05 年下の先輩は後輩?
一旦家に帰って、準備をしてからバイト先に行くとちょうど15分前だった。
初出勤ならこれぐらい余裕を持った方がいいだろう。
ピーンポーン、ピーンポーン。
入店を知らせるチャイムは昨日と違った緊張感がある。
「いらっしゃ──瀬川君! おはよう!」
笑顔で迎えてくれたのは昨日の店員さん。明るくて元気いっぱいな人だ。
「こんばんは。今日からよろしくお願いします」
「うん、よろしく。裏に店長いるから行っておいで。あ、それと挨拶は時間関係なく『おはよう』ってことになってるから」
「わかりました。ありがとうございます」
「もっと気抜いていいからね~」
俺は軽く会釈してスタッフオンリーの扉を開く。ゆっくり見渡す余裕はないが見るもの全てが新鮮だった。休憩室と書かれた部屋があったため入ってみる。
「お、来たね」
そこにいたのは店長。
他の従業員とは違い白いシャツにネクタイを締めた格好で、店長の印なのか黒いベストを着用している。下はスカートではなく黒の長ズボンだ。
「おはようございます」
「おはよ。じゃあ早速これに着替えて。サイズ合わなかったら交換するから」
店長は夜ご飯の最中だったらしく、ハンバーグを水で流し込むと俺にユニフォームを渡してくれた。休憩室の奥にある更衣室で着替えを済ませる。
「お、似合ってるじゃん。社畜って感じするよ」
「その言い方はやめてください」
キッチンのユニフォームは足と腕が隠れる上下白のデザインで、高さのある帽子を被る格好。コックさんと聞いたら真っ先に思い浮かぶデザインだ。首には赤いスカーフを巻く。
「はいこれ、タイムカード。そこ通して」
言われた通り機械に通すと現在の時刻と俺の名前が表示された。
「それでオッケー。あと出勤してやることは体調の記入だけ。ほい、熱測って」
手にかざすタイプの体温計。測定するといたって平熱だった。
飲食店だからこういうことは徹底しているらしい。
「じゃあ次こっち来て」
「あ、はい」
俺は借りてきた猫みたいに大人しく指示に従った。休憩室を出て手洗い消毒を済ませると、ほこりを取るローラーで体をコロコロして衛生面はバッチリ。最後にマスクをしてゴム手袋も嵌める。
「よし、これで働く準備はできた。今度からはここまで一人でやっておくように」
「わかりました!」
ビシッと敬礼。丁寧に教えてくれたからすんなり覚えることができた。
「じゃあ後のことは学生同士に任せよう。おーい姫野」
店長が呼ぶと厨房から俺と同じキッチンのユニフォームを着た女性が顔を出した。
昨日見た人とは違う人だ。
「はーい。どうかなさいましたか?」
「こいつ今日入った新人。ユキと二人ですぐ使えるように育てといて。じゃ」
それだけ残して店長は残りの夜ご飯を食べに戻った。
顔が隠れているとはいえ女性と二人は緊張するな。
「えっと、初めまして。瀬川暖です」
「初めまして、姫野です。よろしくお願いいたします」
姫野さんは丁寧にお辞儀するとマスク越しでもわかる優しい笑顔を浮かべた。
マスクを外して帽子もとったら美女に違いない。
スカーフの色はピンク。人によって違うらしい。
「高校生ですか?」
「あっ、はいそうです。春から〇◇大学に通うことになったのでそれまでお金貯めようかなって」
「まあ、それは偉いですね。わたくしも同じ大学の二年生ですよ。わからないことがあったら遠慮なく聞いてくださいね」
やっていけるか不安だったけどそんな心配は一気に吹き飛んだ。姫野さんは上品なお嬢様みたいな印象で、なんというか女性の部分が大きい。服のサイズがあってるのか心配になるぐらいだ。さっきから目のやり場にも困っている。大学生マジ半端ねえわ。
「ではユキちゃんも呼んできますね。少々お待ちください」
姫野さんは俺をお客様のように扱うと厨房に消え、ほどなくして一人の女の子を連れて戻ってきた。スカーフの色は水色。
「こちらの可愛い子がユキちゃんです。高校二年生ですよ。若いですね」
姫野さんの紹介に少女はこくりと頷いた。
あれ……?
「で、こっちが新人の瀬川くんです。二人とも仲良くしてくださいね」
俺も紹介されたらしいが姫野さんの声は入ってこなかった。
このユキちゃんという少女に目が奪われる。
「わたくしはお料理作ってるのでユキちゃんに教えてもらってください。まずはお皿洗いとかになりますが頑張ってくださいね」
そう言って姫野さんは厨房に戻ってしまった。
俺とユキちゃんが取り残される。
「……」
「……」
お互いに黙っているとユキちゃんがこっちに来いと手招きした。俺も黙ったままとりあえず後を追うことにする。
連れてこられたのは流し場。食器や鉄板が大量に置かれていて、今からこれを洗うのだろう。つまりこれが俺の初仕事になるわけだ。「結構大変そうだなー」とか「よし頑張ろう」なんて気持ちはみじんも湧いてこない。というか頭にない。今はそんなことどうだっていいのだ。それよりもっと気になることがあるから。
「あのさ、どういうこと?」
俺は目の前の少女にそう尋ねた。
「……」
返事が無い。目が合ってるのに無視られた。
「黙ってちゃわかんないでしょ?」
「……」
「何とか言ってくれよ」
「……」
別に相手が年下だから舐められないように威圧してるわけではない。
俺は初対面の相手にこんな馴れ馴れしくできるタイプでもない。
「えーっと、もしかして学校でのこと怒って──」
「おい」
少女はようやく口を開いた。たった二文字、怒気を込めて。
「お、おい?」
想定した声や反応とは真逆。思わず聞き返す。
「おい瀬川」
呼び捨てにされた。
聞き間違いでもないようだ。
「な、なんだよ」
「なんだよはこっちのセリフよ。その態度は何?」
好戦的な態度の少女は腕を組んで舌打ちまでしてきた。しかし残念ながら、この子を生意気な小娘では済ませられない。俺の頭はさっきから疑問符でパンクしそうだ。
「いや、全部俺のセリフなんだけど? そっちこそどうしちゃったんだよ。そろそろちゃんと説明──」
俺の声が詰まる。なぜなら、
「私は先輩よ。敬いなさい」
目の前の少女が俺のスカーフを掴んで引き寄せてきた。
苦しくはないけどその行動に気圧されてしまう。
その態度に俺も少し心配になってきた。真実を確かめよう。
「えっと……小冬、だよね? ここで働いてたの?」
小冬。目の前にいる少女はどう見たって俺の後輩、白雪小冬で間違いない。
目元のほくろの位置も同じだし、何より名札に『白雪』って書いてある。声は若干今の方が低いけどほぼ同じ。違うのは性格だけ。
「は? 誰よそれ。ていうか私、せ・ん・ぱ・いなんだけど。先輩にそんな口の利き方でいいわけ? 社会舐めてんの?」
どう見ても小冬なのに本人がそれを否定する。目元しか出てないけど何回俺がその目を見たと思ってる。間違えるはずがない。
「え、本当に小冬じゃないの?」
「そうだって言ってるでしょ」
「でも白雪って……」
「そんなのたくさんいるでしょ」
めんどくさそうに睨まれる。
「いやいねえよ。それに目だって同じだ」
「見ないでくれる? キモいんだけど」
今度は残飯を見るような目で軽蔑された。俺の知ってる小冬はこんな子じゃない。
もしかして本当に小冬じゃないのか? いやでも……。
「ちょっとマスク取ってみてよ。出来れば帽子も」
「うわ、セクハラ? 訴えられたいの?」
「ご、ごめん。じゃあ……下の名前は?」
「
「……」
「何よ」
「いやいや、それは嘘下手すぎでしょ。え、どうしたの小冬。悩みがあるなら俺が聞くから話してごらん」
「だから! 小冬なんて知らないって言ってるでしょ!!」
「えぇ……」
どうしても認めてくれないらしい。
絶対小冬なのに。
「てか敬語使いなさいよ」
「え、なんで。もうよくない?」
「使えって言ってんでしょ。ここでは私が先輩なのよ。小夏先輩って呼びなさい」
掴んだスカーフをぐいぐい引っ張ってくる。
もうどうにでもなれ。
「わ、わかりました小夏先輩。生意気言ってごめんなさい」
「うん。わかればいいのよ」
満足したのか、俺を解放するとニヤリと笑ってマスクが少しずれた。
事態を飲み込めず呆然と立ちすくす俺を尻目に、年下の先輩は包丁を手に取った。
すると切れ味を良くするために研ぎ始める。怖い。
「何よ、ジロジロ見て」
「あの、俺は何をすればいいんですか?」
小夏先輩は「はぁ……」とため息をついて包丁を置いた。
「何でも教えてもらえると思ったら大間違いよ。少しは自分で考えてみたら?」
「厳しいっすね」
「それが働くって事よ」
高校生のセリフとは思えないな。
小冬の時と違ってめんどくさい子だ。
「ま、どうしてもって言うなら教えてあげてもいいけど」
「お願いします。教えてください」
「しょうがないわね。じゃあこのスポンジ使ってお皿洗って。で、洗ったらこうね。そしたら……」
頼んだらすんなり教えてくれた。
先輩ごっこがしたいんだろうか。何を考えてるのかわからないな。
「ユキちゃーん! オーダーお願いしまーす!」
厨房の方から姫野さんの声が聞こえてきた。
時刻は18時30分。そろそろディナーのピークだ。
「はーい! 今行きまーす!」
小夏先輩は可愛らしい声で返事をした。
小冬にマイクで喋らせたらこんな感じの声になるだろう。
どうやら俺にだけこんな態度をとるみたいだ。全く意味が分からない。
「あんたはひたすらお皿洗ってなさい。いい? サボったら怒るからね」
「わかってます」
小夏先輩は厨房にてけてけ駆けて行った。俺は言われた通り皿洗いに励む。
小冬と小夏先輩については謎だがこのまま様子を見ることにしよう。
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