06 白雪小夏は年下の先輩
それから一時間ぐらいはずっと皿を洗っていた。やることは単純で、まずはホールの人が持ってきてくれた皿や鉄板を水に浸けておく。こうすることにより、冷えて固まった米などが落ちやすくなるのだ。大量に食器がある時はチマチマ洗うより時短にもなるし断然楽。あとはスポンジで軽く汚れを落としてから洗浄機にかけるだけ。洗浄機から出したばかりは触れないぐらい熱いから注意が必要だ。洗い終わったら同じものを重ねて置く。
やってみてわかったのは意外とキツイ。体力は男子高校生の平均ぐらいで、マラソン大会では「運動部じゃないのに結構速いじゃん」と言われるぐらいには自信がある。それなのに足と腕は悲鳴を上げていた。でも姫野さんや小夏先輩もこの道を通ったと考えると弱音は吐けない。頑張ろう。
「これもお願いしまーす」
「あ、はい。ありがとうございます」
茶髪ポニーテールの店員──
「頑張ってるね。もう慣れてきた?」
ホールとキッチンで別れてはいるが話す機会は結構ある。鳴海さんは俺が緊張しないよう、運びに来るたび話しかけてくれたのだ。
「おかげさまで雰囲気には慣れました。仕事の方はなんとかって感じですかね」
まだ皿洗いしかやっていないがだいぶ手際はよくなったと思う。
「さすが若いね~。ウチも入ったばかりの頃思い出すな~」
「若いって言っても一つしか違わないじゃないですか」
鳴海さんも俺が通うことになる大学の一年生ということを教えてもらった。キャンパス内で私服姿の鳴海さんに会う日もそう遠くないだろう。楽しみだ。
「瀬川君も大学生になればわかるよ。高校生って眩しいんさー」
「俺からしたら鳴海さんも直視できないくらい眩しいですけどね」
「えーそうなん? 嬉しいこと言うな~。褒めても何もあげないぞ~」
鳴海さんは体をくねくねさせてわかりやすく喜んだ。まだ知り合ったばかりだけどかなり距離が近くなったと思う。バイト最高。
「瀬川君はなんでバイト始めたの?」
「あー、なんか複雑なんですけど、後輩の子が勧めてくれたんですよね」
「もしかして彼女!? どれどれ、お姉さんに聞かせてごらんよ~」
すっごいキラキラした顔するな。
いじられそうだから話題を変えよう。
「違いますよ。鳴海さんはどうしてですか?」
「ウチは他県から来て一人暮らしだから生活費とかかな。最近すぐお金使っちゃって困ってるんさー」
たまに訛ってると思ったらそういうことか。
それにしても『女子大生』、『一人暮らし』って言葉の破壊力が凄い。
ドキドキするのは俺がまだお子ちゃまだからだろうか。
「じゃあ自炊とかするんですか?」
「んー、最近はちょっとサボっちゃってるかな。誰か作ってくれる人がいればいいんだけどねー」
それは誘ってるんですか? なんて聞く度胸は俺には無い。
エプロン姿の鳴海さんを想像しているとピンポンと呼び鈴が鳴った。
「あ、そろそろ戻るね。お仕事頑張ってっ」
その笑顔を見て俺の心臓もドクンと鳴った。大学生恐るべし。
マスクの下でニヤついたまま作業に戻ろうとすると、
「随分楽しそうじゃない」
背中に物凄い殺気を感じた。俺は聞こえないふりをして皿をピカピカにする。
「へー、そんな態度取るんだ」
お、こいつはなかなかしつこい汚れだ。ちょっと本気を出すとしよう。
「おい瀬川」
「はひっ」
スカーフを引っ張られて視界に天井が広がった。
店内ほど手入れが行き届いていない。
「べっ、別に遊んでたわけじゃないですよ。ちゃんと皿も洗い終わってます」
ついツンデレみたいな口調になってしまった。小夏先輩は年下だし、多分小冬で間違いないが、なぜか下手に出てしまう。逆らってはいけないオーラを感じるのだ。
「別に怒りに来たわけじゃないわよ。こっち来なさい」
猫のように首を掴まれたまま小夏先輩に連行された。
行き先は食材が保管されている冷凍庫。冷気で視界がぼやける。
「結構寒いですね」
家庭用の冷凍庫とは違い、体ごとマイナスの世界に入るのは初めての体験だ。
「夏はここで涼む人もいるみたいよ」
「ん? 小夏先輩はいつからここに勤めてるんですか?」
「一か月前よ」
「え、それでそんな先輩面してくるんですか!?」
俺がバイトしようかと小冬に言ったのも一か月前……。考えすぎか?
「文句あるの?」
「いえ、ありません」
逆に言えば一か月でここまで仕事を覚えたということだ。
それは素直に凄いと思う。
「いい? 場所の説明するからちゃんと聞きなさいよ。寒いし一回しか言わないからね」
「は、はい! お願いします」
小夏先輩は少し体が震えていた。こうしてみると可愛らしい。少し厳しいが一生懸命教えてくれるしいい先輩だと思う。
冷凍庫の中にあるものを見て驚いた。焼く前の凍ったハンバーグやピザの生地。それからブロッコリーやポテト、魚介類のアサリやエビなんかも全部冷凍だったのだ。さらにはチョコケーキやお子様用のオムライスまで。中には業務スーパーで見かける袋もあった。
「がっかりした?」
「知らない方が幸せなこともあるんですね」
「チェーン店なんてどこもそんなもんよ」
今度から外食する時は、これも少し前まで凍ってたんだなーと思いながら食べることになりそうだ。
「で、あんたに今からやってもらうのは……。んー、んーぐぐぐ……」
小夏先輩は両手を伸ばして背伸びをしている。
上の段にあるものを取りたいようだ。
「肩車してあげましょうか?」
「は? 閉じ込められたいの?」
「冗談です」
人を凍らせるような冷たい目だった。
「これですか?」
袋に入ったポテトを取る。細くてサクサクしてる定番のやつだ。
「それよ」
小夏先輩はふん、と顔を背けて出て行った。俺も後についていく。
冷凍庫から出ると生き返ったような気分になった。まだ手が若干かじかんでいる。
「じゃあ今からお手本見せるから」
小夏先輩はポテトの袋を破り、作業台に置いた。引き出しから測りと持ち手のないボリ袋を取り出す。ポテトを掴んで袋に詰めるときっちり二百グラムだった。
「これであとは縛って終わり。縛る時は玉結びじゃなくて先っちょ引っ張たら解けるように結ぶこと。はい、やってみて」
小学生でもできることだが見られていると緊張する。
──何とかできた。
「うんオッケー。こういう前準備をプレップって言うの。他にも専門用語あるから何言ってるかわからなかったらちゃんと聞くのよ。わかった?」
「はい、めちゃくちゃわかりやすかったです。小夏先輩って面倒見いいですね」
「当たり前でしょ。先輩なんだから」
そう言って小夏先輩は弾むような足取りで厨房に戻った。
俺は皿が溜まったら洗い、時間が空いたらポテトのプレップをすることにした。
それから30分ほど経って時刻は20時。鳴海さんが下げてくるお皿も数を減らしてきた。今日のホールは店長と鳴海さんの二人で回していたらしい。思った以上にファミレスの仕事は激務だ。それなのに俺に対しても笑顔を絶やさないから凄い。今日は暇な方で、休日は比べ物にならないぞと言われたから俺は内心ビビっている。
「瀬川」
小夏先輩が戻ってきた。呼び捨てにももう慣れっこだ。
「はい、なんでしょう」
「洗ったお皿とか片づけるから持って。それが終わったら今日は上がっていいから」
もうそんな時間か。初めてのバイトは時間があっという間だったな。
「わかりました」
落とさないように持てる分だけ両手で持つ。小夏先輩も俺の半分ぐらいの量を持つと、二人で厨房の方までせっせと運んだ。
「調理してる人の後ろ通る時は『後ろ通ります』とか『失礼します』とか言うのよ」
なるほど。ぶつかったりしたら危ないもんな。
「それから、厨房のことは『前』、食器洗ったり作業する場所を『後ろ』って言うから覚えといて。『前手伝って』とか『後ろ片づけてきて』って言われたらそういうことね」
結構業界用語とか多いんだな。頭の中で復唱してしっかり記憶する。
前に行くと姫野さんが料理を作っていた。慣れた手つきで振るうフライパンの中身はトマトパスタ。見てると腹が減ってくる。
姫野さんは「お願いしまーす」と言って、盛り付けたトマトパスタをデシャップ台(出来上がった料理をホールの人に渡す場所)に置いて伝票をゴミ箱に捨てた。どうやら今のでオーダーが全て終わったらしい。
「二人ともご苦労様です。どうですか瀬川君、初バイトの感想は」
口は動かしながらも休まずフライパンを洗う姫野さん。出来る人だな。
「はい、小夏先輩のおかげで仕事は覚えられそうです。結構楽しくやれてます」
「それはよかったです。ユキちゃんも成長しましたね。少し前までわたくしが教えてましたのに」
小夏先輩は嬉しそうに笑った。
「ところで、瀬川君はユキちゃんのこと先輩って呼んでるんですか?」
フライパンを洗い終わった姫野さんが首を傾げて俺たちを不思議そうに見る。
俺はなんて言うべきか迷い、小夏先輩をチラッと見た。
「私は呼び捨てでいいって言ったんですけど、瀬川先輩がどうしても小夏先輩って呼びたいみたいなんです」
この子はホントに何を言ってるんだろう。口調も仕草も年下の後輩って感じで守ってくださいオーラが全開だ。
「ですよね先輩?」
「……」
猫を被った小夏先輩は子猫みたいな目で俺を見てくる。
「ね?」
「はい、そうです」
「まあ、瀬川君ってとっても礼儀正しい方なんですね。それならわたくしも安心です。二人とも高校生同士これからも仲よくしてくださいね」
二人の笑顔に押し負けて俺は反論することをやめた。
小夏先輩と姫野さんに片づける場所を教えてもらい、俺だけ一足先に上がらせてもらうことになった。
タイムカードを切って着替える。
シフト表を確認すると俺の名前の上に『白雪小夏』とハッキリ書いてあった。
「本名なのかよ」
俺は独り呟いてシフト表の写メを取った。全員に「お先に失礼します」と声をかけて帰宅する。夕飯を食べてる時も風呂に入ってる時もベッドに入ってる時も小夏先輩のことで頭がいっぱいだった。
明日問い詰めてやろう。そう決心して深い眠りにつく。
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