07 年下の後輩は隠してる
翌日。緊張と慣れない仕事のせいか、少し体が重い。いつもより疲れがたまっていて授業もあまり集中できなかった。大抵は自習の授業だったため問題はない。
放課後。俺は授業終了のチャイムが鳴ると速攻で掃除を済ませ、我らが文芸部の教室まで足を進めた。二段飛ばしで階段を昇り、早歩きで廊下を歩く。それは受験の合格発表を見に行くようなそわそわした気持ち。まさか合格して数日と経たぬうちにもう一度こんな気分を味わうとは思わなかった。
ドアに手をかけ、一度深呼吸。そして何食わぬ顔でいつも通り教室に入る。そこには先客がいて、唯一の部員であり俺の後輩──白雪小冬がちょこんとお行儀よく座っていた。
「あ、暖くん」
いつも通りのか弱い声。小冬は俺の名を呼ぶと視線を英単語帳に落とし、艶やかな黒髪を耳にかけた。その一挙一動は俺の知っている小冬そのもの。俺みたいに動揺している様子はみじんもない。
「やあ小冬。今日はいい天気だね」
誰だよコイツ。俺はこんな話したことないぞ。
「曇ってるよ?」
案の定小冬は訝しむような眼差しを向けてくる。
とりあえず俺もいつもの場所である小冬と二つ机を離した場所に座った。
チックタックと時計の針が秒針を刻む。なんだか気まずい。
俺がここに来て聞くことは決まってる。小冬は小夏先輩なんですか? だ。
たった一行で済むセリフ。だけどそれで終わらせていいものか。わざわざ俺をバイトに勧めて、自分は元からそこで働いてて、俺に先輩面する。意味が分からないだろ。何か深い事情があるのかもしれない。それに小夏先輩は小冬なんて知らないと否定している。小冬だっていつも通りだ。よし、遠回しに聞いてみよう──
「ねえ暖くん。バイトどうだった?」
「え?」
小冬の方から聞いてきた。想定外の問いかけに軽く頭がショートする。
「バイトだよ。昨日行ったんでしょ?」
「行った……よ?」
「なんで疑問形なの?」
決まってる。キミも一緒に働いてただろ。
「小冬は行ってないの?」
「何言ってるの?」
この何も知らないって顔。キョトンとしてて可愛いな。
頬っぺたをつねって見たくなる。
「あのさ、小冬」
「ん?」
小冬を疑うのはよくないな。一つだけ確かめておこう。
「姉妹いる? 親戚でもいいや。同い年で腹違いの子とかいるでしょ」
「一人っ子だよ?」
即答だった。
「ほんと?」
「ほんと」
なるほどなー。全然わからん。
「小夏って子知ってる?」
「女の子? だあれ、それ」
「……」
「暖くん?」
小冬が俺の顔を覗き込んできた。目元は小夏先輩にそっくりだ。
あれか? もしかしてドッペルゲンガーってやつか? それとも世界には同じ顔の人が三人いるってやつか? うん、どっちかだな。小冬が嘘をつくよりそっちの方が可能性ある。よし、そう思うことにしよう……なんて思うわけないだろ。
「ごめん、さっきから変なこと言ってたね。バイトの話だっけ? 小冬に話したいことたくさんあるんだよ」
本人に話す気が無いなら俺が暴いてやる。でも焦らず行こう。
「話聞きたい。楽しかった?」
「ああ、楽しかったよ。先輩たちもいい人ばっかりだった」
「へー、学生さんが多いの?」
「学生は多いみたいだね。でも俺の教育係は高二の女の子だった」
「私と同い年なんだ。凄いなぁその子」
あくまで他人のふりか。
もし演技なら女優になれるぞ。顔は既に女優級だ。
「でもその子すっごい生意気なんだよ。いきなり先輩だから敬えとか言ってきたんだ。どう思う?」
「その子は悪くない」
さいですか。
「暖くんは入ったばかりでしょ。ちょっとぐらい生意気でも言うこと聞かなきゃダメだよ」
今までで一番長い二行に渡る小冬のセリフは俺へのダメ出しだった。なんだか小夏先輩に叱られてるみたいだ。
「そう、なのかな?」
「そうだよ。仕事教えてくれない意地悪な人だったの?」
「いや、めっちゃいい先輩だった。生意気だけど」
「なら悪口言っちゃダメ。小夏先輩も悲しむよ」
「ダウトだ!」
「えっ、急に何⁉」
俺が待っていたと言わんばかりに立ち上がってビシッと指をさすと、小冬は自分を抱くようにして縮こまった。
「俺は小夏先輩だなんて言ってないぞ」
どうだ小冬。どうやら俺の仕掛けた地雷を踏んだようだな。国立大学推薦を勝ち取った俺の頭脳にかかればこんな事朝飯前さ。
「だって……さっき小夏って人の名前出したじゃん」
「その人の話って言ってないよ」
「文脈を読み取ったの。私国語得意だから。暖くんはできないの?」
残念ながら俺は国語が大得意だ。なぜなら小冬が全然喋ってくれなかったからなんとか感情を読み取ろうと必死だったからな。おかげで一番できるようになった。
「その言い訳は苦しいんじゃないの? 言ってごらんよ。自分は小夏ですって」
ほら見ろ。やっちゃったって顔して──
「ぐすんっ……」
あ。それはダメ。
「あんまりおっきな声出さないでよぉ……」
小冬は頭を手で押さえるようにして怯えてしまった。僅かに肩が震えている。
「ご、ごめん! 怖かったね。もうこの話は終わり。おやつでも食べよ?」
「……うん、食べる」
どうやら泣き止んでくれたようだ。小冬が泣く顔は見たくない。自分から話してくれるまで待とう。
俺は机を動かしてお菓子の準備をした。今日はチョコだ。小冬は甘いのが好きだからな。
「やっぱり国語できないじゃん……」
「ん? どうした小冬。しょっぱいのがよかった?」
「なんでもない」
「そ、そう?」
小冬の小さい声は物音がすると聞き取れないのだ。
「他には? どんなのがあるの?」
すっかりいつもの調子で話せる雰囲気になった。チョコをつまみながら小冬が俺に質問してくる。今はファミレスの用語当てクイズをしてるところだ。
「じゃあ次の問題ね。バッシングとはどういう意味でしょう」
昨日覚えた知識をひけらかす。
「んーと。えーと……、クレームのこと?」
「残念。正解はテーブルからお皿を下げることでした」
鳴海さんと店長の会話に出てきて何のことだと思って調べた。
「もう一回。今度は当てる」
「じゃあ次が最後ね」
もう四問ぐらい出したが小冬は一問も正解していない。わざと間違えてるのか? まあ可愛いからいいか。
「アイドルとは何のことでしょう」
「ん~なんだろ。看板娘の子、とか?」
小首を傾げる仕草はまさしく看板娘級だ。
「不正解。ランチとディナーの間とか客数の少ない時間帯をアイドルタイムって言うの」
「う~、またダメだった。暖くんは物知りだね」
「まあね。勉強したから」
「今日もお仕事あるんだっけ?」
「そう、この後六時から」
「あ、じゃあもうそろそろ行く時間だね」
時刻は五時を少し回ったところ。一旦家に帰ったらちょうどいい時間だ。
「ああ、そろそろ帰るよ。小冬も帰る?」
「うん、そうしようかな」
二人で一緒に校門を出る。俺は徒歩、小冬は自転車通学だ。帰る方向も逆のためここでお別れ。
「行ってらっしゃい。頑張ってね」
小冬は薄い笑顔を浮かべて手を振ってくれた。
俺も「じゃあ」と軽く手を上げて返す。
今のセリフできれば毎日言って欲しい。
でもそれはダメなんだよな……。
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