第14話 記憶
時を少し
「良かったのかね?私の方に来て」
「ええ、いくつか聞きたい事もあったので」
「ほう?」
「その前に……あれはなんですか?」
「あれ?」
「あのカラス達ですよ」
彼女の視線の先には、空を
見事バケツに
「ああ、あれか――。始まりはカラスの悪ふざけだったねえ。バケツを置きっぱなしにした人間が居た。カラスは
「わざとバケツを?なぜ?」
「単純な好奇心だったと思うよ。特にこの町のカラスは頭が良いしねえ。そしてカラスはまた
「……理解し
「なら君とは全く価値観の違う生き物がいるという事実だけ理解したまえ」
「私にとっては、あなたもその1人なのですよ」
「それで?」
「少し質問をしても?」
「ああ、いいとも」
「科学者を集めているのはなぜですか?あまり良い噂は聞きませんよ」
「実を見ない者が、虚を広めても何とも思わないねえ。それと、科学の発展は私1人だけでは到底無理な話さ。人間は良い。私には無い考えを持っている。無い発想をする。それに実験の人手はまだまだ足りていないからねえ」
「では、ヴィータは何なのです?今度は精霊まで集めるのですか?何か企んでいると言われても、仕方ないと思いますが」
「彼女は患者だよ。実は直近で体重が落ちてきていてねえ。あまり良い傾向ではないねえ」
「話を逸らしたいのですか?そんな大切な患者を、アルマ様と2人きりにして良かったのですか?」
「アルマの能力は、潜在的なモノを引き出せはしても、根幹を変えることは出来ないらしい。だから最終的に得られる結果は変わらない。ああ、説明するまでもなかったかな。君もアルマに触れられたのだろう?」
「……それが何か?」
「私も君に聞きたいことがあるんだけどねえ」
「なんですか?」
「メモリ、
「名前から能力を推察して、
「この手の繊細な能力はアルマ同様、直接触れないと発動できないタイプと見ているのだがどうだろう?」
メモリは舌打ちをしてアビスを睨む。
「本当にあなたはデリカシーに欠けます」
「読み取り専用かね?それとも上書きは出来るのかい?例えば、アルマをここへ来るように仕向けたりとか」
「出来ませんよ。証明のしようがありませんけどね」
「そうか」
アビスはニヤけた顔と共に手を差し出した。
「何のつもりです?」
「見たいんじゃあないかと思ってねえ」
「本当は上書き出来るのかもしれませんよ。リスクは考えないのですか?」
「その時はその時さ。で、どうなんだい?」
メモリはアビスの手を見つめた。
吸い込まれるような黒いローブから覗かせる、透き通るような白い肌が、怪しく欲望を誘っている。
メモリの姿勢が
「でも、なぜ見たいんだい?」
その笑みと言葉に、メモリはまた舌打ちをした。
「あなた、結構スケベですよね」
「否定はしないさ。記憶は見せてもいい。でも、君の意思を確認したいんだ。偶然見えてしまったとか、なんとなく見てみたいとか、そんな
「……」
メモリは
「私は、弱い精霊です。あなたの記憶を見たところで、私に出来る事なんてありません。それでも知りたいのです。魔王と呼ばれる存在と、他の精霊では何が違うのか。誰もがその答えを知りたがっている。私が知りたいのは、ただ単純にそれだけです」
「それは素晴らしい。知りたいというのは私も同じ気持ちさ。だから是非教えてくれたまえ。答えが見つかったならねえ」
メモリはアビスの手に、手を伸ばした。
映り込んだのは、
『それは素晴らしい。知りたいというのは私も同じ気持ちさ――』
(ああ、私もそれは知りたいさ。魔王は特別なのか、科学的には実証されていない。あるのは魔王制が生まれて1万年という月日の間、魔王はメンバーが1人も変わっていないという事実だけ)
メモリの頭に流れてくるのは、アビスの主観となる記憶。当然、アビスの頭の中の考えも伝わってくる。
「これは今さっきの記憶か……。本音でしゃべってったって言うの?さっきの会話全て……。私の能力に対する
メモリに流れてくるのはそれだけではない。感情、五感、そのすべて。メモリの能力は、触れた他人の過去を追体験するものと言ってもいい。誤魔化しは出来ない、真実の情報。
「知りたいという欲求が強すぎるんだ、コイツはッ!」
「さて、もっと時間を遡らないと……。より記憶の強い所へ――」
風景が浮かんでくる。質素な建物に囲まれて、質素な布に身を包んだ男性がアビスに訴えかけていた。
『数字です、アビス卿!世界を数字に置き換えるのです!そうすれば、世界の全ては計算出来るようになる!!どうか、数学にあなたの力を貸してください!!』
(実に面白い考え方をする者がいる。こういう者には、自由に好きにさせてみよう。もっともっと面白い事になるかもしれない)
『ああ、いいとも。是非見せてくれたまえ、数字の世界とやらを』
「これは……風景や服装から見ると中世よりも古いか。少し遡ったつもりが、2000年近く戻ってしまった。記憶が長すぎるんだ。感覚を修正しないと――。次はもう少しだけ遡って……」
また次の風景が浮かんでくる。
『水です、アビス卿。世界を簡素に考え、余計なものを省いていけば、世界に残るのはたった1つの元素しかないのです。それは水です。見ていてください。今度こそそれを証明してみせます』
(ああ、ミレトスの人々。彼らが思想家達と決定的に違うのは、実際に証明をしようとするところ。素晴らしいやり方だ。このやり方をもっともっと広めよう。そうしたら、もっともっと色んな考えが出てくるだろう。そうしたら、真実に今よりも近づけるかな?)
「ミレトス……?科学の始まりと言われるミレトス学派のことですか。ということは、100年くらいしか遡れていない?感覚の修正が難しい……。やはり手っ取り早く、一番最初までいってしまいますか」
次の風景が映し出される、と思いきや、そこにあったのは暗闇であった。
「ここは……?」
「何も見えない、何も感じない。記憶が途切れている?いえ、断片化でしょうか。こんなことは初めてです……。記憶が長すぎる事に起因しているのでしょうか」
少なからずメモリは動揺していた。
「私の能力は、記憶の追体験。本人の五感はもちろん、思考や感情も読み取れる。でも、これは?あり得るのか?何もないなんて――」
(私は……私は……)
「いやっ、ある……。微かだけど思考だけは」
(私は……何だ……私は……)
「単調な思考……。思考が単調で繰り返されているのは、生まれたばかりだから?五感を感じないのは、まだ身体が無いから?だとしても、第六感すら感じないのは……」
(私は……私という存在は、存在しているのか……?)
「なんなんだ……。見ているこっちが気が狂いそうになる」
(いや……。私の存在を疑うとして、私の存在を疑う存在は、存在しているんじゃないのか?)
「もう数万年は再生している……数十万年かもしれない。一体この記憶は……この世界はどこまで続いている?」
(私は存在している。私が思考し続ける限り、私は存在している……)
「微かだけど感情が動いている。自分の存在に確証を得たから?ぐらぐらしていた思考の地盤が、自分の存在によって固まったから?」
(私は存在している。私が存在している。んん?では、私が特別なのか?私は特別なのか?そうじゃなかったら……私のような存在が、他にも存在しているのではないか?)
「意識が、内側から外側に向いた。でも、何も感じることはない」
(ダメだ……。私以外の存在を、どうやって見つける?どうやって探す?私はこれでいいのか?私は真実に近づいているのか?)
「思考だけでは頭打ちですか……。さて、ここからですね」
(ん?今、一瞬、なにか……?)
「なに?この感覚は――!?」
突然の出来事だった。それはなんの予兆もなく、何もない世界を埋め尽くした。それは、この時アビスが唯一持っていた魂が持っていた感覚、精霊だけが持ち得る第六感。
「なんなの、この膨大なエネルギー、この熱量!!?」
それはメモリが感じたことのない莫大な力だった。アルマの記憶も見ているメモリですら、感じたことのないエネルギーの大きさ。
ハッとしたメモリは、夕日に染まる町を眺める丘に立っていた。目の前には、憎たらしい顔が相も変わらず笑みを浮かべている。
「実に素晴らしい能力だ。多分、私の記憶野にアクセスしているんだろうねえ。私にも何を見ているのか、白昼夢のように見えたよ。ああ……あの時の記憶をこんなにはっきり体験出来るなんてねえ」
アビスは若干興奮しているようだった。今日のどの瞬間よりも、彼は早口で、声はうわずっていた。
「あなたは……何者なんですか?」
「それを今も探している。
「そう……ですか」
「真実を知りたい。世界を解き明かしたい。あの時のあれも、その前の深淵も、何もかも知りたいのだよ、私は」
(ああ、チクショウ……)
メモリは心の中で悪態をつく。
(やっぱり見るんじゃなかった――)
「ええ、そう……ですか」
(今なら
その時、2人は同時に近くで魔力の高鳴りを感じた。
「どうやら……アルマ様の用事は終わったみたいですね。今日のところは失礼します、狂人さん」
「君もいずれは、そうなるかも。強烈だっただろう?あの体験は――」
気付けばメモリの顔は紅潮し、額の汗が首筋にまで流れ落ち、息遣いは荒くなっていた。夕焼けでは誤魔化しきれない興奮が、生体反応として現れる。
「……あなたのことは大嫌いです。では――」
メモリが足早に去ると、アビスは遠目に見えるアルマとヴィータの方へ目をやって
「さて、仕事の時間だ――」
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