第12話 科学が創る世界
「ああ、町を案内しよう――」
アビスがそう言うと、アルマは目を輝かせた。
一方で、ヴィータは少し顔を曇らせて、言った。
「あの……私はもう……。人混みは苦手で……」
ヴィータは自分の能力の事を気にしていたのだ。
「大丈夫ですよ~。魔王が2人もいて、下手なことはさせませんから~」
主にアルマがそうさせないのだと思う。
「じゃあ、行こうか」
アビスが歩き始めると、ヴィータも渋々ついて行った。一人で帰る道中の方が怖いのだろう。
「それにしても――」
町をキョロキョロと見渡して、アルマが言う。
「なんと言うか、ここの人達はみんなお金持ちなのですか?」
「金持ち?」
「だって、そうじゃないですか。建物も、着てる服だって……。海のような深い青、バラのような鮮やかな赤、春を思わせる新芽のような柔らかい緑……。あんな物、貴族でもなければ――」
「なあ、アルマ」
「はい?」
「そんな人間達の常識、とっとと捨ててしまうことだ」
アビスがピタッと止まる。
「まあ、自分の目で確かめてくれたまえ」
そこは店であった。シンプルで小さめな外見に、虹のように色とりどりの生地が、看板代わりに飾られている。アパレル系と言うには若干地味で簡素な印象で、服よりもずらりと並んだ生地のロールの方が目につく。
「ア、アビス、知っているでしょうけど、私、あまりお金は――」
このアルマ、意外にも倹約家なのである。
「まあ、入るだけならタダさ」
そう言われて、中へと促されるのに
初めてこういう所に入ったのなら、息を呑むだろう。裁縫に
「ああ、良い物に目を付けたねえ。それはウルトラマリンだよ」
「ウルトラ……マリン?」
アルマが手に取っていたのは、深くて力強い青の布だった。
「ラピスラズリ、地域によっては
君達の世界においても、ラピスラズリは宝石として重宝されていた。有名な物では、ツタンカーメンの黄金のマスク。金の仮面の中に描かれるアイシャドウや眉毛は、このラピスラズリが用いられている。
仏教においては七宝の一つとされ、日本においても国宝や重要文化財が何点も存在する。
「合成?」
「化学的に作ったものさ」
アルマは、眉間にしわを寄せて、よくよく観察した。
「はあ……私には、違いがよく分かりませんが……」
「分子的には、全く同じだからねえ」
その時、チラリと名札のような物が目に入る。
「77007?やっぱり高いんじゃないですか!?」
「ああ、それはカラーインデックスだねえ」
「カラーインデックス?」
「学会が、この色は、この素材で、こういう工程で作っているというのを管理しているんだよ。その数字で索引を引けば、全てが記載されているよ」
「……」
「……?」
「……つまり、これは値札ではない?」
「そういうことだねえ」
「いくらなんです?」
「さあ?主、これはいくらだ?」
若い店主が急いで紙と鉛筆を持ってきて、その場で数字を書いた。
「時価ですが、1ロール12mですから、今はこのくらいに――」
まるでお
「え?」
「も、もちろん!この町の物は全てアビス様の所有物ですから、
魔王を信仰する者とその所有物は、信仰する魔王の所有物となる。魔王制度にはそう書かれている。
「安すぎる……。私達が仕入れている染色していない布と比べても同じ、いや、安いくらい……」
この世界においても、そして君達の世界においても、様々なことが連続して起こった。
まず、それまで職人がせいぜい工房という単位でしていた仕事を、より効率的に、より組織的に、より大規模にしていった。それは工場と呼ばれるようになる。
そこからある発明家が水車を動力に、糸を
機械と工場の出現で、今までにない大量の物を、安く生産できるようになった。
「良かったのでしょうか?こんなに可愛いらしい服を、こんなに安く買えてしまって――」
アルマは自分が魔王だから、かなり値下げしてもらったと思っただろう。
だが、上記に加え、合成塗料が誕生すると、誰もが好きな色の服を着れるようになる。今の君達のようにね。更に化学繊維が登場すると、服の種類・役割も多様化していく。
この一連の流れは、産業革命と呼ばれる事になる。それは同時に、大量消費社会の始まりでもあった。
「ヴィータ、君は良かったのか?白い服しか持ってないだろう?」
「わ、わたしは別に……」
「人がいっぱいいて、それどころじゃないって感じですね!」
「……分かっているなら、早く帰らせてください」
「んーん、魔力の制御も大分できるようになってきたし、そろそろ大丈夫だと思ったのだけどねえ」
「技術じゃなくて、気持ちの問題なのかもしれませんね~」
「……」
「まあ、これも訓練だと思えばいい。どうしてもダメそうなら言ってくれたまえ」
「……分かった」
「それじゃあ、服も買ったし、写真を撮りに行こうか」
「写真?」
「ん~、これもちょっとした革命なのかな」
機械の登場で実現したのは、効率化だけではない。根本的に、今まで出来なかった事が可能になった事例が、カメラや蓄音機といった記録装置だろう。
音楽はより身近に。舞台とは違った映画館が生まれ、それらが電波に乗ると、ラジオやテレビとなり、更に更にはインターネットが普及した君達の世界では、Youtubeへと姿を変えていく訳だ。
「アルマ様、あの箱の中に、何か特殊な精霊でも居たのでは?」
「いえ、そんな気配ありませんでしたよ」
アルマは随分と興奮しているようだった。
「あの!あの!あの!本当にあれだけで肖像画が出来るんですか!?」
「ん?見本は見せただろう?絵とは違う。まあ、
なぜって、カメラという物が本当なら、彼女はどこに居ても、アビスとのツーショットを持ち歩けるのだから。記憶を想い起す断片として。
「もう!すぐその場で出来上がれば良いのに……。こ、これって、もしや噂に聞く焦らしプレイってやつですか!?」
「アルマ様、下品です」
「真の愛で結ばれていれば、その表現がどんなに歪んでいたとしても、受け入れます!私は!!」
「歪んでいるのは、むしろアルマ様の方では?」
「ええ!?」
「懺悔して下さい」
「冷たい!今日のメモリ、なんだか冷たくないですか!?」
「冷たい?」
アビスがふと思い付いたように言った。
「良いねえ。次はそれにしよう――」
連れて来られたのは、潮風感じる海を見渡せる高台のデッキ。オシャレな机、椅子。ここでお茶でも出来たら最高だろう。ただ運ばれてきたのは――。
「バニラアイスになります」
そう言われ、並べられたのは、透明なグラスの中に丸められた、白色の結晶。
「メモリ、今、何月でしたっけ?」
「4月です」
「本日は大変、お日柄も良く」
「むしろ暑いですね」
「分かりました!氷ですね?氷を作る精霊の仕業です!」
「いえ、アビス様の元にそんな精霊いなかったはずですが……」
2人は目の前に存在する確かな現象を信じ切れず、ただ睨めっこをしていた。
「分かりました!地下ですね?冬に大量の氷を作っておいて、涼しい洞窟や地下に保管しておくって、聞いたことがあります」
実際、氷を保管する施設はあった。その氷に塩を混ぜると、更に温度が下がる。この吸熱反応と呼ばれる現象を発見し、アイスクリーム作りが始められたのが君達の世界では1500年代。日本なら戦国時代に当たる。
「な、なるほど……。でも、アビス様がそんな普通なことをするのでしょうか?」
「そ、それは……」
だが機械が登場すると、もっと手っ取り早い冷凍機が出現することになる。
2人同時にアビスを見ると、なんともニヤついた顔が浮かんでいた。
「早く食べないと溶けてしまうよ?」
ハッとして、冷えたスプーンを手に取り、まず恐る恐る一口。
「甘い……ッ!砂糖ですよ!?砂糖!!」
科学が変えたのは工業だけではない。農薬の発明が、世界の農業を変えたのは言うまでもないだろう。作物は安定して手に入るようになり、生産量は増え、価格も劇的に変化した。
もちろん砂糖も例外ではない。
「確かに甘いですね。それにこの香り……。ただミルクを固めただけじゃないような……?」
「そう言えばさっき、『バニラ』アイスって言ってませんでしたっけ?」
「いやいやアルマ様、バニラビーンズですよ?香辛料の中でも、高級の部類ですよ!?それに、バニラビーンズを使っているなら、黒い粒々が入っているはず――」
「ん-、それはバニリンだねえ」
「はい?」
「バニリン」
「バニリン……?」
「バニラビーンズの香りの99%を占める分子の名前だよ」
「これも、その……科学ってやつで作ったのですか?」
「そうだよ。まあ、天然の方が良いと言う者も多いが――」
「それは、天然と人工的に作った物では別物、という意味ですか?」
「いや、1%の違いだねえ。人工は100%バニリン。一方で、天然物はその1%に100種類以上の分子が混在している。しかも混在している分子の種類、量は地域や収穫する年でも変わってくる。逆に言えば、人間の嗅覚は、それを嗅ぎ分けられるという事だ」
「はあ……」
ここで溶けかかったアイスを大きく一口。
「でも!私はこれが好きですけどね!」
幸せそうにアルマは、季節外れの味覚を堪能した。
「そうか!」
アビスはちらりとヴィータを見た。
「君の感想も、是非聞きたいねえ」
「わたしはその……こういう物自体、初めてで……」
「うんうん、それで?」
アビスの瞳が大きく見開いて、ヴィータの一挙一動を追っている。
「むー」
それをアルマは顔を膨らませながらも、アイスを食べる手は止まらない。
「冷たくて……甘くて……おい、しい?」
「感動したかい?」
「感動?」
「ん-!心は動いたかね?」
「心が動く?」
「そうだよ。もし、それを感じたのなら、大切にするといい。心は生命の原動力なのだからねえ」
「……」
ヴィータはガラスに乗せられた白い塊を見つめた。
「急かすようだが、そんなにゆっくりしていると溶けてしまうよ?」
「――さて、日も沈みそうだし、そろそろ帰ろうか」
「……」
「どうかしたかい、アルマ?」
「今日は、もう帰ります」
「ん?そうなのか?」
「はい。ほら、ここから南、フレアの領内で病気が流行っているでしょう」
「相変わらずの慈善活動か。結構なことだ」
「でも、その前に~。ヴィータさん、少し2人だけでいいですか?」
「わたし……ですか?」
「女同士じゃないと話せない事もありますから~」
ヴィータは警戒した。フレアの一件を思い出した。
「ふむ……。では、私は先に戻るとするか」
そんなヴィータに構わず立ち去ろうとするアビス。
「ちょっと、アビス!?」
「ああなると聞かないからねえ。まあ、大丈夫だよ。多分」
「多分!?」
「では、メモリ、貴方も外しなさい」
「はい」
困り果てた顔で、あるいは抗う
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