09 友達の話

 洗った皿がある程度溜まってきたため、片づけることにした。もうどこにどの皿があるかは大体把握しているため迷うことはない。前に持っていくと、小夏先輩が料理を作っていた。一人で任されるぐらい店長からも仕事を認められているのだろう。


「瀬川」

「は、はい」


 何かやらかしたかな? 怒られたら小田切さんのせいにしよう。


「あんたも作ってみる?」


 小首を傾げながらの優しい物言いだった。機嫌は悪くなさそうだ。


「作るって、料理ですか? ぜひやってみたいです!」

「ん、じゃあ手洗って」


 手袋の上から石鹸で手を洗う。手は濡れないのに冷たくて気持ちいい。


「最初は簡単なサラダからね」


 伝票には『普通サラ小』と記されていた。

 客がタブレットで注文したら伝票が流れてくるという仕組みだ。また、客に渡す伝票とキッチンで確認する伝票は分かれていて、キッチンの方は略称で記されるらしい。これを見ながらオーダーを作っていくようだ。


「サラダのお皿は冷えたの使うから冷蔵庫から出して。小さい方ね」


 厨房にも小さな冷蔵庫があって、中には皿の他にピザの生地やライスの代わりに選べるパンが入っていた。


「当然盛り付ける量が決まってるんだけど、毎回測ってたら時間かかってしょうがないでしょ?」

「ですね」

「だからお椀一杯とかって決まってるの。『小』だったら一杯、『大』って書いてあったら二杯ね。忙しいと見間違いやすいから気を付けて。サラダはそこのドロアーに入ってるから。あ、ドロアーってのは引き出しのことね」


 小夏先輩から味噌汁のお椀を受け取る。引き出しを開けたらカットされた状態のレタスがあり、お椀に盛ってお皿に移す。食器以外にもこんな使い道があるのか。


「そしたらドレッシングをレードル一杯かけて。これも『大』だったら二杯ね」


 レードル……レードル。あ、この小さいお玉みたいなやつか。


「あとはトマト乗せるだけで完成。うん、いい感じじゃない」

「これで終わりですか? すげえ簡単ですね」


 次からは十秒もかからず作れそうだ。お手軽すぎて料理と呼べるのかも微妙。

 教えてくれる時の小夏先輩は優しすぎて逆に不安になるな。


「まあ一番簡単なやつだしね。今はそれ作るだけだからそう感じるかもだけど他にもオーダー入ってると結構面倒なのよ」

「あー確かに。メニューめっちゃ多いですもんね」


 壁には各料理のマニュアルが貼ってある。ハンバーグにパスタにピザにオムライス。サイドメニューも充実のラインナップだ。


「人手が多い時はいいんだけど、一人だとパスタやりながらハンバーグ焼いてサラダも作ってってすっごく忙しいのよ。お客さんはこっちの事情なんて知らないから遅いと怒られちゃうしね。直接言われるのはホールの人だからお客さんにもホールの人にも申し訳ない気分になる。それで急ごうと思うと焦って失敗しちゃう」


 実際の経験を思い出しているのかいつもより声が弱々しい。

 それはまるで……。


「それでも今日までやってこれたのはこの場所が好きだから。こんな私でもここに置いてくれたから」


 それは小夏先輩ではなく、小冬としての本音なのだろうか。


「それってどういう──」


 聞こうと思って、やめた。二人しかいない教室と同じ雰囲気に包まれる。

 小夏先輩も黙ったままで、俺が言葉を探していると、


「おはようございます」


 姫野さんが出勤した。俺と小夏先輩も挨拶していつもの雰囲気に戻る。


「あら、ユキちゃん瀬川君にお料理教えてたんですか?」

「そうなんです。瀬川先輩覚えるの速いからもういいかなって」


 小夏先輩もいつもの小夏先輩に戻った。他の人に見せる顔ではあるが。


「わたくしもいいと思います。期待していますよ瀬川君」

「ありがとうございます」


 姫野さんが天使のようににっこり微笑んでくれた。俺も笑顔で返す。


「オーダーは姫野さんに任せてもいいですか? 私は瀬川先輩に解凍の仕方とか教えてきます、ね」


 いでっ。なぜか小夏先輩が見えないように背中をつねってきた。

 え、なんで?


「了解ですわ。瀬川君、ユキちゃんの言うことちゃんと聞いてくださいね」

「も、もちろんです」


 口では姫野さんに答えながらやめてくださいと小夏先輩に訴える。


「じゃあ行きましょう、瀬川先輩っ」


 俺は犬の散歩でもされてるみたいにスカーフを掴まれた。

 姫野さんは「仲良しでいいですね」と笑っていた。





「もう離してくれませんか」


 冷凍庫に入ったのに離さないどころか強くなった。


「あんたが犯罪者みたいな目で姫野さんを見るからでしょ。気持ち悪い」

「え、そんな顔してましたか?」

「マスクの上からでもわかるくらいね」


 そう言う小夏先輩はマスクの上からでも機嫌が悪いのがわかる。


「男の人ってやっぱりああいう女性らしい人がいいわけ?」


 スカーフから手を放して腕組をした。

 なんだか見下されてるみたいで新たな性癖に目覚めそうになる。


「女性らしいってなんですか?」


 俺はあえて聞いた。


「それは、その……っぱい、……とかよ」

「え? 何て言いましたか?」

「うっさい! 死ね変態!」

「顔赤くなってますよ?」

「熱いからよ。文句ある?」

「俺は寒いですけどねー」


 なんせマイナス20度の世界だからな。恥ずかしがってる先輩は可愛らしい。


「い、いいから仕事するわよ。ほら、これ持って……。何よそのにやけ面は。もしかして私で変なこと考えてるわけ? 閉じ込めるわよ!」


 小夏先輩は子どもっぽくて可愛らしい胸を手で隠した。


「俺は大きさで人の価値は決まらないと思ってますよ」

「ふんっ、口だけなら何とでも言えるのよ。ていうかそういうのセクハラだから」

「俺は『どこが』とか言ってないですけどねー」


 小夏先輩が取ろうとしてた袋を上の棚から取る。


「ホントむかつくわね。後輩のくせに」

「はいはいごめんなさい。仕事しますよ先輩」


 少しからかいすぎたが小夏先輩との距離はグッと縮まったと思う。

 楽しい気持ち半分、悲しくもある。


「ねえ瀬川」


 小夏先輩は冷凍庫から出ずに立ち止まった。

 俺の方には振り向かず、その小さな背中を見たまま会話を続ける。


「どうしました?」

「あんたって好きな人いるの?」

「へ?」


 思わず上ずった声が出た。こういう話は小冬にもされたことがない。

 いや、もしかしたら小夏先輩としてだから聞いてくるのかもしれない。

 ややこしいな。


「か、勘違いしないでよ。別に私があんたのこと好きなわけじゃないから。私の……と、友達が先輩のこと好きみたいなの。だから年上の意見を聞きたいと思っただけ。あんたは私の後輩だけど一応先輩だからね。ほ、本当にそれだけだから!」


 聞いてもない理由をべらべらと喋ってくれた。

 俺は今から聞かれる問いに慎重に答える必要がある。

 だって俺と小冬の話だから。


「で、どうなの? 好きな人いるの?」

「好きな人はいないです」


 とりあえずはぐらかしておく。


「そうなんだ……。じゃあさ、年下ってどう思う? やっぱり子どもみたいで恋愛対象にはならない? あ、あくまで参考にだからね」


 参考に、か。いい言い訳だ。俺もそれに乗っかろう。


「なるかならないかで言うならなりますよ。でも好きになっちゃいけない恋愛とかもあると思います。多分ですけどその先輩は今の関係を続けたいんじゃないですか?」

「そ、そうなの……? でもでも、多分その先輩も好きな気持ちはあるんだよね? だったら押せばいけるかもしれない? 可能性はある?」

「これ以上はノーコメントで。責任は持てませんから」

「そ、そうだよね。ごめん変なこと聞いて。参考になった」


 俺はずるい奴だな。傷つけることを恐れて遠回しに否定することしかできない。

 そろそろちゃんと自分の気持ちに向き合ってどうするか考えないとな……。


「寒いから出るわよ。仕事しよ」

「あ、はいそうですね。仕事しましょう」


 特に気まずい雰囲気になることもなく仕事を再開した。




 作業台の上に今から解凍するものを置いた。いろいろある。


「解凍するのは食材の期限内に使い切れる分だけね。このホテルパンっていう容器に入れて賞味期限のシールを貼ったら出来上がり」


 ホテルパンはステンレス素材で、底が深い銀色のトレーみたいなやつだ。


「まずはブロッコリーからやっちゃうわよ。これはざるに移して流水で溶かすだけ」


 袋をハサミで切って一袋全部ざるに移し、蛇口をひねる。


「当然だけどたくさん使うやつはたくさん解凍しとくの」


 ブロッコリーはハンバーグの付け合わせやサラダにも入るのだ。


「こっちのエビとかイカはパスタにしか使わないから少し解凍しておけばオッケー」


 十個ずつぐらい凍ったままホテルパンに入れておく。冷蔵庫に入れておけば勝手に溶けて翌朝には溶けているらしい。次の日の分は前の日に解凍しておくってわけだ。


「今日やっておかないといけないのはこれぐらいね。他のも似たようなもんだから心配しなくていいわ。できそう?」

「はい、大体わかりました。小夏先輩のおかげです」

「そ、そんな褒めなくてもいいわよ」


 小夏先輩は俺から顔を背けるようにしてわかりやすく照れた。

 素直で正直な人だ。


「シール貼るからついてきなさい」


 伏し目になった小夏先輩の後についていく。歩幅が小さくてちょこちょこ歩くのが可愛らしい。音の鳴る靴を履かせたら子どもみたいで可愛いだろう。


 連れてこられたのは厨房とはまた別の場所。客のいるフロアとキッチンの間にある細い道のような空間だ。カウンター席の裏側という表現が近いかもしれない。ここからだと客の様子がよく見える。ちなみにデザートはこの場所でホールの人が作るらしい。


「この機械使うのよ」


 炊飯器ぐらいの大きさのラベルプリンター。画面には食材の名前が羅列してある。

 ブロッコリー、エビ、イカの欄をタッチするとシールが出てきて食材名と使用期限がプリントされていた。


「よし、これ貼ってお終い。私は姫野さん手伝ってくるからあんたは後ろで皿洗ってなさい。サボったら怒るからね」


 ビシッと指を向けてくる小夏先輩。怒られるのも悪くない、と思ってしまうのは仕方のないことだ。


「わかってますって。任せてください」


 俺も親指を立てて答えると自分の持ち場に戻ることにした。

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