第17話 ガラスの刺客

 空気はひんやりと冷たかった。

 地下であって、照明が付いていないにも関わらず、なぜか物を識別できる程度の明るさがある。


 階段を下りながら、多くのガラクタや骨董品こっとうひんの中にまぎれて、お目当ての相手はベッドに横たわっていた。

 背格好から若い女性であろう事は容易に判別できる。何より重要なのは、幸運にも背を向けていることだ。


(あれがターゲットか)

 少年は静かに歩み寄り、腰に差していた透明なナイフを取り出す。ガラス製のおおぶりなナイフである。

 

「アビス……?なに?用はもういいの?」

 少女の声はか細く、息も絶え絶えで、朦朧もうろうとしているのか、こちらを見ようともしない。


せている……病的なくらい。病気?それとも何かの実験?だが、ターゲットと特徴は一致している)


 少年はベッドにまで歩み寄ると、静かにナイフを逆手に持ち替える。もう片手を柄の底に押し当て、それは明らかな殺意であった。


「アビ……ス?」


 少年は速やかにナイフを振り下ろした。

 今にも死んでしまいそうな、彼女の首筋をめがけて、何の躊躇ためらいもなく、その瞳は冷たくんでいた。


 だが、その攻撃は空を切ることになる。

(勘付かれた?いや、それよりも――)


 咄嗟とっさに少年は、腰に据えていた小型のナイフを3本、指に挟み、投擲した。さっきまで手にしていたナイフと違い、両刃で小さい。いわゆる、投げナイフというヤツだ。そしてこれもガラス製である。

 それも透明度を保つために、極力シンプルに凹凸無く、細工もない。薄暗い部屋の中では、視認するのも難しい。


 しかし、それでも避けた。完全には避けきれず、左肩と右脇腹に血をにじませながら、彼女は避けた。


(おいおいおいおい、なんだよそれ!?そんな細い体で、今もふらついて立ってるのがやっとの体で、なんでそこまで動けるんだよ?!)


 攻撃を避けられたショックよりも、彼の注意を引いたのは、彼女の身体能力であった。


(今の身のこなし……。クソっ。運動能力だけで見れば精霊の中でも上位に喰い込むんじゃないか?身体能力向上系の魔法?でも――)


 少年は再び2本のナイフを懐から取り出した。

 少女はただ身構えて、ただただ身構えている。混乱しているのか、何をしたらよいのかも分からないのだろう。


(戦闘経験……特に、対精霊戦闘を知らないな。だが、油断する訳にはいかない。話によれば、あれに直接触れた人間が気を失ったという。能力が発現した精霊……。直接触れるのが発動条件であるなら、距離は取るべき。幸い、向こうから寄って来る気配はない)


 少年が放ったナイフは、空間に溶け込み、薄闇と同化した。

 それでも、少女ははっきりとそれを目で追っていた。


(なぜ見えている?1度目の投擲を避けた時点で、ある程度分かっていたが。だがここから――)


 少女が避けたと思ったその刹那せつな、投げられたナイフは、まるで何かに跳ね返ったかのように軌道を変え、1つは彼女の正面に、もう1つは数度の跳ね返りの末、背面から襲いかかる。


 少女は咄嗟とっさに、そして無意識に、近くにあった銅製のすり鉢を手に取っていた。

 そしてそれを思い切り振り回す。最初に後ろ、即座に前の、ガラスのナイフを叩き落した。


 粉々に砕け散ったガラスと音が、彼女の腕力を物語っている。それが床に散っていく中、少年は驚きの表情を隠せない。

(突然の軌道変更への反応速度。それに、死角からの攻撃への対応……。第六感で見ているな)


「……予想以上だ」

 少年は素直にそう言った。


 だが、こうも思っていた。

(コイツが世に放たれたら、タイマンで止めれる奴は少ないだろう。やはりコイツは危険だ。始末するなら、今しかない)


「あなたは誰?なぜ、こんなことをするの!?」

 少女の甲高かんだかい声に、少年の表情はくもった。

「『誰』は分かる。だが、『なぜ』という言葉がなぜ出てくるんだ?明らかにお前は、災害級の精霊だろうが」


「災害級?」

「知らないか?いや、生まれたばかりだったな。台風、地震、疫病、そういうのと一緒だ。生まれては何も分からず、周りを傷つけ消えていくだけの存在。それがお前だ。それともアビスって奴の実験で生まれた、あるいは利用されている精霊なのか?」

「違う!わたしはただ、ただ自分の能力を何とかしたく、て――」


 彼女の言葉を止めたのは、痛みだった。背中を中心とした、無数の痛み。


「悪いけど、言い訳を聞く気はない。時間もない。これは仕事だから」


 少女は何をされたのか理解出来なかった。

 倒れ込み、血を吐き、少年を睨むことしか出来なかった。


(割れてもガラスはガラス。無数に飛び散ったガラスによる一斉攻撃。床に散らばったガラスの1つ1つに残った小さな魔力までは感知出来なかったか?それとも会話で注意がれただけか……)

 少年は冷静に、少女のダメージを確認する。


(体内に入ったガラスが、内蔵をぐちゃぐちゃに出来るくらいの魔力は残っていたはずだが……。ほとんどのガラスが皮膚からあまり進んでいない。これもこいつの能力?クソッ。だが、いくつかは肺に到達したな)


 少年は耳をすませる。

 (さっきまで荒々しかった呼吸音が聞こえない。肺の出血がひどくて、呼吸が出来なくなってる。もって2~3分か。即死させられなかったのは残念だけど、仕事は終わりだ)


 少年は彼女を背に、歩き出す。軽い足取りで。

(多少手こずりはしたが、上々だ。時間もほとんど――)


 音がした。自分が済んだと思った方向から。

(あり得ない!)

 少年は振り返る。


 そこには未だ地に伏したままながらも、いつくばる少女の姿があった。床を血で染め上げながら。

「嘘だ……。指先を動かす力すら残っていないはず……。コイツは一体……」

 少年が茫然ぼうぜんと彼女を見ていた。経験上、信じられない光景だった。


「確かに、能力の特定は出来なかったが……」

 少年は、慎重に少女へ歩を進める。


(この感じ……。さっきは感じなかったが、魔力を吸われている?)

 ガラスのナイフを1本取り出し、それを彼女に向けて下手で投げる。

 ナイフは空中でとどまる。しかしそれも一瞬の事。すぐにナイフは地に落ちる。


(間違いないな。ナイフに込めた魔力が吸われている。それも、とんでもない早さで――。直接触れるだけでなく、周囲にいるだけで効果がある。そう言えば、直接触れた者は失神したんだったな。ならば、直接触れた場合は、効果が跳ね上がると考えた方が良いな)


 少年は後ずさりながら、距離を取る。彼女の能力の範囲外に。

「しかし、この異常な生命力は一体……」


 少年のつぶやきに、嬉々たる声がやってくる。

「それは彼女が生命ヴィータだからさ」


 その存在に、少年は凍り付き、死すら悟った。

(ああ、チクショウ!本当にクソッたれだッ!!)

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