと見つめてきた。
俺は自然に目を逸らして仕事を再開する。
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