第19話 いつか必ずやってくる

(あれから、どれだけの時間が経っただろう……?)

 ヴィータは床にしていた。陽の光の届かぬ地下、宙ぶらりんの灯りと、黒の主アビスに見下ろされている。息はか細く、ふるえ、体はロクに動きもしない。

 グラスからの襲撃を受けて、間もなくしてこうなった。


 最初は徐々に、体がだるく、せきをし始め、微熱が出た。そこからはすぐだった。熱はすぐに40度を超え、肺は激痛にむしばまれ、遂には体を動かす気力すら無くなった。


「アビス、これは、何?体中が、痛い……。息をするのも、辛いの。なんなの……これ?」

 苦しそうにき込むヴィータにも、アビスは淡々と答えた。

「風邪だよ」

「かぜって……あの風邪?」


「ウイルスは分かるかい?」

「ええ……。風邪の原因になるやつでしょう」

「そう、それだ。ウイルスってやつは不思議なもので、生物学的には生物であって、生物ではない」


 心底どうでも良い。最初、ヴィータはそう思った。

「……どういう、意味?」

 それでも聞き返したのは、アビスが何か伝えようとしていると感じたからだ。このような状況になってでも。いや、このような状況になったからなのか。


「化学的には、タンパク質でしかない」

「タンパク質?」

「そう。その辺をただよっているウイルスは、タンパク質の粒であって、生物ではない。つまり、君の能力では感知も出来ず、生きていないので殺すこともできない」


「それは……良い、ニュースなのかしら?」

「殺す心配が無いからかい?ではこれから話す事は、悪いニュースになるのかな」

 うつろだった瞳が、無言でアビスへ向いた。


「ウイルスは体内に入ると細胞の中にまで侵入し、細胞を乗っ取ってしまう。これを感染と言う。感染すると、ウイルスは生物として活動を始める」

「……だから、生物であって、生物でない?」

「そうだ。そして残念な事に、君は感染した細胞と、正常な細胞を判別出来ない。君の能力は、君の細胞に必要なエネルギーを与えてしまう。感染した細胞にもだ。加えて、君の体に本来備わっている免疫細胞も、その対象に含まれる」


「……つまり?」

「今、君の体の中では、超強化されたウイルス感染細胞と、超強化された免疫細胞が、際限の無い大戦争を繰り広げている。周囲の細胞も傷つけながらね。君の能力はこれを加速は出来ても、止められはしない」

「私の、能力が……原因なら、能力を、止めれば、良いんじゃないの?」


「その場合、衰弱すいじゃくしきった君の体は、そのまま死んでしまうだろうねえ」

「……そう」

さらに君の体では、サイトカインストームが起こっている。つまり細胞達のSOS信号が多すぎて、免疫機能が暴走している状態だ。サイトカインは化学物質なので、君の能力では止まらない」


「よく分からないけど……。私には、どうしようも、ないってこと?」

「そうなるね」

「……あなたの力なら?」

「確かに、私は分子を分解出来る。ウイルスだろうが、サイトカインだろうが、細胞だろうとね」

「なら……わたしは助かるの……?」

「無理だ。片っ端から無差別に分解するのなら可能だ。だが常に不規則に動き回る幾億いくおくの特定の物質だけをピンポイントに狙えるだけの技術を、私は持っていない」


「そう……。なんでかな……。聞く前から、ダメなんだろうなって……。そんな気がしてた」

 ヴィータはぼーっと天井を見上げていた。

 絶え間ない苦痛の中で、必死に考え、思考を巡らせた。


「最近、夢を見るの……」

 なぜか出てきた言葉が、それであった。

「私よりもやつれていて、苦しそうなその人は、わたしに向かってこう言うの。『生きて、私達の分まで。お願い――』そう言って、握っていた指の力が無くなって、事切れたのが分かった。あれは……姉さん?」

「……その体の記憶だろうねえ。他に何か思い出したかい?」


「……わたしは、生きたいって思ったの。ただ生きたいって……。姉さんも、父さんも、母さんも……生きていて欲しかった。ふと横を見ると、ベッドがいっぱい並んでいて、ああ、みんな死ぬんだって思ったの……。悪夢よね。できるなら、それが可能なら、もう、誰にも、死んで欲しくなんかない。そう思ったの――」

 ふと、少女の瞳から、涙がこぼれた。


「わたしは……死ぬの?」

「君の能力も、私の能力も、今の君を救えるものではない。少なくとも私はその方法を知らない」

 青年アビスは少女の脈を測りながら、淡々と返した。

「そう……」

 少し間を置いて、しかし答えは分かっていたかのように、少女は呟く。

「アビス、私、ワガママだったよね……。ごめんね、分かってる。全部、わたしのせいだよね。でも……」

 少女は絞り出すように、息も絶え絶えに、か細く願った。

「わたし、生きたい……」


 アビスは優しく微笑んだ。

「『生きたい』か――」

(すまない、ヴィータ。いつかはこうなると、君の能力を特定した時から予想していた。君の能力は破綻はたんしている。でも君がそうしたように、私も君が生きられる可能性を探したかった。結局、それは叶わなかったが……)


「生命は死を避けられない。それはいつか必ずやってくる」

「そう……ね……」

「だから、死の先の話をしよう」

「死の……先……?」


 アビスはいつものようににんまりと笑っていた。

「機械の身体に、興味はあるかい?」

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